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量子力学の「不確定性原理」が正しいとしても、未来は100パーセント確定している

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 今日は、量子力学の「不確定性原理」が正しいとしても、未来は100パーセント確定しているということについて、話をしてみたいと思います。

≪運命か?それとも、自由意志か?≫

 人間の運命とは決まっているものなのでしょうか、それとも、人間には自由意志があるのでしょうか?

 これは、多くの人にとって、とても関心のあるテーマだと思います。

 あなたも、自分の運命とは果てして決まっているものなのか、それとも、人間には自由意志があるのかということに、とても関心があるのではありませんか?
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 結論から先に申しますと、人間の運命は予め決まっており、真の意味においては、私たち人間には自由意志というものはありません。

 何故なら、私たち人間が、時間においても空間においても「無限」の大宇宙を創造した訳ではなく、私たち一人ひとりの人間は、大宇宙によって一呼吸一呼吸生かされている存在にしか過ぎないからです。

 大宇宙の森羅万象の全てを司っている全知全能の知性が、私たち一人ひとりに生命を与えて一呼吸一呼吸生かし、私たちの思考・感情・行動の全てをコントロールしているからなのです。

 大宇宙の森羅万象の全てを司っている全知全能の知性とは、大宇宙意識とでも言うべき一つの「純粋意識」であり、大宇宙の森羅万象の全ての営みは、大宇宙意識の見えざる糸(意図(いと))によって営まれています。

『大宇宙の森羅万象を貫く一つの力学(法則)』、こちらの記事の中でも書きましたが、大宇宙の森羅万象を貫く根源的エネルギーは一つであり、ある一つの力学、あるいは法則により、大宇宙意識によって営まれているのです。

 このことは、大宇宙の本質というものを、体験的に知ることが出来れば、何の疑いも無く理解出来ることなのです。

 私は、書籍『何故、未来は100パーセント確定しているのか』の中で、大宇宙の最も本質的な観点から、何故未来は100パーセント確定しているのかについて書きましたので、お読みいただいた読者の方も多いかと思います。

 大宇宙の本質というものを体験的に知ることが出来れば、未来は100パーセント確定していることを理解出来るのですが、もし、頭で理解しようとすると、理解することは難しいと思います。

 そして、未来が決まっているかどうかということを、頭で理解しようとする人たちが陥りがちなのが、量子力学の「不確定性原理」というものかも知れません。

 量子力学の「不確定性原理」自体は正しいとしても、だからといって、未来は決まっていないということにはならないのです。

 そのことについて触れてみたいと思いますが、そもそも、量子力学の「不確定性原理」とは一体何でしょうか?
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≪量子力学の「不確定性原理」とは?≫

 量子力学には、「不確定性原理」と呼ばれる理論があることは、ご存知の方も多いかと思いますが、ご存知でない方のために、簡単に触れておきたいと思います。

 私は物理学の素人なので、詳しくは説明できませんが、簡単に一言で言うと、量子というミクロの世界においては、人が観測するまで、何も決まっていないということなのです。

 電子などのミクロのモノを測定しようとすると、「測定」という行為自体が電子などの状態に影響を与えてしまうので、対象となるモノの位置や運動量などを、同時に正確に測定することは出来ないということなのです。

 量子力学の「不確定性原理」というのは、1927年にハイゼンベルクによって唱えられた理論で、量子力学の基礎原理の一つとされています。

 そして、量子力学の「不確定性原理」を知っている人の中には、だから、未来は何も決まっていないと考える人たちもいますが、それはあくまでも人間から見た視点にしか過ぎないということを考える必要があります。

 量子のレベルでは、人間が観測するまで何も決まっていない、何も分からないとしても、私たち人間を生かしている全知全能の知性、即ち大宇宙意識から見れば、全ては決まっており、全ては予め分かっているのだという視点を持つ必要があるのです。

 そのことを理解するのに、一つの参考になる話が、テレビ番組の中に最近出て来ましたので、ご紹介しておきたいと思います。

 最近、NHKのEテレで、毎週金曜日の夜、宇宙に関する番組で『モーガン・フリーマンの時空を超えて』というシリーズが放映されていました。

 アメリカの人気俳優モーガン・フリーマンが司会を務める番組で、ご覧になった方も多いかと思います。

 そのシリーズの中で、つい最近放送された中に、『運命か?自由意志か?』というタイトルのものがありましたが、ご覧になられた方もおられるかと思います。

 その中で、オランダの物理学者ヘーラルト・トホーフト氏が登場しました。
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≪ノーベル物理学賞受賞者へーラルト・トホーフトは、量子の不確定さにも関わらず、宇宙のあらゆる存在は厳密な法則に従っていると言う。≫

 ヘーラルト・トホーフトは、1999年にノーベル物理学賞を受賞した人物であり、量子力学の「不確定性原理」が理論的には正しいことは百も承知の上で、「量子力学は素晴らしい理論ですが、私たちの感覚からかけ離れている点が問題です」と述べています。

 量子力学の「不確定性原理」では、一つの粒子の場所と動きを正確に予測することは不可能であり、素粒子は神出鬼没で、様々な場所に存在し得るどころか、全ての場所に同時に存在することもあり得るとされています。

 確かにこれは、トホーフトが言うように、理論的には正しいとしても、私たちの感覚からは、掛け離れた理論だと言えるかも知れません。

 そこでトホーフトは、量子の世界を解明する新たな理論の研究を重ね、次のような結論に辿り着いたのだと言います。

『量子の不確定さにも関わらず、宇宙のあらゆる存在は、厳密な法則に従っている。宇宙は私たちの運命をコントロールしているのだ!』

 トホーフトは、『私は宇宙を巨大なコンピューターとして見るのが好きです。』と語ります。

 宇宙は、私たちが使っているコンピューターと基本的には同じだと言いますが、ただ、サイズとスピードは桁違いです。

 宇宙という巨大なコンピューターは、扱う情報も膨大であり、それをものすごいスピードで計算し、人間的な尺度を遥かに超えているとトホーフトは言います。

 そして、トホーフトが注目しているのが、原子の大きさの何兆分の一という世界であり、「プランクスケール」と呼ばれるものになります。
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≪「プランクスケール」という宇宙の計測の基本レベルでは、あらゆるものは秩序だっている。≫

「プランクスケール」というのは、宇宙の計測の基本レベルとなるものであり、あらゆる存在の根底を成す層とされています。

 具体的には、10のマイナス35乗メートルというような、気の遠くなるような小さなレベルであり、現在知られている量子の層よりも、さらに下に位置していると考えられています。

 この層は、0と1で構成されたコンピューターの二進法に近い世界のようです。

 この層から全てのモノが創造され、変化・発展していくのだとトホーフトは考えており、この層では、全てのモノが予測可能なものになる筈だと言います。

 トホーフトの理論では、「プランクスケール」のレベルで見た宇宙は、チェスのように駒が意外な方向に動いたりジャンプしたりするような世界ではなく、チェッカーゲームのように、隣のマス目にしか影響を与えることは出来ない二進法的な世界だと言うのです。

 そして、トホーフトは次のように言います。

『何兆ものマス目があるチェッカーボードを想像してみて下さい。それを遥か遠くから見たとすると、何が起きているのか分からず、全てが不確定な状態にしか見えません。それが、量子力学の世界なのです。』

 つまり、一番根底にある層は秩序だっていても、極端にミクロな世界で何が起きているのか把握出来ないため、全てが混沌としたものに見えてしまうということなのです。

 根源まで遡れば、宇宙は巨大なチェッカーボードのようなもので、そこで起きる全てのものは二進法のゲームにしか過ぎないのかも知れません。

 しかし私たちは、その根源的なパターンを見ることが出来ないので、そのために、実際に定められた運命があったとしても、日常的なレベルでは、自由意志があるように感じられるということなのかも知れないのです。

 ノーベル物理学賞を受賞した最先端の物理学者であるヘーラルト・トホーフト氏の理論は、かなり革新的な理論であり、注目に値すると思います。
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≪この大宇宙そのものが、完璧なスーパーコンピューター≫

『大宇宙そのものが、完璧なスーパーコンピューター』、こちらの記事の中でも書きましたが、この大宇宙そのものが、完全無欠な、完璧なスーパーコンピューターなのです。

 大宇宙の本質というものを体験的に知ることは出来なくても、ヘーラルト・トホーフト氏のような最先端の優秀な物理学者は、科学的な考察によって、この大宇宙そのものが巨大なスーパーコンピューターだと捉えているようで、とても素晴らしいことだと思います。

 量子力学の「不確定性原理」自体は理論的に正しいとしても、量子力学の「不確定性原理」が宇宙の一番根底にある根源的な法則という訳ではないということを理解しておく必要があります。

 量子力学の「不確定性原理」自体は理論的に正しいとしても、だからと言って未来は不確定ということにはならない訳であり、未来は100パーセント確定しているのです。

 何故未来は100パーセント確定しているのかということは、人間の視点からはなかなか理解出来ないことなので、大宇宙を本質的に知る必要があります。

 書籍『何故、未来は100パーセント確定しているのか』をまだお読みになられていない方は、ぜひお読みいただくことをお勧め致しますし、既にお読みいただいた方も、折に触れて、再度お読みいただくと、また新たな気付きを得ることが出来たり、より深く理解出来るようになると思います。


願い事を叶えてくれたり天罰を下したりするような「神」は、この大宇宙には存在していない

拙書『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』より
★多くの人たちが考えているような「神」は存在しない

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 私たち人類は長い間、神についての二つの概念を混同してきましたので、多くの人たちが考えているような「神」は、実際には、存在していません。
 多くの人たちは、「神」というものを、無形で不可視的で超自然の全知全能の存在であり、愛や慈悲の心で私たち人間の願いや祈りを聞き入れてくれるとともに、また一方では、私たちの悪い行いを裁き、天罰を下すような存在だと考えています。
 しかし、実際には、そのような「神」は、この大宇宙には存在していません。

 世界の主な宗教の源は一つであり、世界の主な宗教で語られている「神」というのは、あくまでも、地球の全生命の創造主である、異星人エロヒムのことなのです。
 エロヒムは、地球に対しては「全能」であり、神界と呼ばれるような世界は、実際には、エロヒムの世界のことなのです。
 イエス・キリストが言う「天の王国」や、仏陀が言う「極楽浄土」とは、エロヒムの不死の惑星の、楽園のような世界のことなのです。
 エロヒムは、高度な遺伝子工学により、不死の生命、永遠の生命も獲得しています。
 しかし、エロヒムとて、この「無限」の大宇宙の一部であり、「宇宙の塵」に等しい存在にしか過ぎないので、不死の生命、永遠の生命を得る程の科学技術を持っていたとしても、永遠に生存出来るとは限りません。

 地球の全生命の創造主であるエロヒムもまた、他の惑星からやって来た異星人たちによって科学的に創造されたのですが、エロヒムを創造した異星人たちは既に消滅してしまったようです。
 エロヒムが、彼ら自身もまた他の惑星からやって来た異星人たちの手で科学的に創造されたことを知ったのは、「ノアの箱舟」と大洪水の時に、地球に核ミサイルを発射して、地球の生命を抹殺した時のことです。
 核ミサイルを発射して地球の生命を抹殺した後、エロヒムの惑星に、エロヒムを創造した世界から自動宇宙船がやって来ました。
 そして、自動宇宙船に残されていたメッセージにより、エロヒムもまた、他の惑星からやって来た異星人たちによって、科学的に創造されたことを知ったのです。
 そして、もし人類が野蛮で攻撃的であれば、将来、惑星間文明に到達することを可能にするエネルギーを発見した時に自己破滅するであろうことも理解しました。

 つまり、エロヒムの親にあたる創造者たちは、子供であるエロヒムもまた、他の惑星で生命創造の実験を行うことを予め予測していただけではなく、自分たちの創造物を抹殺することやその時期までも予め予測しており、それが起こった時に、自動宇宙船がエロヒムの惑星に届くように配置していたということになります。
 自動宇宙船に残されていたメッセージにより、エロヒムの惑星の不死会議の議長であるヤーウェは、地球の創造物を抹殺したことを後悔し、二度と再び、地球の創造物を抹殺することはしないと決意するとともに、ルシファーたちが「ノアの箱舟」に保護していた地球の生命を、再び地上に戻すことに積極的に協力したのです。
 このことは、サタンの反対を振り切って行われました。
 そして、人類の歩みは、人類自らの手に委ねることにしたのです。

 エロヒムの親にあたる創造者たちは、エロヒムを科学的に創造した訳ですから、高度な科学技術を持っていただけではなく、子供であるエロヒムが、他の惑星で生命を創造してから抹殺してしまうこと、そして、その時期までも予め予測出来る程の高度な科学を持っていたことになります。
 エロヒムが地球の創造物を抹殺した時に自動宇宙船が届くように配置していたのは、ある種の親心だったのかも知れません。
 そのような高度な科学を持っていた、エロヒムの親にあたる創造者たちですら、既に消滅してしまっているようで、エロヒムによれば、おそらく、太陽の急激な寒冷化で絶滅したのではないかということです。

 高度な科学技術により、不死の生命、永遠の生命を獲得したエロヒムと言えども、彼らの惑星を照らす太陽の恩恵によって生きていますので、もし、彼らの惑星を照らす太陽が急激に寒冷化し、彼らが他の惑星に脱出する時期が遅れてしまえば、エロヒムとて絶滅してしまう可能性があります。
 もしそうなった時の為に、エロヒムは、彼らの親にあたる創造者たちがしたのと同じように、自動宇宙船を配置してくれているということです。
 もし万一、エロヒムの惑星を照らす太陽の急激な寒冷化等によって、エロヒムの世界が消滅した時には、彼らの科学技術の遺産が、自動宇宙船によって、子供である私たち地球人に届けられるように配置してくれているのです。

 エロヒムは、地球に対しては「全能」であり、彼らの惑星の何台もの巨大なスーパーコンピューターが、全ての地球人を観察し記録しています。
 そして、不死の資格に値するような行いをした地球人は、エロヒムの不死の惑星で再生されて、不死の生命、永遠の生命が与えられますが、その一方、特に悪い方向に進んだ人たちは、死後も細胞を保存されて時が来ると再生され、裁きを受け、相応の刑に服することになります。
 地球の全生命の創造主であるエロヒムは、地球に対しては「全能」ですが、時間においても空間においても「無限」の大宇宙においては、「宇宙の塵」に等しいのです。
 エロヒムの惑星を照らす太陽が急激に寒冷化し、エロヒムが他の惑星に脱出することが遅れてしまえば、エロヒムでさえ絶滅してしまう可能性があります。

 多くの人たちが「神」についてイメージする、無形で不可視的で超自然の全知全能の存在というのは、「大宇宙意識(無限)」のことであり、「大宇宙意識(無限)」は、大宇宙の森羅万象に対しては「永遠に無関心」なので、「大宇宙意識(無限)」は、私たち人間の願いや祈りを、愛や慈悲の心で聞き入れてくれることも無ければ、人間の悪い行いに怒り、天罰を与えるということもありません。
 多くの人たちが考えるような「神」というものは、存在していません。
 無形で不可視的で超自然の全知全能の存在であり、愛や慈悲の心で私たちの願いや祈りを聞き入れてくれたり、人間の悪い行いに怒って天罰を下したりするような「神」は、この大宇宙には存在していないのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』より


参考文献
ラエル『地球人は科学的に創造された』 無限堂


大宇宙意識(無限)は、私たち人類に対して「永遠に無関心」

拙書『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』より
★大宇宙意識(無限)は、私たち人類に対して「永遠に無関心」

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 時間においても空間においても「無限」の大宇宙、即ち、「大宇宙意識(無限)」とは、私たちが、神や仏という言葉からイメージするような概念を遥かに超えた、もっとスーパーな存在です。
「大宇宙意識(無限)」は、大宇宙の森羅万象に対して「永遠に無関心」であり、もちろん、私たち人類に対しても、「永遠に無関心」なのです。
「大宇宙意識(無限)」とは、私たち人間の願いや祈りに同情して、願い事を叶えてくれたり、あるいは、私たちの行いに対して怒り、天罰を下したりするような存在などでは、全くありません。

 私たちの肉体の中には、例えば、腸の中だけでも、何十兆もの腸内細菌が存在していますが、善玉菌や悪玉菌と呼ばれる、それらの何十兆もの腸内細菌の一つひとつの生死に関して、私たちは「終生無関心」な筈です。
 それと同じように、私たちが宇宙と認識しているものは、さらに一回り大きな宇宙の一部であり、私たちの太陽ですら一つの微粒子に過ぎない巨大な生命にとっては、私たち人類が黄金時代を迎えようが滅びようが、「永遠に無関心」なのです。
 そして、そのような巨大な生命体が存在する宇宙の外にも、さらに一回り大きな宇宙が存在し、その外にもさらに一回り大きな宇宙が存在しており、これが「無限大」に続いていくことになります。
 そして、私たちの体の中にある六十兆もの細胞一つひとつの中にも、小さな宇宙があり、その中にはさらに小さな宇宙が存在しており、その中にもさらに小さな宇宙が存在しており、これが「無限小」に続いていくことになります。

 時間においても空間においても「無限」の大宇宙においては、今この瞬間にも、様々な無数の世界が誕生しては消えているのです。
 そしてそれらの全てを司っているのが、「大宇宙意識(無限)」なのであり、「大宇宙意識(無限)」は、私たち人類に関してはもちろんのこと、大宇宙の森羅万象の全てに対して、「永遠に無関心」なのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』より

人類の創造主であるエロヒムも私たちも、「無限」の大宇宙の中では「宇宙の塵」に過ぎない

拙書『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』より
★エロヒムも私たちも、「宇宙の塵」に過ぎない

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 エロヒムは、今の地球の科学よりも25000年も進んだ科学を持っており、この大宇宙が、時間においても空間においても「無限」であることを発見しました。
 エロヒムは、時間の「無限性」と空間の「無限性」を表すデザインを、彼らの紋章として使っており、六芒星(ダビデの星)の中に「まんじ」が描かれたデザインを、彼らの紋章としています。
 真ん中にある「まんじ」は、時間の「無限性」を表しているとのことです。
 大宇宙は、時間において「無限」なので、宇宙の始源を探求することは不可能であり、馬鹿げたことであるとエロヒムは言っています。
 そして、六芒星(ダビデの星)は、空間の「無限性」を表しているとのことです。
 六芒星は、ダビデの星とも呼ばれ、ユダヤのシンボルともなっていますが、上向きの正三角形と下向きの正三角形が組み合わされた形になっています。
 重ね合わせた二つの正三角形は、「上にあるものは下にあるものと同じ」であり、上にあるものは「無限大」に大きく、下にあるものは「無限小」に小さいということを表しているそうです。

 つまり、宇宙はフラクタル構造(自己相似形)になっているということなのです。
 私たちが認識している宇宙の外側には、もう一回り大きな宇宙が存在するとともに、また逆に、私たちが素粒子と認識しているものの中にも、もう一回り小さな宇宙が存在するということなのであり、そして、このフラクタル構造(自己相似形)が、「無限大」にも「無限小」にも、延々と続くということなのです。
 つまり、私たちが認識している宇宙の外側には、もう一回り大きな宇宙があり、その外側には、さらに大きな宇宙があり、その外側にも、さらに大きな宇宙がある・・・という具合に、「無限大」に大きな宇宙が存在するということになります。
 そして一方、私たちが素粒子と認識しているものの中にも、もう一回り小さな宇宙があり、その中には、さらに小さな宇宙が存在する・・・という具合に、「無限小」に小さな宇宙が存在するということにもなります。

 このような考え方は、今現在の地球の科学では、正しいと肯定することも出来なければ、間違っていると否定することも出来ませんが、私たちより25000年も進んだ高度な科学を持つエロヒムは、「上にあるものは下にあるものと同じ」であり、上にあるものはどこまでも「無限大」に大きく、下にあるものはどこまでも「無限小」に小さいということを発見したということなのです。
 エロヒムは、知性を備え、有機的な体を持ち、しかも非常に小さな世界に住む生物を発見するとともに、さらにはまた、エロヒムは、恒星や惑星が全て、ある一つの生物を構成する微粒子であることも発見しました。
 あらゆるものは、他のあらゆるものに含まれているということなのです。

 エロヒムは、時間においても空間においても「無限」の大宇宙の中では、高度な科学を持つエロヒムですら、「宇宙の塵」に等しい存在であることを理解し、彼ら自身のことを、「宇宙の塵」にしか過ぎないと言っています。
 そして、時間においても空間においても「無限」の大宇宙への信仰心を持ち、「無限」の宗教を信仰しているのです。
「無限」の大宇宙の中では、エロヒムも私たちも、「宇宙の塵」に等しいのです。

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拙書『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』より


参考文献
ラエル『地球人は科学的に創造された』 無限堂


地球の全生命の創造者であるエロヒムが信仰しているのが、大宇宙意識(無限)

拙書『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』より
★創造者エロヒムが信仰しているのが、大宇宙意識(無限)

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 世界の主な宗教の源は一つであり、そのルーツは、エロヒムなのです。
 世界の主な宗教で語られている「神」というのは、地球の全生命の創造主である、「異星人エロヒム」のことなのです。
 そして、私たち人類にとっての「神」である、創造主エロヒムが信仰しているのが、「大宇宙意識(無限)」になります。

 エロヒムは、今の地球の科学よりも25000年も進んだ高度な科学を持っており、楽園のような世界を実現していますので、私たち人類が持っているような、現世利益を求めたり、助けや救いを求めたりするような信仰は一切持っていません。
 エロヒムが持っている唯一の宗教が、「無限」の宗教なのです。
 時間においても空間においても「無限」の大宇宙そのものへの、畏敬の念、崇敬の念、感謝の念であり、「無限」の大宇宙そのものへの信仰心なのです。
 人類の創造主であるエロヒムが信仰しているのが、「大宇宙意識(無限)」なのです。

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拙書『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』より

人類は、地球の全生命の創造者である異星人エロヒムを大宇宙意識(無限)と間違えました

拙書『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』より
★人類は、異星人エロヒムを大宇宙意識(無限)と間違えた

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 私たちが、神という言葉を使う時、二つの概念が混同して使われてきたことを、ご理解いただけたでしょうか。
 即ち、「大宇宙意識(無限)」と「異星人エロヒム」です。
 私たち人類は、神についての二つの概念を混同してきたのです。
 無数の銀河を始め、太陽・月・星、母なる星・地球、植物・動物、そして私たち人間まで含めて、全て「自然」と表現されていますが、実際には、地球の大陸(大地)と、植物・動物・人間は、「異星人エロヒム」が、科学的に創造したものなのです。

 私たち人類は、長い間、地球の全生命の創造者にしか過ぎない、「異星人エロヒム」を、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、「大宇宙意識(無限)」と間違えるという、誤りを犯してきたのです。
「異星人エロヒム」は、あくまでも、地球の全生命の創造主にしか過ぎず、エロヒムが信仰している対象が、「大宇宙意識(無限)」なのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』より


多様性即ち、「想像」し得る限りの全てのものが「創造」されている「無限」性こそが大宇宙の豊かさ

拙書『根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在』より
★多様性こそが大宇宙の豊かさ

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 多様性こそが大宇宙の豊かさです。
 ありとあらゆる全てのものが存在すること、「想像(そうぞう)」し得る限りの全てのものが「創造(そうぞう)」されて存在していることこそが、大宇宙の豊かさなのです。

 言わば、「無限」性というものこそが、大宇宙の豊かさなのだということになります。

 例えば、私たちが住む地球上には、現在、約70億人の人間が生きていると言われていますが、地上に住む70億人の人間の顔は、それぞれ皆違っており、どれ一つ取ってみても、全く同じ顔というものはありません。
 70億人の顔が全部違っているというのが、地球という星の豊かさなのであり、70億人の顔が、金太郎飴のように、全部同じというのは、地球の豊かさではありません。

 肌の色一つ取ってみても、白人や黒人、黄色人種など色々あり、髪の毛や目の色、顔の彫りの深さなど、人種・民族によって、様々です。
 様々な人種・民族が存在しているという多様性も、地球という星の豊かさの一つでもあり、もし地球上に、一つの人種・民族しか存在していなければ、それは、あまり豊かとは言えないと思います。

 地上に生きる70億人の人間が皆、顔立ちは元より、性格も皆違っており、誰一人として同じ人間がいないというのが、地球の豊かさなのであり、70億人の人間が皆、金太郎飴のように、同じ顔立ちと同じ性格をしているというのは、地球の豊かさではありません。

 地球上には、現在、百万種以上の動物と、数十万種もの植物が生息しているとされていますが、それも、地球という星の豊かさの一つだと言えます。
 もしも、地球上に、動物も植物も、それぞれ数百種類しか存在していないとしたら、地球という星は、今よりも遥かに殺風景に感じられることでしょう。

 気候・風土を取ってみても、日本のように四季折々の自然が豊かな場所もあれば、ハワイやタヒチのような常夏の国もあり、アラスカやシベリアのような極寒の国もあり、サハラ砂漠のような場所まで様々です。
 モルディブのような海抜1〜2メートルの小さな島々から、果てはヒマラヤの8千メートル級の山々まで、様々な地理・地形があります。
 これも、地球という星の豊かさの一つでもあると言えます。

 私たちが住む地球という小さな星一つ取ってみても、様々な地理・地形があり、様々な気候・風土があり、そこには、それぞれ何十万種類以上という動物や植物が生息しており、そして、私たち人間にも、様々な人種・民族があり、地上に生きる70億人の誰一人として、同じ顔・同じ性格の人間はいない、というのが、地球という星の豊かさなのです。

 そして、私たちが住む地球という小さな星から、大宇宙へと目を向けてみると、まず、地球が属する太陽系があります。
 私たちの太陽系には、地球を始め、水星、金星、火星など、いくつかの惑星がありますが、どれ一つとして、同じ惑星はありません。
 いくつもの違った惑星を持っていることが、私たちの太陽系の豊かさであるとも言えます。

 そして、私たちの太陽系というのは、銀河系宇宙(天の川銀河)に存在すると考えられている、数千億もの太陽系の中の一つにしか過ぎません。
 地球が属する銀河系宇宙(天の川銀河)には、数千億もの恒星(太陽)が存在すると考えられていますが、それぞれの恒星(太陽)は、大きさや年齢・エネルギー量など皆違いますし、持っている惑星の数や種類、軌道など皆違いますので、どれ一つとして、同じ太陽系は存在していません。

 それぞれ違った数千億もの太陽系が存在するというのが、銀河系宇宙(天の川銀河)の豊かさということになります。

 そして、地球が属する銀河系宇宙(天の川銀河)というのは、大宇宙に無数に存在する銀河の中の一つにしか過ぎません。

 現在の科学が把握出来ているだけでも、この宇宙には、少なくとも百万個以上の銀河が記録されているようです。
 さらには、天文学者たちの推定によると、140億光年以内で見える宇宙には、なんと、数兆もの小型の銀河と、数十〜数百億もの銀河団が存在すると考えられているようです。

 地球が属する銀河系宇宙(天の川銀河)と、アンドロメダ銀河が、それぞれ違うように、二つとして同じものが無い、数兆もの銀河が存在するということが、大宇宙の豊かさなのです。

 多様性こそが大宇宙の豊かさであり、言わば、「無限」性というものこそが、大宇宙の豊かさなのだということになります。

 そして、大宇宙の豊かさとは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、根本創造主(大宇宙意識)が持つ「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」によるものなのです。

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拙書『根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在』より


宇宙的な観点の中では、善悪は存在していない

拙書『根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在』より
★宇宙的な観点の中では、善悪は存在していない

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 物事は、どのような観点に立って見るのかによって、見え方が変わってきます。

 私たち人間サイドの視点に立てば、して良いことと悪いことがあり、守るべき法律や、従うべきルールというものがありますので、しても良いことと、してはいけないことがあります。
 従って、善悪というものは、歴然と存在しています。

 ところが、宇宙的な観点に立って見た時には、善悪というものは、存在していません。
 何故なら、宇宙的な観点に立った時、本当に実在しているのは、根本創造主(大宇宙意識)のみであり、大宇宙の森羅万象の全ては、大宇宙意識が光で織り成す壮大なゲーム・遊びであり、全ては、「大宇宙意識の戯れ(リーラ)」にしか過ぎないからです。

 大宇宙の森羅万象の全ては、バーチャルリアリティー(仮想現実)の幻であり、一切が無の世界であり、全ては、全知全能の光が織り成す紋様にしか過ぎないからです。

 唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙意識の目から見れば、大宇宙の森羅万象の全ては、自らが持つ「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を体験して味わう為の、バーチャルリアリティー(仮想現実)のゲームなのであり、「一切無、一切幻」の世界であり、全てが全知全能の光の中にある紋様にしか過ぎないので、善悪というものは、存在していないのです。

 戦争や殺人、様々な悲劇・不幸・悪・矛盾・間違いと思えるような出来事に対して、「神も仏もあるものか・・・」というような表現が使われることがあります。
 確かに、私たち人間サイドの視点から見れば、「神も仏もあるものか・・・」と表現したくなるような、様々な悪・悲劇・不幸・矛盾・間違いと思えるものが、この世界には存在します。

 もしも、神や仏が存在しているのなら、何故この世界に、様々な悪・悲劇・不幸・矛盾・間違いと思えるものが存在しているのか、という真の理由は、宇宙的な観点に立たない限りは、理解出来ないと思います。

 私たち人間が、神や仏という概念に対して抱くイメージを遥かに超えた、もっとスーパーな存在が、大宇宙の根本主体である、大宇宙意識なのです。

 唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である大宇宙意識とは、「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
 大宇宙意識が唯一行っているのは、「想像=創造(そうぞう)」という仕事であり、未来永劫、永遠に変わることのない、究極的な絶対的な孤独の中で、ありとあらゆるものを「想像=創造(そうぞう)」し続け、ありとあらゆる全てのものを、物理的大宇宙に生み出し続けることなのです。

 全知全能の大宇宙意識が、自らが持つ「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」によって、ありとあらゆる全てのものを生み出していること、それこそが、大宇宙の豊かさということでもあるのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在』より



新著『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』『花咲く都・黄金文明』のページをリニューアルしました!

新著『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』『花咲く都・黄金文明』のページをリニューアル致しました!

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『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』    『花咲く都・黄金文明』
     B6版 283ページ          B6版 297ページ
      発 行     大和富士ブックス
      製本版     本体価格1800円(送料込)+税
      ダウンロード版 本体価格1000円+税


新著『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』発売に伴い、『花咲く都・黄金文明』のページと併せて、書籍のサイトをリニューアル致しました!

新著『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』『花咲く都・黄金文明』は姉妹書となっています。
この21世紀に私たち日本人が、地球の新しい精神文明、花咲く都・黄金文明を花開かせる為に知っておくべき、最も本質的な内容のことが書かれています。

今回の新著2冊は、POD(プリント・オン・デマンド)方式にて発売致しますが、POD(プリント・オン・デマンド)方式は、電子時代の全く新しい出版方法です。

テクノロジーの進化により、出版の形態も多様化してきており、POD(プリント・オン・デマンド)方式を使えば、これからは、作家やマンガ家などが、出版社を通さずに、自ら出版社になれる時代が到来しています。

既に著名な人気マンガ家の中にも、POD(プリント・オン・デマンド)方式を使って、出版社を通さずに自らが出版社としてマンガを発行している方もあるように、これからの出版の新しい形態の一つになります。

具体的には、注文ボタンからの注文が確定し、決済が終わると同時に、今行われた注文の製本が1冊単位で即座に行われ、注文されたお客様の元に直接郵送される仕組みになっています。

今回発売する新著2冊のPOD(プリント・オン・デマンド)方式の決済は、クレジットカード決済もしくはPayPal決済となっておりますので、銀行振込での決済をご希望の方は、銀行振込決済用の注文ボタンからご注文をお願い致します。

POD(プリント・オン・デマンド)方式の決済手段は、今後、コンビニ決済、楽天ID決済など、順次増えていく予定です。

ある意味においては、情報というものほど大切なものは無いと言っても過言ではありません。

正しい情報を元にして行動すれば、多くの時間やお金・エネルギーなどを節約することが出来ます。
その一方、間違った情報を元にして行動すると、多くの時間やお金・エネルギーなどを無駄に使うことにもなりかねません。

今、私たち人類は、有史以来数千年続いた、人類の古い歴史の最終局面を迎えています。
あと十数年から二十年前後で人類の古い歴史が幕を閉じ、人類の新しい歴史が幕開けする時を迎えようとしています。

私たち人類を待っているのは、想像だにない新しい世界なので、このような時代には、地球の新しい時代を指し示す役割を持った、本質的な正しい情報が、何よりも大切になります。


書籍『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』のページはこちらからどうぞ

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大宇宙の過去・現在・未来の全てが、今、同時に存在している

拙書『何故、未来は100パーセント確定しているのか』より
★大宇宙の過去・現在・未来の全てが、今、同時に存在している

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 時空を超越した絶対世界と、「時間と空間」から成り立っている相対世界(物理的大宇宙)との関係について、多少なりともイメージ出来たでしょうか?

 多少なりともイメージしやすいようにと、ユーチューブを使って、敢えて説明を試みてみましたが、元々説明に無理があったことは、ご了承下さい。

 実際には、絶対世界には、時間も無ければ空間も無く、色も形も音も無いのです。
 大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識という「純粋意識」の中に、大宇宙の全てが存在しているのです。

 唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った大宇宙意識という「純粋意識」の中に、大宇宙の全てが存在しているのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙意識という「純粋意識」だけが実在しており、大宇宙意識という「純粋意識」の中に、大宇宙の全てが存在しているのです。

 そして、絶対世界の「映(うつ)し世」、言わば、「鏡」の世界として存在しているのが、相対世界である物理的大宇宙なのです。
 絶対世界と相対世界は、表裏一体、密接不可分の関係として、同時に存在しています。

 絶対世界には、大宇宙の全てが存在していますので、相対世界(物理的大宇宙)にもまた、大宇宙の全てが存在しているのです。

 絶対世界には、大宇宙の全てが元々存在していますので、相対世界(物理的大宇宙)にもまた、大宇宙の全てが元々存在しているのです。

 絶対世界には、始まりも無ければ終わりも無いので、相対世界(物理的大宇宙)にもまた、始まりも無ければ終わりも無いのです。

 絶対世界は、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けますので、相対世界(物理的大宇宙)もまた、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けるのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、大宇宙の全てが元々存在していますので、絶対世界の「映(うつ)し世」であり、「鏡」の世界である相対世界(物理的大宇宙)にもまた、大宇宙の全てが、元々存在しているのです。

 絶対世界の「映(うつ)し世」である物理的大宇宙(相対世界)においても、大宇宙の全て、大宇宙の過去・現在・未来の全てが元々存在しており、それは、今、同時に存在しているのです。

 大宇宙の過去・現在・未来の全てが、今、同時に存在しているのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『何故、未来は100パーセント確定しているのか』より

時空を超越した絶対世界(大宇宙の本質の世界)と、「時間と空間」から成る物理的大宇宙

拙書『何故、未来は100パーセント確定しているのか』より
★時空を超越した絶対世界と、「時間と空間」から成る物理的大宇宙

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 絶対世界における「時」と、相対世界(物理的大宇宙)における時間との関係について、何となくイメージ出来たでしょうか?

 ここで、絶対世界と相対世界(物理的大宇宙)との関係について、時間だけではなく空間も含めた「時間と空間」という観点からイメージしていただく為に、ユーチューブを使って、さらに説明を試みてみたいと思います。
 あくまでも、分かりやすくイメージしていただく為なので、説明に、多少の無理があることは、予めご了承下さい。

 ユーチューブというのは、インターネット上で、世界中で誰でも見ることが出来る動画サイトです。
 ある一つの動画を、世界中の人々が、インターネットを通して、自分のパソコンなどで見ることが出来ます。

 そして、動画の再生ボタンをクリックした時から動画がスタートしますので、ある一つの同じ動画であっても、それを見ている人の場面・再生時間は、様々です。
 仮に、十分間の動画であれば、今、三一秒目の場面を見ている人もあれば、五分八秒目の場面を見ている人もあり、九分五五秒目の場面を見ている人も考えられます。

 そして、千分の一秒、万分の一秒というような単位で厳密に考えれば、誰一人として、同じ再生時間・場面を見ている人はいないので、見ている人の数だけ、無数の時間・場面が、世界中に存在していることになります。

 世界中で話題になったある動画を、もし仮に、今、世界中で一〇〇万人の人々が、それぞれ再生して見ていると仮定すれば、万分の一秒というような単位で厳密に考えた場合、一〇〇万通りの時間が存在していることになります。

 ユーチューブのある一つの同じ動画を、今、世界中で再生して見ている人々の数が多ければ多い程、万分の一秒というような単位で厳密に考えた場合、無数の時間というものが、世界中に存在していることになります。

 そして、無数の時間というものが世界中に存在しているだけではなく、無数の空間というものも、同時に、世界中に存在しているのです。
 無数の空間とは、ユーチューブを再生しているパソコンなどの端末画面のことです。

 世界中で話題になったある動画を、もし仮に、今、世界中で一〇〇万人の人々が、それぞれ自分一人で見ていると仮定すれば、一〇〇万通りの空間(パソコンなどの端末画面)が、今、全世界に同時に存在していることになります。

 ユーチューブのある一つの同じ動画を、今、世界中で再生して見ている人々の数が多ければ多い程、無数の空間(パソコンなどの端末画面)というものが、世界中に存在していることになります。

 世界中で話題になったユーチューブの同じ動画を、もし仮に、今、世界中で一〇〇万人の人々が、それぞれ再生して見ていると仮定すれば、一〇〇万通りの「時間と空間」、一〇〇万通りの時空というものが、今、地球上に存在していることになるのです。

 絶対世界の「時」と、相対世界(物理的大宇宙)の時間との関係をイメージしやすいように、先程は、配信元のユーチューブ本体を絶対世界と仮定しました。
 時間だけではなく空間まで含めた「時間と空間」という観点から、絶対世界と相対世界との関係について、ユーチューブを使ってイメージするとすれば、ユーチューブという動画サイトが存在しているインターネットの世界そのものが、絶対世界だとイメージすると、分かりやすくなるかも知れません。

 ユーチューブが存在しているインターネットの世界そのものが、絶対世界であり、ユーチューブの動画が再生されているパソコンなどの端末画面が、相対世界(物理的大宇宙)であるとイメージすると良いかも知れません。

 ユーチューブが存在しているインターネットの大元の世界においては、動画は停止した状態で存在しているかと思います。
 ユーチューブの動画を見ようとしてサイトを開けば、動画は必ず停止した状態で現れる筈です。
 ユーチューブが存在しているインターネットの大元の世界においては、動画は停止した状態で存在しており、時間が流れている(動画が再生されている)訳ではない筈です。

 そして、パソコンなどの個々の端末で、誰かが再生ボタンをクリックした時だけ、そこに時間が流れている(動画が再生されている)ことになるのです。

 ユーチューブが存在しているインターネットの大元の世界においては、時間は流れている(動画が再生されている)訳ではなく、時間というものは、存在していません。
 動画は停止した状態で存在していますので、始まるということも無ければ、終わるということも無いのです。
「時」には、始まりも無ければ終わりも無く、ただ、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。
「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、動画の全てが存在しているのです。
「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、動画の全ての場面、動画の全ての時間(過去・現在・未来)が、同時に存在しているのです。

 そして、ユーチューブが存在しているインターネットの大元の世界においては、空間というものも、存在していません。
 現実レベルにおいても、インターネットの大元の世界というものは、地球上の何処か特定の場所に存在しているという訳ではない筈です。

 インターネットの世界そのものが、地球上の何処か特定の場所・空間に存在している訳ではなく、パソコンなどでアクセスした時だけ、パソコンなどの画面上に現れるだけだと言えるかも知れません。

 絶対世界と相対世界(物理的大宇宙)との関係を、もし仮に、ユーチューブを使ってイメージするとすれば、ユーチューブが存在しているインターネットという世界そのものが絶対世界であり、ユーチューブが再生中のパソコンなどの端末画面が、相対世界であると考えると、分かりやすいかも知れません。

 ユーチューブが存在しているインターネットという大元の世界そのものには、時間も空間も存在していません。
 一方、ユーチューブの動画が再生されているパソコンなどの端末画面というものは、地球上のある空間に存在しており、そこにおいては、時間が流れている(動画が再生されている)ので、「時間と空間」という時空の中に存在しているとイメージすると良いかも知れません。

 ユーチューブが存在しているインターネットという大元の世界そのものは一つですが、ユーチューブのある一つの動画が再生されている無数の「時間と空間」が、全世界・地球上に同時に存在しているのです。

 もし仮に、大宇宙の全てが凝縮された、「大宇宙」というタイトルのユーチューブの動画があり、世界中の人々が今、この動画を見ていると仮定します。

「大宇宙」というタイトルの動画が再生されている数だけ、無数の空間(パソコンなどの端末)というものが、全世界・地球上に、同時に存在していることになります。

 そして、万分の一秒というような単位で厳密に考えた場合、どの空間(パソコンなどの端末)においても、全く同じ再生時間・場面というものは存在しませんので、動画が再生されている数だけ、無数の時間というものが、全世界・地球上に同時に存在していることになります。

「大宇宙」というタイトルの動画が再生されている数だけ、無数の「時間と空間」、無数の時空というものが、全世界・地球上に、今、同時に存在していることになるのです。

 そして、このことは、大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界と、絶対世界の「映(うつ)し世」である相対世界(物理的大宇宙)との関係をイメージする上でも、役に立ちます。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界は一つですが、相対世界である物理的大宇宙においては、無数の「時間と空間」、無数の時空というものが、今、同時に存在しているのです。

 大宇宙の過去・現在・未来の全てが、今、同時に存在しているのです。
 大宇宙の全ての時空、全ての座標軸が、今、同時に存在しているのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『何故、未来は100パーセント確定しているのか』より

絶対世界(大宇宙の本質の世界)の「時」と、相対世界(物理的大宇宙)の時間との違い

拙書『何故、未来は100パーセント確定しているのか』より
★絶対世界の「時」と、相対世界(物理的大宇宙)の時間

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 大宇宙には始まりも無ければ終わりも無く、大宇宙の全てが、元々存在しているとしたら、私たちが過去→現在→未来へと流れているように感じる時間というものを、どのように捉えたら良いのでしょうか?

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界とは、時間も無ければ空間も無い、時空を超越した世界であり、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。
「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。

 一方、絶対世界の「映(うつ)し世」であり、「鏡」の世界である相対世界(物理的大宇宙)とは、「時間と空間」という座標軸から成り立っている世界です。

 唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージが、全知全能の光により物質化されて「創造(そうぞう)」された、バーチャルリアリティー(仮想現実)の幻の世界なのです。

 絶対世界において大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージが、360度立体の3D(三次元)ホログラムのようになって投影された、バーチャルリアリティー(仮想現実)の幻の世界なのです。

 相対世界である物理的大宇宙においては、過去→現在→未来へと時間が経過して行くように感じられますが、大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界においては、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙の全てが存在しているのです。

 このことは、絶対世界を体験的に知る他無いので、頭で理解することは出来ないのですが、敢えて、分かりやすくイメージしていただく為に、ユーチューブを使って、説明を試みてみたいと思います。
 あくまでも、分かりやすくイメージしていただく為なので、説明に多少の無理があることは、予めご了承下さい。

 動画をユーチューブにアップしたことがある方は分かるかと思いますが、動画をユーチューブにアップする時には、動画は再生中の状態ではなく、停止した状態でアップする筈です。

 配信元のユーチューブ本体においては、おそらく、動画は再生された状態ではなく、停止した状態で存在しているかと思います。

 そして、動画がユーチューブ本体で承認されて、インターネット上に公開された後は、それを誰かが再生すれば、時間が経過して、場面が次々と移り変わって行くことになります。
 あたかも、時間が過去→現在→未来へと流れて行くように感じられるかも知れません。

 もしも、今、自分がその動画を見ていると仮定すれば、今見ている場面・時間が今現在であり、さっき見ていた場面が過去であり、これから展開して行く場面が未来ということになります。

 絶対世界における「時」と、相対世界(物理的大宇宙)における時間との関係を、敢えて、ユーチューブを使って分かりやすくイメージするとすれば、配信元のユーチューブ本体が絶対世界であり、パソコン上で再生されている動画が、相対世界である物理的大宇宙だとイメージすると、多少は分かりやすくなるかも知れません。

 配信元のユーチューブ本体を絶対世界と仮定すれば、絶対世界においては、時間が流れている(動画が再生されている)訳ではなく、時間というものは存在していません。
 動画は停止した状態で存在していますので、始まるということも無ければ、終わるということも無いのです。
「時」には、始まりも無ければ終わりも無く、ただ、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。
「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、動画の全て(過去・現在・未来)が存在しているのです。
 動画の全ての場面、動画の全ての時間(過去・現在・未来)が、今、同時に存在しているのです。

 一方、ユーチューブの動画が再生されているパソコンなどの端末画面を相対世界(物理的大宇宙)と仮定すれば、そこにおいては、時間が流れており、時間が過去→現在→未来へと流れているように感じられるかも知れません。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『何故、未来は100パーセント確定しているのか』より

原因と結果の関係性について、正しく理解することが大切

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 原因と結果の関係性というものについて、正しく理解することが大切だと思います。

 多くの人たちは、原因があって結果があると考えています。
 しかし、原因があって結果があると言うよりも、本当は、原因は結果によって選ばれていると言ったほうが、真実に近いのです。

 ある結果と呼ばれるものを得る為に、その原因となるものが創り出されているのであり、順番が逆なのです。

 原因と結果の関係性について、正しく理解することが大切です。

 多くの人たちが、原因があって結果があると考えているのは、時間というものが、過去→現在→未来へと流れているという思い込みによるものなのです。

 時間は流れている訳ではないのですが、敢えて、時間の流れというものを想定した場合でも、それは、多くの人たちが考える、過去→現在→未来という流れではなく、それとは逆の、未来→現在→過去という流れになります。

 未来は100パーセント確定していますので、既に100パーセント確定している未来から時間が流れて来て、そこに至る為のプロセスが順番に創り出されているのです。

 時間は未来からやって来るのであり、既に100パーセント確定している未来に至る為のプロセスが、順番に創り出されているだけなのです。

 ですから、原因があって結果があると言うよりは、原因は結果によって選ばれているのであり、ある結果と呼ばれるものを得る為に、その原因となるものが創り出されているのです。
 
 原因があって結果があると言うよりは、原因は結果によって選ばれていると言った方が真実に近いので、順番が逆なのです。
 ある結果と呼ばれるものを得る為に、その原因となるものが創り出されているのです。

 多くの人たちが考える、原因と結果の関係性というのは、順番が逆になっていますので、原因と結果の関係性というものを、正しく理解することが大切になります。

 原因があって結果があるように一見思えるのは、時間というものが、過去→現在→未来へと流れているという思い込みによるものなのです。

 究極的には時間というものは存在していないので、過去も未来も、今、同時に存在していますので、本当は、時間というものも流れている訳ではありません。

 しかし、敢えて、時間の流れというものを想定するとすれば、それは、多くの人たちが考える、過去→現在→未来という流れではなく、それとは逆の、未来→現在→過去という流れになります。

 未来は100パーセント確定していますので、既に100パーセント確定している未来から時間がやって来て、そこに至る為のプロセスが、順番に創り出されているだけなのです。

 分かりやすく簡単に例えるならば、私たちが家を建てる場合、まずは、未来の完成形、即ち、詳細な設計図を作成し、それに基づいて、必要な物事を時系列で順番に行っていく筈です。

 具体的には、基礎工事を行い、柱や屋根などの骨格を組立て、外装を行い、内装を行い、最終的には、配線等の全ての細部を終了させて、一軒の家が完成することになります。

 完成された家という結果を得る為に、その原因となる基礎工事などを、時系列で順番に創り出している訳です。

 基礎工事や外装・内装・配線などを行ったから、たまたま家が完成した訳ではなく、完成された家という結果を得る為に、その原因となるそれらの作業を順番に行った筈です。

 これはあくまでも、私たちが家を建てる場合の話だと思われるかも知れませんが、大宇宙の森羅万象においても、同じことなのです。

 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識だけなのです。
 そして、時間というものも本当は幻想にしか過ぎないので、究極的には時間は存在していません。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界においては、大宇宙意識という「純粋意識」の中に、大宇宙の全てが元々存在しており、大宇宙は元々完成しています。

 大宇宙は、元々が完成された、完全な世界なので、未来は既に100パーセント確定しているのです。

 そして、既に100パーセント確定している未来から時間がやって来て、そこに至る為のプロセスが、順番に創り出されているだけなのです。

 原因があって結果があると言うより、原因は結果によって選ばれていると言った方が真実に近く、ある結果と呼ばれるものを得る為に、その原因となるものが創り出されているのであり、順番が逆なのです。

 多くの人たちは、時間というものが、過去→現在→未来へと流れているというふうに勘違いしているので、原因と結果というものについての関係性を、勘違いしています。

 原因と結果についての関係性を、正しく理解することが大切だと思います。

『原因があって結果があると言うより、原因は結果によって選ばれている』『未来からやって来る時間(時間の流れは、未来→現在→過去)』などの過去記事も、是非ご参照下さい。


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時間の流れは、未来→現在→過去であることを理解することが大切

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 昨日、『未来は100パーセント確定していることを知ることが大切』ということを書きましたが、何故、未来は100パーセント確定しているのかを知る上で、時間の流れは、未来からやって来るということを理解することが大切になります。

 時間というものそのものが究極的には存在していないので、時間というものも幻想にしか過ぎないのですが、敢えて、時間の流れというものを想定するとしたら、それは、多くの人たちが考える、過去→現在→未来という流れではなく、それとは逆の、未来→現在→過去という流れになります。

 多くの人たちは、時間というものが、過去→現在→未来へと流れていると思っているので、未来は決まっておらず、白紙の未来があるかのように考えてしまうのです。

 究極的には、時間というものそのものが存在していないので、本当は、時間は流れている訳ではなく、過去も未来も、今、同時に存在しているのです。

 時間は流れている訳ではないのですが、敢えて、時間の流れというものを想定した場合でも、それは、多くの人たちが考える、過去→現在→未来という流れではなく、それとは逆の、未来→現在→過去という流れになります。

 既に100パーセント確定している未来から時間がやって来て、未来に至る為のプロセスが、順番に創り出されているだけなのです。

 原因があって結果があると言うよりも、原因は結果によって選ばれていると言った方が、真実に近いのです。
 ある結果と呼ばれるものを得る為に、その原因となるものが創り出されているのであり、順番が逆なのです。

 私たちが生きている物理的大宇宙は、「時間と空間」という座標軸から成り立っている世界ですが、相対世界とも呼ばれる、大宇宙の仮相(仮の姿)の世界であり、実相(本質)の世界ではありません。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、時間も無ければ空間も無く、そこは時空を超越した根源の世界なのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも言うべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識という「純粋意識」のみが実在しています。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界においては、大宇宙の過去・現在・未来の全て、大宇宙の全てが元々存在しており、大宇宙は元々が完成された、完全な世界なのです。

 私たちは今、元々が完成された完全な世界である大宇宙を、ある「時間軸と空間軸」から体験しているにしか過ぎません。

 そして、時間が過去→現在→未来へと流れていると錯覚しているので、白紙の未来があるかのように感じているだけなのです。

 敢えて分かりやすく例えて言うならば、映画のDVDを借りてきて見ている時に、そのストーリーの先が分からないので、映画の結末が決まっていないかのように錯覚しているような状態だと言えるかも知れません。

 見ている本人には、次の場面や結末は分からないかも知れませんが、DVDを借りてきた時点で、見る前から、既に全ては決まっています。

 そして、最後のラストシーンに合わせて、ストーリーが創られている訳です。
 最後のラストシーンで感動してもらう為に、最初の場面からストーリーが次々と展開して、クライマックスを迎えることになります。

 映画のDVDを借りてきた時点で、その映画を製作した監督は、映画の全てを知っています。
 ただ、それをこれから見る人が、そのストーリーが分からないので、ハラハラドキドキしているだけなのです。

 ちょっとくだけた例えになりましたが、大宇宙においても同じです。

 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識だけなのです。

 大宇宙意識が実在する絶対世界には、時間というものは存在していませんので、そこにおいては、大宇宙の全てが元々存在しており、大宇宙は元々が完成された、完全な世界なのです。

 ただ、大宇宙に生かされている存在にしか過ぎない私たちは、大宇宙のある「時間軸と空間軸」を体験しているだけなので、既に100パーセント確定している未来から時間が流れて来て、そこに至る為のプロセスが順番に創り出されているだけだということが、なかなか分からないだけなのです。

『未来からやって来る時間(時間の流れは未来→現在→過去)』『原因があって結果があると言うより、原因は結果によって選ばれている』の過去記事も、是非ご参照下さい。


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未来は100パーセント確定していることを知ることが大切

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 未来は100パーセント確定しているということを、知ることが大切だと思います。

 未来が100パーセント確定しているということを知る上で、大切なポイントは、二つあります。

 一つは、この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識という、一つの「純粋意識」だけであるという点になります。

 そして、もう一つのポイントが、時間は幻想であり、時間というものそのものが、究極的には存在していないということなのです。

 この二つのポイントは、決して別々のことではなく、本質的に同じことなのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界とは、時間も無ければ空間も無い、時空を超越した根源の世界であり、そこには時間というものは存在していません。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、時間というものは存在しておらず、そこにはただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

 そして、絶対世界に唯一実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識という一つの「純粋意識」だけなのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙意識という「純粋意識」だけが実在しています。

 何故、未来は100パーセント確定しているのかを知る上で、このことは、必要不可欠となります。

 未来が100パーセント確定していることが理解出来るようになれば、未来についての余計な幻想が薄れていき、時間やお金やエネルギーなどを無駄なことに使わなくても済むようになります。

 神仏というものに無闇矢鱈に願い事をして、助けや救いを求めるような御利益信仰にハマる必要も無ければ、「引き寄せの法則」などのような、人間のエゴや願望から創り出された間違った概念に囚われることも無くなります。

 未来は100パーセント確定しているということを、知ることが大切だと思います。

『未来は100パーセント確定している』『未来は部分的にある程度までは決まっている、という勘違いについて』『時間の「無限」性について――無始の過去、無終の未来』『想定した未来の出来事は起こらない、という勘違いについて』などの過去記事も、是非ご参照下さい。


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書籍『何故、未来は100パーセント確定しているのか』について

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 書籍『何故、未来は100パーセント確定しているのか』は、未来が100パーセント確定しているということを、知る為の書籍です。

 何故、未来は100パーセント確定しているのかということは、知識や学問などによっては知ることは出来ず、この大宇宙の本質というものを、体験的に知らない限りは、理解することは出来ません。

 何故、未来は100パーセント確定しているのかを理解する上で、大切なポイントは、二つあります。

 一つ目のポイントは、この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体・根本創造主である、大宇宙意識だけであるという点になります。

 そして、二つ目のポイントは、時間そのものが幻想であり、本当は、時間は存在していないということなのです。

 何故、未来は100パーセント確定しているのかを知る上で、この二つのポイントは、必要不可欠となります。

 何故、未来は100パーセント確定しているのかを知る為には、私たちが生きている、この物理的大宇宙そのものが、大宇宙の仮相(仮の姿)の世界であり、大宇宙の実相(本質)の世界ではないことを知る必要があります。

 大宇宙は、大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界と、大宇宙の仮相(仮の姿)の世界である相対世界から成り立っています。
 私たちが生きている、この物理的大宇宙は、相対世界に属していますので、大宇宙の本質の世界ではありません。
 まずは、このことを理解する必要があります。

 そして、大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界とは、時間も無ければ空間も無い、時空を超越した根源の世界なので、そこにはただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙意識という一つの「純粋意識」だけが実在しています。

 大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
 物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 私たちが生きている物理的大宇宙(相対世界)とは、絶対世界において大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージを、映し出して体験する為の「鏡」の世界であり、絶対世界の「映し世(うつしよ)」として「創造(そうぞう)」されている世界なのです。

 大宇宙の森羅万象の全ては、大宇宙意識の見えざる糸(意図(いと))により、大宇宙意識が持つ根源的エネルギーによって動いています。
 全ては、大宇宙意識の計画の中なのです。

 時間も空間も存在しない世界(絶対世界)において「想像(そうぞう)」されたイメージが、「時間と空間」という座標軸から成り立っている物理的大宇宙(相対世界)に「創造(そうぞう)」されているのです。

 何故、未来は100パーセント確定しているのかを知る上で、このことは、必要不可欠であり、大宇宙の本質というものを体験的に知らない限りは、理解することは出来ません。

 しかし、体験的に知らなくても、私たち人間一人ひとりの意識の一番奥深くには、大宇宙意識が内在していますので、私たちは自分の意識の奥深くでは、死に至るまでの自分の未来を既に100パーセント知り尽くしているのです。

 そのことを想い出していく為の書として、書籍『何故、未来は100パーセント確定しているのか』をご活用いただければ幸いです。

 未来が100パーセント確定しているということを理解出来るようになれば、無駄なことに時間やお金やエネルギーなどを使わなくても済むようになるでしょう。

 神仏というものに無闇矢鱈に願い事をして、助けや救いを求めるような御利益信仰にハマる必要もありませんし、人間のエゴや願望から創り出された、間違った概念にしか過ぎない「引き寄せの法則」などにも囚われる必要は無くなります。

 未来が100パーセント確定していることを理解出来るようになれば、多くの時間・お金・エネルギーを無駄なことに使う必要が無くなり、時間・お金・エネルギーを節約出来るようになるでしょう。


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新著「大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム」の後書きを、ご紹介致します!

新著「大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム」の後書き(おわりに)を、ご紹介致します!
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 新著「大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム」
   人類は、異星人エロヒムを「神」と間違えた!

おわりに

 本書「大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム」をお読みいただいた感想は、如何でしたか?
 私たち人類が、何千年もの長い間、地球の全生命の創造主にしか過ぎない「異星人エロヒム」を「大宇宙意識(無限)」と間違え、二つの概念を混同してきたことは、お分かりいただけたかと思います。
 私たち人類は、何千年もの長きに亘って、「神」というものについて、二つの概念を混同してきたのです。

 しかし、真実が啓示される時代、アポカリプス(黙示録)の時代を迎えて、全てを科学的に理解可能となる現代までは、それも必要なプロセスでした。
 エロヒムが、神という「隠れ蓑」を使ったのは、エロヒムの壮大な計画の一部でもあり、全てを科学的に理解出来る時代を迎えるまで、私たち人類には、崇め奉る絶対的な神の存在は、むしろ、必要だったのです。
 モーゼや仏陀、イエス・キリスト、マホメットなどの古代の預言者たちは、全てを科学的に理解出来る時代を迎えるまでは、宗教という「松葉杖」を必要とする人類の為に、エロヒムから遣わされた、偉大なメッセンジャーたちでした。
 しかし、真実が啓示される時代、アポカリプス(黙示録)の時代を迎えて、全てを科学的に理解出来るようになった今、もはや、伝統的宗教が果たしてきた役割は、終焉の時を迎えようとしています。

 近い将来、私たち人類が、神(エロヒム)を見る日が到来します。
 エロヒムの偉大なる帰還が実現し、ヤーウェを中心とするエロヒムが、宇宙船に乗って、公式に地球を訪問する時代が到来するのです。

 その時、イエス・キリストを始め、モーゼや仏陀、マホメットなど、古代の預言者たちも、一緒に地球にやって来ることになるでしょう。
 私たち人類は、エロヒムの25000年も進んだ科学を遺産として伝授される恩恵により、地球の新しい精神文明、花咲く都・黄金文明を花開かせることになります。
 キリスト教の世界で言われる、至福千年王国のことでもあり、私たち人類の黄金時代が幕開けするのです。
 そして、地球は宇宙時代を迎えます。

 何れ、私たち人類も、他の惑星に出掛けて行き、生命を創造するようになるでしょう。
 そして、他の惑星で生命を創造した時、今度は私たち人類が、「天空から飛来した人々」と呼ばれることになります。
 時間においても空間においても「無限」の大宇宙の中で、過去から「無限」に続いてきた「生命創造の営み」を、親であるエロヒムから受け継ぎ、今度は私たち人類が創造者となる時を迎えるのです。

西暦2015年(平成27年)8月吉日             大和富士


参考文献
ラエル「真実を告げる書」 無限堂
ラエル「地球人は科学的に創造された」 無限堂


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新著「大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム」の前書きをご紹介致します!

新著「大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム」の前書き(はじめに)を、ご紹介致します!
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 新著「大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム」
   人類は、異星人エロヒムを「神」と間違えた!

はじめに

「大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム」という本書のタイトルを最初にご覧になった時、どのような印象を受けられたでしょうか?
 なんだか変なタイトルの本だな、と感じられた方も多いかも知れません。
 しかし、「大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム」というのは、私たち人類が、有史以来数千年もの長い間、神という概念について混同してきた、神を表す二つの本質的な言葉なのです。

 神という言葉から、人々は、どのようなイメージを想像するでしょうか?
 多くの人たちは、無形で超自然で全知全能の存在、言わば、大宇宙の根本主体、大宇宙の根本創造主のような存在をイメージするかも知れません。

 また一方では、人々は、日本の神話に登場するような、様々な神々を想像するかも知れません。
 神道というのは、八百万神(やおよろずのかみ)を信仰する多神教であり、古事記などの神代の神話には、私たちと同じように姿・形を持ち、感情を持った、人間味溢れる様々な神々が登場します。
 例えば、国生みをされたイザナギとイザナミの夫婦神、そして、二神から生まれたアマテラスやスサノオなど、様々な神々が登場します。

 日本の神話だけではなく、ヒンズーの神話や、ギリシャ神話など、世界各地の神話には、人間味溢れる様々な神々が登場します。
 また、神という言葉は使いませんが、仏教においても、私たち人間と同じような姿・形を持ち、慈悲深い表情をした仏像などで、仏を表現しており、中には、不動明王などのように、憤怒の相の仏像などもあります。

 このように、私たちが一般的に、神という言葉を使う時、二つの概念が混同して使われていることに、お気付きになるかと思います。
 一つは、無形で超自然で全知全能の、唯一絶対の至高の存在、言わば、大宇宙の根本主体・根本創造主に対して使われています。
 この存在を表している言葉が、本書のタイトルにおける、「大宇宙意識(無限)」という言葉なのです。

 そしてもう一つ、神を表す概念として、私たち人間と同じように姿・形を持ち、私たち人間と同じように感情を持ち、私たち人間とかつて直接関わりのあったような存在としての神々、神話に登場するような神々という概念があります。
 この存在たちを表している言葉が、本書のタイトルにおける、「異星人エロヒム」という言葉になります。

 実は、何千年もの長い間、私たち人類は、神というものについて、この二つの概念を混同してきたのです。
 世界の主な宗教の源は一つであり、旧約聖書の「創世記」に出てくる存在たちが、そのルーツとなっています。
 聖書においては、神(GOD)と訳されています。
 しかし、聖書における神(GOD)という言葉は、誤訳なのです。

 聖書において神(GOD)と訳されている元々の原語は、ヘブライ語のエロヒムという言葉であり、「天空から飛来した人々」を意味する、れっきとした複数形なのです。
 単数形が、エロハという言葉になります。
「創世記」の中で、「神は御自分にかたどって人を創造された」と書かれているとおり、聖書における神(GOD)とは、私たち人間と同じような姿・形をした存在たちなのです。
 無形の超自然の全能の神が、「創世記」における天地創造を行った訳ではなく、エロヒムという「天空から飛来した人々」、即ち、他の惑星からやって来た異星人たちによって、科学的に天地創造が行われたことを「創世記」は伝えていますので、実は、聖書というのは、世界最古の「無神論」の書なのです。
 聖書における神(GOD)という言葉は、史上最大の誤訳だと言っても過言ではないかも知れません。

 世界の主な宗教の源は一つであり、「創世記」において神(GOD)と訳されている存在たちが、そのルーツとなっています。
 しかし、「創世記」における神(GOD)という言葉は誤訳なので、聖書における神(GOD)とは、ヘブライ語の原語で「天空から飛来した人々」を意味する、エロヒムという異星人たちのことなのです。

 つまり、世界の主な宗教に登場する神とは、「異星人エロヒム」のことなのです。
 無形で超自然で全知全能の、唯一絶対の存在、即ち、「大宇宙意識(無限)」のことが語られている訳ではありませんので、誤解しないように注意する必要があります。
 宗教で語られている神とは、あくまでも、人類の創造者である「異星人エロヒム」のことなので、大宇宙の根本主体・根本創造主である「大宇宙意識(無限)」のことが語られている訳ではありません。

 また、「創世記」を始め、日本の古事記や、世界各地の様々な神話には、天地開闢物語、宇宙開闢物語が登場します。
 しかし、これらの全てはあくまでも、地球から見た天地創造であり、地球にとっての天地開闢物語、宇宙開闢物語なので、「無限」の大宇宙そのものの宇宙開闢が語られている訳ではありませんので、誤解しないように注意する必要があります。

「創世記」に書かれている天地創造が、他の惑星からやって来た人間たち、即ち、エロヒムという異星人の科学者たちによって、科学的に創造されたということは、科学が発達した現代になるまでは、理解することは出来ませんでした。
 しかし、今や私たちは、真実が啓示される時代、アポカリプス(黙示録)の時代を迎えていますので、全てを科学的に理解可能な時代を迎えているのです。
 無知蒙昧な神秘主義に陥ることなく、全てを科学的に理解し、真実を知るべき時を迎えています。

 科学と宗教とは、対立する概念のように捉えられるきらいがありますが、実は、科学と宗教とは、同じ母親から生まれた兄弟のようなものなのです。
 エロヒムは、今の地球の科学よりも25000年も進んだ高度な科学を持っており、この科学の力が、地球での生命創造を可能にしたものなので、科学と宗教とは、決して対立する概念ではなく、同じ母親から生まれた兄弟のようなものなのです。

 私たち人類も、今や、宇宙ロケットを飛ばして、有人・無人での様々な宇宙探査を試みるとともに、遺伝子(DNA)の解読に成功し、クローン技術も獲得するなど、生命を創造出来るような科学力を身に付けてきています。
 火星への移住計画なども進められており、オランダの民間プロジェクト「マーズワン」では、西暦2025年に、最初の四人を火星に移住させる計画だとのことです。
 また、まだまだ先になりますが、「火星テラフォーミング」と言って、火星そのものに大気を作り、人類が住めるような惑星に作り変えてしまおうという、「地球化」、「惑星化」のプロジェクトまで取り沙汰されるような時代を迎えているのです。

 地球の科学が、今よりももっと高度に進歩すれば、何れ私たち人類も、他の惑星に行って、生命創造の実験を試みるようになることは、容易に想像出来るのではないでしょうか?
 世界の宗教で語られている神というのは、あくまでも、非常に高度な文明を持った、「異星人エロヒム」のことなので、大宇宙の根本主体・根本創造主である「大宇宙意識(無限)」とは、分けて考える必要があります。

 そして、人類の創造者エロヒムが持っている唯一の宗教が、「無限」の宗教なのです。
 エロヒムによれば、大宇宙というのは、時間においても空間においても「無限」なのであり、「無限」の大宇宙そのものへの畏敬の念、崇敬の念というものを、エロヒムは持っています。
「無限」の大宇宙そのものへの信仰心を、仮に、宗教という言葉で表現するとすれば、「無限」の宗教ということになるかと思いますが、私たち人類にとっての「神」であるエロヒムが崇敬しているのが、「無限」の大宇宙そのもの、言わば、「無限」なのです。

 時間においても空間においても「無限」である、「無限」の大宇宙を生み出したのは、一つの「純粋意識」なのです。
 本書においては、便宜上、大宇宙意識と呼んでいます。
 大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った、一つの「純粋意識」なのです。
 物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 私たち人類は、長い間、地球の全生命を創造した「異星人エロヒム」と、エロヒムが信仰している唯一の対象である「無限」の大宇宙そのもの、即ち、「大宇宙意識(無限)」とを、混同してきました。
 時間においても空間においても「無限」である大宇宙そのもの、即ち、「大宇宙意識(無限)」と、地球の全生命の創造者にしか過ぎない「異星人エロヒム」とを、混同してきたのです。
 人類が混同してきた、神についての二つの概念を、明確に分けて考えるべき時を迎えています。

 自然という言葉が使われる時、無数の銀河や、太陽・月・星、母なる星・地球、海、大陸(大地)、植物、動物、私たち人間まで含めて、全てを「自然」と表現していますが、実際には、大陸(大地)と、植物・動物、そして私たち人間は、「異星人エロヒム」によって科学的に創造されたのだということを理解する必要があります。

「無限」の大宇宙そのものである「大宇宙意識(無限)」と、地球の全生命の創造者にしか過ぎない「異星人エロヒム」とを、明確に分けて考えるべき時を迎えています。
 本書「大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム」は、人類が長い間混同してきた、神についての二つの概念を、明確に分けて理解する上で、とても有益な書となる筈です。
 本書をお読みいただき、神についての二つの概念を、明確に分けて理解する一助としてご活用いただければ、これに勝る喜びはございません。

                            大和富士  


参考文献
ラエル「真実を告げる書」 無限堂
ラエル「地球人は科学的に創造された」 無限堂


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新著「大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム」の内容について、お知らせ致します!

新著「大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム」の内容について、お知らせ致します!

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新著「大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム」は、私たち人類が、数千年もの長い間、「神」というものについて混同してきた二つの概念を、明確に分けて解説した書であり、他に類例の無い書となります。
本書をお読みいただくことで、「神」という概念について、はっきりと理解することが出来るようになるでしょう。

 新著「大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム」
   人類は、異星人エロヒムを「神」と間違えた!

目  次
はじめに

地球の全生命の創造者は異星人エロヒム
神について人類が犯してきた誤り
自然には、二種類の自然がある
アポカリプス(黙示録)の時代――真実が啓示される時代
聖書における神とは、エロヒムという「天空から飛来した人々」
聖書における神(GOD)という言葉は、史上最大の誤訳
「創世記」に書かれた天地創造の真実とは
進化論は誤り――人間はサルから進化した訳ではない
地球は一般的に考えられているよりも、遥かに「若い」
アダムとイブは、実験室の中で科学的に創造された
エデンの園とは
楽園からの追放――エデンの園の「禁断の果実」とは
エデンの園の中央に生えていた「生命の樹」の秘密
不死の生命、永遠の生命
アダムからノアまでの人間たちが千歳位まで生きられた理由
ヤーウェとルシファーとサタン
聖書における神・天使・悪魔とは
「ノアの箱舟」と大洪水の神話は、本当にあった実話
人類にとっての聖なる記念日――七月一七日
祝福と契約
大洪水後、人類の歩みを助けたルシファーたちエロヒム
古代の預言者たちとは
不死の惑星――仏陀の「極楽浄土」、キリストの「天の王国」
モーゼと選民たちが交わしたエロヒムとの契約
「契約の箱」は、エロヒムとの通信機器だった
イエス・キリストの使命
イエス・キリストは、クローン人間として「復活」した
イエス・キリストの再臨とは
仏陀生誕の秘密とルシファー
仏陀が菩提樹の下で開いた「悟り」とは
マホメットとイスラム教
エロヒムの不死の惑星での再生――永遠の生命
エロヒムの偉大なる帰還――人類の黄金時代の幕開け
イエス・キリストの再臨と、至福千年王国
伝統的宗教が役割を終える時
人類の創造者エロヒムが持っている唯一の宗教は「無限」の宗教
地球の全生命は、「生物コンピューター」
宗教が持つ神秘性は、科学的に解明される時が来る
神界とは、地球に対しては「全能」のエロヒムの世界のこと
「無限」の大宇宙の中では、エロヒムも「宇宙の塵」に過ぎない

大宇宙の根本創造主は大宇宙意識(無限)
大宇宙意識(無限)という、もう一つの神
大宇宙意識という唯一の実在
絶対世界――大宇宙の実相(本質)の世界とは
相対世界――大宇宙の仮相(仮の姿)の世界とは
大宇宙意識が唯一行っているのは、「想像=創造(そうぞう)」という仕事
永遠(とわ)の中今
時間の「無限性」について――無始の過去、無終の未来
大宇宙意識とは、不生不滅の実在
大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無い
空間の「無限性」について――無窮(むきゅう)の空間
大宇宙の中に意識があるのではなく、意識の中に大宇宙がある
大宇宙意識を映し出す「鏡」――物理的大宇宙は「映(うつ)し世」
物理的大宇宙は、仮相(仮の姿)の世界であり、幻の世界
物理的大宇宙は、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界
物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識の光の中
全ては、「大宇宙意識の戯れ(リーラ)」
全ては、大宇宙意識の弥栄
一切無、一切幻
大宇宙の全ては完
大宇宙の森羅万象の全てが、本来無事象
宇宙的な観点の中では、善悪は存在していない
大宇宙意識とは、神や仏という概念を遥かに超えたスーパーな存在
全ては大宇宙意識の顕れ
大宇宙の森羅万象を貫く根源的エネルギーは一つ
大宇宙意識の見えざる糸(意図(いと))
全ては大宇宙の計画の中
全ては必然、一切偶然無し
大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙意識によって営まれている
大宇宙の全てが、元々存在している
「想像=創造(そうぞう)」し得る限りの全てのものが、元々存在している
大宇宙は、元々が完成された、完全な世界
大宇宙の全ての時空が、今、同時に存在している
大宇宙そのものが、完璧なスーパーコンピューター
ここは、緑美しき懐かしき地球(追想の中)
大宇宙意識の全知全能の光が織り成す3Dホログラムの中
「意識」の一番奥深くに内在している大宇宙意識

大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム
人類は、異星人エロヒムを大宇宙意識(無限)と間違えた
創造者エロヒムが信仰しているのが、大宇宙意識(無限)
エロヒムも私たちも、「宇宙の塵」に過ぎない
大宇宙意識(無限)は、私たち人類に対して「永遠に無関心」
多くの人たちが考えているような「神」は存在しない
創造者であるエロヒムも、あくまでも人間
「創世記」が語っているのは、地球にとっての天地創造
光る円盤で飛来して来たエロヒムは、天空神として崇められた
遺伝子で不死の生命を操るエロヒムは、神と結び付いた
遺伝子(DNA)の二重らせんと、ルシファーのシンボル「蛇」
龍(ドラゴン)のルーツは、ルシファー(蛇)へのナーガ信仰
「蛇」をシンボルとするルシファーへの信仰
神とは、エロヒムにとっての「隠れ蓑」
アポカリプスの時代を迎えるまで、神という概念は必要だった
創造者エロヒムが、地球人に対して隠し通したこと
真実が啓示される現代まで、イエスの真意は理解不可能だった
イエスは、真実が啓示される「現代」の人々に向けて語っていた
エロヒムは地球の他に、他の二つの惑星で生命を創造した
最も高い知性を示した惑星が、エロヒムの遺産を伝授される
イエス・キリストが本当に言いたかったこと
創造者であるエロヒムが、私たち人類に望んでいること
大宇宙の中で「無限」に続いている生命創造の営み
宇宙時代の幕開け――人類が神(エロヒム)を見る日
「無限」の宗教――絶対の宗教、永遠の宗教
大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム

おわりに


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ビッグバン理論は、誤った概念にしか過ぎない

 宇宙の誕生・始まりが、ビッグバンによって起こったとする、ビッグバン理論というものがあります。

 ビッグバン理論は、今の地球では定説のようになっており、多くの人たちが、これを信じているようです。

 しかし、ビッグバン理論などは、あくまでも、今の地球の科学における定説にしか過ぎず、実際には、間違った概念にしか過ぎません。

 ビッグバン理論だけが間違いということではなく、宇宙に始まり・誕生があるなどという概念そのものが、間違っているのです。

 大宇宙というのは、時間においても空間においても「無限」なのであり、大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無いので、宇宙に始まり・誕生があるなどという考えそのものが、誤りなのです。

 大宇宙は、時間において「無限」なので、大宇宙には、始まりも無ければ終わりもありません。

 そして、大宇宙は、空間においても「無限」なので、私たちが「宇宙」と捉えているものは、この大宇宙に「無限」に存在する宇宙の中の一つにしか過ぎないのです。

 今の地球の科学で捉えている宇宙の誕生・始まりなどというものは、あくまでも、この大宇宙に「無限」に存在する宇宙の中の一つが、どのようにして始まったのかを考察しているにしか過ぎません。

 大宇宙における、時間の「無限」性も、空間の「無限」性も、全く理解出来ない状態で考察されている、誤った概念にしか過ぎません。

 ビッグバン理論だけが間違っているのではなく、大宇宙に始まり・誕生があるなどという概念そのものが、誤りなのです。

 大宇宙には、始まりも無ければ、終わりもありません。
 大宇宙は、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けます。

 大宇宙そのものが存在しないなどということは、ありえないことなのです。


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3Dホログラムのようなバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界

 昨日、『大宇宙意識の全知全能の光が織り成す3Dホログラムの世界』に書きましたが、この物理的大宇宙とは、大宇宙意識の全知全能の光が織り成す3Dホログラムのような世界であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の幻の世界なのです。

 多くの人たちは、物質というものが、何か確固とした実体のあるもののように考えているので、物理的大宇宙が3Dホログラムのようなバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界だと言われても、あまりピンとこないかも知れません。

 何か確固とした実体があるもののように感じられる物質というものも、本当は、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識の全知全能の光なのです。
 大宇宙意識の全知全能の光によって「想像=創造(そうぞう)」されたバーチャルリアリティー(仮想現実)が、物質というものなのです。

 大宇宙の仮相(仮の姿)の世界である物理的大宇宙(相対世界)とは、大宇宙意識の全知全能の光が織り成す3Dホログラムのような世界であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界なのです。

 そのことを理解しやすいように、テレビを例にとって説明してみたいと思います。
 テレビ画面に映し出されている映像というのは、ブラウン管によって、電気という人工の光が、二次元(平面)に様々な紋様を映し出しているものです。
 ですから、テレビ画面に映し出されている映像そのものは、人工の光であり、幻であることは、お分かりいただけるかと思います。

 例え、そこに映し出されているものが、スポーツの実況放送であったり、何かの生番組であったり、あるいは、現実にある何処か自然の風景であったとしても、テレビ画面に映し出されている映像そのものは、電気という人工の光が織り成している幻です。

 現実に実体があるのは、スポーツの実況を収録している現場であり、生番組を収録している現場であり、自然の風景を収録している現場の方であって、テレビ画面の映像の方には、実体はありません。
 テレビ画面が映し出している映像そのものは、電気という人工の光であり、幻です。

 テレビ画面の映像が、二次元(平面)に映し出された人工の光(電気)であるのに対して、この物理的大宇宙というのは、三六〇度立体の三次元(3D)に映し出された、大宇宙意識の全知全能の光の映像だとイメージすると、分かりやすいかも知れません。

 言わば、絶対世界に唯一実在する大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージが、全知全能の光により三六〇度立体の3Dホログラムのように顕れている世界だと捉えると良いかも知れません。

 大宇宙意識の全知全能の光が、三六〇度立体の三次元に、物質という幻で映し出されている、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界なのです。

 実体があるのは、絶対世界に唯一実在する大宇宙意識の「純粋意識」の方です。
そして、大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージが、全知全能の光によって三六〇度立体の三次元に映し出された物理的大宇宙には、実体は無く、映像にしか過ぎません。
 空間という、三六〇度立体のバーチャルなスクリーンに映し出された映像にしか過ぎないのです。

 本当は、何も確かな実体がある訳ではないのですが、物質というものは、何か確固たる実体があるもののように、一見、感じられます。
 だからこそ、バーチャルリアリティー(仮想現実)の幻の世界を、現実のリアルなもののように、体験して味わうことが出来るのです。

 唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本主体(大宇宙意識)が、自らが持つ「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を、体験して、味わうことが出来るのです。

 相対世界である物理的大宇宙の全ては、絶対世界に唯一実在する大宇宙意識が、自らが持つ全知全能の力、「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を体験して味わう為に映し出しているバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、全知全能の光が織り成す3Dホログラムのような世界なのです。



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大宇宙意識の全知全能の光が織り成す3Dホログラムの世界

 物理的大宇宙とは、大宇宙意識の全知全能の光が織り成す3Dホログラムのような世界です。

 私たちが見ている、この物理的大宇宙とは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識の全知全能の光によって織り成される、3Dホログラムのような世界なのです。

 3Dホログラムという言葉に、あまり馴染みの無い方もおられるかと思います。
 簡単に言うと、3Dホログラムとは、ホログラフィーという技術によって映し出される三次元(3D)の光の映像になります。

 ホログラフィーは、3次元像を記録した写真(ホログラム)の製造技術のことであり、情報の記録にも利用することができるとのことです。
 ホログラフィーは、1947年にハンガリーの物理学者ガーボル・デーネシュによって発明されたとのことで、ガーボル・デーネシュは1971年にノーベル物理学賞を受賞したとのことです。

 言葉で説明するよりも、「百聞は一見に如かず」で、見てみるのが一番です。
 電脳アイドル・初音ミクの3Dホログラムです。

 この大宇宙は、大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界と、大宇宙の仮相(仮の姿)である相対世界(物理的大宇宙)から成り立っています。

 絶対世界とは、時間も無ければ空間も無く、時空を超越した根源の世界であり、そこにはただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙意識という「純粋意識」だけが実在しています。

 大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
 物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 相対世界である物理的大宇宙とは、絶対世界において大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージを映し出す「鏡」の世界であり、絶対世界を映し出して体験する為に「創造(そうぞう)」されている「映し世(うつしよ)」なのです。

 物理的大宇宙(相対世界)は、絶対世界を映し出すバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、言わば、幻の世界なのです。

 大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識の全知全能の光が織り成す3Dホログラムのような世界なのです。

 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体・根本創造主である、大宇宙意識という、一つの「純粋意識」だけなのです。

 大宇宙の仮相(仮の姿)の世界である物理的大宇宙(相対世界)とは、絶対世界を映し出す3Dホログラムのような世界なのです。

 3Dホログラムの映像がまとめられているサイトがありますので、参照されるとよいかと思います。
 そこに登場する、マイケル・ジャクソンやマライア・キャリー、エルビス・プレスリーなどは、何れも、3Dホログラムの光の映像なのです。

 3Dホログラムの映像がまとめられているサイトです。
 「3Dホログラムはここまで進化した!ホログラム映像まとめ」



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想定した未来の出来事は起こらない、という勘違いについて

 想定した未来の出来事は起こらない、という勘違いをされている方々が多く見受けられます。

 特に、東日本大震災以降に、このような考え方が多く見受けられるようになったと記憶しています。
 大地震や大津波などを想定して、それに備えた対策をしておけば、想定した未来の出来事は起こらず、回避出来るという考え方です。

 しかし、これは、私たち人間を中心にして、大宇宙の森羅万象を都合よく解釈しているだけなので、全くの勘違いにしか過ぎません。

 私たち人間の思惑とは一切関係なく、起こる必要のあることは起き、起こる必要の無いことは一切起きません。
 ただ、それだけなのです。

 これは別に、大地震や大津波や火山の噴火などの、所謂、天変地異だけのことではなく、大宇宙の森羅万象の全ては、ただ、起こるべきことが起こり、起こる必要の無いことは一切起こらないというだけのことなのです。

 大宇宙の森羅万象の全ては、一切偶然はなく、全てが必要必然なのです。
 起きたことは、起きる必要があったことであり、起きなかったことは、起きる必要が無かっただけのことなのです。

 大地震や大津波や火山の噴火などの、所謂、天変地異と呼ばれるものも、別に、天罰として起きている訳ではないので、終末の時代とか、末法の世とも言われるような、現代だけに起きている訳ではありません。

 丁度300年程前の江戸時代にも、富士山が宝永大噴火し、その噴火口が今でもはっきりと残っているのは、誰でも知っています。
 いつの時代にも、天変地異と呼ばれるものはあったので、別に現代に限ったことではありません。

 天罰として天変地異が起きているという訳ではないので、私たち人間の思惑とは一切関係なく、起きる必要があれば起きますし、起きる必要が無ければ、起きません。
 大宇宙の森羅万象の全てが、そうなのです。

 私たち人類が創造される前に、既に地球は存在していましたし、地球が誕生する前に、既に、この「無限」の大宇宙は存在していました。

 大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、私たち人間の思惑などによって、森羅万象を変えたりするような存在などでは全くない、ということを知ることが大切だと思います。

 私たちの地球を照らす太陽は、何れは、何万年後か何億年後かに寿命が来て燃え尽きてしまいますので、もし人類が永遠に生きたいと望むならば、太陽が燃え尽きる前に、火星か何処か、他の惑星に移住して、そこで生き延びる必要が出てきます。

 オランダの民間プロジェクト「マーズワン」では、西暦2025年に、最初の4人を火星に移住させる計画だとのことですので、既に私達人類は、何れそう遠くない将来、火星や他の惑星に移住して生きられるような科学的水準に到達しています。

 私たちの地球を照らす太陽が燃え尽きる前に、人類は何れ他の惑星に移住して生き延びることになるでしょう。

 私たち人間の思惑とは一切関係なく、太陽は何れ燃え尽きます。
 人類が生き延びたいと望むならば、火星か何処かの他の惑星に脱出して、生き延びなければならない時が必ず来るのです。

 私たち人間が大宇宙を創造し、大宇宙の森羅万象を営んでいる訳ではなく、私たち人間は大宇宙に生かされている存在にしか過ぎません。

 私たち人間の思惑とは一切関係なく、大宇宙の森羅万象の全ては、大宇宙意識によって営まれています。
 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識だけなのです。

 大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識によって、大宇宙の未来は100パーセント確定されていますので、私たち人間の思惑によって、想定した未来の出来事は起きなくなるとかいうようなことは、一切関係ありません。

 私たち人間を中心にして大宇宙の森羅万象を捉える認識の仕方をされている方は、是非、書籍「何故、未来は100パーセント確定しているのか」をお読みいただくことを、お勧め致します。

書籍「魂の夢、光り輝く魂」――豊かなる心の位置で豊かなる世界が現れてくる

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 書籍「魂の夢、光り輝く魂」は、21世紀の新しい世界観「開眼世界観」に基づき、生きるということの本質について、考察した書です。

 書籍「魂の夢、光り輝く魂」には、「豊かなる心の位置で豊かなる世界が現れてくる」というサブタイトルが付いています。
 自分が映す現実世界(大宇宙)とは、自分の意識が投影された自分の内面の世界であり、全ては心の内の景色であり、言わば、インナーワールドなのです。
 ですから、自分の心の位置の豊かさでしか、豊かなる世界を感じることは出来ないのです。

 自分の外に、何か確固とした客観的な現実世界というものがある訳ではなく、自分が映す現実世界の全ては、自分の心の内の景色なのです。

 書籍「魂の夢、光り輝く魂」は、何方にとってもお勧めなのですが、特に、幸・不幸、運・不運という概念に囚われている方、自分が映す現実世界の全てが、自分の意識を投影した自分の内面の世界であり、自分の外に何か確固とした客観的な現実世界がある訳ではないということが理解出来ていない方にお勧めです!

 書籍の詳細につきましては、こちらからどうぞ!

未来は部分的にある程度までは決まっている、という勘違いについて

 未来は部分的に、ある程度までは決まっていると考える人たちがいます。
 個人レベルでは、結婚や就職など、人生を左右するような大きな出来事はある程度決まっているとか、社会レベルでは、歴史的大事件のようなものは、ある程度決まっているという考え方です。

 しかし、未来は100パーセント確定しているのであり、部分的にある程度まで決まっている訳ではありません。

 例え、99.99パーセントであったとしても、100パーセントでなければ、何も確定していないのと同じことなのです。
 何故なら、一つの重要な要素でも変わってしまえば、全ての局面は変わってしまうからです。

 未来は、100パーセント確定しているか、あるいは、何も確定しておらず全くの白紙かの、どちらかしか無いのです。
 未来は、部分的に、ある程度まで決まっているということはありません。

 もし、多くの人たちが考えるように、時間というものが過去→現在→未来へと流れており、大宇宙の森羅万象の全てが、それぞれテンデンバラバラに偶然起きているのであれば、未来は何も確定しておらず、完全に白紙なのです。

 しかし、実際には、時間というものは流れている訳ではなく、過去も未来も、今、同時に存在しているのであり、敢えて、時間の流れというものを想定するとすれば、それは、多くの人たちが考える、過去→現在→未来という流れではなく、それとは逆の、未来→現在→過去という流れになります。

 以前、「未来からやって来る時間(時間の流れは未来→現在→過去)」の中に書いたように、既に100パーセント確定している未来から時間がやって来て、そこに至る為のプロセスが順番に創り出されているのです。

「原因があって結果があると言うより、原因は結果によって選ばれている」の中に書いたように、原因があって結果があるのではなく、ある結果と呼ばれるものを得る為に、その原因となるものが創り出されているのであり、順番が逆なのです。

 未来は既に100パーセント確定していますので、部分的にある程度まで決まっている訳ではありません。

 もし、自分が将来、誰かと結婚したり、何処かの会社に就職したり、大きな病気やケガをしたり、あるいは、ジャンボ宝くじの一等にでも当選するような何かの幸運を得るとしたら、それらの大きな出来事と思えるような事柄だけが決まっているのではなく、それらも含めた、全てが100パーセント決まっているということなのです。

 社会レベルの話では、大地震などの天変地異や悲劇的な大事件、あるいは逆に、人類に幸福をもたらす素晴らしい出来事などが起きるとしたら、それらの大きな出来事と思えるような事柄だけが決まっているのではなく、それらも含めた、全てが100パーセント決まっているということなのです。

 このことを理解していただく為に、現在から未来という視点で話すよりは、過去から現在という視点で話したほうが、より理解しやすいと思いますので、過去から現在という視点で、説明してみたいと思います。

 今、地球・世界がこうである為には、一点一角が違っても、全く同じ世界というものは存在していません。

 例え、今年の3月に四年制大学を卒業した一人の普通の学生が、4年前に別の大学に入学していただけでも、今ある地球・世界は、全く別の違う世界になっているのです。

 仮に、今年の3月に早稲田大学を卒業した、山田太郎さんという人がいるとします。
 彼は、4年前、早稲田大学法学部と慶應義塾大学法学部の両方に合格し、迷った末に、早稲田大学に入学することを選択したと仮定します。

 もし、山田太郎さんが、4年前、早稲田大学ではなく慶應義塾大学への入学を選択していたとしたら、地球・世界は、今、全く別の違う世界になっているのです。
 このことを、理解出来ますか?

 まず、今年の早稲田大学の卒業アルバムと卒業生名簿から、山田太郎さんの写真と名前が消えます。
 そして、今年の慶應義塾大学の卒業アルバムと卒業生名簿に、山田太郎さんの写真と名前が出現するのです。

 これを、単に、早稲田大学と慶應義塾大学の卒業アルバムと卒業生名簿の話かと思われるかも知れませんが、実は、それだけではなく、今ある地球・世界も、全く別の世界になっているのです。

 まず、当の本人の山田太郎さんの人生が、4年前の4月に違ったスタートを切ることによって、この4年間の行動全てが、全く違った道程になることはお分かりいただけるかと思います。
 仮に、4年前の4月1日の朝から違う場面がスタートしたとするならば、今年の3月31日までの丸4年間、一分一秒として全く同じ場面は存在せず、全てが違う場面となるのです。

 そして、私たち人間一人ひとりは、他の人たちとの関わりの中で生きていますので、山田太郎さんの人生が全く違う場面になるだけではなく、家族を始め、山田太郎さんとこの4年間に直接関わりのあった人たち全ては、別の違う場面が展開していくのです。

 そして、山田太郎さんと直接関わりのあった人たちの人生が違う場面になっていくということは、その人たちの周りにいる、山田太郎さんが直接関わりを持たない人たちの人生も、全く違う場面が展開していくということなのです。

 そして、これが連鎖反応的に地球規模・世界規模でアメーバのようにどんどん拡がっていきますので、山田太郎さんが4年前に、早稲田大学ではなく慶應義塾大学へ入学していたとしたら、それだけで、今、この地球・世界は全く別の違うものになっているのです。

 仮に、山田太郎さんは、4年前の4月に、早稲田大学法学部の1組に入っていたとします。
 そして、法学部1組には、30人所属していたとします。
 そうすると、もし、山田太郎さんが、慶應義塾大学を選んでいたとすると、早稲田大学法学部1組の、山田太郎さん以外の29人の人生から、山田太郎さんと関わった全ての場面が消えてしまうのです。

 そして、山田太郎さんと関わりのあった場面が消えてしまうということは、そこから全く別の場面が展開していくということなのです。
 29人のクラスメイトそれぞれが、山田太郎さんと初めて言葉を交わしたり、関わりを持った瞬間から先の場面は、まったく違う別の場面が、それぞれのクラスメイトに展開していくことになるのです。

 そして、29人のクラスメイトそれぞれの人生において、別の違う場面が展開していくということは、29人のクラスメイトの家族・友人など周りの人たちにおいても、違う別の場面が展開していくということなのです。

 そして、29人のクラスメイトの家族・友人など周りの人たちの人生において、違う別の場面が展開していくということは、その人たちの周りにいる人たちにも、違う別の場面が展開していくことになります。

 4年前に、山田太郎さんが、早稲田大学ではなく、慶應義塾大学を選んでいたとしたら、世界規模・地球規模で見れば小さな違いのように思えるその一点の違いが、アメーバ状に全世界に波及して、4年後の今現在は、全く違う地球・世界になっているのです。

 広い地平線に、2本の直線を引くとします。
 全く同じ角度ではなく、仮に、千分の一度とか、万分の一度とか、ごくわずかな角度を付けたとします。

 そうすると、最初は、全く同じ直線で違いは無いように見えたとしても、だんだん先に行くと、少しずつ違う直線になり、これを伸ばせば伸ばす程、どんどん違いが大きくなっていきますので、これを、地平線の果、海の向こうまで伸ばしていくと、地球規模・世界規模では、とても大きな違いになることはお分かりいただけるかと思います。

 今という時代は特に、インターネットが普及し、スマートフォンなどが普及していますので、何時でも何処でも、携帯電話で誰かと話をしたり、メールをしたり、ツイッターやフェイスブックを使ってコミュニケーションしたりするということが、ものすごくスピーディーに、しかもグローバルに出来る時代になっています。

 4年前に、山田太郎さんという、一人のごく普通の若者が、早稲田大学ではなく慶應義塾大学への入学を選択していただけで、4年後の今、この地球・世界は、全く違ったものになってしまうのです。

 山田太郎さんが4年前に早稲田大学に入学した時のクラスメイトや部活・サークルの仲間たちと最初に出会った場面から、その人たちの人生における山田太郎さんとの出会いの場面が消えてしまい、違う別の場面がそれぞれの人たちに展開していくことになります。
 そして、それぞれのクラスメイトや部活・サークルの仲間たちの周りにいる家族や友人たちとも違う場面が展開していくことになり、これが連鎖反応的に地球規模・世界規模でどんどん拡がっていくことになるのです。

 そして、山田太郎さんが、4年前の4月に、もし仮に、慶應義塾大学に入学し、法学部の3組に入っていたとしたら、3組のクラスメイト全員の人生が、違った場面となって展開していくのです。
 山田太郎さんとの出会いが生まれ、会話をしたりすることによって、違う場面が展開していきますので、それが、各クラスメイトの家族や周りの人たちにも波及し、さらにその先へと、アメーバ状に、違う場面がどんどん展開していくことになります。

 仮に、4年前の4月1日の朝から、山田太郎さんの人生が違う場面で展開し始めたとしたら、その一点の違いが山田太郎さんの周囲からアメーバ状に拡がって行き、インターネットの普及も相まって、4年後の今現在、この地球・世界は、全く違う世界が展開していることになるのです。

 多くの人たちは、自分の人生においても、社会レベルにおいても、大きな出来事と思える事柄だけにフォーカスし過ぎる傾向がありますが、大きな出来事と思えるようなことも、一点一角が違っても、紙(神)一重の差で、違ったものになるのです。

 例えば、自分が車を運転していたとして、一瞬油断しただけでも、対向車と衝突して、命に関わるような大事故を引き起こす危険があります。
 車を運転中に、ある対向車と何事も無くすれ違うのと、正面衝突して大事故を起こすことの違いは、一瞬の油断という、時間にすれば、一秒にも満たないような違いかも知れません。

 一瞬の違いが、生死をも左右しかねない訳で、一点一角が違っても、私たちの人生は、違ったものになるのです。
 車を運転中に、ある対向車と何事も無くすれ違うのと、正面衝突してしまうことの違いは、ほんの一瞬油断したかしないかの違い、まさに紙(神)一重なのです。

 ある人がジャンボ宝くじの一等に当選したとしたら、当選した人と、当選した人より一人前に買った人、あるいは当選した人のすぐ後に買った人の違いは、順番が一つ前だったか後だったかの違いです。
 同じ宝くじ売り場の同じ窓口で、同じような時間に買ったとしても、順番が一つ前か後かで、一等に当たるか当たらないかの違いが出ます。
 仮に、当選した人も、その前後の順番だった人も、連番で10枚ずつ、特に数字を指定せずに一番上にあるものから購入したとしたら、一等に当選した人と、その前後の二人との違いは、順番が一つ前だったか後だったかの違いであり、まさに紙(神)一重なのです。

 一点一角が違っても、私たちの人生は、違う別のものになってしまうのです。
 そして、一人の人生が違ったものになるだけではなく、その周りにいる人たちとの関わりも別の場面が展開することになり、それがアメーバ状に拡がって行って、世の中は、全く別の違う場面になるのです。

 多くの人たちは、自分が大宇宙に生かされている存在であり、自分の力だけでは一呼吸すら出来ない存在であることを忘れて、自分の力で何かを考えたり行動したりしていると思っています。
 命を与えられて生かされているからこそ、考えたり感じたり行動したり、泣いたり笑ったり出来る訳で、私たちの思考や感情・行動など全てを司っているのは、私たち自身ではなく、天(大宇宙)なのです。

 自分の思考・感情・行動などの全てを司っている力と、自分に生命を与え、一呼吸一呼吸自分を生かしている力とは、同じものであり、その同じ力が、地上に生きる70億人全ての人たちに生命を与え、一人ひとりの思考・感情・行動を全て司っています。

 そして、その同じ力が、地震などの天変地異は元より、地球の自転や月の運行、太陽の活動や星々の運行に至るまで、大宇宙の森羅万象の全てを司っているのです。

 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識だけなので、大宇宙の森羅万象の全ての営みは、大宇宙意識が持つ根源的エネルギーによって、大宇宙意識の見えざる糸(意図(いと))で動いているのです。

 全ては大宇宙意識の計画の中にあり、未来は100パーセント確定していますので、ある程度まで部分的に決まっている訳ではありません。

 もし、自分の人生において、将来、何か大きな出来事と思えるようなことが起きるとしたら、大きな出来事と思えるような事柄だけが決まっているのではなく、それらも含めて、全てが100パーセント決まっているということなのです。

 もし、社会的に大きな出来事、歴史的大事件のようなものが起きるとしたら、大事件と思えるような出来事だけが決まっているのではなく、それらも含めて、全てが100パーセント決まっているということなのです。

 未来は100パーセント確定していますので、部分的にある程度まで決まっている訳ではありません。

大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無い――大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識とは、不生不滅の実在

 今回は、大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無い、ということについて書いてみたいと思います。

 この大宇宙には、始まりも無ければ終わりもありません。
 大宇宙は、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けます。
 大宇宙そのものが存在しないなどということは、有り得ないことなのです。

 ここで、多くの人たちは、宇宙は約138億年前のビッグバンによって誕生した筈だから、宇宙に始まりが無いなどということは、おかしいと思われるかも知れません。

 ビッグバン理論などによって、この大宇宙の本質の何が説明出来る訳でもないのですが、仮に、138億年前に、ビッグバンによって宇宙が誕生したと仮定します。

 では、ビッグバンを起こした何らかの意志や意図、エネルギーというものは、一体何処からやって来たのでしょうか?
 ビッグバンが起きる為には、それを引き起こした何らかの意志や意図、あるいはエネルギーが存在した筈です。

 何らかの意志を持った存在を認めない限り、この物理的大宇宙が存在していることを、説明することは出来ない筈です。
 多くの人は、それを神と呼び、仏と呼び、天と呼び、あるいは、サムシング・グレート・・・・・などと呼ぶかも知れません。

 呼び方は何でも良いのですが、とにかく、この大宇宙そのものを創造した、大宇宙の根本主体・根本創造主というものを想定しない限りは、この物理的大宇宙が存在しているということを、説明出来ない筈です。

 では、大宇宙の根本創造主とは、何時誕生し、何時から存在しているのでしょうか?
 これに答えられる人は、誰もいないと思います。

 何故なら、大宇宙の根本創造主とは、誕生などしたことが無く、生じたことも無く、元々存在しているからなのです。
 大宇宙の根本創造主とは、不生不滅の実在であり、誕生するということも無ければ、消滅するということも無く、「永遠(えいえん)の今」に実在しているのです。

 もし、大宇宙の根本創造主が、ビッグバン以前の遥か悠久の昔、何時かの時点で誕生したとするならば、今度は、その根本創造主を誕生させた、更に大元の根本創造主を想定しなければならなくなります。

 更に、その大元の根本創造主も何時の時点かで誕生したとするならば、今度は、その大元の根本創造主を誕生させた、更に大元の「大元の根本創造主」を想定しなければならなくなります。

 そして、これを何処までも繰り返して行っても、際限が無く、キリが無いことなので、誕生したことも無く、生じたことも無い、大宇宙の根本主体というものを想定しない限りは、何処までも何処までも、根本創造主を誕生させた、更に大元の根本創造主を、際限無く辿っていくことになるのです。

・・・・・更に更に更に更に大元の根本創造主
     更に更に更に更に大元の根本創造主
       更に更に更に大元の根本創造主
         更に更に大元の根本創造主
           更に大元の根本創造主
             大元の根本創造主
                根本創造主
 
 大宇宙の根本主体・根本創造主とは、誕生したことも無く、生じたことも無い存在なので、初めから存在しているのですが、大宇宙には始まりも無ければ終わりも無いので、初めから、という表現すら正確ではなく、敢えて表現するとすれば、「元々存在している」という言い方しか出来ないかも知れません。

 大宇宙の根本主体・根本創造主とは、不生不滅の実在であり、誕生するということも無ければ消滅するということも無く、生ずるということも無ければ滅するということも無く、「永遠(えいえん)の今」に実在しているものなのです。

 このことを理解していただく為に、先程は、敢えて理屈っぽい説明を試みてみましたが、このことを真に理解する為には、大宇宙の本質の世界というものを、体験的に知る必要があります。

 この大宇宙は、大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界と、大宇宙の仮相(仮の姿)の世界である相対世界(物理的大宇宙)から成り立っています。

 私たちが見ている、この物理的大宇宙とは、相対世界に属していますので、大宇宙の仮相(仮の姿)の世界であり、実相(本質)の世界ではありません。
 まずは、このことを理解する必要があります。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界とは、大宇宙の全てのエネルギーの源となる根源の世界であり、そこは、時間も無ければ空間も無い、時空を超越した世界であり、非物質な世界です。
 この大宇宙の本質は、何処までも非物質なものなのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識という「純粋意識」だけが実在しています。

 大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
 物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 相対世界である物理的大宇宙とは、絶対世界において大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージを、映し出して体験する為の「鏡」の世界であり、絶対世界の「映(うつ)し世」として「創造(そうぞう)」されている世界なのです。

「純粋意識」である大宇宙意識は、自らの「意識」の中を映し出して体験する場としての相対世界(物理的大宇宙)を必要とします。

 絶対世界と相対世界は、表裏一体、密接不可分の関係として、同時に存在しています。

 絶対世界には、時間というものは存在しておらず、ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
 大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、不生不滅の実在であり、誕生するということも無ければ消滅するということも無く、生ずるということも無ければ滅するということも無く、「永遠(えいえん)の今」に実在しているものなのです。

 そして、絶対世界において大宇宙意識という「純粋意識」が「想像(そうぞう)」したイメージを、映し出して体験する為に「創造(そうぞう)」されている「鏡」の世界であり、「映(うつ)し世」である物理的大宇宙(相対世界)もまた、始まるということも無ければ終わるということも無く、「永遠(えいえん)の今」に存在しているものなのです。

 前々回、『時間の「無限」性について――無始の過去、無終の未来』の中に書いたように、この大宇宙は、時間において「無限」なので、過去には始まりが無く、未来には終わりも無いのです。
「無始の過去、無終の未来」なので、物理的大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無いのです。

 何故なら、この物理的大宇宙を「想像=創造(そうぞう)」した大宇宙意識とは、不生不滅の実在であり、誕生するということも無ければ消滅するということも無く、「永遠(えいえん)の今」に実在しているからです。

 そして、絶対世界の「映(うつ)し世」として同時に存在している相対世界(物理的大宇宙)もまた、始まるということも無ければ終わるということも無く、「永遠(えいえん)の今」に存在しているのです。

 科学者の中には、ビッグバンによって始まった宇宙が、膨張を続けた果てに収縮し、ビッグバンの時間逆転であるビッグクランチによって目に見えない程の小さな点になると考える人たちもあるようです。

 仮に、一部の科学者たちが考えるように、138億年前のビッグバンによって今ある宇宙が誕生し、やがてビッグバンの時間逆転であるビッグクランチによって小さな点になったとしても、そのことで、この大宇宙の本質の何が説明出来る訳でもありません。

 大宇宙は、時間において「無限」なので、ビッグバンで始まりビッグクランチで終わるようなサイクルを、何回でも何十回でも何百回でも、それこそ「無限」に繰り返すことも出来ます。

 また、前回、『空間の「無限」性について――無窮の空間こそが物理的大宇宙の真相』の中で書いたように、この物理的大宇宙は、空間において「無限」なので、私たちが見ている宇宙は、「無限」に存在する宇宙の中の一つにしか過ぎないのかも知れません。

 また、この大宇宙は多重多次元構造になっていますので、私たちが見ている宇宙を取り巻くより大きな次元が存在しており、私たちが捉えている宇宙とは、あくまでも、あるレベルまでの大宇宙にしか過ぎないかも知れないのです。

 いずれにしても、この物理的大宇宙には、始まりも無ければ終わりもありません。

 何故なら、この物理的大宇宙を「想像=創造(そうぞう)」した大宇宙意識とは、不生不滅の実在であり、誕生するということも無ければ消滅するということも無く、「永遠(えいえん)の今」に実在しているからです。

 そして、大宇宙意識という「純粋意識」の中を映し出す「鏡」の世界であり、絶対世界の「映(うつ)し世」である相対世界(物理的大宇宙)もまた、始まるということも無ければ終わるということも無く、「永遠(えいえん)の今」に存在しているのです。

 大宇宙には、始まりも無ければ終わりもありません。
 大宇宙は、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けます。
 大宇宙そのものが存在しないなどということは、有り得ないことなのです。

空間の「無限」性について――「無窮の空間」こそが、物理的大宇宙の真相

 前回、『時間の「無限性」について――無始の過去、無終の未来』の中で、時間の「無限性」というものについて、書きました。

 今回は、物理的大宇宙における、空間の「無限性」というものについて、書いてみたいと思います。

 この物理的大宇宙は、時間においてのみならず、空間においてもまた、「無限」なのです。
「無窮の空間」こそが、物理的大宇宙の真相なのです。

 この物理的大宇宙が、空間において「無限」であることを本当に知る為には、大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界というものを、体験的に知ることにより、この物理的大宇宙が仮相(仮の姿)の世界であり、大宇宙の本質の世界ではないことを知る必要があります。

 しかし、絶対世界を体験的に知らなくても、物理的大宇宙が空間において「無限」であることは、簡単に推測出来ますので、まずはそこから話を始めたいと思います。

 現在の科学では、この宇宙が膨張しつつあると捉えているようであり、最近では、宇宙は永遠に膨張し続けるとする考え方が有力になっているようですが、仮に、物理的大宇宙は空間的にここまで、という定義をしたと仮定します。

 そうすると、必ず、ここまでと定義した外側に、空間が拡がっていることに気付く筈です。
 試しに、円でも楕円でも何でも構いませんので、白い紙の上に、物理的大宇宙の空間の範囲を指定してみましょう。

 白い紙に書いた、円や楕円の内側に、物理的大宇宙と書いて、物理的大宇宙の範囲を、仮に定義してみます。
 そうすると、必ず、円や楕円の外側に、白い紙の空間が拡がっていることに気付く筈です。
 白い紙の上に平面的(二次元的)に書くよりも、立体的(三次元的)に理解したければ、球形のボールか地球儀、あるいは風船などを目の前に置いて見ると良いと思います。

 風船を膨らませて、この風船が、宇宙の範囲だと、仮に定義してみましょう。
 そうすると、必ず、風船の外に、広大な空間が拡がっていることに気付く筈です。

 平面的(二次元的)に、白い紙の上に円か楕円を書いたり、あるいは、立体的(三次元的)に、風船を膨らませてみたりしても同じことなのですが、宇宙の範囲はここまで、と定義した途端に、定義した外側が、必ず出来てしまうのです。

 これは、何度やっても同じことであり、際限が無いことなので、物理的大宇宙の範囲を特定した瞬間に、その範囲の外側が、必ず出来てしまうのです。

 物理的大宇宙と特定した範囲の内側だけではなく、外側も、やはり大宇宙なので、物理的大宇宙の空間における範囲を特定することは出来ないのです。

 この簡単な事実によって、物理的大宇宙が、空間において「無限」であることは、誰にでも、何となく推測出来るのではないかと思います。

 さて、ここからが、本題です。

 では、何故、物理的大宇宙は、空間において「無限」なのでしょうか?

 実は、多くの人たちが、外の世界に拡がっていると考えている物理的大宇宙とは、「意識」が投影された内面の世界であり、「意識」の拡がりとして存在している世界だからなのです。

「意識」の内面の世界には限界が無く、「無限」なので、「意識」が外側に投影された外面の世界(物理的大宇宙)にもまた限界が無く、「無限」なのです。

 以前、『大宇宙の中に「意識」があるのではなく、「意識」の中に大宇宙がある』の中でも書きましたが、大宇宙の中に「意識」があるのではなく、「意識」の中に大宇宙があるのです。
 このことは、最先端の物理学でも、ようやく捉えられるようになってきたようです。

 この大宇宙は、大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界と、大宇宙の仮相(仮の姿)の世界である相対世界(物理的大宇宙)から成り立っています。
         
 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界とは、大宇宙の全てのエネルギーの源となる根源の世界であり、そこは、時間も無ければ空間も無い、時空を超越した根源の世界であり、非物質な世界です。

 絶対世界には、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識という「純粋意識」だけが実在しています。

 大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
 物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 相対世界である物理的大宇宙とは、絶対世界において大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージを、映し出して体験する為の「映(うつ)し世」として「創造(そうぞう)」されている世界なのです。

 相対世界である物理的大宇宙とは、大宇宙意識の全知全能の光によって創られたバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、幻の世界なのです。

 相対世界である物理的大宇宙とは、あくまでも、絶対世界に実在する大宇宙意識という「純粋意識」の中が投影された世界であり、実は、大宇宙意識の拡がりとして存在している、内面の世界だからなのです。

 唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持つ大宇宙意識という「純粋意識」の内面の世界は「無限」なので、大宇宙意識という「純粋意識」を映し出す「鏡」の世界であり、「映(うつ)し世」である物理的大宇宙(相対世界)もまた、「無限」なのです。

 そして、私たち一人ひとりは、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、この大宇宙に二つとして同じものが無い、ある一つの視点(してん)を受け持って、この大宇宙を映し出して体験している支店(してん)の中の一つなのです。

 自分が見ている物理的大宇宙(現実世界)とは、自分自身の「意識」の中にあるものなのです。

 大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識の分霊(わけみたま)である自分自身の「意識」の中は「無限」なので、自分の「意識」が投影された、物理的大宇宙(現実世界)もまた、「無限」なのです。

 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識だけなのです。

 大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
 物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 大宇宙意識という「純粋意識」の中は「無限」なので、大宇宙意識の内面の世界が映し出された物理的大宇宙もまた、「意識」の拡がりとして存在している世界なので、空間において「無限」なのです。

 この大宇宙は、多重多次元構造になっており、多くの人たちが考えているよりも、遥かに計り知れない世界です。

 今の科学が捉えている宇宙というのは、あくまでも、今の科学で捉えられる範囲での認識にしか過ぎません。
 今ある科学が、宇宙をどのように捉えようとも、この物理的大宇宙は、空間において「無限」なのであり、「無窮の空間」こそが、物理的大宇宙の真相なのです。

 物理的大宇宙は、かつて空間において「無限」であったし、今も「無限」であるし、これからも、未来永劫に亘って「無限」であり続けます。

 物理的大宇宙は、過去・現在・未来に亘って、如何なる時も、空間において「無限」なのであり、「無窮の空間」こそが、物理的大宇宙の真相なのです。

 大宇宙は、時間においてのみならず、空間においてもまた、「無限」なのです。

 そして、さらに言うならば、何故、物理的大宇宙が、時間においても空間においても「無限」なのかと言うならば、時間も空間も、ある意味においては、幻想だからなのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、時間も空間も存在しておらず、時空を超越した世界であるということと、相対世界である物理的大宇宙においては、時間も空間も「無限」であるということとは、本質的に同じことなのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、時間も空間も存在していないからこそ、大宇宙の仮相(仮の姿)の世界であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の幻の世界である物理的大宇宙においては、時間においても、空間においても、大宇宙は「無限」なのです。

時間の「無限」性について――無始の過去、無終の未来

 今回は、時間の「無限」性というものについて、書いてみたいと思います。

「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。

 過去には始まりが無く、未来には終わりも無いのです。
「無始の過去、無終の未来」なのです。

 最初に、簡単な数字の遊びをしてみたいと思います。

 1に、ゼロ(0)を一つずつ付けていってみましょう。
 一・・・・1
 十・・・・10
 百・・・・100
 千・・・・1、000
一万・・・・10、000
十万・・・・100、000
百万・・・・1、000,000
千万・・・・10,000,000
一億・・・・100,000,000
十億・・・・1、000、000,000
百億・・・・10,000,000,000
千億・・・・100,000,000,000
一兆・・・・1,000,000,000,000

 さらに、ゼロ(0)を一つずつプラスしていけば、十兆、百兆、千兆、一京、十京、百京、千京・・・・・と、「無限」に増やしていくことが出来ます。

 そして、これが、未来における時間というものなのです。
 未来には終わりが無いので、時間というものを未来へと進んでいくと、「無限」に進んで行くことが出来ます。
 一万年後、一億年後、一兆年後、一京年後・・・・・。

 今度は、先程とは反対に、マイナス1(ー1)に、ゼロ(0)を一つずつ付けていってみましょう。
 マイナス一・・・・ー1
 マイナス十・・・・ー10
 マイナス百・・・・ー100
 マイナス千・・・・ー1、000
マイナス一万・・・・ー10、000
マイナス十万・・・・ー100、000
マイナス百万・・・・ー1、000,000
マイナス千万・・・・ー10,000,000
マイナス一億・・・・ー100,000,000
マイナス十億・・・・ー1、000、000,000
マイナス百億・・・・ー10,000,000,000
マイナス千億・・・・ー100,000,000,000
マイナス一兆・・・・ー1,000,000,000,000

 さらに、ゼロ(0)を一つずつプラスしていけば、マイナス十兆、マイナス百兆、マイナス千兆、マイナス一京、マイナス十京、マイナス百京、マイナス千京・・・・・と、「無限」に増やしていくことが出来ます。

 そして、これが、過去における時間というものなのです。
 過去には始まりが無いので、時間というものを過去へと遡って行くと、「無限」に遡って行くことが出来ます。
 一万年前、一億年前、一兆年前、一京年前・・・・・。

 過去は「無限」であり、未来もまた「無限」なのです。
「無始の過去、無終の未来」なのです。

 ここで、多くの人たちは、過去の時間というのは、ビッグバンが起こったとされる138億年前までしか無いのではないか、と考えられるかも知れません。

 ビッグバン理論などによって、この大宇宙の本質の何が説明出来る訳でもないのですが、それはまた別の機会に譲るとして、138億年前にビッグバンによって今ある宇宙が誕生したとかしないとかに関係無く、時間を過去へと遡って行くと、「無限」に遡って行くことが出来るのです。

 仮に、138億年前、ビッグバンによって今ある宇宙が誕生したと仮定します。
 そうすると、ビッグバンがこれからまさに起ころうとする、直前の瞬間というものがあった筈です。
 仮に、それを、ビッグバンが起こる一万分の一秒前とします。

 ビッグバンが起こる一万分の一秒前という時間が存在したのであれば、それよりももう少し前の、千分の一秒前という時間も存在した筈です。
 同様に、ビッグバンが起こる百分の一秒前という時間も存在し、十分の一秒前という時間も存在し、一秒前という時間も存在していた筈です。

 ビッグバンが起こる一秒前という時間が存在していたのであれば、同様に、一分前、一時間前、一日(24時間)前、一か月前、一年前という時間も存在していた筈です。

 ビッグバンが起こる一年前という時間が存在していたのであれば、同様に、十年前、百年前、千年前、一万年前という時間も存在しており、以下同様に、一億年前、一兆年前、一京年前・・・・・と、「無限」に遡って行くことが出来ます。

 今度は反対に、未来について考えてみましょう。
 科学者の中には、ビッグバンの時間逆転であるビッグクランチによって、膨張した宇宙はいずれ収縮して、目に見えない程の小さな点になって最後を迎えるという考え方もあるようです。
 仮に、今ある宇宙が、ビッグバンの時間逆転であるビッグクランチによって、目に見えない程の小さな点になって最後を迎える時が来ると仮定します。

 そうすると、ビッグクランチによって宇宙が小さな点になった直後の時間というものが存在する筈です。
 仮に、それを、宇宙が小さな点になった一万分の一秒後と仮定します。

 宇宙が小さな点になった一万分の一秒後という時間が存在するのであれば、千分の一秒後という時間も存在する筈であり、百分の一秒後、十分の一秒後、一秒後という時間も存在する筈です。

 同様に、一分後、一時間後、一日(24時間)後、一ヶ月後、一年後という時間も存在する筈です。

 宇宙が小さな点になった一年後という時間が存在するのであれば、十年後、百年後、千年後、一万年後という時間も存在する筈であり、同様に、一億年後、一兆年後、一京年後・・・・・という具合に、「無限」に進んで行くことが出来るのです。

 今ある宇宙が何時始まったとか始まらないとか、あるいは、今ある宇宙が何時終わるとか終わらないとか、宇宙がどのような状態にあるのかに関係無く、時間を過去へと遡って行けば、「無限」に遡って行くことが出来、時間を未来へと進んで行けば、「無限」に進んで行くことが出来るのです。

 もし、仮に、一部の科学者たちが考えているように、ビッグバンによって今ある宇宙が始まり、ビッグクランチによって今ある宇宙が終わりを迎えたとしても、この「無限」の大宇宙は、そのようなサイクルを、何回でも何十回でも、何百回でも、それこそ「無限」に繰り返すことが出来ます。

 宇宙がどのような状態にあるのかに関わらず、過去は「無限」であり、未来もまた「無限」なのです。
「無始の過去、無終の未来」なのであり、過去には始まりが無く、未来には終わりも無いのです。

 そして、過去には始まりが無く、未来には終わりも無いということと、この物理的大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無いということとは、同じことなのです。

 詳しい説明は、また別の機会にしたいと思いますが、この物理的大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無く、大宇宙は、永遠に存在しているものなのです。

 大宇宙は、時間において「無限」なのです。

 時間の「無限」性というものを、頭で理解することは出来ません。
 時間が「無限」に存在するということは、時間そのものが幻想であり、本当は、時間は存在していないということと、本質的に同じことなのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界とは、時間も無ければ空間も無い、時空を超越した根源の世界であり、そこにはただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、時間というものは存在しておらず、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけであるということと、「時」には始まりも無ければ終わりも無い、ということとは、同じことなのです。

「時」には、始まりも無ければ終わりも無いので、ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

 それが、「時」というものの本質なのです。
「時」と時間とは、違います。
「時」は真実・実在であり、時間は幻想です。

 絶対世界における、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」だけが真実・実在であり、「時の間」と書く時間というのは、私たち人間が創り出した概念であり、幻想にしか過ぎません。

「時」と時間について、時間は幻想であることについては、書籍「何故、未来は100パーセント確定しているのか」の中の「時間は幻想」編の中で詳しく説明してありますので、是非、ご参照いただければ幸いです。


原因があって結果があると言うより、原因は結果によって選ばれている

拙書『何故、未来は100パーセント確定しているのか』より
★原因があって結果があると言うより、原因は結果によって選ばれている
     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 多くの人たちは、原因があって結果があると考えています。
 しかし、原因があって結果があると考えるのは、時間というものが、過去→現在→未来へと流れているという思い込みによるものだと言えます。

 時間は流れている訳ではないのですが、敢えて、時間の流れというものを想定するとすれば、それは、多くの人たちが考える、過去→現在→未来という流れではなく、それとは逆の、未来→現在→過去という流れになります。

 ですから、原因があって結果があると言うよりは、原因は結果によって選ばれていると言った方が、真実に近いのです。
 ある結果と呼ばれるものを得る為に、その原因となるものが創り出されているのです。

 原因があって結果があると言うより、ある結果を得る為に、その原因となるものが創り出されているのであり、順番が逆なのです。

 分かりやすく説明する為に、私たちが家を建てる場合を考えてみましょう。
 家を建てる為には、まず、どういう家を建てるのかという完成形を描くことが大切であり、それに基づいた詳細な設計図が必要になります。
 未来において、完成された家のイメージ、すなわち、結果というものを想定することが、まず先に必要になります。

 そして、完成された家という結果を得る為に必要となる原因を、順番に創り出して行くことが必要になります。
 具体的には、基礎工事を行い、柱や屋根などの骨格を組立て、外装を行い、内装を行い、配線などを行い、最終的には、細部に至る全ての作業を仕上げて、一軒の家が完成することになります。

 完成された家という結果を得る為に、必要な原因となる基礎工事などを、時系列で順番に創り出している訳です。
 
 偶然、基礎工事を行い、柱や屋根などの骨格を組立て、外装を行い、内装を行い、配線などを行ったから、たまたま家が完成した訳ではない筈です。
 完成された家という結果を得る為に、必要となる基礎工事などの原因が、順番に創り出されているのです。
 原因があって結果があると言うより、原因は、結果によって選ばれている訳です。

 これはあくまでも、私たちが家を建てる場合の話だと思われるかも知れませんが、この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識だけなのです。

 大宇宙の森羅万象の全ては、大宇宙意識の見えざる糸(意図(いと))により営まれています。
 大宇宙の森羅万象の全ては、ある一つの力学、あるいは法則の元、大宇宙意識が持つ根源的エネルギーによって動かされているのです。

 大宇宙の森羅万象の全ては、大宇宙意識の計画の中にありますので、そこには何一つ偶然はなく、全てが必要・必然なのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界においては、時間というものは存在しておらず、ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識という「純粋意識」だけが実在しています。

 絶対世界においては、大宇宙意識という「純粋意識」の中に、大宇宙の全てが元々存在しており、大宇宙は元々完成しているのです。
 大宇宙の過去・現在・未来の全てが、元々存在しているのです。

 大宇宙の未来は元々100パーセント確定して存在していますので、そこに至る為のプロセスが、順番に創り出されているのです。

 時間は流れている訳ではないのですが、敢えて、時間の流れというものを想定するとすれば、それは、多くの人たちが考える、過去→現在→未来という流れではなく、それとは逆の、未来→現在→過去という流れになります。

 元々100パーセント確定している未来から時間がやって来て、そこに至る為のプロセスが、順番に創り出されているのです。
 ある結果と呼ばれるものを得る為に、その原因となるものが創り出されているのです。

 時間が過去→現在→未来へと流れており、原因があって結果があるのではありません。
 それとは逆に、時間は未来→現在→過去へと流れており、ある結果を得る為に、その原因となるものが創り出されているのです。

 時間が過去→現在→未来へと流れて、大宇宙の森羅万象の全てが、偶然起きている訳では全くありません。
 それとは逆に、敢えて言うならば、時間は未来→現在→過去へと流れており、大宇宙意識の計画という結果を得る為に必要となる原因が、順番に創り出されているのです。

 原因があって結果があると言うよりは、原因は結果によって選ばれているのであり、ある結果と呼ばれるものを得る為に、その原因となるものが創り出されているのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『何故、未来は100パーセント確定しているのか』より

未来からやって来る時間(時間の流れは未来→現在→過去)

拙書『何故、未来は100パーセント確定しているのか』より
★未来からやって来る時間(時間の流れは未来→現在→過去)
     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 時間というものは、過去からではなく、未来からやって来ます。

 時間は流れている訳ではないのですが、敢えて、時間の流れというものを想定するとすれば、それは、多くの人たちが考える、過去→現在→未来という流れではなく、それとは逆の、未来→現在→過去という流れになります。

 過去も未来も、今、同時に存在していますので、未来は既に確定的に存在しています。
 そして、既に100パーセント確定している未来から、そこに至る為のプロセスとして、時間が現在に向かって流れて来て、過去へと流れ去って行くということなのです。

 過去の積み重ねで現在があるというより、今現在に至る為のプロセスとして、過去があったと考えると分かりやすいかも知れません。

 これから白紙の未来が創られて行く訳ではなく、未来は既に100パーセント確定して存在していますので、そこに至る為のプロセスが、未来から現在に向かって、順番にやって来ていると考えると分かりやすいかも知れません。

 過去からの積み重ねで現在があり、現在からの積み重ねで未来が創られて行くように、一見、思えますが、本当は、順番が逆なのです。
 今現在に至る為のプロセスを、過去において順番に積み重ねて来たのであり、同様に、未来に至る為のプロセスを、今現在から順番に積み重ねて行くだけなのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界においては、大宇宙の全てが元々存在しており、大宇宙の全ては、元々完成しているのです。

 大宇宙の過去・現在・未来の全ては、元々確定して存在しているのです。

 未来は、元々100パーセント確定して存在していますので、必要なプロセスが、未来からやって来て、起こるべくして、順番に起こっているだけなのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『何故、未来は100パーセント確定しているのか』より

未来は100パーセント確定している

拙書『何故、未来は100パーセント確定しているのか』より
★未来は100パーセント確定している

    ☆        ☆        ☆        ☆        

 未来は、100パーセント確定しています。

 未来が100パーセント確定していることを知る上で、大切なポイントは、二つあります。
 
 一つは、この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体・根本創造主である、大宇宙意識だけであるという点です。
 そして、もう一つのポイントは、時間は幻想であり、時間というものそのものが、本当は、存在していないということなのです。

 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識だけなのです。
 大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。

 大宇宙の森羅万象の全ては、大宇宙意識によって営まれており、全ては、大宇宙意識の計画の中にあるのです。

 そして、時間というものそのものが、幻想にしか過ぎないので、本当は、時間というものは、存在していません。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、時間というものは存在しておらず、ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙の根本主体・根本創造主である、大宇宙意識という「純粋意識」だけが実在しています。

 絶対世界においては、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中で、大宇宙意識という「純粋意識」の中に、大宇宙の全てが存在しているのです。

 絶対世界においては、大宇宙の全てが元々存在しており、大宇宙は、元々完成しているのです。

 何故、未来は100パーセント確定しているのかということを、敢えて、一言で説明するならば、大宇宙は、元々完成しているから、ということになります。

 大宇宙は元々完成しているからこそ、未来は100パーセント確定しているのです。

 多くの人たちが、未来は確定しておらず、白紙の未来があるかのように考えているのは、時間というものが、過去→現在→未来へと流れているという思い込みによるものだと言えます。
 
 時間は流れている訳ではないのですが、敢えて、時間の流れというものを想定するとすれば、それは、多くの人たちが考えている、過去→現在→未来という流れではなく、それとは逆の、未来→現在→過去という流れになります。

 未来は100パーセント確定しており、今、同時に存在しているからこそ、時間が未来からやって来て、そこに至る為のプロセスが、順番に創り出されているのです。

 原因があって結果があると言うより、原因は結果によって選ばれていると言った方が真実に近く、ある結果と呼ばれるものを得る為に、その原因となるものが創り出されているのです。

 時間というものは、未来からやって来るのであり、それは、未来というものが、既に100パーセント確定しており、今、同時に存在しているからなのです。

    ☆        ☆        ☆        ☆
拙書『何故、未来は100パーセント確定しているのか』より


この世界そのものが、幻の世であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であることが分かった時初めて、この大宇宙の「無限」の輝き、「無限」の美しさ、「無限」の面白さ、かけがえのなさを実感出来るようになる

 前回、「この物理的大宇宙そのものが、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界」の中に書きましたが、この物理的大宇宙そのものが、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、幻の世界なのです。

 そして、この世界そのものが、幻の世であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であることが分かった時初めて、この大宇宙の「無限」の輝き、「無限」の美しさ、「無限」の面白さ、かけがえのなさを実感出来るようになります。

 そして、幻の世であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界である物理的大宇宙に、今、自分が生かされて存在しているという、生命の不可思議さというものを、本当の意味で、感じられるようになるのです。

 もちろん、多くの人たちが考えているように、物質というものが何か確固たる実体のあるものであり、自分の外に何か確固とした現実世界(物理的大宇宙)があると認識している場合でも、それなりに、大宇宙の輝き、美しさ、面白さ、かけがえのなさ、生命の不可思議さを感じることは出来るのですが、ある意味においては、表面的にしか感じることは出来ず、本当の意味において、深く実感することは出来ないとも言えるかも知れません。

 この物理的大宇宙そのものが、全て幻の世界であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であるからこそ、この世界は本当にありがたく、面白く、美しく、生きて味わう価値があるのです。

 自分が映す現実世界(大宇宙)に、例え如何なる紋様が映し出されていようとも、それらの全てが、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識の全知全能の光が織り成すバーチャルリアリティー(仮想現実)の幻であり、大宇宙意識の全知全能の光が「無限」の表現となって顕われているだけなのです。

 テレビの画面に、例えどのようなドラマや映画、あるいはニュースが映し出されていたとしても、テレビ画面に映し出されている映像そのものは、ブラウン管によって、電気という人工の光が二次元(平面)に映し出されている幻にしか過ぎません。
 テレビ画面に映し出されている映像そのものは、電気という人工の光であり、幻であり、テレビ画面の映像そのものには実体は無いということは、お分かりいただけるかと思います。

 テレビ画面の映像が、二次元(平面)に映し出された人工の光(電気)であるのに対して、この物理的大宇宙というのは、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識の全知全能の光が、空間という360度立体のバーチャルなスクリーンに映し出された3Dホログラムの映像のようなものだとイメージすると良いかも知れません。

 何か確固たる実体があるもののように感じられる物理的大宇宙は、大宇宙意識の全知全能の光が、空間という360度立体のバーチャルなスクリーン上で、3Dホログラムの映像のように「無限」の表現となって光により織り成されているだけの幻の世界なのです。
 全ては幻であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)なのです。

 物理的大宇宙の全ては、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識の全知全能の光によって創られた世界であり、この大宇宙の全てが光の中なのです。

 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識だけなのです。
 大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
 物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 物理的大宇宙とは、大宇宙意識という「純粋意識」が「想像(そうぞう)」したイメージを、映し出して体験する為の「映(うつ)し世」として「創造(そうぞう)」されているバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界なのです。

 自分という存在は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)として、この大宇宙に二つとして同じものが無い、ある一つの「支店=視点(してん)」を受け持って、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり幻の世である、この物理的大宇宙を映し出して体験している「支店=視点(してん)」の中の一つなのです。

 自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である我が魂です。
 真我である魂が、このバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界を体験する為のアバター(分身・化身)が、肉体を持った自分なのです。

 インターネットの仮想空間を体験する為に、アバターと呼ばれる自分の分身を使って体験するかと思いますが、ちょうどそれと同じように、肉体を持った自分というのは、真我である魂が、物理的大宇宙というバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界を体験する為のアバター(分身・化身)にしか過ぎないのです。

 この物理的大宇宙の全てが、大宇宙意識の全知全能の光が織り成すバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、全てが幻の世界なのです。
 この物理的大宇宙の全てが、大宇宙意識の全知全能の光の中にあり、全てが光の世界なのです。

 そして、この世界がバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、幻の世であり、全てが光の世界であることが分かった時初めて、この世界の本当の輝きというものを感じられるようになります。

 この世界そのものが、幻の世であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であることが分かった時初めて、この大宇宙の「無限」の輝き、「無限」の美しさ、「無限」の面白さ、かけがえのなさを実感出来るようになるのです。

 そして、幻の世であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界である物理的大宇宙に、今、自分が生かされて存在しているという、生命の不可思議さというものも、本当の意味で、感じられるようになるのです。

 この世界が全て幻であることが分かれば分かる程、自分が映す現実世界(大宇宙)はますます鮮やかに感じられ、ありがたく、そして、面白く感じられてくるようになります。

 この世界が幻だから美しくない、ありがたくない、面白くない、生きる価値がないということではなく、この世界が幻の世だからこそ、この世界は本当に、美しく、ありがたく、面白く、生きて味わう価値があるのです。

 この世界が全て幻であるが故に、生きる喜び、生きる楽しみ、生命のかけがえのなさ、生命の美しさ、生命の輝きが、より一層感じられてくるのです。

 この世界が全て幻の世であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であることが分かった時初めて、真の意味において、生命の輝きを見ることが出来るようになります。

 以前書いた「幻の世と知って生きることに生命の輝きを見る」もご参照いただければ幸いです。

この物理的大宇宙そのものが、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界

 1月25日に放送された、NHKのスペシャル番組「ネクストワールド」(5回シリーズ)の第4回「人生はどこまで楽しくなるのか」をご覧になった方も多いかも知れません。

 その中で、バーチャルリアリティー(仮想現実)というものが、これからの社会の主流になって行くということが取り上げられており、今年2015年頃から、その動きが本格化していくというようなことが述べられていました。

 インターネットやゲームの世界においては、3Dのバーチャルリアリティー(仮想現実)というものが、既に重要な役割を果たすようになってきているようです。

 番組の中では、ハーバード大学の研究チームが開発中の、匂いを伝達出来る電話機なども登場し、それを体験した人の、驚きの表情などが伝えられていました。

 科学技術・テクノロジーの目覚しい進歩により、何れ、視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚の五感全てを、バーチャルリアリティー(仮想現実)で体験出来るようになりますので、そうなった時には、現実と仮想現実(バーチャルリアリティー)の区別は、ほとんど付かなくなるとも言われています。

 実は、私たちが生きている、この物理的大宇宙そのものが、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界なのです。

 大宇宙は、大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界と、大宇宙の仮相(仮の姿)の世界である相対世界から成り立っています。
 私たちが生きている、この物理的大宇宙とは、相対世界に属していますので、あくまでも、大宇宙の仮相(仮の姿)の世界にしか過ぎず、大宇宙の実相(本質)の世界ではありません。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界とは、時間も無ければ空間も無い、時空を超越した根源の世界であり、そこにはただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

 絶対世界に唯一実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識という一つの「純粋意識」だけなのです。

 大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
 物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 相対世界である物理的大宇宙とは、絶対世界において大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージを、映し出して体験する為の「鏡」の世界であり、言わば、「映(うつ)し世」として「創造(そうぞう)」されているバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界なのです。

 物理的大宇宙(相対世界)とは、絶対世界に唯一実在する大宇宙意識の全知全能の光によって創られたバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、幻の世界なのです。

 物質というものを「想像=創造(そうぞう)」している源は、「意識」というものなのです。
 物理的大宇宙を「想像=創造(そうぞう)」している源は、大宇宙意識という「純粋意識」なのです。

 最先端の物理学では、このことがようやく理解出来るようにもなって来ているようです。
『大宇宙の中に「意識」があるのではなく、「意識」の中に大宇宙がある』ということが、ようやく理解出来るようにもなって来ているようです。

 物理的大宇宙とは、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識という「純粋意識」の中に存在している世界なのです。

 自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である我が魂です。
 真我である魂とは、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識の分霊(わけみたま)として、大宇宙に二つとして同じものが無い、ある一つの支店(してん)を受け持って、ある一つの角度・視点(してん)から、この大宇宙を映し出して見ている「支店=視点(してん)」の中の一つなのです。

 自分が見ている大宇宙(現実世界)とは、自分の「意識」の中に存在している世界なのです。

 多くの人たちは、自分の外に、何か確固とした客観的な現実世界(大宇宙)というものがあると考えています。
 そうではなく、自分が見ている現実世界(大宇宙)とは、自分自身の「意識」が投影された内面の世界であり、心の内の景色であり、言わば、インナーワールドなのです。

 自分が見ている現実世界(大宇宙)とは、自分の脳が情報処理・画像処理した結果を、空間という360度立体のバーチャルなスクリーンに映し出して見ているだけなので、テレビや映画を見ているのと同じような状態であると言えます。

 自分の脳の中の心象風景とでも言うべきものを、空間という360度立体のバーチャルなスクリーンに映し出して見ているだけなので、自分が見ている現実世界(大宇宙)とは、言わば、自分の脳が創り出したバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界なのです。

 物質を「想像=創造(そうぞう)」している源は、「意識」というものなのです。
「意識」によって「想像=創造(そうぞう)」されたバーチャルリアリティー(仮想現実)が、物質という幻なのです。

 この物理的大宇宙そのものが、大宇宙意識によって「想像=創造(そうぞう)」されたバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、大宇宙意識の全知全能の光が、様々な紋様となって織り成されているだけなのです。

 私たち一人ひとりは、大宇宙意識の分霊(わけみたま)として、この大宇宙に二つとして同じものが無い、ある一つの「支店=視点(してん)」を受け持って、このバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界を体験して味わっている存在なのです。

 自分が見ている現実世界(大宇宙)とは、自分自身の「意識」の中に存在している世界であり、言わば、自分の脳が創り出したバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界なのです。

 私たち人類の意識の進化と、科学技術・テクノロジーの進化とは、深く密接に関わっています。
 この21世紀において、私たち人類の意識は飛躍的進化を遂げ、さなぎから蝶へと生まれ変わり、新たな地球が誕生することになります。
 有史以来数千年の人類の古い世界観そのものが、新たな世界観へと入れ替わる時を迎えます。

 天動説が地動説に変わるような、コペルニクス的大転回を、私たち人類は、これから経験することになるのです。

『大宇宙の中に「意識」があるのではなく、「意識」の中に大宇宙がある』ということを理解出来るようになります。
 自分の外に、何か確固とした客観的な現実世界(大宇宙)というものがある訳ではなく、現実世界(大宇宙)とは、自分の「意識」が投影された自分の内面の世界であり、言わば、インナーワールドであることを理解出来るようになります。
 この物理的大宇宙そのものが、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、自分が見ている現実世界(大宇宙)もまた、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であることが、理解出来るようになるのです。

 科学技術・テクノロジーが飛躍的に進化して、視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚の五感全てをバーチャルリアリティー(仮想現実)で体験出来るようになり、現実と仮想現実(バーチャルリアリティー)の区別が付かない程になると、この物理的大宇宙そのものが、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であることは、ごく自然に受け入れられていくかも知れません。

 私たち人類の意識の進化と、科学技術・テクノロジーの進化とは、深く密接に関わっていますので、人類の意識の進化を促すような科学技術・テクノロジーが、必ず現れてくることになります。

 実は、この物理的大宇宙そのものが、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、幻の世界であることは、何千年も前から、一部の人たちには分かっていたのだと思います。

 サンスクリット語に、「マーヤ(幻・幻影)」という言葉があり、この世界自体を「マーヤ(幻・幻影)」という言葉で表現していたようです。
 また、サンスクリット語には、「リーラ(全ては神の戯れ)」という言葉もあるようです。

 実は、この世界自体が「マーヤ(幻・幻影)」であるということも、「全ては神の戯れ」(リーラ)であるということも、本質において同じことなのです。

 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識だけなのです。
 物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、大宇宙意識の全知全能の光が織り成す幻の世界であり、「全ては大宇宙意識の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。

 これらのことは、書籍「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」の中に、はっきりと詳しく書いておきましたので、書籍「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」をお読みいただくことを、強くお勧め致します。


天(神仏・宇宙)に祈りが通じるとは、何を意味するのか

 何かの宗教を信じ、何かの信仰を持っている人は元より、信仰を持たない人であっても、天(神仏・宇宙)に祈れば、願いは叶えられると信じている人たちは多いと思います。

 天(神仏・宇宙)に祈りが通じるというのは、あるレベルにおいては、本当のことです。
 しかしそれは、あくまでも、二義的な意味においての真実でしかありません。

 先日、「大宇宙は元々完成しているので、叶う願いは元々叶っているし、叶わない願いは元々叶っていない」の中で書きましたが、大宇宙は元々完成していますので、祈りが通じるも通じないも無いのです。
 
 しかし、あるレベルにおいては、天(神仏・宇宙)に祈りは通じるのです。
 しかしそれは、あくまでも、二義的な意味においてなのです。

 このことを理解する為には、まず、世界の主な宗教における神や仏という概念と、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識とは違うということを、理解しておく必要があります。

 以前、「世界の主な宗教の源は一つ」の中で書きましたが、世界の主な宗教の源は一つであり、「地球神界」とでも呼ぶべき、地球の全生命を直接創造した存在たちの世界が、そのルーツとなっています。
 聖書においては、「神」と訳されています。

 しかし、旧約聖書の「創世記」に、「神は御自分にかたどって人を創造された。」と書かれている通り、地球の全生命を直接創造したのは、私たち人間と同じように、姿・形を持った存在たちなのです。
 無形の超自然の神が、地球の全生命を直接創造した訳ではなく、地球の全生命を直接創造したのは、あくまでも、私たち人間と同じように、姿・形や名前を持った存在たちなのです。

「地球神界」の存在たちは、大宇宙そのものを創造した訳ではないので、大宇宙そのものへの究極的な信仰を持っているのです。
『人類の意識がどんなに進化しても無くならない宗教とは――「無限」の宗教』の中で書きましたが、「地球神界」における存在たちも、「無限」の宗教という、究極の宗教、永遠の宗教、絶対の宗教を持っています。

 大宇宙そのものを、「無限」という言葉で表現するならば、大宇宙そのものへの畏敬の念、言わば、「無限」への信仰心というものを持っているのです。

 聖書における「神」というのは、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識とは違います。
 聖書における「神」が信仰しているのが、大宇宙意識、即ち「無限」なのです。

 大宇宙意識とは、姿・形や名前を持った存在などではなく、一つの「純粋意識」なのです。
 大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
 物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 大宇宙意識が実在している絶対世界(大宇宙の本質の世界)とは、時間も無ければ空間も無い、時空を超越した根源の世界であり、そこにはただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙の全てが元々存在しており、大宇宙は元々完成しているのです。

 大宇宙は元々完成していますので、第一義的な意味、最も本質的な意味においては、大宇宙に祈りが通じるも通じないも無いのです。

 しかし、二義的な意味、あるレベルにおいては、天(神仏・宇宙)に祈りは通じ、願いは叶えられるのです。
「地球神界」は、私たちの星・地球に対しては「全能」なので、私たちの願いを叶えることが出来るからなのです。

「地球神界」の存在たちというのは、あくまでも、私たち人間と同じように、姿・形を持った存在たちなので、古代においては、「神」と人間との間に、直接的なやり取りが行われていた時代がありました。
「神」が直接、人間に命令を下したり、「神」が人間の願いを直接聞き入れたりしていた時代があります。

 それらの痕跡は、聖書や世界各地の神話などに、様々な形で残っていると思います。
 有名な話では、「神」がノアに命じて「ノアの箱舟」を造らせ、大洪水から救った話などもその一つです。
 あるいは、モーゼがシナイ山の山頂で、「神」から「十戒」が書かれた石板を授かった話などもそうです。

 モーゼは、「神」に示された形に従って、「神」が人間の代表者と会う為の「会見の幕屋」を作ったとされています。
 人々は、「神」への服従のしるしとして、「会見の幕屋」へ食物や貢物を持参したのです。
 日本の神社の基本的な構造は、モーゼが作った「会見の幕屋」とそっくりだと言われています。
 そして、モーゼが作った「会見の幕屋」は、古代イスラエルのエルサレム神殿の原型にもなっています。

「神」が人間たちと直接やり取りしていた時代には、「神」が私たち人間の願いを直接聞き入れて、願いを叶えたりしていました。

「地球神界」は、地球に対しては「全能」なので、直接的にではなくとも、間接的に、人々の祈りに応じて、人々の願いを叶えることが出来ます。

 例えば、アメリカインディアンなどの、所謂(いわゆる)、先住民族と呼ばれる人々には、雨乞いの儀式のようなものがあり、日照りが続いて雨が必要になると、天に祈り、雨を降らせてもらったりしていたようです。
 天候などの気象は勿論、「地球神界」がコントロールしていますので、先住民族の祈りに応じて、雨を降らせることが出来ます。
 そういう意味においては、天(神仏・宇宙)に祈りが通じ、願いが叶うというのは、本当のことなのです。

 しかし、「地球神界」が先住民族の雨乞いの儀式に応じて雨を降らせることが出来るのは、元々、絶対世界(大宇宙の本質の世界)で決まっていたからなのです。

 先住民族が雨乞いの儀式を行ったから、「地球神界」がその祈りを聞き入れて雨を降らせたと言うより、ある時、先住民族の住む場所に雨が降ることは元々決まっており、雨乞いの儀式を行ってから雨が降るということが、元々決まっていたということなのです。

 雨乞いの儀式を行ったから、天(神仏・宇宙)に祈りが通じたというのは、あくまでも、二義的な見方であり、本質的な見方ではありません。
 何故なら、祈ったから祈りが通じて願いが叶う、というのは、時間の流れが、過去→現在→未来へと流れており、原因があって結果があるという前提の上に成り立った見方であり、一面的な見方でしかないからなのです。

 雨乞いの儀式を行ったから、天に祈りが通じて雨がもたらされたと言うより、雨が降ることは元々決まっており、雨乞いの儀式を行ってから雨が降るということが、元々決まっていたというのが、最も本質的な、第一義的な見方なのです。

 縁結びで有名な、何処かの神社に参拝して、恋愛成就を祈願したから、異性との出会いがあったり、恋愛が成就したり、結婚出来たというのは、あくまでも、二義的な見方です。
 異性との出会いや、恋愛成就、結婚というのは元々決まっており、縁結びで有名な何処かの神社に参拝してから恋愛成就するということが、元々決まっていたというのが、最も本質的な第一義的な見方なのです。

 人と人との出会い・ご縁などは、生まれる前から決まっていることであり、結婚する相手との出会い・ご縁などは、その最たるものです。
 縁結びで有名な、何処かの神社に参拝したから、異性との出会い・ご縁が生まれるというようなものではなく、何時、何処で、誰と出会うかは、生まれる前から決まっており、どのようなプロセスを経て出会うかということまで、全て決まっているということなのです。

 学問の神様とされる天神様(菅原道真公)が祀られている有名な神社に参拝して、合格祈願したから、志望校に合格出来た訳ではありません。
 志望校に合格することは、元々決まっており、学問の神様が祀られている有名な神社で合格祈願してから、合格するということが、元々決まっていたということなのです。

 天(神仏・宇宙)に祈れば、祈りが通じ、願いが叶えられるというのは、あるレベルにおいては、本当のことなのです。
 しかしそれは、あくまでも、時間というものが、過去→現在→未来へと流れており、原因があって結果があるという前提の上に成り立った見方であり、一面の真理でしかありません。

 大宇宙は元々完成しており、元々全てが決まっていますので、元々決まっていた通りに展開しただけなのです。
 それが最も本質的な、第一義的な見方になります。

「地球神界」は、地球に対しては「全能」なので、人々の祈りに応じて、願いを叶えることが出来ます。
 しかし、「地球神界」が大宇宙そのものを創造した訳ではないので、「地球神界」が私たち人間の祈りに応じて願いを叶えることまで含めて、元々、絶対世界(大宇宙の本質の世界)で決まっていたことなのです。

 是非、この秋に相次いで出された2冊の新著、「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」「何故、未来は100パーセント確定しているのか」を併せてお読みいただき、大宇宙についての、最も本質的な、根源的な考察をご参照いただくことを、強くお勧め致します。

大宇宙は元々完成しているので、叶う願いは元々叶っているし、叶わない願いは元々叶っていない

 大宇宙は元々完成していますので、叶う願いは元々叶っていますし、叶わない願いは、元々叶っていません。

 私たち一人ひとりが願いを持つことは当然のことなのですが、自分の願いが叶うかどうかは、これから決まるのではなく、元々決まっていることなのです。

 多くの人たちは、時間というものが、過去→現在→未来へと流れており、未来とは今これから創られていくものであるかのように考えているので、白紙の未来があるかのように感じてしまうのです。

 多くの人たちが考えている、過去→現在→未来へと直線的に流れている時間というものは、実際には存在していません。
 時間は流れている訳ではなく、過去も未来も、今、同時に存在しているのです。

 時間は流れている訳ではないのですが、敢えて、時間の流れというものを想定した場合でも、それは、多くの人たちが考える、過去→現在→未来という流れではなく、それとは逆の、未来→現在→過去という流れになります。
 既に確定している未来から時間がやって来て、そこに至る為のプロセスが順番に創り出されているのです。

 原因があって結果があると言うより、原因は結果によって選ばれているのであり、ある結果と呼ばれるものを得る為に、その原因となるものが創り出されているのであり、順番が逆なのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、時間というものは存在しておらず、ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

 絶対世界においては、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙の根本創造主の「純粋意識」のみが実在しています。

 大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
 物理的大宇宙(相対世界)の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識とは、不生不滅の実在であり、誕生するということも無ければ、消滅するということも無く、「永遠(えいえん)の今」に実在しています。

 絶対世界においては、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中で、大宇宙意識という「純粋意識」の中に、大宇宙の全てが元々存在しているのです。

 大宇宙の過去・現在・未来の全て、ありとあらゆる全てのものが、元々存在しているのです。
 そして、ありとあらゆる全てのものとは、「想像=創造(そうぞう)」し得る限りの全てのものなのです。

 大宇宙とは、元々が完成された、完全な世界なのです。
 唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持つ大宇宙意識によって「想像=創造(そうぞう)」された、完全なる世界なのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界においては、大宇宙の全てが元々存在しており、大宇宙は元々完成しているのです。

 大宇宙は元々完成していますので、叶う願いは元々叶っていますし、叶わない願いは元々叶っていないのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界とは、時間も無ければ空間も無い、時空を超越した根源の世界です。
 時間も空間も存在しない絶対世界で、大宇宙の全てが「想像=創造(そうぞう)」されており、大宇宙は元々完成しているのです。

 一方、絶対世界の「映(うつ)し世」であり、「鏡」の世界である相対世界(物理的大宇宙)とは、「時間と空間」という座標軸から成り立っている世界です。

 相対世界である物理的大宇宙においては、「時間と空間」という座標軸の中で、大宇宙の全てが元々存在しており、大宇宙は元々完成されているのです。
 大宇宙の過去・現在・未来の全て、大宇宙の全ての時空が元々存在しており、それは、今、同時に存在しているのです。

 物理的大宇宙(相対世界)においては、無数の「時間軸と空間軸」、無数の時空というものが存在しており、それは、今、同時に存在しているのです。

 物理的大宇宙(相対世界)においては、無数の「時間軸と空間軸」、無数の時空というものが、今、同時に存在しており、大宇宙の過去・現在・未来の全てが、今、同時に存在しているのです。

 私たちが見ている、21世紀の地球という、この時空は、今初めて大宇宙に存在しているという訳ではありません。
 21世紀の地球という、この時空が、今初めて大宇宙に存在していると考えるのは、時間というものが、過去→現在→未来へと流れているという思い込みによるものだと言えます。

 21世紀の地球という、この時空は、元々大宇宙に存在している時空なのであり、実は、かつて存在していた時空でもあるのです。
 ここは、「緑美しき懐かしき地球」追想の中)なのです。
 ある意味においては、ここが既に、未来とも言えるのです。

 大宇宙そのものが、完璧なスーパーコンピューターとも言えるので、大宇宙の過去・現在・未来の全て、大宇宙の全ての時空が元々存在しており、保存されているのです。

 私たちが見ている、21世紀の地球という、この時空は、大宇宙という完璧なスーパーコンピューターに元々保存されているデータの一部なのです。

 そのあたりのことは、新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」の中で詳しく書きましたので、是非、ご一読いただければ幸いです。

 大宇宙は元々完成していますので、叶う願いは元々叶っていますし、叶わない願いは元々叶っていないのです。

「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」の新聞広告が、12月6日の東京新聞・朝刊に掲載されます!

「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」表紙カバー.jpg
文藝春秋社の雑誌「オール読物」10月号、「オール読物」12月号、11月6日(西日本は11月8日)の毎日新聞全国版・朝刊1面に続き、書籍「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」の新聞広告が、12月6日の東京新聞・朝刊に掲載されます!

書籍「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」は、大宇宙についての、最も本質的な、根源的な考察により、大宇宙の真相に迫った会心作です。

11月11日発売の新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」と併せて、書籍「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」をご購読いただくことを、強くお勧め致します!

大宇宙は願いを何でも叶えてくれるという、幻想その2――地上に生きる70億人の願いを全て叶えられる存在は、この大宇宙には存在していない

 大宇宙は、自分や人々の願いを何でも叶えてくれるかのような、勘違い・錯覚・幻想が、かなり蔓延しているように感じます。

 大宇宙の真理を全く理解しないまま、想いは実現する、とか、思考は現実化する、とか、夢は必ず実現する、ということが安易に信じられ過ぎている感じがします。

 自分の望むものを何でも引き寄せることが出来るという「引き寄せの法則」や、潜在意識は自分の願いを何でも叶えてくれるという「マーフィーの法則」などは、大宇宙の真理が全く分かっていない、人間のエゴや願望から創り出された、間違った概念にしか過ぎず、宇宙の絶対法則などではありません。

 想いは実現する、思考は現実化するとはどういうことなのかについては、以前、『「想いは実現する」、「思考は現実化するとは」』の中で書きましたので、是非、ご参照下さい。

 大宇宙とは、自分の願いを何でも叶えてくれる存在などでは全くありません。
 自分が夢や願いを持つことは当然のことなのですが、自分一人だけが地上に生きている訳ではなく、地上に生きる70億人の願いを全て叶えられる存在というのは、この大宇宙には存在していないことを知ることが大切だと思います。

 分かりやすい、一つの例を挙げてみましょう。
 テニスのウインブルドン大会の、男子シングルス決勝戦に、A選手とB選手が勝ち進んだとします。
 A選手もB選手も、悲願のウインブルドン優勝を願うのは当然のことなのですが、必ず、どちらかが勝って優勝し、どちらかが敗れて準優勝となります。

 A選手とB選手がそれぞれ、神や仏と呼ばれる存在、あるいは、大宇宙の根本創造主と呼ばれる存在に、どんなに真剣に祈ったとしても、必ず、一人が勝者となり、一人は敗者となるのです。

 A選手とB選手の両方の願いを同時に叶えられる存在というのは、この大宇宙には存在していないのです。

 例え、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である大宇宙の根本創造主であっても、A選手とB選手の両方の願いを同時に叶えることは不可能なのです。
 不可能というよりも、A選手とB選手の両方の願いを同時に叶える必要が、そもそも無いからなのです。

 何故、A選手とB選手の両方の願いが同時に叶う必要が無いのでしょうか?

 そのことを理解する為には、この大宇宙の本質というものを知る必要があります。

 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識だけなのです。
 大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
 物理的大宇宙(現象界)の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 現象界である物理的大宇宙とは、「純粋意識」である大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージを、映し出して体験する為に「創造(そうぞう)」されている「映(うつ)し世」であり、言わば、「鏡」の世界なのです。

 物理的大宇宙に創造されている全ての被創造物は、「根本創造主(大宇宙意識)の顕れ」なのです。
「純粋意識」である大宇宙意識(根本創造主)は、物理的大宇宙に存在する全ての被創造物を通して、自分自身を体験して味わっているのだとも言えます。

 A選手もB選手も、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、大宇宙に無数に存在する「支店=視点(してん)」の中の一つなのです。
 A選手もB選手も、それぞれが、この大宇宙に二つとして同じものが無い、ある一つの角度・視点(してん)から、この大宇宙を映し出して体験している支店(してん)の中の一つなのです。

 仮に、A選手が勝って優勝し、B選手が敗れて準優勝になったとします。
「純粋意識」である大宇宙意識(根本創造主)は、優勝したA選手にしか味わえない悲喜交々のドラマを、A選手を通して体験して味わっているのです。
 そして、敗れて準優勝に終わったB選手にしか味わえない悲喜交々のドラマを、B選手を通して体験して味わっているのです。

 A選手もB選手も共に、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、「根本創造主(大宇宙意識)の顕れ」なのです。
 根本創造主(大宇宙意識)がえこ贔屓(ひいき)でA選手を優勝させ、B選手を準優勝にしている訳では全くありません。

 サンスクリット語に、「神の戯れ」というような意味の、「リーラ」という言葉があるようです。
 実は、この大宇宙の森羅万象の全てが、「大宇宙意識の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。

 大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識という唯一の実在によって繰り広げられている壮大な織物のようなものなのです。

 テニスのウインブルドン大会というのも、大宇宙意識が織り成す壮大な織物の中の一つの紋様なのです。
 テニスの4大大会の一つであり、たった一人しか優勝出来ないからこそ、ウインブルドン優勝の価値があるのです。
 ウインブルドン大会に参加した全選手が誰でも優勝出来るのであれば、ウインブルドン優勝の価値も無くなる訳です。
 決勝戦に勝ち進んだA選手とB選手の願いが同時に叶う必要も無いことなのです。

 全世界で、オリンピックの金メダリストが4年間にたった一人しか同一種目で誕生しないからこそ、オリンピック金メダリストの価値があるのです。
 オリンピックに参加した選手全員が金メダリストに成れたり、ましてや、全世界のスポーツ愛好家の誰でもオリンピックに参加出来るのであれば、オリンピック金メダルの価値も無くなる訳なのです。

 オリンピックの金メダルを目指すトップアスリートたちの願いを同時に叶えられる存在というのは、この大宇宙には存在していませんし、そもそもが、同時に叶う必要も無いことなのです。

 日本花子さんという、才色兼備の若くて美しい女性と結婚したいと、花子さんの周囲にいる10人の男性が真剣に願ったとしても、10人の男性の願いを同時に叶えられる存在というのは、この大宇宙には存在していませんし、また、10人の男性の願いが同時に叶う必要も無いことなのです。

 東大合格を目指す受験生全員の願いを同時に叶えられる存在というのは、この大宇宙には存在していませんし、ジャンボ宝くじを買った人々全員に、1等何億円に当選させることが出来る存在というのも、この大宇宙には存在していません。

 地上に生きる70億人の願いを全て叶えられる存在というのは、この大宇宙には存在していません。
 唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である大宇宙意識(根本創造主)にも、70億人の願いを全て叶えることは不可能なのです。
 不可能というよりも、70億人の願いを全て叶える必要が、そもそも無いからなのです。

 この大宇宙の森羅万象の全ては、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持つ大宇宙意識(根本創造主)が、全知全能の光によって織り成す壮大な織物のようなものであり、全てが「大宇宙意識の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。

 大宇宙とは、願いを何でも叶えてくれる存在などでは全くないことを知ることが大切だと思います。


大宇宙は願いを何でも叶えてくれるという、幻想その1―― 私たち人間が大宇宙を創造したのではなく、大宇宙が私たち人間を生かしている

 大宇宙は、自分や人々の願いを何でも叶えてくれる存在であるかのような、勘違い・錯覚・幻想が、かなり蔓延している感じがします。

 想いは必ず実現する、とか、夢は必ず実現する、思考は必ず現実化する、というようなことが、安易に信じられ過ぎている感じがします。
「引き寄せの法則」や「マーフィーの法則」などが、何か宇宙の絶対法則であるかのように盲信している人々がいます。

 先日、『「引き寄せの法則」には重要な視点が欠けている』の中で書きましたが、「引き寄せの法則」や「マーフィーの法則」には重要な視点が欠けており、宇宙の絶対法則でも何でもありません。

「引き寄せの法則」や「マーフィーの法則」などは、私たち人間の目線から大宇宙の摂理を都合良く解釈しており、人間のエゴや願望から創り出された、間違った概念にしか過ぎないのです。

 大切なのは、私たち人間の目線から大宇宙を捉えるのではなく、大宇宙という、宇宙的観点から、私たち人間の生の営みを捉えることだと思います。

 私たち人間が、この大宇宙の全てを創造し、天体の運行から細部に至る、大宇宙の森羅万象の全ての営みを司っている訳では全くありません。
 それとは逆に、この大宇宙の全てを創造し、天体の運行から細部に至る、大宇宙の森羅万象の全ての営みを司っている存在が、私たち一人ひとりに生命を与え、私たち一人ひとりを一呼吸一呼吸生かしているのです。

 私たちは、大宇宙に生かされている存在であり、一呼吸一呼吸生かされているからこそ、自分の夢を思い描いたり、様々な思考を巡らせたり出来る訳なのです。
 大宇宙に生かされている存在にしか過ぎない、私たち人間の想いや夢や思考によって、大宇宙の森羅万象が動いている訳では全くありません。

 全ては、大宇宙の計画の中にあります。
 私たち人間一人ひとりは、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、大宇宙における一つの役割としてしか存在していませんので、自分の役割の中にある夢や想いは実現し、思考は現実化しますが、自分の役割の中に無い夢や想いは実現することはありませんし、思考は現実化することも無いのです。

 大宇宙の森羅万象の全てを司っている大宇宙意識は、私たち人間の願いや想いに反応・同情して、それによって森羅万象を動かしたり変更したりするような存在では、全くありません。

 私たち個人一人ひとりだけではなく、数十億人の全人類が心を一つにして祈ったとしても、元々決まっている大宇宙の摂理は、変わることは無いのです。

 そのことを理解する為に、極端な例ですが、一つの例を挙げておきます。

 私たち人類を始め、動物も植物も、地上に生きる生命体は皆、地球を照らす太陽の恩恵によって、生かされています。
 しかし、太陽(恒星)には寿命がありますので、何億年後か何十億年後には必ず、私たちの地球を照らす太陽は寿命を迎え、燃え尽きてしまうのです。

 太陽が寿命を迎え、燃え尽きた時、地球という星に生きる生命体も、絶滅することになります。
 地球という星の上で、生命が永遠に生存し続けることは、不可能なのです。

 実際には、太陽が燃え尽きる前には、私たち人類の科学は、今よりも飛躍的に進化していますので、太陽が燃え尽きる前に、人類が生存出来るような他の惑星を探して、そこに移住して生き続けることも可能です。

 何億年後かは分かりませんが、いずれ私たち人類は、太陽が燃え尽きる前に、地球から脱出して、他の惑星で生き続けることになると思います。

 もし、私たち人類が、永遠に生存し続けたいと願うならば、太陽が燃え尽きる前に、地球を脱出して、他の惑星で生存出来るような科学技術・テクノロジーを獲得しなければならないのです。

 人類が絶滅しないように、太陽が燃え尽きないようにして下さいと、例え、数十億人の全人類が心を一つにして大宇宙に祈ったところで、太陽(恒星)は何れ寿命を迎えて燃え尽きてしまうという、大宇宙の摂理は、微塵も変わるものではないのです。

 大宇宙の真理というものは厳粛であり、私たち人間の感情に同情したりするようなものでは、全くありません。

 私たちの地球を照らす太陽のような恒星が、この銀河系宇宙(天の川銀河)一つだけでも、数千億は存在すると推定されているのです。
 そして、ウィキペディアによれば、そのような無数の太陽(恒星)を持つ銀河というものが、少なくとも1700億は存在すると推定されているようです。

 無数の太陽系を持つ銀河を、少なくとも1700億個も創造し、それらの天体の運行を全て司っている存在が、私たち人間に生命を与え、一呼吸一呼吸生かしているのです。

 私たち人間が大宇宙を創造し、大宇宙の森羅万象の全てを司っている訳では全くありません。
 それとは逆に、大宇宙の森羅万象という、宇宙規模の壮大な営みの中の一コマとして、私たち人類の生の営みがあるのです。

 大切なのは、私たち人間の目線から、大宇宙の摂理を都合良く解釈することではなく、大宇宙という、宇宙的観点から私たち人間の生の営みを捉えることだと思います。

 全ては大宇宙の計画の中にあります。
 私たち人間一人ひとりは、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、大宇宙における一つの役割としてしか存在していませんので、自分の役割の中にある夢や想いは実現し、思考は現実化しますが、自分の役割の中に無い夢や想いは決して実現することはありませんし、思考は現実化することも無いのです。

 大宇宙の真理・摂理というものは厳粛であり、私たち人間の想いや思考・感情によって左右されるということは、一切ありません。

 大宇宙とは、私たち個人や人類全体の願いを何でも叶えてくれる存在などでは全く無いことを、知ることが大切です。

「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」の広告が、文藝春秋社の雑誌「オール読物」12月号(11月23日発売)に掲載されます!

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文藝春秋社の雑誌「オール読物」10月号11月6日(西日本は11月8日)の毎日新聞全国版・朝刊1面に続き、書籍「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」の広告が、「オール読物」12月号(11月23日発売)に掲載されます!

書籍「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」は、大宇宙についての、最も本質的な、根源的な考察により、大宇宙の真相に迫った会心作です。

11月11日発売の新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」と併せて、書籍「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」をご購読いただくことを、強くお勧め致します!


新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」が本日11月11日、発売日を迎えました!

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「何故、未来は100パーセント確定しているのか」カバー見開き.jpg             四六判  228ページ
         価 格  本体1500円+税
         発 売  星 雲 社

新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」は、電子書籍でもご購読出来ます!
各電子書店での配信開始は、11月下旬頃になる予定です。

9月25日に発売された「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」と併せて、新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」をご購読いただくことを、強くお勧め致します!

純粋に「個」としての意識というものは、存在していない

 純粋に「個」としての意識というものは、存在していません。
 純粋に、自分個人の意識というものは、存在していないのです。

 私たちが普段、あれこれと考えている意識は、表面意識(顕在意識)と呼ばれる、氷山の一角のような部分であり、水面下には、潜在意識、無意識と呼ばれるような部分があり、さらに奥深くには、「個」としての意識を超えた、人類全体の集合意識のような部分があります。

 そして、私たちの意識をさらに奥深く遡って行くと、最終的には、大宇宙の根本主体であり、根本創造主である大宇宙意識まで辿り着くことになります。

 私たちの意識の一番奥深くには、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識が内在していますので、私たち一人ひとりは、自分の意識の一番奥深くでは、この大宇宙の全てを知っているとも言えるのです。

 私たちの意識の一番奥深くには、大宇宙意識が内在していますので、私たちの意識を司り、コントロールしているのは、私たち自身ではなく、大宇宙意識なのです。

 ですから、自分が表面意識(顕在意識)で、何かをちょっと思ったり考えたりしていることですら、自分自身の力でそれを行っている訳ではなく、その背後には必ず、大宇宙意識の見えざる糸(意図(いと))が働いており、見えざる糸(意図(いと))で操られているようなものなのです。

 私たち一人ひとりに生命を与え、私たちを一呼吸一呼吸生かしている存在・力が、私たちの意識の一番奥深くで、私たちの意識を司り、コントロールしているのです。

 私たちは、大宇宙に生かされている存在であり、自分の力だけでは一呼吸すら出来ない存在なので、私たちが、自分自身の力で何かを思ったり考えたりしていることなど、本当は、何一つ無いのです。

 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識だけなのです。
 私たち一人ひとりは、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、大宇宙における一つの役割として存在していますので、自分の思考・感情・行動などの全ては、自分の役割の中において、大宇宙意識が司りコントロールしているものなのです。

 私たち人間だけではなく、動物も植物も鉱物も、地球や太陽・月・星も、さらには銀河や大銀河団に至るまで、物理的大宇宙に存在する全ての被創造物は、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものであり、全てが大宇宙意識の見えざる糸(意図(いと))で動かされているだけなのです。

 大宇宙の森羅万象の全ては、ある一つの法則(力学)の元、大宇宙意識が持つ根源的エネルギーによって動かされています。
 大宇宙の森羅万象の全ては、大宇宙意識の見えざる糸(意図(いと))により動いていますので、全ては大宇宙意識の計画の中にあるのです。

 そして、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識が実在している絶対世界(大宇宙の本質の世界)とは、時間も無ければ空間も無い、時空を超越した根源の世界であり、そこにはただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識が実在しているのです。

「何故、未来は100パーセント確定しているのか」を知る上で、このことは、必要不可欠となります。

「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」の新聞広告が、11月6日の毎日新聞全国版・朝刊1面に掲載されました!

文藝春秋社の雑誌「オール読物」10月号に続き、「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」の広告が、11月6日(西日本は11月8日)の毎日新聞全国版・朝刊1面に掲載されました!
毎日新聞広告「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」2014年11月6日.jpg

「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」表紙カバー.jpg

11月11日発売の新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」と併せて、「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」をご購読いただくことを、強くお勧め致します!

「引き寄せの法則」には、重要な視点が欠けている。

「引き寄せの法則」と呼ばれるものがあり、「引き寄せの法則」というものが、宇宙の絶対法則であるかのような勘違いをしている人たちが、たくさんいるようです。
「引き寄せの法則」を紹介した「ザ・シークレット」という本などは、世界中でベストセラーになっているようです。

 しかしながら、「引き寄せの法則」には、重要な視点が欠けており、「引き寄せの法則」は、宇宙の絶対法則などでは、決してありません。

「引き寄せの法則」に欠けている重要な視点は、大きく分けると二つありますが、この二つは、別々のことではなく、本質的に同じことなのです。

「引き寄せの法則」に欠けている重要な視点――その1.
 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識だけであるという視点が欠けています。

 大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
 物理的大宇宙(現象界)の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 大宇宙の森羅万象の全ては、大宇宙意識の見えざる糸(意図(いと))によって営まれており、全ては大宇宙意識の計画の中にあるという視点が欠けています。


「引き寄せの法則」に欠けている重要な視点――その2.
 時間は幻想であり、究極的には、時間というものは存在していないという視点が欠けています。
 つまり、未来は100パーセント確定しているという視点が欠けているのです。
 
 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、時間というものは存在しておらず、ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

 時間は流れている訳ではなく、過去も未来も、今、同時に存在しています。
 時間は流れている訳ではないのですが、敢えて、時間の流れというものを想定した場合でも、それは、多くの人たちが考える、過去→現在→未来という流れではなく、それとは逆の、未来→現在→過去という流れになります。

 過去も未来も、今、同時に存在しているということは、未来は既に確定的に存在しているということであり、既に確定している未来から時間がやって来て、そこに至る為のプロセスが順番に創り出されているということなのです。

 原因があって結果があると言うより、原因は結果によって選ばれているのであり、ある結果と呼ばれるものを得る為に、その原因となるものが創り出されているのであり、順番が逆なのです。

 自分の望むものを何でも引き寄せることが出来るとする「引き寄せの法則」は、時間の流れが、過去→現在→未来へと流れているという前提の上に成り立っており、原因があって結果があるという前提の上に成り立っています。

 究極的には時間というものは存在しておらず、過去も未来も、今、同時に存在しているのであり、敢えて、時間の流れというものを想定した場合でも、それは、多くの人たちが考える、過去→現在→未来という流れではなく、それとは逆の、未来→現在→過去という流れになるという視点が欠けています。

 つまり、未来は100パーセント確定しているという視点が欠けているのです。


 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識だけであるということと、時間は幻想であり、本当は時間は存在していないということとは、別々のことではなく、本質的に同じことなのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界とは、時間も無ければ空間も無い、時空を超越した根源の世界であり、そこにはただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識という「純粋意識」だけが実在しています。

 絶対世界においては、大宇宙意識という「純粋意識」の中に、大宇宙の全て、大宇宙の過去・現在・未来の全てが、元々存在しています。

 絶対世界においては、大宇宙は元々完成しており、元々が、完成された、完全な世界なのです。
 大宇宙は元々完成されているからこそ、未来は100パーセント確定しているのです。

 未来とは、今これから創られて行くものではなく、元々存在しているものであり、既に100パーセント確定しているものなのです。

 私たち一人ひとりは、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、大宇宙における一つの役割としてしか存在していませんので、自分の役割の外へは一歩も出ることは出来ないのです。

 自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である、我が魂です。
 自分の魂の計画の中、即ち、大宇宙の計画の中にある「想い」は「実現」し、「思考は現実化」しますが、自分の魂の計画の中、即ち、大宇宙の計画の中に無い「想い」は「実現する」ことはありませんし、「思考は現実化する」こともありません。

「想いは実現する」、「思考は現実化する」とはどういうことなのかについては、以前書きましたので、ご参照下さい。

 自分の望むものを、何でも引き寄せることが出来るとする「引き寄せの法則」には、重要な視点が欠けており、大いなる勘違い・錯覚であり、幻想にしか過ぎません。
 また、潜在意識は、自分の望むものを何でも叶えてくれるとする「マーフィーの法則」なども同様であり、勘違い・錯覚・幻想にしか過ぎません。

 大宇宙とは、私たち一人ひとりの私利私欲、私たち個人の願い事を、何でも叶えてくれる存在などでは、全くありません。

 分かりやすく理解する為に、テニスのウインブルドン大会の男子シングルスの決勝戦を考えてみましょう。

 決勝に進んだA選手とB選手の内、どちらかが勝って優勝し、どちらかが敗れて準優勝することになります。
 引き分けという制度が無い限り、必ず、どちらかが敗れて準優勝となるのです。

 A選手、B選手のそれぞれが、「引き寄せの法則」を使って、優勝を真剣に願ったとしても、必ず、どちらかは敗れて準優勝となります。
 あるいは、神や仏と呼ばれる存在に、A選手、B選手のそれぞれが、真剣に祈ったとしても、必ず、どちらかは敗れて準優勝となるのです。

 A選手、B選手の両方の願い・祈りを同時に叶えてくれて、両方を同時に優勝させることが出来る存在など、実は、この大宇宙には存在していないのです。
 神と呼ぼうが仏と呼ぼうが、あるいは、大宇宙の根本創造主と呼ぼうが、如何なる存在であったとしても、A選手とB選手の両方の願い・祈りを同時に叶えることは不可能であり、また、同時に叶う必要も無いことなのです。

 優勝する必要のある人が優勝し、準優勝する必要のある人が準優勝するというだけのことであり、どちらが優勝し、どちらが準優勝になるのかは、A選手やB選手が生まれる前から決まっていたことなのです。

 大宇宙とは、私たち個人一人ひとりの願い事を何でも叶えてくれる存在などでは、全くありません。
 大宇宙は元々完成していますので、元々全てが確定しているものなのです。

 大宇宙とは、私たち個人一人ひとりの願い事を何でも叶えてくれる存在などでは、全くないということを理解する為に、もう一つの例を考えてみましょう。

 日本花子さんという、才色兼備の若くて美しい女性がおり、花子さんの周囲には、花子さんを妻にしたいと真剣に望んでいる10人の男性がいると仮定します。

 10人の男性がそれぞれ、花子さんとの結婚を、「引き寄せの法則」を使って真剣に望んだとしても、少なくとも、9人の願いは叶うことはありません。
 もしかしたら、10人全員の願いが叶わないかも知れません。

 1人の異性としか同時に結婚することは出来ないという、現在の日本の婚姻制度においては、花子さんが10人の男性と同時に結婚することは不可能であり、少なくとも、9人の願いは叶うことは無いのです。

 もし、10人の男性がそれぞれ、神や仏と呼ばれる存在、あるいは、大宇宙の根本創造主と呼ばれる存在に対して、花子さんとの結婚を真剣に祈ったとしても、10人の男性の願い・祈りを同時に叶えることは不可能です。
 如何なる存在であろうとも、10人の男性の願い・祈りを同時に叶えられる存在というのは、この大宇宙には存在していませんし、また、10人の願いが同時に叶う必要も無いことなのです。

 もし、日本花子さんが結婚するのであれば、夫婦になる必要のある相手と結婚するだけのことであり、何時、誰と結婚するのかは、生まれる前から決まっていることなのです。

 私たち一人ひとりは、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、大宇宙における一つの役割としてしか存在していませんので、自分の役割の中にある「想い」は「実現する」ことになり、「思考は現実化」しますが、自分の役割の中に無い「想い」は「実現する」ことはありませんし、「思考は現実化する」ことも無いのです。

 大宇宙とは、私たち一人ひとりの願い事を何でも叶えてくれる存在などでは、全くありません。

「引き寄せの法則」や「マーフィーの法則」には、重要な視点が欠けていますので、宇宙の絶対法則などでは全くありません。

 是非、新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」と、「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」を併せてお読みいただき、「引き寄せの法則」が宇宙の絶対法則であるかのような勘違い・錯覚・幻想から開放されていくことを、強くお勧め致します!


「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」の新聞広告が、11月6日の毎日新聞全国版・朝刊1面に掲載されます!

「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」表紙カバー.jpg
文藝春秋社の雑誌「オール読物」10月号に続き、書籍「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」の新聞広告が、11月6日(木)の毎日新聞全国版・朝刊1面に掲載されます!
西日本は、11月8日(土)の掲載となります。

毎日新聞をご購読の方は、11月6日(西日本は11月8日)の朝刊1面の書籍広告を、ぜひご覧下さい!

11月11日発売の新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」と併せて、書籍「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」をご購読いただくことを、強くお勧め致します!


新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」が完成致しました!

2014年11月11日発売の新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」が完成致しました!
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「何故、未来は100パーセント確定しているのか」カバー見開き.jpg             四六判  228ページ
         価 格  本体1500円+税
         発 売  星 雲 社

新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」は、全国の書店、および、アマゾン等のオンライン書店での発売日は、
11月11日となりますが、当ホームページにて先行販売を開始致します。

先行販売に御予約いただいた方には、本日、書籍を郵送させていただきますので、お手元に届くまで、今しばらくお待ち下さい。

書籍の内容につきましては、書籍「何故、未来は100パーセント確定しているのか」のページをご参照下さい!

ご注文につきましては、「ご注文・ご予約」ページからお願い致します!

時間も空間も存在しない絶対世界(大宇宙の本質の世界)で「想像(そうぞう)」されたことが、「時間と空間」から成る物理的大宇宙に「創造(そうぞう)」されている

 私たちが生きている、この物理的大宇宙は、「時間と空間」という座標軸によって成り立っている世界ですが、大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界は、時空を超越した世界であり、そこには、時間も空間も存在していません。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、時間というものは存在しておらず、ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

 絶対世界には、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識という「純粋意識」だけが実在しています。

 大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
 物理的大宇宙(相対世界)の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 時間も空間も存在しない絶対世界において、大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したことが、「時間と空間」から成る物理的大宇宙(相対世界)に「創造(そうぞう)」されているのです。

 「何故、未来は100パーセント確定しているのか」を知る上で、このことは、必要不可欠となります。

 ただ、このことは、大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界というものを、体験的に知る他無く、知識や学問などによっては、知る由もありません。

 しかし、体験的に知らなくても、私たち一人ひとりの意識を一番奥深くまで遡れば、最終的には、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識まで辿り着くことになります。

 ですから、私たちは、自分の意識の一番奥深くでは、この大宇宙の全てを知っているとも言えますので、未来が100パーセント確定しているということを、知っているのです。

 そのことを想い出していく手助けとして、新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」を出版させていただきました。

 新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」では、時間も空間も存在しない絶対世界で「想像(そうぞう)」されたことが、「時間と空間」から成る物理的大宇宙(相対世界)に「創造(そうぞう)」されていることをイメージしやすいように、敢えて、インターネットの世界と、それを映し出すパソコン画面、ユーチューブの動画などを例えに使いながら、詳しい説明を試みてみました。

 新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」は、間もなく完成致します。
 11月11日の全国の書店での発売日に先立ち、当ホームページにて先行販売を開始致します。

 是非、新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」をお読みいただき、白紙の未来があるかのような勘違い・錯覚・幻想から開放されていくことを、強くお勧め致します!

未来とは、今これから創られて行くものではなく、元々存在しているものであり、既に100パーセント確定しているもの

 多くの人たちが、白紙の未来があるかのように考えているのは、時間というものが、過去→現在→未来へと流れているという思い込みによるものだと言えます。

 時間は幻想であり、本当は、時間というものは存在していません。
 時間は流れている訳ではなく、過去も未来も、今、同時に存在しているのです。
 究極的には、時間というものは存在しておらず、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、時間というものは存在しておらず、ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界とは、時間も無ければ空間も無い、時空を超越した根源の世界であり、非物質な世界なので、そこに唯一実在しているのは、大宇宙の根本創造主の「純粋意識」だけなのです。

 大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
 物理的大宇宙(相対世界)の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 絶対世界においては、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識という「純粋意識」だけが実在しており、大宇宙意識という「純粋意識」の中に、大宇宙の全て、大宇宙の過去・現在・未来の全てが存在しているのです。

 未来とは、今これから創られて行くものではなく、元々存在しているものであり、既に100パーセント確定しているものなのです。

 時間は流れている訳ではないのですが、敢えて、時間の流れというものを想定した場合でも、それは、多くの人たちが考える、過去→現在→未来という流れではなく、それとは逆の、未来→現在→過去という流れになります。

 既に100パーセント結果が確定している未来から時間がやって来て、その原因となるものが創り出されているのです。
 原因があって結果があると言うよりも、原因は結果によって選ばれているのであり、ある結果と呼ばれるものを得る為に、その原因となるものが創り出されているのであり、順番が逆なのです。

 全ては大宇宙の計画の中にあり、未来は既に100パーセント確定して存在していますので、私たちは、既に100パーセント確定して存在している未来と、これから出会って行くだけなのです。

新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」の先行予約を開始致します!

2014年11月11日発売の新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」の先行予約を開始致します!
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         価 格  本体1500円+税
         発 売  星 雲 社

新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」は、全国の書店、および、アマゾン等のオンライン書店での発売日は、
11月11日となりますが、書籍が完成し次第、当ホームページにて先行販売を開始致します。

10月下旬には、お手元に新著をお届け出来る予定です。

書籍の内容につきましては、書籍「何故、未来は100パーセント確定しているのか」のページをご参照下さい!

ご注文につきましては、「ご注文・ご予約」ページからお願い致します!

新著2冊出版に伴い、ホームページをリニューアル致しました!

新著「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」と、
新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」の出版に伴い、ホームページをリニューアル致しました!

「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」表紙カバー.jpgcover.jpg


「書籍」のページに、「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」のページと、「何故、未来は100パーセント確定しているのか」のページを追加致しました!

全ての書籍をご覧になる場合は、「書籍」のトップページをご覧下さい!

「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」のページは、こちらをご覧下さい!

「何故、未来は100パーセント確定しているのか」のページは、こちらをご覧下さい!


新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」の内容を、ご紹介致します!

2014年10月に出版される、新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」の内容を、ご紹介致します!
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「何故、未来は100パーセント確定しているのか」カバー見開き.jpg             四六判  228ページ
         価 格  本体1500円+税
         発 売  星 雲 社

書籍「何故、未来は100パーセント確定しているのか」は、電子書籍でもご購読頂けます!
電子書籍には、EPUB方式(Amazon Kindle、楽天KOBO、紀伊国屋書店Kinoppyなど)とXMDF方式(GALAPAGOS STORE、ドコモ dマーケット BOOKストアなど)の2種類がありますが、両方に対応しておりますので、主な電子書店でご購読出来ます!


   「何故、未来は100パーセント確定しているのか」
    白紙の未来がある訳ではなく
    未来は100パーセント確定しています

   はじめに

 自分の未来は、決まっているのでしょうか?
 そして、人類の未来、地球という星の未来は決まっているのでしょうか?
 さらには、大宇宙の未来は決まっているのでしょうか?

 未来というものは、既に確定しているものなのか、それとも、未来は完全に白紙なのでしょうか?

 心の奥深くで、常に知りたかったことだと思います。

 結論から先に申しますと、未来は既に決まっており、未来は100パーセント確定しています。
 未来は100パーセント確定していますので、白紙の未来がある訳ではありません。

 未来が100パーセント確定していることは、知識や学問などによっては知る由もなく、体験的に知る他無いので、ある種の「神我一如」、あるいは「梵我一如」とでも言うべき体験が必要になります。

 この大宇宙の本質というものを、体験的に知らない限りは、未来が100パーセント確定しているということを、決して理解出来ないと思います。

 この大宇宙の本質というものを、体験的に知ることが出来ると、時間は幻想であること、そして、この大宇宙には、根本創造主(大宇宙意識)という唯一の存在しか実在していないことを知ることになり、未来が100パーセント確定しているということを、確信することが出来るようになります。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界においては、時間というものは存在しておらず、ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。
「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。

 絶対世界に唯一実在しているのは、大宇宙の根本創造主の「純粋意識」のみです。
 本書においては、大宇宙意識と呼んでいます。
 大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
 物理的大宇宙(現象界)の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識とは、不生不滅の実在であり、誕生するということも無ければ、消滅するということも無く、「永遠(えいえん)の今」に実在しています。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界においては、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識のみが実在しており、大宇宙意識という「純粋意識」の中に、大宇宙の全てが存在しているのです。

 絶対世界においては、大宇宙意識という「純粋意識」の中に、大宇宙の全て、大宇宙の過去・現在・未来の全てが、元々存在しています。
 
 未来とは、今これから創られていくものではなく、元々100パーセント確定して存在しているものなのです。

 例え、表面意識(顕在意識)では分からなくても、私たちは、意識の一番奥深くでは、未来が元々100パーセント確定しているということを、知っています。
 何故なら、私たち一人ひとりは、大宇宙の根本創造主(大宇宙意識)の分霊(わけみたま)であり、私たちの意識を一番奥深くまで遡ると、最終的には、大宇宙意識まで辿り着くことになるからです。
 私たちの意識の一番奥深くには、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識が内在しています。

 ですから、私たち一人ひとりは、意識の一番奥深い部分においては、死に至るまでの自分の人生の全てを知っているだけではなく、この大宇宙の全てを知っているとも言えるのです。

 そのことを想い出していく手助けとして、本書をご活用いただければ、これに勝る喜びはございません。

                              大和富士 

   目   次
 はじめに

大宇宙の真相
大宇宙における実相(本質)の世界と、仮相(仮の姿)の世界
絶対世界――大宇宙の実相(本質)の世界とは
相対世界――大宇宙の仮相(仮の姿)の世界とは
想像(そうぞう)=創造(そうぞう)
根本創造主が唯一行っているのは、「想像=創造(そうぞう)」という仕事
大宇宙=無限
大宇宙の本質の世界(絶対世界)には、時間も空間も存在しない
全ては、根本創造主(大宇宙意識)の顕れ
大宇宙の森羅万象を貫く根源的エネルギーは一つ
大宇宙意識の見えざる糸(意図(いと))
全ては大宇宙の計画の中
全ては必然、一切偶然なし
この大宇宙に本当に実在しているのは、根本創造主(大宇宙意識)だけ
大宇宙意識を映し出す「鏡」――物理的大宇宙は「映(うつ)し世」
大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」の喜びを体験する為の世界
物理的大宇宙は、仮相(仮の姿)の世界であり、幻の世界
物理的大宇宙は、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界
物理的大宇宙の全ては、根本創造主(大宇宙意識)の光の中
全ては、「大宇宙意識の戯れ(リーラ)」
全ては、根本創造主(大宇宙意識)の弥栄
一切無、一切幻
大宇宙の全ては完
大宇宙の森羅万象の全てが、本来無事象
大宇宙意識とは、神や仏という概念を遥かに超えたスーパーな存在
大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙意識により営まれている


時間は幻想
時間は幻想
永遠(とわ)の中今
永遠とは
無始の過去、無終の未来
「時」には、始まりも無ければ終わりも無い
大宇宙の根本創造主(大宇宙意識)は、不生不滅の実在
大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無い
大宇宙の全てが、元々存在している
絶対世界の「時」と、相対世界(物理的大宇宙)の時間
時空を超越した絶対世界と、「時間と空間」から成る物理的大宇宙
大宇宙の過去・現在・未来の全てが、今、同時に存在している
大宇宙の全ての時空が、今、同時に存在している
ありとあらゆる全てのものが、元々存在している
「想像=創造(そうぞう)」し得る限りの全てのものが、元々存在している
大宇宙は、元々完成している
大宇宙そのものが、完璧なスーパーコンピューター
ここは、緑美しき懐かしき地球(追想の中)
大宇宙は元々完成しているから、未来は100パーセント確定している

未来は100パーセント確定している
未来は100パーセント確定している
未来からやって来る時間(時間の流れは、未来→現在→過去)
原因があって結果があると言うより、原因は結果によって選ばれている
白紙の未来がある訳ではない
未来は変えられるという幻想――未来は変えられない
未来は、これから創られて行くのではなく、ここが既に未来とも言える
ここは、「追想の中」での「追体験」
大宇宙意識と本源の我
大宇宙意識の操り人形
真の意味において、自由意志というものは存在していない
「もし、あの時・・・」という仮定は、存在していない
ただ、そうなっていたから、そうなって行くだけ
「想いは実現する」、「思考は現実化する」とは
自分の人生の主体者・創造者は、本源の我、真我である我が魂
魂の記憶を蘇らせる
心と感じるままに、生きてみる
生きるとは、創造すること
明日を感じて今日を生きる
未来の記憶を蘇らせる

おわりに

   おわりに

 未来は100パーセント確定しているということを、ご理解いただけたでしょうか?

 例え、表面意識(顕在意識)では理解出来なくても、私たちは、意識の一番奥深くでは、未来が100パーセント確定しているということを、知っています。
 何故なら、私たちの意識の一番奥深くには、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識が内在しているからです。

 未来は100パーセント確定しており、未来を変えることは出来ないということに対して、自分には自由が無いと感じた方も多いかも知れません。

 しかし、逆説的ですが、自分には自由意志など本当は無いのだと分かった時初めて、人は自由になることが出来るのです。

 自分という存在は、大宇宙における一つの役割として存在しており、自分の役割の外へは一歩も出ることは出来ないのだと分かった時初めて、自分の役割を楽しもう、自分の役割を思い切り演じよう、自分の役割を全うしようという覚悟が生まれ、心の自由を得られるようになるのです。

 大宇宙における自分の役割とは、自分の人生の主体者・創造者であり、本源の我、真我である、我が魂が望んだものなので、自分にとって、ピッタリな役割なのです。

 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体・根本創造主である、大宇宙意識だけなのです。
 物理的大宇宙の全ては、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である大宇宙意識が、自らが持つ「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を体験して味わう為の「映(うつ)し世」であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界なのです。
 大宇宙意識の全知全能の光が織り成す、バーチャルリアリティー(仮想現実)の幻なのです。

 真我である魂は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)として、大宇宙に無数に存在する「支店=視点(してん)」の中の一つを受け持って、ある一つの角度・視点(してん)から、この大宇宙を映し出し、体験して味わっている支店(してん)の中の一つなのです。

 この大宇宙に二つと同じものが無い、ある一つの角度・視点(してん)から、幻の世であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界である、この大宇宙の「無限」の輝き、「無限」の美しさ、「無限」の面白さ、かけがえのなさ、言わば、「無限」性というものを、体験して味わっている支店(してん)の中の一つなのです。

 真我である魂にとっては、体験こそが喜びであり、財産であると言えます。

 自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である、我が魂です。
 自分の人生の全ては、真我である魂が、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」したものなので、魂の進化にとって最善の出来事の連続なのです。

 真我である我が魂は、死に至るまでの自分の未来を、既に知り尽くしています。
 そして、死に至るまでの自分の未来の全ては、魂の進化にとって最善の出来事の連続であり、高い目的に叶ったものなので、自分自身にとって、決して悪いようにはなっていないのです。

 魂のさらなる輝きを求めて、光り輝く魂になることを夢見て、魂の進化の為に、この人生の全てを「想像=創造(そうぞう)」した、我が魂の夢を想い出すことが大切になります。

 そして、大宇宙意識の全知全能の光が織り成す幻の世であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界である、この大宇宙の「無限」の輝き、「無限」の美しさ、「無限」の面白さ、かけがえのなさ、言わば、「無限」性というものを体験して味わいながら、生きるという創造の旅を楽しんで行くことが大切になります。

 西暦2014年(平成26年)8月吉日              
                              大和富士

新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」の後書き(おわりに)を、ご紹介致します!

新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」の後書き(おわりに)を、ご紹介させていただきます。

  おわりに

 未来は100パーセント確定しているということを、ご理解いただけたでしょうか?

 例え、表面意識(顕在意識)では理解出来なくても、私たちは、意識の一番奥深くでは、未来が100パーセント確定しているということを、知っています。
 何故なら、私たちの意識の一番奥深くには、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識が内在しているからです。

 未来は100パーセント確定しており、未来を変えることは出来ないということに対して、自分には自由が無いと感じた方も多いかも知れません。

 しかし、逆説的ですが、自分には自由意志など本当は無いのだと分かった時初めて、人は自由になることが出来るのです。

 自分という存在は、大宇宙における一つの役割として存在しており、自分の役割の外へは一歩も出ることは出来ないのだと分かった時初めて、自分の役割を楽しもう、自分の役割を思い切り演じよう、自分の役割を全うしようという覚悟が生まれ、心の自由を得られるようになるのです。

 大宇宙における自分の役割とは、自分の人生の主体者・創造者であり、本源の我、真我である、我が魂が望んだものなので、自分にとって、ピッタリな役割なのです。

 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体・根本創造主である、大宇宙意識だけなのです。
 物理的大宇宙の全ては、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である大宇宙意識が、自らが持つ「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を体験して味わう為の「映(うつ)し世」であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界なのです。
 大宇宙意識の全知全能の光が織り成す、バーチャルリアリティー(仮想現実)の幻なのです。

 真我である魂は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)として、大宇宙に無数に存在する「支店=視点(してん)」の中の一つを受け持って、ある一つの角度・視点(してん)から、この大宇宙を映し出し、体験して味わっている支店(してん)の中の一つなのです。

 この大宇宙に二つと同じものが無い、ある一つの角度・視点(してん)から、幻の世であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界である、この大宇宙の「無限」の輝き、「無限」の美しさ、「無限」の面白さ、かけがえのなさ、言わば、「無限」性というものを、体験して味わっている支店(してん)の中の一つなのです。

 真我である魂にとっては、体験こそが喜びであり、財産であると言えます。

 自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である、我が魂です。
 自分の人生の全ては、真我である魂が、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」したものなので、魂の進化にとって最善の出来事の連続なのです。

 真我である我が魂は、死に至るまでの自分の未来を、既に知り尽くしています。
 そして、死に至るまでの自分の未来の全ては、魂の進化にとって最善の出来事の連続であり、高い目的に叶ったものなので、自分自身にとって、決して悪いようにはなっていないのです。

 魂のさらなる輝きを求めて、光り輝く魂になることを夢見て、魂の進化の為に、この人生の全てを「想像=創造(そうぞう)」した、我が魂の夢を想い出すことが大切になります。

 そして、大宇宙意識の全知全能の光が織り成す幻の世であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界である、この大宇宙の「無限」の輝き、「無限」の美しさ、「無限」の面白さ、かけがえのなさ、言わば、「無限」性というものを体験して味わいながら、生きるという創造の旅を楽しんで行くことが大切になります。

 西暦2014年(平成26年)8月吉日              
                                大和富士

新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」の前書き(はじめに)を、ご紹介致します!

2014年10月に出版される、新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」の前書き(はじめに)を、ご紹介させていただきます。

  「何故、未来は100パーセント確定しているのか」
    白紙の未来がある訳ではなく
   未来は100パーセント確定しています

はじめに

 自分の未来は、決まっているのでしょうか?
 そして、人類の未来、地球という星の未来は決まっているのでしょうか?
 さらには、大宇宙の未来は決まっているのでしょうか?

 未来というものは、既に確定しているものなのか、それとも、未来は完全に白紙なのでしょうか?

 心の奥深くで、常に知りたかったことだと思います。

 結論から先に申しますと、未来は既に決まっており、未来は100パーセント確定しています。
 未来は100パーセント確定していますので、白紙の未来がある訳ではありません。

 未来が100パーセント確定していることは、知識や学問などによっては知る由もなく、体験的に知る他無いので、ある種の「神我一如」、あるいは「梵我一如」とでも言うべき体験が必要になります。

 この大宇宙の本質というものを、体験的に知らない限りは、未来が100パーセント確定しているということを、決して理解出来ないと思います。

 この大宇宙の本質というものを、体験的に知ることが出来ると、時間は幻想であること、そして、この大宇宙には、根本創造主(大宇宙意識)という唯一の存在しか実在していないことを知ることになり、未来が100パーセント確定しているということを、確信することが出来るようになります。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界においては、時間というものは存在しておらず、ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。
「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。

 絶対世界に唯一実在しているのは、大宇宙の根本創造主の「純粋意識」のみです。
 本書においては、大宇宙意識と呼んでいます。
 大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
 物理的大宇宙(現象界)の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識とは、不生不滅の実在であり、誕生するということも無ければ、消滅するということも無く、「永遠(えいえん)の今」に実在しています。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界においては、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識のみが実在しており、大宇宙意識という「純粋意識」の中に、大宇宙の全てが存在しているのです。

 絶対世界においては、大宇宙意識という「純粋意識」の中に、大宇宙の全て、大宇宙の過去・現在・未来の全てが、元々存在しています。
 
 未来とは、今これから創られていくものではなく、元々100パーセント確定して存在しているものなのです。

 例え、表面意識(顕在意識)では分からなくても、私たちは、意識の一番奥深くでは、未来が元々100パーセント確定しているということを、知っています。
 何故なら、私たち一人ひとりは、大宇宙の根本創造主(大宇宙意識)の分霊(わけみたま)であり、私たちの意識を一番奥深くまで遡ると、最終的には、大宇宙意識まで辿り着くことになるからです。
 私たちの意識の一番奥深くには、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識が内在しています。

 ですから、私たち一人ひとりは、意識の一番奥深い部分においては、死に至るまでの自分の人生の全てを知っているだけではなく、この大宇宙の全てを知っているとも言えるのです。

 そのことを想い出していく手助けとして、本書をご活用いただければ、これに勝る喜びはございません。

                               大和富士 

この現象界(物理的大宇宙)は、絶対世界(大宇宙の本質の世界)の「映(うつ)し世」

 現世のことを、「うつしよ」と呼ぶことがあります。

 一般的には、「うつし世」、「現し世」、あるいは「顕し世」と書き表されており、移り変わる、儚(はかな)い現世に対して用いられることが多いようです。

 神道においては、「現世」と書いて、古語においては、「うつしよ」と呼んだようです。

 この現世、現実世界のことが、「うつしよ」と呼ばれることには、なかなか奥深いものがあるように思います。

 実は、この物理的大宇宙(現象界)とは、大宇宙の仮相(仮の姿)の世界であり、大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界の「映(うつ)し世」として存在している世界だからです。

 この大宇宙は、絶対世界と相対世界から成り立っています。

 絶対世界とは、大宇宙の実相(本質)の世界であり、大宇宙の全てのエネルギーの源となる、根源の世界であり、そこは非物質な世界です。
 これに対して、相対世界とは、大宇宙の仮相(仮の姿)の世界であり、現象界としての物理的大宇宙は、相対世界に属しています。

 絶対世界とは、時間も無ければ空間も無い、時空を超越した非物質な世界であり、そこに唯一実在しているのは、大宇宙の根本創造主(大宇宙意識)の「純粋意識」のみです。

 大宇宙の根本主体であり、根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。

 物理的大宇宙(現象界)の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 相対世界である物理的大宇宙とは、絶対世界において大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージを、映し出して体験する為の「映(うつ)し世」として「創造(そうぞう)」されている世界なのです。

 相対世界である物理的大宇宙とは、絶対世界において大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージが「投影」された「映(うつ)し世」であり、「鏡」の世界であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)の幻の世界なのです。
 大宇宙意識の全知全能の光によって織り成されている、バーチャルリアリティー(仮想現実)の幻の世界なのです。

「純粋意識」である大宇宙意識は、自らの「意識」の中を映し出して体験する場としての現象界(物理的大宇宙)を必要とします。

 絶対世界と相対世界は、表裏一体、密接不可分の関係として、同時に存在しています。

この大宇宙に本当に実在しているのは、根本創造主(大宇宙意識)だけであるということと、未来は100パーセント確定しているということとは、本質的に、同じこと

 今月発売の新著「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」に続き、来月10月には、さらにもう一冊の新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」が、出版されます!

「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」と、「何故、未来は100パーセント確定しているのか」は、ある意味において、姉妹書とも言える内容になっており、この大宇宙についての、最も本質的な、根源的な内容の書になっていますので、両書を併せてお読みいただくことを、強くお勧め致します!

 この大宇宙に本当に実在しているのは、根本創造主(大宇宙意識)だけであるということと、未来は100パーセント確定しているということとは、本質的に、同じことなのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界においては、時間というものは存在しておらず、ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
 大宇宙の根本主体であり、根本創造主である大宇宙意識は、不生不滅の実在であり、誕生するということも無ければ、消滅するということも無く、「永遠(えいえん)の今」に実在しています。

 大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
 物理的大宇宙(相対世界)の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界においては、ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識だけが実在しており、大宇宙意識という「純粋意識」の中に、大宇宙の全てが存在しているのです。

 絶対世界においては、大宇宙の全て、大宇宙の過去・現在・未来の全ては、元々存在しているのです。

 未来とは、今これから創られていくものではなく、元々存在しているものであり、既に100パーセント確定しているものなのです。

新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」が、2014年10月に出版されます!

9月15日発売の新著「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」に続き、さらにもう一冊、新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」が、2014年10月に出版されます!

「何故、未来は100パーセント確定しているのか」と、「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」は、ある意味において、姉妹書とも言える内容になっています。

ぜひ、新著「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」と、新著「何故、未来は100パーセント確定しているのか」の二冊を、併せてお読みいただくことを、強くお勧め致します!

全国の書店での発売に先立ち、書籍が完成し次第、当ホームページにて先行販売を開始致します。
詳細につきましては、後日改めてお知らせ致しますので、どうぞお楽しみに!

   「何故、未来は100パーセント確定しているのか」  
         白紙の未来がある訳ではなく
      未来は100パーセント確定しています

   目  次
 はじめに

大宇宙の真相
   大宇宙における実相(本質)の世界と、仮相(仮の姿)の世界
  絶対世界――大宇宙の実相(本質)の世界とは
  相対世界――大宇宙の仮相(仮の姿)の世界とは
  想像(そうぞう)=創造(そうぞう)
  根本創造主が唯一行っているのは、「想像=創造(そうぞう)」という仕事
  大宇宙=無限
  大宇宙の本質の世界(絶対世界)には、時間も空間も存在しない
  全ては、根本創造主(大宇宙意識)の顕れ
  大宇宙の森羅万象を貫く根源的エネルギーは一つ
  大宇宙意識の見えざる糸(意図(いと))
  全ては大宇宙の計画の中
  全ては必然、一切偶然なし
  この大宇宙に本当に実在しているのは、根本創造主(大宇宙意識)だけ
  大宇宙意識を映し出す「鏡」――物理的大宇宙は「映(うつ)し世」
  大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」の喜びを体験する為の世界
  物理的大宇宙は、仮相(仮の姿)の世界であり、幻の世界
  物理的大宇宙は、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界
  物理的大宇宙の全ては、根本創造主(大宇宙意識)の光の中
  全ては、「大宇宙意識の戯れ(リーラ)」
  全ては、根本創造主(大宇宙意識)の弥栄
  一切無、一切幻
  大宇宙の全ては完
  大宇宙の森羅万象の全てが、本来無事象
  大宇宙意識とは、神や仏という概念を遥かに超えたスーパーな存在
  大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙意識により営まれている

時間は幻想
   時間は幻想
  永遠(とわ)の中今
  永遠とは
  無始の過去、無終の未来
  「時」には、始まりも無ければ終わりも無い
  大宇宙の根本創造主(大宇宙意識)は、不生不滅の実在
  大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無い
  大宇宙の全てが、元々存在している
  絶対世界の「時」と、相対世界(物理的大宇宙)の時間
  時空を超越した絶対世界と、「時間と空間」から成る物理的大宇宙
  大宇宙の過去・現在・未来の全てが、今、同時に存在している
  大宇宙の全ての時空が、今、同時に存在している
  ありとあらゆる全てのものが、元々存在している
  「想像=創造(そうぞう)」し得る限りの全てのものが、元々存在している
  大宇宙は、元々完成している
  大宇宙そのものが、完璧なスーパーコンピューター
  ここは、緑美しき懐かしき地球(追想の中)
  大宇宙は元々完成しているから、未来は100パーセント確定している

未来は100パーセント確定している
  未来は100パーセント確定している
  未来からやって来る時間(時間の流れは、未来→現在→過去)
  原因があって結果があると言うより、原因は結果によって選ばれている
  白紙の未来がある訳ではない
  未来は変えられるという幻想――未来は変えられない
  未来は、これから創られて行くのではなく、ここが既に未来とも言える
  ここは、「追想の中」での「追体験」
  大宇宙意識と本源の我
  大宇宙意識の操り人形
  真の意味において、自由意志というものは存在していない
  「もし、あの時・・・」という仮定は、存在していない
  ただ、そうなっていたから、そうなって行くだけ
  「想いは実現する」、「思考は現実化する」とは
  自分の人生の主体者・創造者は、本源の我、真我である我が魂
  魂の記憶を蘇らせる
  心と感じるままに、生きてみる
  生きるとは、創造すること
  明日を感じて今日を生きる
  未来の記憶を蘇らせる

おわりに

人類の意識がどんなに進化しても無くならない宗教とは――「無限」の宗教

 この二一世紀において、私たち人類の意識は飛躍的進化を遂げ、さなぎから蝶へと生まれ変わり、新たな地球が誕生することになります。

 私たち人類の意識が飛躍的に進化するに伴い、既存の宗教の多くは、その存在意義を失い、次第に役割を終えていくことになるでしょう。

 しかし、私たち人類の意識がどんなに進化しても、決して無くならない宗教というものが、あります。

 それは、「無限」の宗教とでも呼ぶべきものであり、大宇宙そのものへの信仰なのです。
 この大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主に対する信仰なのです。

 物理的大宇宙に存在している全ての被創造物は、例えどんなに高次元の存在であったとしても、究極的な信仰というものを持っています。
 この物理的大宇宙において、決して無くなることの無い、究極的な宗教とは、「無限」の宗教なのです。

 大宇宙そのものへの信仰であり、大宇宙そのもののことを、「無限」と表現するならば、「無限」への信仰であり、「無限」の宗教とでも呼ぶべき宗教なのです。

 この大宇宙の根本主体・根本創造主に創造され、大宇宙に生かされている存在は皆、例え如何なる存在であったとしても、この大宇宙そのものへの畏敬の念、感謝の念を持っており、例えどんなに進化したとしても、それが無くなることは無いからです。

 この大宇宙の根本主体・根本創造主に対する信仰、大宇宙そのものへの信仰、言わば、「無限」というものへの信仰というものは、決して無くなることはありません。

 以前「無限の宗教――絶対の宗教、永遠の宗教」の中で書きましたが、「無限」の宗教とは、絶対の宗教であり、永遠の宗教なのです。

 実は、世界の主な宗教の中で、神や仏と表現されている存在たちが持っている、唯一の信仰が、「無限」の宗教なのです。

「世界の主な宗教の源は一つ」の中で書きましたが、世界の主な宗教の源は一つであり、「地球神界」とでも呼ぶべき、地球の全生命を直接創造した存在たちの世界が、その起源となっています。
 聖書においては、「神」と訳されています。

 しかし、旧約聖書の「創世記」に、「神は御自分にかたどって人を創造された。」と書かれている通り、地球の全生命を直接創造した存在たちと私たち人間は似ており、私たち人間と同じように、姿・形を持った存在たちなのです。
 無形の超自然の神が、地球の全生命を直接創造した訳ではなく、地球の全生命を直接創造したのは、あくまでも、私たち人間と同じように、姿・形や名前を持った存在たちなのです。

 世界の主な宗教において、神や仏として表現されている存在たちというのは、あくまでも、姿・形や名前を持った存在たちであり、この大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識とは違います。

「神や仏という概念を超えて」の中で書きましたが、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。

 世界の主な宗教において、神や仏として表現されている存在たちも、あくまでも、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識によって「想像=創造(そうぞう)」され、生かされている存在なので、根本創造主(大宇宙意識)への信仰を持っており、「無限」の宗教を持っているのです。

「無限」の宗教、それは、絶対の宗教であり、永遠の宗教です。
 将来、私たち人類が、宇宙レベルの意識状態に到達した時、全ての人々が、「無限」の宗教を信仰するようになるでしょう。

神や仏という概念を超えて

 この大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、神や仏という概念を遥かに超えた、もっとスーパーな存在です。

 この大宇宙の唯一の実在である大宇宙意識とは、私たち人間が、神や仏という言葉からイメージするような概念を遥かに超えた、もっとスーパーな存在なのです。

 神や仏という言葉には、私たち人間が抱くイメージが多分に入っており、多少なりとも人間味を帯びた存在となっています。
 仏像などの多くは、慈悲深い表情で創られており、中には、不動明王のように憤怒の相の仏像などもあります。
 神話などには、神の怒りや、神の嫉妬などが記されており、人間味を帯びた一面が記されています。
 また、仏像や宗教画などにおいても、私たち人間と同じような姿・形で、神や仏を表現しています。

 しかし、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、そのような、人間味を帯びた存在などでは全くありません。
 大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
 物理的大宇宙(現象界)の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 大宇宙の根本創造主とは、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋なる意識そのもの」なので、根本創造主には、姿・形などありませんし、もちろん、名前などありません。
 私は、便宜上、大宇宙意識と呼んでいます。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界とは、非物質な世界であり、そこに唯一実在しているのは、大宇宙の根本創造主の「純粋意識」だけなのです。

 大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識と、宗教的世界観における神や仏とは、違います。

 以前、「世界の主な宗教の源は一つ」の中で書きましたが、世界の主な宗教の源は一つであり、「地球神界」とでも呼ぶべき、地球の全生命を直接創造した存在たちの世界が、その起源となっています。
 聖書においては、「神」と訳されています。

 しかし、旧約聖書の「創世記」に、「神は御自分にかたどって人を創造された。」と書かれている通り、地球の全生命を直接創造したのは、私たち人間と同じように、姿・形を持った存在たちなのです。
 無形の超自然の神が地球の全生命を直接創造した訳ではなく、地球の全生命を直接創造したのは、あくまでも、私たち人間と同じように、姿・形や名前を持った存在たちなのです。

 ですから、宗教的世界観の中では、神や仏というものが、私たち人間と同じような姿・形で表現されており、感情を持った人間味を帯びた存在としてイメージされていることには、それなりの理由・背景があるのですが、宗教における神や仏という概念と、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、分けて考える必要があります。

 愛や慈悲の心で、私たち個人の願い事を聞き入れてくれる神や仏、あるいは、愛や慈悲の心で、私たち人類を救済してくれる神や仏、そのような概念を遥かに超えた、もっとスーパーな存在が、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識なのです。

 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識だけなのです。
 大宇宙の根本創造主(大宇宙意識)とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。
 物理的大宇宙(現象界)の全ては、根本創造主(大宇宙意識)が「想像=創造(そうぞう)」したものであり、全ては、「根本創造主(大宇宙意識)の顕れ」なのです。

 まずは、このことを理解する必要があります。

新著「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」の内容を、ご紹介致します!

新著「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」の内容を、ご紹介致します!
「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」表紙カバー.jpg         四六判  270ページ
         価 格  本体1400円+税
         発 行  表現社(表現社図書)

   はじめに
 この大宇宙には、たった一つの存在しか実在していません。
 この大宇宙に、本当に実在しているのは、たった一つの存在なのです。

 それは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主という存在なのです。
 本書においては、便宜上、大宇宙意識と呼んでいます。

 物理的大宇宙の全ては、根本創造主である大宇宙意識によって「想像=創造(そうぞう)」された世界であり、全てが大宇宙意識の光の中にあり、そこに存在している全てのものは、大宇宙意識の顕れに他なりません。

 この大宇宙の森羅万象の全ては、根本創造主である大宇宙意識によって繰り広げられている壮大なゲームであり、全ては「大宇宙意識の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。

 物理的大宇宙の全ては、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である大宇宙意識が、自らが持つ「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を体験して味わう為の「映(うつ)し世」であり、「鏡」の世界なので、言わば、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、幻の世界なのです。

 これを知ることが、本質的に最も大切なことであり、このことが理解出来て初めて、自分という存在は何なのか、自分は何故今ここに存在して生きているのか、自分が映す現実世界とは何なのか、という謎も解けてきます。

 ただ、この大宇宙に本当に実在しているのは、唯一、根本創造主である大宇宙意識のみであることは、知識や学問などによっては知る由も無く、体験的に知る他無いので、ある種の「神我一如」、あるいは「梵我一如」とでも言うべき体験が必要になります。

 しかし、体験的に知らなくても、私たち人間一人ひとりは、大宇宙意識の分霊(わけみたま)なので、私たち一人ひとりの「意識」を一番奥深くまで遡れば、最終的には、根本創造主である大宇宙意識まで辿り着くことになります。

 ですから、私たち人間一人ひとりは、「意識」の一番奥深い部分においては、この大宇宙の全てを知っているとも言えるのです。

 唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主(大宇宙意識)とは、宇宙空間の何処か彼方に存在しているのではありません。
 大宇宙の根本主体である大宇宙意識とは、全知全能の「純粋意識」として存在しており、それは、私たち一人ひとりの「意識」の一番奥深くに内在しているものなのです。

 そのことを想い出していく手助けとして、本書をご活用頂ければ、これに勝る喜びはございません。
                                                             大和富士  

   目   次
はじめに
 
根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在
  根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在
  絶対世界と相対世界
  絶対世界とは
  根本創造主(大宇宙意識)とは、全知全能の「純粋意識」
  想像(そうぞう)=創造(そうぞう)
  根本創造主が唯一行っているのは、「想像=創造(そうぞう)」という仕事
  相対世界とは、絶対世界を映し出して体験する為の「映(うつ)し世」
  全ては、根本創造主(大宇宙意識)の顕れ
  物理的大宇宙(相対世界)は、仮相(仮の姿)の世界
  物理的大宇宙は、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界
  物理的大宇宙の全ては、根本創造主(大宇宙意識)の光の中
  全ては、「大宇宙意識の戯れ(リーラ)」
  根本創造主(大宇宙意識)の孤独
  全ては、根本創造主(大宇宙意識)の弥栄
  一切無、一切幻
  大宇宙の全ては完
  大宇宙の森羅万象の全てが、本来無事象
  宇宙的な観点の中では、善悪は存在していない
  多様性こそが大宇宙の豊かさ
  大宇宙=無限
  「あり得ない」ということこそ「あり得ない」――あらゆることがあり得る
  神についての二つの概念
  「意識」の一番奥深くに内在している根本創造主(大宇宙意識)

永遠(とわ)の中今
  永遠(とわ)の中今
  永遠とは
  大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無い
  大宇宙の森羅万象を貫く一つの力学(法則)
  大宇宙意識の見えざる糸(意図)
  全ては大宇宙の計画の中
  全ては必然、一切偶然なし
  過去も未来も、今、同時に存在している
  未来からやって来る時間
  未来は一〇〇パーセント確定している
  大宇宙の過去と未来の全てが、元々存在している
  大宇宙の全ての時空が、元々存在している
  ありとあらゆる全てのものが、元々存在している
  「想像=創造(そうぞう)」し得る限りの全てのものが元々存在している
  大宇宙の全ては、元々完成している
  大宇宙そのものが、完璧なスーパーコンピューター
  ここは、緑美しき懐かしき地球(追想の中)

大宇宙意識と本源の我
  大宇宙意識と本源の我
  「意識」の中に大宇宙がある
  大宇宙の中に「意識」があるのではなく、「意識」の中に大宇宙がある
  物質世界を「想像=創造(そうぞう)」している源は、「意識」
  「意識」というものは、それを映し出す「鏡」が必要
  ここは「意識」の海の中
  一人ひとりが自分の宇宙(世界)の創造主
  現実世界とは
  自分一人の世界
  全てが主観の世界
  自分が変われば世界が変わる
  心が美しくなれば、現実世界は美しく輝く
  生きる目的
  今ここに自分が存在している理由
  今ここに存在している自分は、アバターにしか過ぎない
  魂を自分の肉体の外に想像
  多次元に生きる、本源の我
  永遠の旅をしている我が魂の夢
  魂にとっては、体験こそが喜びであり財産
  魂の進化
  魂の願い
  心を創り、心を失い、思いを創り、思いを失う
  魂の進化の場として与えられた運動場
  魂の進化としての道の最短距離
  魂の夢
  今を良しとする力、全てを完として捉える力
  どれだけの「意識」を創れたかが大切
  自分を解放するプログラム
  自分の唯一のプログラム
  本当は誰もいない――ただ大宇宙がある
  全ては我が魂の計画の中
  魂の記憶を蘇らせる
  魂の記憶が蘇ると、人生の全てが、予定通りだったことを想い出す
  人生は一〇〇パーセント決まっている
  大宇宙意識の操り人形
  「想いは実現する」とは
  ここは「追想の中」
  自分の中に全ての答えがある
  明日を感じて今日を生きる
  心と感じるままに、生きてみる
  生きるとは、創造すること
  今、目の前にある道が、黄金の道
  現実という空間全てに、常に、遊びという学びが用意されている
  空間を最高の友として遊ぶ
  豊かなる心の位置で、豊かなる世界が現れてくる
  魂の夢、光り輝く魂
  幻の世と知って生きることに、生命の輝きを見る
  自分の中に内在している、大宇宙意識の想いを感じて生きる

 おわりに

   おわりに
 この大宇宙は、「意識」というものによって成り立っています。
 この大宇宙を「想像=創造(そうぞう)」している源は、「意識」というものなのです。

 大宇宙の中に「意識」があるのではなく、「意識」の中に大宇宙があるのです。

 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識という、一つの「純粋意識」だけなのです。
 現象界である物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識の顕れに他なりません。

 本源の我であり、真我である、我が魂は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、大宇宙に無数に存在する「支店=視点(してん)」の中の一つとして、ある一つの角度・視点(してん)から、この大宇宙を映し出し、体験して味わっている支店(してん)の中の一つなのです。
 
 自分が見ている物理的大宇宙(現実世界)の全ては、自分自身の「意識」の中にあるものなのです。

 そして、自分の「意識」の一番奥深くには、大宇宙の根本主体である大宇宙意識が内在しています。
 ですから、自分の中には、この大宇宙の全てがあるのです。

 自分の「意識」の中にある、「無限」の大宇宙を感じて生きることが大切になります。
 自分の中に内在している、大宇宙意識の想いを感じて生きることが大切になります。

 西暦二〇一四年(平成二六年)四月吉日              大和富士


新著「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」の前書き(はじめに)を、ご紹介させていただきます

新著「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」の前書き(はじめに)を、ご紹介させていただきます。


 はじめに

 この大宇宙には、たった一つの存在しか実在していません。
 この大宇宙に、本当に実在しているのは、たった一つの存在なのです。

 それは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主という存在なのです。
 本書においては、便宜上、大宇宙意識と呼んでいます。

 物理的大宇宙の全ては、根本創造主である大宇宙意識によって「想像=創造(そうぞう)」された世界であり、全てが大宇宙意識の光の中にあり、そこに存在している全てのものは、大宇宙意識の顕れに他なりません。

 この大宇宙の森羅万象の全ては、根本創造主である大宇宙意識によって繰り広げられている壮大なゲームであり、全ては「大宇宙意識の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。

 物理的大宇宙の全ては、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である大宇宙意識が、自らが持つ「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を体験して味わう為の「映(うつ)し世」であり、「鏡」の世界なので、言わば、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、幻の世界なのです。

 これを知ることが、本質的に最も大切なことであり、このことが理解出来て初めて、自分という存在は何なのか、自分は何故今ここに存在して生きているのか、自分が映す現実世界とは何なのか、という謎も解けてきます。

 ただ、この大宇宙に本当に実在しているのは、唯一、根本創造主である大宇宙意識のみであることは、知識や学問などによっては知る由も無く、体験的に知る他無いので、ある種の「神我一如」、あるいは「梵我一如」とでも言うべき体験が必要になります。

 しかし、体験的に知らなくても、私たち人間一人ひとりは、大宇宙意識の分霊(わけみたま)なので、私たち一人ひとりの「意識」を一番奥深くまで遡れば、最終的には、根本創造主である大宇宙意識まで辿り着くことになります。

 ですから、私たち人間一人ひとりは、「意識」の一番奥深い部分においては、この大宇宙の全てを知っているとも言えるのです。

 唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主(大宇宙意識)とは、宇宙空間の何処か彼方に存在しているのではありません。
 大宇宙の根本主体である大宇宙意識とは、全知全能の「純粋意識」として存在しており、それは、私たち一人ひとりの「意識」の一番奥深くに内在しているものなのです。

 そのことを想い出していく手助けとして、本書をご活用頂ければ、これに勝る喜びはございません。

                             大和富士  

大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、次元というものは存在していない

 この大宇宙は、絶対世界と相対世界から成り立っています。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界とは、時間も無ければ空間も無く、時空を超越した根源の世界なので、そこには次元というものは存在していません。

 一方、大宇宙の仮相(仮の姿)の世界である相対世界(物理的大宇宙)とは、「時間と空間」という座標軸から成り立っている世界なので、そこにおいては、次元と呼ばれるものが存在しています。

 よく、宇宙は何次元まである、というようなことが、言われたりしています。
 超弦理論(超ひも理論)では、宇宙は10次元、あるいは11次元まであるとか、宇宙の創造主のレベルは、何十次元であるとか・・・・。

 しかし、次元と呼ばれるものは、あくまでも、相対世界である物理的大宇宙にだけ存在しているのであり、大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、次元というものは、存在していません。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界に唯一実在しているのは、大宇宙の根本創造主の「純粋意識」のみです。
 私は、便宜上、大宇宙意識と名付けています。

 大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。

 絶対世界においては、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識という「純粋意識」だけが実在しています。

 一方、絶対世界の「映(うつ)し世」であり、「鏡」の世界である相対世界(物理的大宇宙)は、「時間と空間」という座標軸から成り立っている世界なので、そこにおいては、次元と呼ばれるものが存在しています。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界とは、時間も無ければ空間も無く、時空を超越した根源の世界なので、絶対世界においては、次元というものは、存在していないのです。

大宇宙意識の見えざる糸(意図)

 「意図(いと)」と「糸(いと)」は、どちらも「いと」という同じ言霊を持っています。

 大宇宙の森羅万象の全ては、大宇宙意識により営まれていますので、森羅万象の全てには、必ず、大宇宙意識の見えざる糸(意図)が働いています。
 大宇宙の森羅万象の全ては、ある一つの力学、あるいは法則の元、大宇宙意識の見えざる糸(意図)により営まれているのです。

 私たち人間は元より、動物も植物も鉱物も、地球や太陽・月・星も、果ては銀河や大銀河団に至るまで、大宇宙意識により創造された全ての被創造物は、それ自らの力で動いている訳ではなく、大宇宙意識が持つ根源的エネルギーにより動かされているだけなので、そこには必ず、大宇宙意識の見えざる糸(意図)が働いているのです。

 ですから、自分で何かを考えて行動したと思っていても、自分自身の力でそれを行っている訳ではなく、大宇宙意識の見えざる糸(意図)により動かされているだけであり、見えざる糸(意図)で操られているだけなのです。

 自分自身のことはもちろん、小さな蟻一匹の動きや、一枚の木の葉が地に舞い落ちる動きから、果ては銀河レベルの動きに至るまで、大宇宙の森羅万象の全ては、大宇宙意識の見えざる糸(意図)により動かされているのです。

 この大宇宙に本当に実在しているのは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である大宇宙意識のみなので、大宇宙の森羅万象の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものであり、全てに大宇宙意識の見えざる糸(意図)が働いているのです。

書籍「魂の夢、光り輝く魂」が、本日5月15日、発売日を迎えました!

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四六版  245ページ

価 格  本体価格1700円+税

発 売  星 雲 社

書籍「魂の夢、光り輝く魂」が、本日5月15日、発売日を迎えました!
既に、全国の書店並びにアマゾン等のオンライン書店でも、販売が開始されています。

書籍「魂の夢、光り輝く魂」は、21世紀の新しい世界観「開眼世界観」に基づき、自分の人生の主体者・創造者であり、本源の我、真我である、我が魂の視点から、生きるということの本質について光を当てた書であり、生きるとは何かについて知る為の必読の書とも言える内容になっています。

ぜひ、本書をお読みいただき、魂の蘇り、魂の出産、魂の春を迎える為の一助にしていただければ、これに勝る喜びはございません。

書籍の内容につきましては、「書籍のページ」をご参照下さい。

書籍「魂の夢、光り輝く魂」は、電子書籍でもご購読いただけます!
電子書籍には、EPUB方式(Amazon Kindle、楽天KOBO、紀伊国屋書店Kinoppyなど)とXMDF方式(GALAPAGOS STORE、ドコモ dマーケット BOOKストアなど)の2種類がありますが、両方に対応しておりますので、ほとんどの主な電子書店にてご購読が可能となります!

電子書籍での配信開始は、5月下旬頃になる予定です。

書籍「魂の夢、光り輝く魂」の先行販売を開始致します!

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四六版  245ページ

価 格  本体価格1700円+税

発 売  星 雲 社

書籍「魂の夢、光り輝く魂」が完成致しました!
全国の書店並びにアマゾン等のオンライン書店での発売日5月15日に先駆けて、先行販売を開始致します!

書籍の内容につきましては、「書籍のページ」をご参照下さい。
ご注文は、「ご注文・ご予約ページ」からお願い致します。

書籍「魂の夢、光り輝く魂」は、電子書籍でもご購読いただけます!
電子書籍には、EPUB方式(Amazon Kindle、楽天KOBO、紀伊国屋書店Kinoppyなど)とXMDF方式(GALAPAGOS STORE、ドコモ dマーケット BOOKストアなど)の2種類がありますが、両方に対応しておりますので、ほとんどの主な電子書店にてご購読が可能となります!

電子書籍での配信開始は、5月下旬頃になる予定です。

書籍「魂の夢、光り輝く魂」の内容をご紹介致します!

2014年(平成26年)5月15日発売、書籍「魂の夢、光り輝く魂」の内容をご紹介致します!

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四六版  245ページ
価 格  1700円+税
発 売  星 雲 社
  書籍「魂の夢、光り輝く魂」は、電子書籍でもご購読頂けます!

電子書籍には、EPUB方式(Amazon Kindle、楽天KOBO、紀伊国屋書店Kinoppyなど)とXMDF方式(GALAPAGOS STORE、ドコモ dマーケット BOOKストアなど)の2種類がありますが、両方に対応しておりますので、主な電子書店にてご購読が可能となります!

はじめに

 生きるとは何か・・・。
 古今東西を問わず、全ての人々にとっての根源的な問いである、生きるとは何を意味するのでしょうか。

 生きるとは何かについて知る為には、まず、この大宇宙の本質について知る必要があります。
 そして、大宇宙と自分自身との関係を知る必要があります。
 そして、自分が映す現実世界とは何なのかについて知る必要があります。

 この三つの要点をきちんと把握しない限りは、生きるという事の本質は捉えられないと思います。

 この二一世紀において、私達人類の意識は飛躍的進化を遂げ、さなぎから蝶へと生まれ変わり、新たな地球が誕生する事になります。
 有史以来数千年の人類の古い世界観そのものが、新たな世界観へと入れ替わる時を迎えています。

 本書において、新たな世界観に基づき、生きるとは何かについて、考察してみたいと思います。

                             大和富士 


目  次
 はじめに

大 宇 宙
 絶対世界と相対世界
 根本創造主という唯一の実在
 全ては、神の顕れ
 想像(そうぞう)=創造(そうぞう)
 大宇宙=無限
 永遠(とわ)の中今
 永遠とは
 大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無い
 「あり得ない」という事こそ「あり得ない」―あらゆる事があり得る
 大宇宙の全ては、光の中
 物理的大宇宙は、仮相(仮の姿)の世界
 全ては、神の戯れ(リーラ)
 根本創造主の孤独
 絶対の静寂(しじま)ー絶対世界とは
 大宇宙の森羅万象の全てが、本来無事象
 一切無、一切幻
 大宇宙の全ては完
 全ては、大宇宙(神)の弥栄
 大宇宙の森羅万象を貫く一つの力学(法則)
 全ては、大宇宙の計画の中
 全ては必然、一切偶然なし
 未来からやって来る時間
 未来は、確定的に存在している
 大宇宙は、多重多次元構造
 大宇宙そのものが、完璧なスーパーコンピューター
 ここは、緑美しき懐かしき地球(追想の中)

新しい世界観
  大宇宙意識と本源の我
  意識の中に大宇宙がある
  一人一人が自分の宇宙(世界)の創造主
  現実世界とは
  自分一人の世界
  全てが主観の世界
  自分が変われば世界が変わる
  心が美しくなれば、現実世界は美しく輝く
  魂の進化
  魂の願い
  心を創り、心を失い、思いを創り、思いを失う
  魂の進化の場として与えられた運動場
  魂の夢
  今を良しとする力、全てを完として捉える力
  どれだけの意識を創れたかが大切
  自分を解放するプログラム
  自分の唯一のプログラム
  本当は誰もいないーただ大宇宙がある
  魂の進化としての道の最短距離
  全て幻、全て問題なし
  思い通りでないところが、全て思い通りだと気付く
  困る出来事あらず
  人のせい、社会のせいなど存在しない
  後悔するという思考を消滅へと向かわせる
  映る世に心を傾けない
  幸福なるもの形にあらず
  幸・不幸という概念を超える
  プラス思考を超える
  受ける難、全て福
  人生の悩み・苦しみの根底にあるもの その1
  人生の悩み・苦しみの根底にあるもの その2
  幻の世と知って生きる事に、生命の輝きを見る
  人は常に、自分が最も学び、成長し、進化出来る最善の場所にいる
  現実という空間全てに、常に、遊びという学びが用意されている
  宇宙はメッセージだらけ
  真のワンネスとは
  真(まこと)のみを映す鏡
  全ては愛のメッセージ
  生きるとは、創造する事
  全てを喜びに変える創造
  この世界は自分次第
  空間を最高の友として遊ぶ
  豊かなる心の位置で、豊かなる世界が現れてくる
  あらゆる否定を無くする
  この世にあるもの全てが御魂の肥やし
  肉体という衣について
  自分の両親を自ら選んで生まれて来ている
  多次元に生きる、本源の我
  魂を自分の肉体の外に想像
  今ここに生きる事が、常なるテーマ
  ここは「追想の中」
  明日を感じて今日を生きる
  自分の中に全ての答えがあるー内的な知り方と外的な知り方
  魂の記憶を蘇らせる
  魂の記憶が蘇ると、人生の全てが、予定通りだった事を想い出す
  全ては我が魂の計画
  生きているうれしさをやさしく感じる
  自分の肉体を超えた、自分の本質の光を想い出す
  人生の全ては輝きの中のものー内なる光は消える事なく私を照らす
  魂の夢、光り輝く魂

 おわりに

おわりに

 この二一世紀において、私達人類の意識は飛躍的進化を遂げ、さなぎから蝶へと生まれ変わり、新たな地球が誕生する事になります。
 
 それに伴い、私達人類の世界観そのものが、大きく変わろうとしています。
 有史以来数千年の古い世界観そのものが、新しい世界観に入れ替わる時を迎えようとしているのです。
 現実世界に対する捉え方そのものが、根本的に変わろうとしています。

 自分と自分以外を分け、自と他を分けた思考形態の中で、自分の外に何か確固とした客観的な現実世界があるのだと捉えた認識そのものが、消えていこうとしています。

 自分が映す現実世界は、全て心の内だと分かり、自分と世界は分かれてはいないのだと知る事になるのです。
 自分と空間は一つであり、全ては、自分の意識を投影した、自分の内面の世界であり、言わば、インナーワールドである事を知る事になるのです。

 自分の現実は全て、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である、我が魂が、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」したものであり、全ては最善の目的の為に起きている事を知る事になります。

 これにより、幸福・不幸という概念そのものが、消えていこうとしています。
 肉体の自我意識(表面意識)の視点から、様々な出来事を幸・不幸、運・不運と捉えてきた認識そのものが、消えていこうとしているのです。

 言わば、幸・不幸という概念すら超えた高みへと、私達人類の意識は、これから飛翔しようとしているのです。

 自分の人生の主体者・創造者であり、本源の我、真我である、我が魂の想いを感じ、魂の願いに意識を合わせられるようになると、幸福・不幸という概念そのものが消えていく事になるのです。

 永遠不滅の存在であり、天上界へと無限に続く意識の旅をしている我が魂の願いは唯一点、光り輝く魂になる事なのです。
 魂の更なる輝きを求めて、魂の進化の為に、我が魂は、全ての現実を「想像=創造(そうぞう)」しているのです。

 自分が映す現実世界は全て心の内だと分かり、豊かなる心の位置で、豊かなる世界が現れてくるのを体験する時、光り輝く魂になる事を求めて、この人生の全てを「想像=創造(そうぞう)」した、我が魂の夢を想い出す事になるのです。

 西暦二〇一四年(平成二六年)三月吉日
                            大和富士 


何らかの「意志」を持った存在を認めない限り、物理的大宇宙の存在を説明出来ない

 物理的大宇宙という物質世界をいくら科学的に追求していっても、この物理的大宇宙を成り立たせている、何らかの「意志」を持った存在を認めない限り、物理的大宇宙の存在を説明する事は不可能です。

 この物理的大宇宙とは、偶然存在している訳ではなく、この物理的大宇宙を存在させている、何らかの「意志」によって存在しているからなのです。

 物理的大宇宙を存在させている、何らかの「意志」とは、敢えて言うならば、この大宇宙の根本主体である根本創造主の「意志」という事になります。

 そして、この物理的大宇宙を存在させている、大宇宙の根本主体である根本創造主とは、この物理的大宇宙に存在している訳ではありません。

 この物理的大宇宙とは、相対世界とでも言うべき仮相(仮の姿)の世界であり、大宇宙の本質の世界ではありません。

 大宇宙の根本主体である根本創造主が実在しているのは、絶対世界とでも言うべき、大宇宙の実相(本質)の世界であり、そこは非物質な世界なのです。

 物理的大宇宙という物質世界を存在させている源の世界、根源の世界とは、非物質な世界なのです。

 ですから、物質世界(物理的大宇宙)をいくら科学的に追求していっても、物質世界を存在させている源の世界の事は、解明出来ないのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界に唯一実在しているのは、大宇宙の根本主体である根本創造主の「純粋意識」のみです。
 私は、便宜上、大宇宙意識と呼んでいます。

 大宇宙の根本主体(根本創造主)である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。

 物理的大宇宙の全ては、大宇宙の根本主体(根本創造主)である大宇宙意識によって「想像=創造(そうぞう)」されたものなのです。

 この物理的大宇宙を存在させている源の世界、この物理的大宇宙を「想像=創造(そうぞう)」している根源の世界とは、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」の世界なので、「意識」の探求によってしか、この大宇宙の本質を知る事は出来ないのです。

物理的大宇宙をいくら科学的に追求しても、大宇宙の実相(本質)は解明出来ない

 物理的大宇宙をいくら科学的に追求しても、この大宇宙の実相(本質)を解明する事は、不可能です。

 何故なら、この物理的大宇宙そのものが、相対世界という仮相(仮の姿)の世界であり、大宇宙の実相(本質)の世界ではないからです。

 大宇宙は、絶対世界と相対世界から成り立っています。

 絶対世界とは、大宇宙の実相(本質)の世界であり、そこは非物質な世界です。
 この大宇宙の本質は、どこまでも非物質なものです。

 大宇宙の本質の世界である絶対世界には、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主の「純粋意識」のみが実在しています。

 絶対世界に唯一実在する根本創造主(大宇宙意識)の「純粋意識」が「想像(そうぞう)」したイメージを、映し出して体験する為に「創造(そうぞう)」されている「鏡」の世界、言わば、「映(うつ)し世」が、相対世界である、物理的大宇宙なのです。

 相対世界である物理的大宇宙は、絶対世界に唯一実在する根本創造主(大宇宙意識)が「想像=創造(そうぞう)」した、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、言わば、幻の世界です。

 この物理的大宇宙そのものが、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、言わば、幻の世界なので、物理的大宇宙をいくら科学的に追求しても、大宇宙の実相(本質)を解明する事は出来ないのです。

 物質というものをいくら追求してみても、何も確かな実体がある訳ではないという事に、最先端の物理学でも、ようやく気付き始めたのではないでしょうか?

 今後、科学が進歩すればする程、ある意味においては、この大宇宙の謎は、深まるばかりだと思います。
 何故なら、科学がいくら進歩しても、この大宇宙の実相(本質)は解明出来ない、という事実を、認めざるを得なくなるからです。

 物質というものを、「想像=創造(そうぞう)」している源は、「意識」というものなのです。

 この物理的大宇宙を「想像=創造(そうぞう)」している源は、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主(大宇宙意識)の「純粋意識」なので、物理的大宇宙をいくら科学的に追求しても、この大宇宙の実相(本質)を解明する事は、不可能なのです。

 相対世界である、この物理的大宇宙とは、所詮は、絶対世界に唯一実在する、大宇宙の根本創造主(大宇宙意識)が「想像=創造(そうぞう)」した、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、絶対世界が投影された「映(うつ)し世」にしか過ぎず、言わば、幻の世界なのです。

 幻の世界をいくら科学的に追求しようとしても、所詮は、幻の世界を「想像=創造(そうぞう)」している源の世界である、本質の世界、実相の世界である、絶対世界を解明する事は、不可能なのです。

 相対世界である物理的大宇宙は、絶対世界に唯一実在する大宇宙の根本創造主(大宇宙意識)が持つ「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」により「創造(そうぞう)」された、バーチャルリアリティー(仮想現実)の幻の世界にしか過ぎず、大宇宙の実相(本質)の世界である、絶対世界の「映(うつ)し世」にしか過ぎないので、物理的大宇宙をいくら科学的に追求して行っても、この大宇宙の謎は深まるばかりなのです。

 この大宇宙を存在させている源は、「意識」というものなので、「意識」の探求によってしか、この大宇宙の実相(本質)を知る事は出来ません。

 詳しくは、今年出版される新著「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」をご参照下さい。

 この大宇宙についての、最も本質的な、根源的な内容の書となっていますので、ご一読いただければ幸いです。

この大宇宙に本当に実在しているのは、根本創造主(大宇宙意識)だけ

 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識だけです。

 大宇宙の根本創造主である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界に唯一実在しているのは、大宇宙の根本創造主の「純粋意識」だけです。

 私達が見ている、この物理的大宇宙とは、相対世界と呼ばれる仮相(仮の姿)の世界であり、大宇宙の本質(実相)の世界ではありません。

 物理的大宇宙に存在しているかに見える全ての被創造物は、私達人間は元より、動物も植物も鉱物も、地球や太陽・月・星も、果ては銀河や大銀河団に至るまで、全ては根本創造主(大宇宙意識)の「想像=創造(そうぞう)」によるものであり、「全ては根本創造主(大宇宙意識)の顕れ」に他なりません。

 この事は、一番基本的な事なので、まずは、この事を理解する必要があります。

ここは「追想の中」での「追体験」

 「デジャヴュ(既視感)」という言葉があります。

 初めて来た場所なのに、何となく懐かしい感じがして、初めて来た感じがしない、とか、初めて会った人なのに、以前どこかで会った事があるような感じがして、初めて会った感じがしない、というような体験をする事があります。

 よく使われるのは、この場所は過去世で来た事がある場所だとか、この人とは、前世で一緒だった人だとかいうような感じで、使われたりしています。

 しかし、「デジャヴュ(既視感)」というのは、本当は、もっともっと奥が深く、意味深いものなのです。
 何故なら、今、私達は、「追想の中」を生きており、かつて体験した事を、今、「追体験」しているからなのです。

 究極的には時間は存在しておらず、過去も未来も、今、同時に存在していますので、二一世紀の地球という、この座標軸は、必ずしも、今初めて大宇宙に存在しているという訳でもないのです。

 二一世紀の地球という、この時空が、今初めて大宇宙に存在していると考えるのは、時間というものが、過去→現在→未来へと流れているという思い込みによるものだと言えます。

 二一世紀の地球という、今ここにある時空は、実は、かつて存在した時空でもあるのです。

 私達は、かつて存在した時空で体験した事を、今再び「追体験」しているのであり、今、「追想の中」を生きているのです。
 かつての記憶を、今再び蘇らせているとも言えます。
 空間という、三六〇度立体のバーチャルなスクリーン上で、再生されたビデオを見ているようなものかも知れません。

 ですから、実は、過去世うんぬんという事に留まらず、過去には無かった現代のものや、あらゆる事に対して、「デジャヴュ(既視感)」を覚えたとしても、決して不思議な事ではありません。

 魂の記憶が蘇ってくると、様々な事に「デジャヴュ(既視感)」を覚えるかも知れません。
 それは単に、人や場所に対してだけではなく、自分が体験した一つ一つの出来事や、自分が味わった感情の一つ一つに対しても、かつて味わった事があるという懐かしさを覚えるかも知れません。

 魂の記憶が蘇ってくると、未来の記憶とでも呼ぶべきものも、少しずつ蘇ってきます。
 我が魂は、未来で体験する全て、未来で味わう感情の全てを、既に知っているのです。

 何故なら、大宇宙意識の分霊として、自分の人生の全てを「想像=創造(そうぞう」したというだけではなく、さらに言うならば、この時空はかつて存在した時空であり、その時既に体験をしているからなのです。

 本源の我、真我である我が魂は、自分がこれから人生で体験する全てを、既に知り尽くしているのです。
 魂の記憶を蘇らせる事が出来れば、未来の記憶が少しずつ蘇ってくるかも知れません。

 私達は、かつて体験した事を、今、「追体験」しているのであり、「追想の中」を生きているのです。
 二一世紀の地球という、今ここにある座標軸は、実は、かつて存在した懐かしき時空であり、ここは「追想の中」にある、「緑美しき懐かしき地球」なのです。

「時」と「時間」は違う

 「時」と「時間」は違います。
 「時」と「時間」は、同じものではありません。

 「時間」とは、「時の間」と書きます。
 「時の間」を「時間」と呼んでいるのです。

 「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
 ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

 「時間」は幻想です。
 「時間」は流れている訳ではなく、過去も未来も、今、同時に存在しています。
 「永遠(とわ)の中今」の中に、過去と未来の全てが、今、同時に存在しているのです。

 本当は、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」しか存在していないのですが、「時」が移り過ぎて行くように感じる、私達人間の感覚が、「時間」という言葉を発明したのかも知れません。

無始の過去、無終の未来

 時間は幻想であり、本当は、時間は存在していません。
 時間というものは、究極的には存在しておらず、「時」には、始まりも無ければ、終わりもありません。

 ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも言うべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

 時間は流れている訳ではなく、過去も未来も、今、同時に存在しています。

 「時」には、始まりも無ければ、終わりも無いので、過去というものにも、始まりは無く、未来というものにも、終わりは無いのです。

 無始の過去、無終の未来なのです。

 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体である、根本創造主(大宇宙意識)だけです。
 根本主体である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。

 物理的大宇宙(現象界)の全ては、根本主体である大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージを、映し出して体験する為の「映(うつ)し世」であり、言わば、「鏡」の世界なのです。
 大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージが、「映(うつ)し世」である物理的大宇宙に「創造(そうぞう)」されているのです。

 「時」には、始まりも無ければ、終わりも無いので、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識もまた、誕生するという事も無く、消滅するという事も無く、「永遠(えいえん)の今」に実在しています。

 そして、根本主体である大宇宙意識を映し出す「映(うつ)し世」であり、「鏡」の世界である物理的大宇宙もまた、表裏一体、密接不可分の関係として同時に存在していますので、大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無いのです。

 「時」には、始まりも無ければ、終わりもありません。

 過去には、始まりも無ければ、未来には、終わりもありません。

 大宇宙の唯一の実在である根本創造主(大宇宙意識)は、誕生するという事も無く、消滅するという事も無く、「永遠(えいえん)の今」に実在しています。
 
 そして、根本主体である大宇宙意識の「映(うつ)し世」であり、「鏡」の世界である物理的大宇宙にもまた、始まりも無ければ、終わりもありません。

 無始の過去、無終の未来なのです。

 「永遠(とわ)の中今」とでも言うべき、「今」という名の「永遠(えいえん)時」があるだけなのです。

「成るようにしか成らない」と同時に、「成るようには成る」

 昨日、「未来は100%確定している、という事について」書きましたが、未来は100%確定していますので、自分がどうジタバタしたところで、「成るようにしか成らない」と同時に、別の言い方をすれば、「成るようには成る」のです。

 「西遊記」の中の有名な話に、孫悟空が釈迦の掌から飛び出そうとして、いくら空遠くまで飛び回ったつもりでいても、所詮は釈迦の掌の中だったというエピソードがありますが、私達は、大宇宙に生かされている存在であり、自分の力だけでは一呼吸すら出来ない存在なので、自分の力で何かが出来ると思っていても、所詮は、万物を生かしている大宇宙の掌の中なのです。

 全ては大宇宙の調べの中、全ては大宇宙の計画の中にありますので、「成るようにしか成らない」と同時に、「成るようには成る」のです。


未来は100%確定している、という事について

 自分の未来は、決まっているのでしょうか?
 そして、人類の未来、地球という星の未来は決まっているのでしょうか?
 さらには、大宇宙の未来は決まっているのでしょうか?

 未来というものは、既に確定しているものなのか、それとも、未来は完全に白紙なのでしょうか?

 心の奥深くで、常に知りたかった事だと思います。

 結論から先に申しますと、未来は既に決まっており、未来は100%確定しています。
 未来は100%確定していますので、白紙の未来がある訳ではありません。

 未来が100%確定している事は、知識や学問などによっては知る由もなく、体験的に知る他ないので、ある種の「神我一如」、あるいは「梵我一如」とでも言うべき体験が必要になります。

 この大宇宙の本質というものを、体験的に知らない限りは、未来が100%確定しているという事を、決して理解出来ないと思います。

 この大宇宙の本質というものを、体験的に知る事が出来ると、時間は幻想である事、そして、この大宇宙には、根本創造主(大宇宙意識)という唯一の存在しか実在していない事を知る事になり、未来が100%確定しているという事を、何の疑いもなく確信する事が出来るようになります。

 時間は幻想であり、本当は、時間は存在していません。
 時間というものは、究極的には存在しておらず、「時」には、始まりも無ければ、終わりもありません。
 ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

 時間は流れている訳ではなく、過去も未来も、今、同時に存在しています。
 大宇宙の過去・現在・未来の全てが、今、同時に存在しているのです。
 大宇宙の全ての時空が、今、同時に存在しているのです。

 時間は流れている訳ではないのですが、敢えて、時間の流れというものを想定するとすれば、それは、多くの人達が考える、過去→現在→未来という流れではなく、それとは逆の、未来→現在→過去という流れになります。

 未来は確定的に存在していますので、既に確定している未来から時間がやって来て、必要となるプロセスが順番に創り出されているのです。
 原因があって結果があるというより、ある結果と呼ばれるものを得る為に、その原因となるものが創り出されているのです。
 原因があって結果があるというより、原因は、結果によって選ばれていると言った方が真実に近いのです。

 大宇宙の過去・現在・未来の全てが、今、同時に存在しており、大宇宙の全ての時空が、今、同時に存在しています。
 ですから、二一世紀の地球という、今ここにある時空は、必ずしも、今初めて大宇宙に存在しているという訳でもないのです。
 
 二一世紀の地球という、今ここにある時空が、今初めて大宇宙に存在していると考えるのは、時間というものが、過去→現在→未来へと流れているという思い込みによるものだと言えます。

 二一世紀の地球という、この時空は、実は、かつて存在した時空でもあるのです。
 私達は、かつて存在した時空で体験した事を、今、「追体験」しているのであり、「追想の中」を生きているのです。
 ここは、「緑美しき懐かしき地球(追想の中)」なのです。

 そして、この大宇宙には、本当は、根本創造主(大宇宙意識)という、たった一つの存在しか実在していません。
 大宇宙の根本主体である大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」の事なのです。

 「時」には、始まりも無ければ終わりもありませんので、大宇宙の根本主体である大宇宙意識は、誕生するという事もなく、消滅するという事もなく、「永遠(えいえん)の今」に実在しています。

 物理的大宇宙の全ては、根本主体である大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものであり、「全ては根本創造主(大宇宙意識)の顕れ」なのです。
 大宇宙の森羅万象の全ては、根本主体である大宇宙意識によって営まれていますので、全ては大宇宙の調べの中、全ては大宇宙の計画の中なのです。

 私達は、大宇宙に生かされている存在であり、自分の力だけでは、一呼吸すら出来ない存在なので、自分が努力すれば未来を変えられると考えるのは、自分の力で生きているという、勘違い・錯覚にしか過ぎません。

 私達一人一人を始め、万物を生かしている根源的エネルギーは一つなので、大宇宙の森羅万象の全ては、根本主体である大宇宙意識によって営まれているのです。

 この大宇宙には、根本主体である根本創造主(大宇宙意識)しか実在していない事、そして、時間は幻想である事を体験的に知る事が出来れば、未来は100%確定しているという事を、確信する事が出来ます。

 逆に言えば、この大宇宙の本質というものを、体験的に知らない限りは、未来が100%確定しているという事を、決して理解する事は出来ません。

 しかし、私達一人一人は、大宇宙の根本創造主(大宇宙意識)の分霊(わけみたま)なので、私達の意識を一番奥深くまで遡れば、最終的には、根本主体である大宇宙意識まで辿り着く事になります。

 ですから、私達一人一人は、意識の一番深い部分においては、死に至るまでの自分の人生の全てを知り尽くしているだけではなく、この大宇宙の全てを知っているとも言えるのです。

 その事を想い出していく手助けとして、誰にでも分かりやすい形で、何故、未来が100%確定しているのかを詳しくまとめた本を書いて、いずれ出版したいと考えています。

神についての二つの概念

 神という言葉が使われる時、二つの概念が混同して使われています。

 一つは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主に対して使われています。

 また、もう一方では、神話に登場するような、「神々の世界」、「神界」と呼ばれるような世界、地球の生命を創造した世界に対しても使われています。

 しかし、これら二つの世界は、別のものなので、分けて考える必要があります。

 私が大宇宙意識と呼んでいる、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である根本創造主とは、絶対世界における唯一の実在であり、それは、完全なる純粋意識として実在していますので、絶対世界には、様々な神々や仏達などがいる訳ではありませんし、「神界」など存在しません。

 神話に登場するような様々な「神々の世界」、「神界」と呼ばれるような世界、様々な仏達の世界というものは、あくまでも、相対世界に属するものであり、地球の生命を創造した存在達も、相対世界の存在なのです。

 旧約聖書の「創世記」に、「神は御自分にかたどって人を創造された。」と書かれているとおり、地球の生命を創造した存在達と私達人間は似ており、私達人間と同じように、姿形や名前を持った存在なのです。

 物理的大宇宙の全ては、根本主体である大宇宙意識により「想像=創造」されていますので、マクロに見れば、地球の全生命も、大宇宙意識により創造されているのですが、大宇宙意識が直接、地球の全生命を創造した訳ではなく、直接地球の全生命を創造したのは、私達人間と同じように、姿形や名前を持った、神話に登場するような「神々」であり、「神界」と呼ばれるような世界の存在なのです。

 無形の超自然の神が地球の全生命を創造したのではなく、地球の全生命を直接創造したのは、私達人間と同じような姿形や名前を持った存在達であり、あくまでも、相対世界に属するものなのです。

 絶対世界に唯一実在する大宇宙意識というのは、私達人間が、神や仏という言葉からイメージするような概念を遥かに超えた、もっとスーパーな存在です。

 唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である大宇宙意識にとっては、この物理的大宇宙の全てを破壊して、また新たな大宇宙を創造する事など自由自在ですし、全ては「神の戯れ(リーラ)」でしかないので、地球の未来を心配したり、私達個人の願い事を聞き入れてくれたりするような存在では、全くありません。

 私達人間に対して、メッセージや警告を発信してくる「神々」というのは、もちろん、相対世界の存在です。
 相対世界と一口に言っても、様々な次元が重なっており、私達人間が持つ情報指数を遥かに超えた高次元意識が存在しますが、あくまでも、相対世界の存在なのです。

 このように、神についての二つの概念が、混同して使われていますので、分けて考える必要があります。

今ここに存在している自分は、アバターにしか過ぎない

拙書『根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在』より
★今ここに存在している自分は、アバターにしか過ぎない

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 今ここに、肉体という衣を纏(まと)って存在している自分は、言わば、アバターとしての自分であり、本当の自分自身ではありません。

 本当の自分自身とは、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である、我が魂という「意識」なのです。

 本当の自分自身である、我が魂という「意識」が「想像=創造(そうぞう)」した、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界を体験して味わう為に、肉体という衣を纏(まと)って存在しているアバターが、今生きている自分という存在なのです。
 肉体を持った自分というのは、あくまでも、アバターとしての自分でしかないので、本当の自分自身ではありません。

 アバターとは、化身とか、分身というような意味で使われており、自分の分身となるキャラクターを意味する言葉です。
 肉体を持った自分というのは、本当の自分自身ではなく、本源の我である、我が魂の分身として存在しているアバターにしか過ぎないのです。

 肉体を持った自分というのは、あくまでも、アバターとしての存在にしか過ぎないので、アバターの中に、本当の自分自身がいる訳ではありません。

 物質というものを「想像=創造(そうぞう)」している源は、「意識」であるということを、もう一度想い出してみて下さい。
 大宇宙の中に「意識」があるのではなく、「意識」の中に大宇宙があるのです。
 自分が見ている物理的大宇宙(現実世界)の中に、自分の「意識」がある訳ではなく、自分の「意識」の中に、自分が見ている物理的大宇宙(現実世界)があるのです。

 自分の外に、何か確固とした客観的な物理的大宇宙(現実世界)というものがあり、その中の地球という星の中にある、日本という国に、肉体を持った自分が存在していて、その自分が「意識」を持っているのではありません。

 自分が見ている物理的大宇宙(現実世界)の全ては、本源の我である、我が魂という「意識」の中にある世界なので、アバターである肉体の中に、「意識」である魂が存在している訳ではありません。
 物質の中に「意識」があるのではなく、「意識」の中に物質が存在しているのです。

 今ここに存在している自分というのは、アバターにしか過ぎません。
 大宇宙意識の分霊であり、本源の我、真我である、我が魂という「意識」は、アバターである肉体の中には存在していません。

 
     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

拙書『根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在』より


大宇宙の中に「意識」があるのではなく、「意識」の中に大宇宙がある

拙書『根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在』より
★大宇宙の中に「意識」があるのではなく、「意識」の中に大宇宙がある

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 大宇宙の中に「意識」があるのではなく、「意識」の中に大宇宙があるのです。

 自分が見ている物理的大宇宙(現実世界)とは、自分の「意識」の中にある世界なのです。
 従って、自分の外に、何か確固とした客観的な物理的大宇宙(現実世界)というものがある訳ではありません。

 多くの人達は、自分の外に、何か確固とした客観的な物理的大宇宙が存在すると考えています。
 自分の外に、何か確固とした客観的な物理的大宇宙というものがあり、その中の地球という星に、肉体を持った自分が存在していて、その自分が「意識」を持っていると考えています。
 そうではなく、自分が見ている物理的大宇宙(現実世界)の全ては、自分自身の「意識」の中に存在している世界なのです。

 自分が見ている物理的大宇宙(現実世界)を創り出しているのは、実は、自分自身の「意識」というものなのです。

 自分の「意識」の中に、自分が見ている物理的大宇宙(現実世界)があるのであり、物理的大宇宙(現実世界)の中に、自分の「意識」がある訳ではありません。

 大宇宙の中に「意識」があるのではなく、「意識」の中に大宇宙があるのです。

 とても奇想天外に聞こえるかも知れませんが、最先端の物理学では、この事が理解出来るようにもなってきているようです。

 この21世紀において、私達人類の意識は飛躍的進化を遂げ、さなぎから蝶へと生まれ変わり、新たな地球が誕生する事になります。
 有史以来数千年の人類の古い世界観そのものが、新たな世界観に入れ替わる時を迎えていますので、いずれ多くの人達が、この事を理解出来るようになっていく筈です。

 天動説が地動説に変わるような、コペルニクス的大転回を、私達人類は、これから経験する事になるのです。
 自分の外に、何か確固とした客観的な物理的大宇宙(現実世界)があると捉えてきた認識そのものが、180度入れ替わる時を迎えます。

 自分が見ている物理的大宇宙(現実世界)の全ては、自分の「意識」を投影した、自分の内面の世界であり、言わば、インナーワールドである事を知る時を迎えるのです。

 大宇宙の中に「意識」があるのではなく、「意識」の中に大宇宙がある、という認識に、私達人類が到達出来る時代を迎えようとしているのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在』より

7月17日、新著「魂の夢、光り輝く魂」発売開始!

7月17日、新著「魂の夢、光り輝く魂」の発売を開始致しました!

電子書籍「魂の夢、光り輝く魂」
     豊かなる心の位置で
     豊かなる世界が現れてくる

四六版 244ページ
価  格  1200円+税
当ホームページよりPDFファイルにてダウンロード購読

詳細につきましては、「書籍」のページをご参照下さい!


7月17日発売、「魂の夢、光り輝く魂」の内容をご紹介致します!

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  電子書籍「魂の夢、光り輝く魂」
       豊かなる心の位置で
       豊かなる世界が現れてくる

   四六判  244ページ
   価  格  1200円+税
   当ホームページよりPDFファイルにてダウンロード購読


はじめに

 生きるとは何か・・・。
 古今東西を問わず、全ての人々にとっての根源的な問いである、生きるとは何を意味するのでしょうか。

 生きるとは何かについて知る為には、まず、この大宇宙の本質について知る必要があります。
 そして、大宇宙と自分自身との関係を知る必要があります。
 そして、自分が映す現実世界とは何なのかについて知る必要があります。

 この三つの要点をきちんと把握しない限りは、生きるという事の本質は捉えられないと思います。

 この二一世紀において、私達人類の意識は飛躍的進化を遂げ、さなぎから蝶へと生まれ変わり、新たな地球が誕生する事になります。
 有史以来数千年の人類の古い世界観そのものが、新たな世界観へと入れ替わる時を迎えています。

 本書において、新たな世界観に基づき、生きるとは何かについて、考察してみたいと思います。

                                        大和富士 


目  次

 はじめに

大 宇 宙
 絶対世界と相対世界
 根本創造主という唯一の実在
 全ては、神の顕れ
 想像(そうぞう)=創造(そうぞう)
 大宇宙=無限
 永遠(とわ)の中今
 永遠とは
 大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無い
 「あり得ない」という事こそ「あり得ない」―あらゆる事があり得る
 大宇宙の全ては、光の中
 物理的大宇宙は、仮相(仮の姿)の世界
 全ては、神の戯れ(リーラ)
 根本創造主の孤独
 絶対の静寂(しじま)ー絶対世界とは
 大宇宙の森羅万象の全てが、本来無事象
 一切無、一切幻
 大宇宙の全ては完
 全ては、大宇宙(神)の弥栄
 大宇宙の森羅万象を貫く一つの力学(法則)
 全ては、大宇宙の計画の中
 全ては必然、一切偶然なし
 未来からやって来る時間
 未来は、確定的に存在している
 大宇宙は、多重多次元構造
 大宇宙そのものが、完璧なスーパーコンピューター
 ここは、緑美しき懐かしき地球(追想の中)

新しい世界観
 大宇宙意識と本源の我
  意識の中に大宇宙がある
  一人一人が自分の宇宙(世界)の創造主
  現実世界とは
  自分一人の世界
  全てが主観の世界
  自分が変われば世界が変わる
  心が美しくなれば、現実世界は美しく輝く
  魂の進化
  魂の願い
  心を創り、心を失い、思いを創り、思いを失う
  魂の進化の場として与えられた運動場
  魂の夢
  今を良しとする力、全てを完として捉える力
  どれだけの意識を創れたかが大切
  自分を解放するプログラム
  自分の唯一のプログラム
  本当は誰もいないーただ大宇宙がある
  魂の進化としての道の最短距離
  全て幻、全て問題なし
  思い通りでないところが、全て思い通りだと気付く
  困る出来事あらず
  人のせい、社会のせいなど存在しない
  後悔するという思考を消滅へと向かわせる
  映る世に心を傾けない
  幸福なるもの形にあらず
  幸・不幸という概念を超える
  プラス思考を超える
  受ける難、全て福
  人生の悩み・苦しみの根底にあるもの 1
  人生の悩み・苦しみの根底にあるもの 2
  幻の世と知って生きる事に、生命の輝きを見る
  人は常に、自分が最も学び、成長し、進化出来る最善の場所にいる
  現実という空間全てに、常に、遊びという学びが用意されている
  宇宙はメッセージだらけ
  真のワンネスとは
  真(まこと)のみを映す鏡
  全ては愛のメッセージ
  生きるとは、創造する事
  全てを喜びに変える創造
  この世界は自分次第
  空間を最高の友として遊ぶ
  豊かなる心の位置で、豊かなる世界が現れてくる
  あらゆる否定を無くする
  この世にあるもの全てが御魂の肥やし
  肉体という衣について
  自分の両親を自ら選んで生まれて来ている
  多次元に生きる、本源の我
  魂を自分の肉体の外に想像
  今ここに生きる事が、常なるテーマ
  ここは「追想の中」
  明日を感じて今日を生きる
  自分の中に全ての答えがあるー内的な知り方と外的な知り方
  魂の記憶を蘇らせる
  魂の記憶が蘇ると、人生の全てが、予定通りだった事を想い出す
  全ては我が魂の計画
  生きているうれしさをやさしく感じる
  自分の肉体を超えた、自分の本質の光を想い出す
  人生の全ては輝きの中のものー内なる光は消える事なく私を照らす
  魂の夢、光り輝く魂

 おわりに

おわりに

 この二一世紀において、私達人類の意識は飛躍的進化を遂げ、さなぎから蝶へと生まれ変わり、新たな地球が誕生する事になります。
 
それに伴い、私達人類の世界観そのものが、大きく変わろうとしています。
 有史以来数千年の古い世界観そのものが、新しい世界観に入れ替わる時を迎えようとしているのです。
 現実世界に対する捉え方そのものが、根本的に変わろうとしています。

 自分と自分以外を分け、自と他を分けた思考形態の中で、自分の外に何か確固とした客観的な現実世界があるのだと捉えた認識そのものが、消えていこうとしています。

 自分が映す現実世界は、全て心の内だと分かり、自分と世界は分かれてはいないのだと知る事になるのです。
 自分と空間は一つであり、全ては、自分の意識を投影した、自分の内面の世界であり、言わば、インナーワールドである事を知る事になるのです。

 自分の現実は全て、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である、我が魂が、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」したものであり、全ては最善の目的の為に起きている事を知る事になります。

 これにより、幸福・不幸という概念そのものが、消えていこうとしています。
 肉体の自我意識(表面意識)の視点から、様々な出来事を幸・不幸、運・不運と捉えてきた認識そのものが、消えていこうとしているのです。

 言わば、幸・不幸という概念すら超えた高みへと、私達人類の意識は、これから飛翔しようとしているのです。

 自分の人生の主体者・創造者であり、本源の我、真我である、我が魂の想いを感じ、魂の願いに意識を合わせられるようになると、幸福・不幸という概念そのものが消えていく事になるのです。

 永遠不滅の存在であり、天上界へと無限に続く意識の旅をしている我が魂の願いは唯一点、光り輝く魂になる事なのです。
 魂の更なる輝きを求めて、魂の進化の為に、我が魂は、全ての現実を「想像=創造(そうぞう)」しているのです。

 自分が映す現実世界は全て心の内だと分かり、豊かなる心の位置で、豊かなる世界が現れてくるのを体験する時、光り輝く魂になる事を求めて、この人生の全てを「想像=創造(そうぞう)」した、我が魂の夢を想い出す事になるのです。

 西暦二〇一三年(平成二五年)六月一日
                                                    大和富士 

ここは、緑美しき懐かしき地球(追想の中)

「永遠(とわ)の中今」の中に、この大宇宙の全てが存在しており、この大宇宙の過去と未来の全てが、今、同時に存在しているのです。
この大宇宙においては、全ての時空が、何一つ失われる事なく保存されています。

21世紀の地球という、今ここにある座標軸は、今初めて大宇宙に存在している訳ではなく、実は、かつて存在した時空でもあるのです。
私達は、かつて存在した時空で体験した事を、今、「追体験」しているのであり、今、「追想の中」を生きているのです。

地球が新たに生まれ変わる21世紀の地球という、この座標軸は、私達がかつて体験した懐かしき時空なのであり、ここは「追想の中」にある「緑美しき懐かしき地球」なのです。


大宇宙そのものが、完璧なスーパーコンピューター

この大宇宙そのものが、完全無欠な、完璧なスーパーコンピューターです。

そして、時空を超えた大宇宙の全てのデータが保存されており、永遠に消える事はありません。

時間は幻想であり、本当は、時間は存在していません。
究極的には時間は存在しておらず、「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
時間は流れている訳ではなく、過去も未来も、今、同時に存在しています。
ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)」の時があるだけなのです。

ですから、「永遠(とわ)の中今」の中に、この大宇宙の全てが存在しているのです。
この大宇宙の過去と未来の全てが、今、同時に存在しているのです。

この大宇宙の全ての時空が、全ての座標軸が、何一つ失われる事なく保存されており、それは、今、同時に存在しているのです。

この大宇宙そのものが、完全無欠な、完璧なスーパーコンピューターなのです。

ですから、21世紀の地球という、今ここにある座標軸は、今初めて大宇宙に存在しているという訳でもないのです。
21世紀の地球という、この時空は、実は、かつて存在した時空でもあるのです。


大宇宙は、多重多次元構造

大宇宙は、多重多次元構造により成り立っています。

様々な次元が重なり合って存在していますので、自分が見ている宇宙が、大宇宙の全てではありません。
自分が見ている宇宙を取り巻く、より大きな次元が存在し、そこから常に影響を受けています。

私達人間には、大宇宙の、ほんの一面だけが見えているにしか過ぎません。


未来は、確定的に存在している

過去も未来も、今、同時に存在しており、未来は、既に確定的に存在しています。

未来が、既に確定的に存在しているという事は、未来は、今既に100%決まっているという事です。

白紙の未来があるように思えるのは、時間というものが、過去→現在→未来へと流れているという思い込みによるものだと言えます。

実際には、時間というものは流れている訳ではなく、敢えて、時間の流れというものを想定した場合でも、それは、未来→現在→過去という流れになります。

未来は、既に確定的に存在しており、未来は、100%決まっているという事なのです。

未来からやって来る時間

時間というものは、過去からではなく、未来からやって来ます。

時間は流れている訳ではないのですが、敢えて、時間の流れというものを想定するとすれば、それは、多くの人達が考える、過去→現在→未来という流れではなく、それとは逆の、未来→現在→過去という流れになります。

過去も未来も、今、同時に存在していますので、未来は既に確定的に存在しています。
そして、確定した未来から、そこに至る為のプロセスとして、時間が現在に向って流れて来て、過去へと流れ去って行くという事なのです。

過去の積み重ねで現在があるというより、今現在に至る為のプロセスとして、過去があったと考えると分かりやすいかも知れません。

これから白紙の未来が創られていく訳ではなく、未来は既に確定的に存在していますので、そこに至る為のプロセスが、未来から現在に向って、順番にやって来ていると考えると分かりやすいかも知れません。

過去からの積み重ねで現在があり、現在からの積み重ねで未来が創られていくように、一見、思えますが、本当は、順番が逆であり、今現在に至る為のプロセスを、過去において順番に積み重ねて来たのであり、同様に、未来に至る為のプロセスを、今現在から順番に積み重ねていくだけなのです。

全ては、大宇宙の計画の中にあり、未来は、既に確定的に存在していますので、必要なプロセスが、未来からやって来て、起こるべくして、順番に起こっているだけなのです。


全ては必然、一切偶然なし

森羅万象の全ては、大宇宙の計画の中にあり、全てがドミノ倒しのように一つに連なって、起こるべくして起こっていますので、一切、偶然というものは、ありません。

この大宇宙は、完璧で完全な世界であり、森羅万象には、何一つ無駄というものは無く、全てが、必要・必然であり、偶然はありません。

この大宇宙には、偶然というものは、一切存在していません。

全ては、必然の中で、起こるべき事が、起こるべくして、ただ起こっているだけなのです。

全ては、大宇宙の計画の中

大宇宙の森羅万象の全てが、ある一つの力学、あるいは法則により、大宇宙意識によって営まれていますので、全ては、大宇宙の計画の中にあります。

大宇宙の計画の中に無いものは、何一つ無く、全てが大宇宙の調べの中にあり、全ては、大宇宙の計画の中なのです。

大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙の計画の中で、ドミノ倒しのように一つに連なって、起こるべくして、ただ起こっているだけなのです。


大宇宙の森羅万象を貫く一つの力学(法則)

大宇宙の森羅万象の全てが、一つの力学、あるいは法則により、動いています。

大宇宙に唯一実在しているのは、根本主体である大宇宙意識のみなので、大宇宙の森羅万象の全ては、ある一つの力学、あるいは法則により、大宇宙意識によって営まれています。

大宇宙意識によって創られた被創造物は、私達人間は元より、動物も植物も鉱物も、地球や太陽・月・星も、さらには、銀河や大銀河団に至るまで、如何なる存在であろうとも、それ自らの力で動いている訳ではなく、大宇宙意識が持つ根源的エネルギーによって、動かされているだけなのです。


全ては、大宇宙(神)の弥栄

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★全ては、大宇宙(神)の弥栄

 大宇宙の森羅万象の全ては、絶対世界に唯一実在する大宇宙意識が、自分自身を体験して味わう為に、光によって織り成している、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような幻であり、全ては、大宇宙意識の中で繰り広げられている、壮大なゲームであり、全てが「神の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。

 ですから、この大宇宙の森羅万象の全ては、根本主体である大宇宙意識の自画自賛であり、全ては、大宇宙意識の弥栄を称えるものなのです。
 大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙意識の弥栄、そのものなのです。

 唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である大宇宙意識が、自らが持つ「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を体験し、味わう為に繰り広げている、壮大なゲームであり、全ては「神の戯れ(リーラ)」でしかないので、言わば、全てが自画自賛の世界なのです。

 例え、この世界のある断面(場面)を切り取って見た時、そこに如何なる悲劇・不幸・悪・矛盾・不調和のようなものが感じられたとしても、宇宙的な観点に立てば、全てが最善の目的の為に起きており、全てが、より大きな大調和に向って進化しつつあるプロセスの中にあるものなのです。

 全ては、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を体験し、味わうという壮大なゲームなのであり、全ては、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような幻の中にある紋様であり、そして、大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙のより大きな大調和、即ち、大宇宙の弥栄に向って起きている事なのです。

 大宇宙の森羅万象の全ては、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である大宇宙意識の自画自賛であり、全てが大宇宙(神)の弥栄を称えるものなのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

大宇宙の全ては完

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★大宇宙の全ては完

 この大宇宙の全ては、完璧であり、完成された、完全なる世界です。

 毎瞬毎瞬、大宇宙のどの断面(場面)を切り取って見たとしても、そこは全てが完全な世界であり、不足・不備、矛盾、不調和、間違いなどは存在していません。

 この大宇宙には、間違いなるものは、何一つ存在していない、というのが真相なのです。

 何故なら、この大宇宙には、究極的には、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙意識しか実在していないので、大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙意識が光で織り成す壮大な織物のようなものだからです。

 この大宇宙に存在する全てのものを生み出し、生かしているところの、全知全能の存在である大宇宙意識に、間違いなどあろう筈がありません。
 例えこの世界に、様々な矛盾・不調和・問題・悪・間違いと思えるようなものが感じられたとしても、森羅万象の背後にある大宇宙意識の御心は計り知れないものなので、どんな時でも、大宇宙の全ては完である事を想い出す事が大切になります。

 そして、この大宇宙には何一つ間違いは無く、全てが完である事を知る為には、この現象界(物理的大宇宙)は仮相(仮の姿)の世界であり、言わば幻の世界であり、一切が無の世界である事を知る必要があります。

 この現象界は幻の世界であり、一切が無の世界なので、真実の世界においては、本当は、何も失われる事なく、傷付けられたりするという事もありません。

 この大宇宙の唯一の実在である大宇宙意識が、自分自身を、本当の意味で傷付けたりする訳がありません。
 全ては、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である大宇宙意識が、全知全能の「無限」の力を、体験して味わう為に、光により織り成している、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような幻なのであり、一切が無なので、全てが光の中にあり、完全なる大調和の中に存在しています。

 全ては、根本主体である大宇宙意識の光の中で繰り広げられる、壮大なゲームであり、全ては「神の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。

 この大宇宙の全ては、根本主体である大宇宙意識の光の中にあり、完全なる大調和の中に存在しています。
 この大宇宙の全てが完なのです。

     ☆      ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

一切無、一切幻

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★一切無、一切幻

 現象界である物理的大宇宙は、仮相(仮の姿)の世界であり、言わば、幻の世界です。
 絶対世界に唯一実在する大宇宙意識が「想像」したイメージが、光により物質化されて「創造」された世界であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような、幻の世界なのです。

 物理的大宇宙の全ては、仮相(仮の姿)であり、また、何か確固とした実体がある訳ではないので、一切が無であり、一切が幻の世界なのです。

 例えば、水は、温度や気象条件によって、水、氷、水蒸気、雨、霰(あられ)、雪、雹(ひょう)など、様々な姿となって顕れますが、化学式で表せば、H2Oという、同じものです。
 水も、氷も、水蒸気も、雪も、本当の姿ではなく、言わば、幻の姿です。

 また、自分自身の肉体を始め、様々なあらゆる物体は、中身がぎっしりと詰まった、何か確固とした実体があるもののように、一見感じられますが、原子などのミクロのレベルでは、ほとんど中がスカスカの、空っぽに近い状態であると言えます。
 大宇宙意識の光が、周波数によって、様々な色・形・質量となって顕れているだけなので、本当は、何か確固とした実体がある訳ではありません。

 大宇宙の全ては、光によって創られた世界であり、光が様々な姿・形・紋様となって表現された、言わば、幻の世界なのです。

 相対世界である物理的大宇宙は、絶対世界に唯一実在する大宇宙意識が、自分自身を体験し、味わう為に「創造」した「鏡」の世界であり、言わば、「映(うつ)し世」なのです。
 空間という、360度立体のバーチャルなスクリーン上で、大宇宙意識の光が、様々な紋様となって織り成されているだけなのです。

 全知全能の大宇宙意識の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」が、様々な無数の紋様となって光により織り成されているだけなのです。
 そこに存在しているかに見える様々な紋様には、本当は、何も確かな実体がある訳ではなく、一切が無であり、一切が幻なのです。

 現象界である物理的大宇宙は、絶対世界に唯一実在する大宇宙意識の中で繰り広げられる、壮大なゲームであり、全てが「神の戯れ(リーラ)」であり、全てが光によって織り成されているだけの、「一切無、一切幻」の世界なのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

大宇宙の森羅万象の全てが、本来無事象

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★大宇宙の森羅万象の全てが、本来無事象

 大宇宙の森羅万象の全てが、本来無事象であり、意味が無く、中立です。

 大宇宙の森羅万象の全てには、何か特別な意味がある訳ではなく、幸福でも不幸でもなく、幸運でも不運でもなく、善でも悪でもなく、全てが中立です。

 何故なら、大宇宙の森羅万象の全てが、「神の戯れ(リーラ)」と呼べるものなので、大宇宙の唯一の実在である大宇宙意識の目から見れば、全ては、自らの意識の中で繰り広げられる壮大なゲームの中の一コマにしか過ぎないからです。

 大宇宙の森羅万象の全ては、唯一の実在である大宇宙意識が、自らを体験して味わう為に「創造」された、仮相(仮の姿)の世界であり、言わば、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような、幻の世界なので、全てが光の中にあります。

 唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である大宇宙意識の「無限」の光が、ただ、様々な紋様となって顕れているだけなのです。

 一つ一つの紋様に、何か特別な意味がある訳ではなく、全ては、全知全能の大宇宙意識の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」が、無数の様々な紋様となって、光により織り成されているだけなのです。

 森羅万象の様々な紋様に対して、幸福・不幸、幸運・不運、善・悪などという意味を付けているのは、あくまでも、私達人間です。
 人間サイドの視点から、自分に都合がいいように、幸・不幸、運・不運、善・悪というような意味付けをしているにしか過ぎません。

 大宇宙意識の目から見れば、全ては、自らが持つ、全知全能の「無限」の力が、光により「無限」の表現となって顕れているにしか過ぎません。

 大宇宙の森羅万象の全てが、本来無事象であり、意味が無く、中立なのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より


絶対の静寂(しじま)ー絶対世界とは

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★絶対の静寂(しじま)ー絶対世界とは

「絶対の静寂(しじま)」という言葉があります。
 この、「絶対の静寂(しじま)」というのは、絶対世界にのみ存在します。

 この大宇宙は、絶対世界と相対世界から成り立っています。
 絶対世界とは、実相(本質)の世界であり、そこは、非物質な世界です。
 絶対世界には、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主の純粋意識のみが実在しています。

 これに対して、相対世界とは、根本創造主の意識を映し出して体験する為の、「鏡」の世界であり、現象界としての物理的大宇宙は、相対世界に属しています。
 相対世界は、仮相(仮の姿)の世界であり、根本創造主の光が、様々な色、形、音となって表現された、言わば、幻の世界です。

 色、形、音などは、全て、相対世界のものであり、幻です。
 絶対世界には、色も形も音もありません。

 音で言うなら、絶対世界にある音は、「絶対の静寂(しじま)」のみ、という事になります。
 音無き音の世界が、絶対世界という事になります。

 色、形、音などは、例えそれがどんなに妙なるものであったとしても、色、形、音である限りは、全て、相対世界のものであり、幻です。
 天上界、あるいは、神界を想わせるような、妙なる色、形、音であったとしても、それは周波数の違いだけであり、やはり、相対世界に属するものになります。

 色で言うと、人間の肉眼で見える光線は、ある限られた範囲のものであり、可視光線の外にある赤外線や紫外線などは、目には見えませんが、存在しています。
 そして、それは、周波数の違いという事になります。
 音で言うと、人間の耳で聴ける可聴音は、ある限られた範囲のものであり、その範囲を超えた周波数は、耳では聴こえませんが、存在しています。

 天上界の音楽、天界の調べを想わせるような、妙なる音があったとしても、周波数が違うだけであり、それはあくまでも、相対世界のもの、という事になります。

「絶対の静寂(しじま)」である絶対世界には、色も形も音も無く、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主の純粋意識のみが実在しています。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

根本創造主の孤独

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★根本創造主の孤独

私達人間は、自と他を分けた思考形態の中で、家族がいない、愛する人がいない、恋人がいない、友人がいないと、寂しさを感じたり、孤独を感じたりします。
また、家族や愛する人がいても、お互いに理解し合えない時や、関係がうまくいっていない時には、孤独を感じたりします。
しかし、人間が抱く、それらの孤独感は、あくまでも、相対的な孤独と言ってもよいかと思います。

ところが、人間が抱く相対的な孤独とは違って、絶対的な孤独というものが、この大宇宙には存在します。
それが、根本創造主の孤独です。

大宇宙の根本創造主が孤独を感じるのかと思われるかも知れませんが、大宇宙の根本創造主だからこそ感じる孤独、根本創造主にしか味わえない孤独というものが、あります。
それは、私達人間が感じる相対的な孤独とは訳が違う、究極的な孤独であり、絶対の孤独と呼んでもよいかも知れません。

この大宇宙は、絶対世界と相対世界から成り立っています。
絶対世界は、実相(本質)の世界であり、そこに唯一実在しているのは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主の純粋意識のみです。
本書では、便宜上、大宇宙意識と呼んでいます。

そして、相対世界とは、根本主体である大宇宙意識が、自分自身を体験し、味わう為に「創造」された、「鏡」の世界であり、仮相(仮の姿)の世界であり、現象界としての物理的大宇宙は、相対世界に属しています。
大宇宙意識が「想像」したイメージが、光により物質化されて「創造」された、言わば、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような幻の世界なのです。
現象界である物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識の顕れに他なりません。

この大宇宙には、根本創造主の純粋意識のみが実在しています。
そして、それは、未来永劫変わることがありません。

根本創造主の目から見ると、この大宇宙には、自分自身しか存在していないという事になります。
その事を、敢えて孤独という言葉で表現するとしたら、それは、絶対の孤独という言い方が出来るかも知れません。
私達人間が抱く相対的な孤独感とは訳が違う、究極的な孤独であり、絶対の孤独であり、それは、永遠に変わる事がありません。

根本創造主の目から見ると、この大宇宙には、未来永劫、永遠に、自分自身しか存在していないという事であり、敢えて孤独という表現を使うとすれば、それは、究極的な孤独であり、永遠の孤独であり、絶対の孤独であるという事になります。

純粋意識である根本創造主が唯一行っているのは、「想像=創造(そうぞう)」という仕事であり、それによって生み出された大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙意識の中で繰り広げられる壮大なゲームであり、全てが「神の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。

純粋意識である根本創造主は、未来永劫、永遠に変わる事の無い、究極的な絶対的な孤独の中で、全知全能の力で、ありとあらゆる事を「想像」し続けており、それが光により物質化され「創造」されて、大宇宙の森羅万象の全てが営まれています。

そして、大宇宙の森羅万象の全ての営みが、根本創造主の光の中にあり、根本創造主が光で織り成す壮大なゲームであり、全てが「神の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

全ては、神の戯れ(リーラ)

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★全ては、神の戯れ(リーラ)

サンスクリット語に、「神の戯れ」というような意味の、「リーラ」という言葉があるようです。

実は、大宇宙の森羅万象の全てが、「神の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。

大宇宙に唯一実在しているのは、大宇宙意識のみであり、大宇宙の森羅万象の全ては、絶対世界にある大宇宙意識が「想像」したイメージが、大宇宙意識の光により物質化されて「創造」されたものなので、この大宇宙の全てが、大宇宙意識の「想像」の産物だという事になります。

絶対世界に唯一実在している大宇宙意識が行っている事は、ありとあらゆる事を「想像」し続ける事であり、自らの「想像」を光によって物質化させ、ありとあらゆる事を、現象界に「創造」し続ける事なのです。

現象界である物理的大宇宙は、大宇宙意識が「想像」したイメージを、映し出して体験する為の場であり、言わば、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような世界なので、大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙意識の中で繰り広げられる、壮大なゲームであるとも言えます。

純粋意識である大宇宙意識は、現象界である物理的大宇宙を通して、自分自身を体験し、味わっているのだとも言えます。

大宇宙意識が唯一行っているのは、「想像=創造(そうぞう)」という仕事であり、それによって生み出された大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙意識の壮大なゲーム・遊びであり、全てが、「神の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

物理的大宇宙は、仮相(仮の姿)の世界

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★物理的大宇宙は、仮相(仮の姿)の世界

相対世界である物理的大宇宙は、仮相(仮の姿)の世界であり、言わば、幻の世界です。

例えば、水は、温度や気象条件によって、水、氷、水蒸気、雨、霰(あられ)、雪、雹(ひょう)など、様々な姿となって顕れますが、化学式で表せば、H2Oという、同じものです。
水も氷も、水蒸気も、雪も、本当の姿ではなく、言わば、幻の姿です。

また、自分自身の肉体を始め、様々なあらゆる物体は、中身がぎっしりと詰まった、何か確固たる実体があるもののように、一見感じられますが、原子などのミクロのレベルでは、ほとんど中がスカスカの、空っぽに近い状態であると言えます。
大宇宙意識の光が、周波数によって、様々な色・形・質量となって顕れているだけなので、本当は、何か確固とした実体がある訳ではありません。

大宇宙の全ては、光によって創られた世界であり、光が様々な姿・形・紋様となって表現された、言わば、幻の世界なのです。

相対世界である物理的大宇宙は、絶対世界に唯一実在する大宇宙意識が「想像」したイメージを、映し出して体験する為の、言わば、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような世界なのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より


大宇宙の全ては、光の中

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★大宇宙の全ては、光の中

この大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像」したイメージが、大宇宙意識の光により物質化されて「創造」されたものです。

大宇宙意識の光によって創られていないものなど何一つ無く、この大宇宙の全てが、大宇宙意識の光の中なのです。

この大宇宙は、光の世界であり、全てが、光の中なのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より


「あり得ない」という事こそ、「あり得ない」ーあらゆる事があり得る

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★「あり得ない」という事こそ、「あり得ない」ーあらゆる事があり得る

「あり得ない」という言葉を、人々が、冗談のように、よく使っているのを耳にします。
しかし、実際には、この大宇宙においては、「あり得ない」という事こそ、「あり得ない」のです。

この大宇宙には、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、根本創造主しか実在していないので、根本創造主の御心次第では、「あらゆる事があり得る」からなのです。

根本創造主である大宇宙意識の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」は「無限」であり、大宇宙意識に不可能は無いので、大宇宙意識の御心次第では、実は、この大宇宙においては、あらゆる事が可能であり、「あらゆる事があり得る」というのが、真相なのです。

この大宇宙において、唯一「あり得ない」のは、大宇宙そのものが存在しない、という事のみなのです。

この大宇宙に唯一実在しているのは、絶対世界にある大宇宙意識のみであり、それは非物質なものなので、消滅したりするようなものではなく、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けます。

そもそも、究極的には時間は存在していないので、「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「永遠(えいえん)」の「今」があるだけなのです。
絶対世界に唯一実在する大宇宙意識は、誕生するという事もなく、消滅するという事もなく、「永遠(えいえん)」の「今」に実在しています。

そして、絶対世界と相対世界は、表裏一体、密接不可分の関係として同時に存在していますので、大宇宙意識を映し出して体験する為の「鏡」の世界である、物理的大宇宙もまた、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けます。

この大宇宙においては、「あり得ない」という事こそ、「あり得ない」のであり、根本主体である大宇宙意識の御心次第では、「あらゆる事があり得る」のです。
そして、この大宇宙において、唯一「あり得ない」のは、この大宇宙そのものが存在しない、という事のみなのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無い

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無い

大宇宙には、始まりも無ければ終わりもありません。

大宇宙は、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けます。

大宇宙そのものが存在しないなどという事は、あり得ない事なのです。

現在の科学では、宇宙は約137億年前に誕生したと考えているようです。
しかしそれは、あくまでも、今現在の科学で捉えられる範囲での認識にしか過ぎません。

ここで大宇宙と呼んでいるのは、大宇宙そのものの事なので、個々の銀河宇宙の事ではありません。

個々の銀河宇宙には、確かに、始まり(誕生)があり、終わり(死・終結)もあると考えられますが、大宇宙そのものが存在しないなどという事は、あり得ない事なのです。

何故なら、大宇宙に唯一実在しているのは、絶対世界にある大宇宙意識のみであり、それは、非物質なものなので、消滅したりするようなものではなく、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けます。

そもそも、究極的には時間は存在していないので、「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「永遠(えいえん)」の「今」があるだけなのです。

絶対世界に唯一実在する大宇宙意識は、誕生するという事もなく、消滅するという事もなく、「永遠(えいえん)」の「今」に実在しています。

そして、絶対世界と相対世界は、表裏一体、密接不可分の関係として同時に存在していますので、大宇宙意識を映し出して体験する為の「鏡」の世界である、物理的大宇宙もまた、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けます。

大宇宙には、始まりも無ければ終わりもありません。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

永遠とは

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★永遠とは

永遠という言葉は、遙か悠久の時の流れ、気の遠くなる程の永い時間、というような意味でよく使われているかと思います。
確かに、永遠という言葉は、とてもとても永い時間というものをイメージさせる言葉だと思います。

しかしながら、永遠とは、別の言い方をするなら、「今この時」という事になります。

遙か悠久の時間と、「今この時」とは、まるで正反対の対極にあるような感じですが、「今この時」というものこそ、永遠というものの本質なのです。

時間は幻想であり、本当は、時間は存在していません。
究極的には時間は存在しておらず、「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
時間は流れている訳ではなく、過去も未来も、今、同時に存在しています。
ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

永遠とは、別の言い方をするなら、時間は存在していない、という事であり、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」しか存在していない、という事なのです。

「今」という「この時」しか実在していない、だからこそ、永遠なのです。
「今」という「この時」しか実在していないからこそ、本当の意味で、それを、永遠と呼ぶ事が出来るのです。

今の地球の科学では、約137億年前に宇宙が誕生したと考えているようです。
しかしそれは、あくまでも、今現在の科学で捉えられる範囲での認識にしか過ぎず、実際には、この宇宙には、始まりも無ければ終わりもありません。
137億年というのは、人間の時間の感覚からすると、気の遠くなるような時間かも知れませんが、無限の大宇宙から見れば、ほんの一瞬かも知れません。

それはともかく、137億年というのは、たかだか137に0(ゼロ)が8個付いただけの数字でしかありません。
例え、一千億年であろうと、一千兆年であろうと、あるいは、一千京年であろうとも、それらは、所詮、有限の時間でしかありません。
仮に、137に0(ゼロ)を一億個付けたとしても、所詮は有限な時間でしかないので、本当の意味で、それを永遠と呼ぶ事は出来ないという事になります。

そして、「今」という「この時」しか実在していないからこそ、本当の意味で、それを、永遠と呼ぶ事が出来るのです。

この事は、時間は幻想であり、本当は時間は存在していない、という事を体験として知らない限りは理解出来ないと思いますが、もし体験出来れば、自ずと理解出来る事だと思います。

「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
究極的には時間は存在しておらず、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

私達は、今、「永遠(とわ)の中今」に生かされ、生きているのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より


永遠(とわ)の中今

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★永遠(とわ)の中今

時間は幻想であり、本当は、時間は存在していません。

時間というものは、究極的には存在しておらず、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「永遠(えいえん)」の「今」があるだけなのです。

時間というものは流れている訳ではなく、過去も未来も、今、同時に存在しています。

「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
ただ、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

大宇宙は、空間においてのみならず、時間においても「無限」なのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

大宇宙=無限

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★大宇宙=無限

唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙意識の「想像力(そうぞうりょく)」には、限りがありません。
従って、大宇宙意識の「創造力(そうぞうりょく)」にもまた、限りが無いという事になります。

大宇宙意識に不可能はありません。

大宇宙意識は、ありとあらゆる事を「想像」する事が出来、それをそのまま100%、光により物質化させて「創造」する事が出来ます。

大宇宙意識の「想像力」は「無限」なので、大宇宙意識の「創造力」もまた、「無限」なのだという事になります。

この物理的大宇宙は、大宇宙意識の「無限」の「想像力」により「創造」された世界なので、実際には、極まりの無い、「無限」の世界なのです。

現在の科学が把握出来ているだけでも、この宇宙には、少なくとも百万個以上の銀河が記録されているようです。
さらには、ウィキペディアによると、観測可能な宇宙には、少なくとも1700億個もの銀河が存在すると考えられているようです。
また、140億光年以内で見える宇宙には、なんと、数兆もの小型の銀河と、数十〜数百億もの銀河団が存在すると推定する天文学者たちもいるようです。

そして、私達の太陽系が属する天の川銀河一つだけでも、数千億個もの恒星(太陽)が存在すると考えられている訳ですから、この大宇宙の広大無辺さが、少しは感じられる事と思います。

実際には、この大宇宙は、極まりの無い「無限」の世界なので、今後、科学が進歩すればする程、この大宇宙の広大無辺さ、空間の無限性というものが、少しずつ理解出来るようになっていく筈です。

この大宇宙は、空間において、「無限」なのです。

大宇宙の事を、別名、「無限」と呼んでも良いかも知れません。

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拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

想像(そうぞう)=創造(そうぞう)

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★想像(そうぞう)=創造(そうぞう)

イメージするという意味の「想像」と、クリエイトするという意味の「創造」は、どちらも「そうぞう」という同じ言霊(ことだま)を持っています。

実は、大宇宙の本質の世界においては、「想像」も、「創造」も、同じ事なのです。
「想像(そうぞう)」=「創造(そうぞう)」という事になります。

絶対世界に唯一実在する、大宇宙意識が「想像」したイメージが、そのまま100%、相対世界に「創造」されているのです。

大宇宙の唯一の実在である大宇宙意識とは、全知全能の純粋意識として存在していますので、自らが「想像」したイメージを、そのまま100%、光により物質化させて「創造」する事が出来ます。

全知全能の純粋意識である大宇宙意識にとっては、「想像」も「創造」も同じ事なのです。

 絶対世界における大宇宙意識の「想像」(イマジネーション)
=相対世界である物理的大宇宙に「創造」(クリエーション)

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

全ては、神の顕れ

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★全ては、神の顕れ

この大宇宙の全ての存在、森羅万象の全ては、大宇宙意識により創られたものです。

大宇宙意識の中にある、心象風景とでも言うべきイメージが、光により物質化されて顕れている世界が、この物理的大宇宙なのです。

従って、もし、大宇宙意識のことを神と呼ぶならば、この大宇宙の全ては、「神の顕れ」だという事になります。

この大宇宙には、「神の顕れ」でないものは何一つ無く、全てが、「神の顕れ」なのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

根本創造主という唯一の実在

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★根本創造主という唯一の実在

実相(本質)の世界である、絶対世界に唯一実在しているのは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主の純粋意識のみです。

この物理的大宇宙にある全ての存在、そして、大宇宙の森羅万象の全ては、絶対世界にある根本創造主の純粋意識により創られたものです。

大宇宙の唯一の実在である根本主体のことを、本書ではこれ以降、便宜上、大宇宙意識と呼ぶ事にします。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

絶対世界と相対世界

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★絶対世界と相対世界

大宇宙は、絶対世界と相対世界から成り立っています。

絶対世界とは、実相の世界であり、本質の世界です。
大宇宙の全てのエネルギーの源となる根源の世界であり、そこは、非物質な世界です。
この大宇宙の本質は、どこまでも非物質なものです。

これに対して、相対世界とは、仮相(仮の姿)の世界であり、絶対世界を映し出して体験するための「映し(うつ)し世」として存在する世界であり、現象界としての物理的大宇宙は、相対世界に属します。
相対世界は、言わば、幻の世界です。

絶対世界には、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主の純粋意識のみが実在しています。

そして、絶対世界に唯一実在する、根本創造主の純粋意識を映し出して体験する為の「鏡」の世界、言わば、「映し(うつ)し世」が、相対世界なのです。
純粋意識である根本創造主は、自らの意識の中を映し出して体験する場としての相対世界(現象界)を必要とします。

絶対世界と相対世界は、表裏一体、密接不可分の関係として、同時に存在しています。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

新著「永遠(とわ)の中今」の内容をご紹介致します!

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「永遠(とわ)の中今」カバー.jpg

四六版 314ページ

価 格 本体価格1800円+税

発 売 星雲社

3月22日発売の新著「永遠(とわ)の中今」の内容をご紹介致します。

当ホームページから、ダウンロード購読する事も出来ます。

ダウンロード購読は、1260円(税込)となります。  
 はじめに
 
本書は、「富士は晴れたり日本晴れ」に続く、第二作目の著書となります。
 第一作「富士は晴れたり日本晴れ」と併せて本書をお読みいただくと、より一層理解が深まるように書かれていますので、本書をお読みいただいた方は、ぜひ、「富士は晴れたり日本晴れ」も併せてお読みいただく事を、強くお奨め致します。

 この21世紀において、私達人類の意識は飛躍的進化を遂げ、さなぎから蝶へと生まれ変わり、新たな地球の誕生を迎える事になります。
 物質文明の次に来る新たな精神文明、花咲く都・黄金文明が花開き、私達人類の新たな黄金時代が幕を開けます。
 平和で自由な、喜びに満ちた世界が花開きます。
 キリスト教の世界で言われる、「至福千年王国」の事でもあります。
 宇宙時代が幕を開け、私達人類は、宇宙時代を迎えるのです。

 そして、新しい地球を開くのは、私達日本人なのです。
 東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本から、新しい地球の幕が開きます。

 本書は、日本人の遺伝子を目覚めさせる、新しい時代のメッセージとして世に出されたものです。
 本書が、新しい時代を生きる皆様のお役に立つ事を願っています。

                                大和富士

   目 次
はじめに

永遠(とわ)の中今
 永遠(とわ)の中今
 永遠とは
 色即是空 空即是色
 根本創造主の孤独
 絶対の静寂(しじま)ー絶対世界とは
 「あり得ない」という事こそ、「あり得ない」ーあらゆる事があり得る
 一切無、一切幻
 大宇宙の全ては完
 全ては、大宇宙(神)の弥栄
 大宇宙そのものが、完璧なスーパーコンピューター
 ここは、緑美しき懐かしき地球(追想の中)

生きるヒント
 幻の世と知って生きることに、生命の輝きを見る
 本源の我、真我である、我が魂
 現実世界とは、心を映し出す鏡
 ここは「追想の中」ー「追体験」
 明日を感じて今日を生きる
 生きる目的は、魂の進化
 心を創り、心を失い、思いを創り、思いを失う
 魂の進化の場として与えられた運動場
 魂の夢、光り輝く魂
 自分を解放するプログラム
 人は常に、自分が今、最も学び、成長し、進化出来る最善の場所にいる
 現実という空間全てに、常に、遊びという学びが用意されている
 宇宙はメッセージだらけ
 真のワンネスとは
 真(まこと)のみを映す鏡
 全ては愛のメッセージ
 生きるとは、創造する事
 全てを喜びに変える創造
 この世界は自分次第
 肉体という衣について
 自分の両親を自ら選んで生まれて来ている
 あらゆる否定を無くする
 この世にあるもの全てが御魂の肥やし
 神の想いは、人を神ならせる事ー現象の基にある、神の優しさ
 神を知りたければ己の内を見る事ー自分の中にある神性、内在神
 神は一番下から出て来るー最も落とした所ほど最も貴い
 「かがみ(鏡)」から「が(我)」を取ると、「かみ(神)」になる
 内なる神真釣り(祀り)がまず先ー外の神真釣り(祀り)は型示し
 神の道に奇跡なしーあるのはただ普通の道のみ
 現界(現実)の中に神界がある
 弥勒世とは今ここにある
 多次元に生きる、本源の我
 今ここに生きる事が、常なるテーマ
 幸福なるもの形にあらず
 プラス思考を超える
 全ては原因、全ては結果、全ては意味の付け方次第
 我が心救うは、我が心のみ
 天の大いなる意志に自己を明け渡す
 自分の中に全ての答えがあるー内的な知り方と外的な知り方
 魂の記憶を蘇らせる
 魂の記憶が蘇ると、人生の全てが、予定どおりだった事を想い出す
 全ては我が魂の計画
 生きているうれしさをやさしく感じる
 自分の肉体を超えた、自分の本質の光を想い出す
 人生の全ては、輝きの中のものー内なる光は消える事なく私を照らす

新しい地球
 銀河系宇宙の中の地球という星
 天変地異ー天変わりし時、地異なる
 最も大きな変化とは、最も静かな変化
 人類は、さなぎから蝶へと、飛躍的に進化する
 地球人類総真釣り(総決算)の時
 地球は未曾有の領域に突入する
 全てが白日の下に明らかにされる時代
 無限の宗教ー絶対の宗教、永遠の宗教
 イエス・キリストの復活とはー内的な復活と外的な復活
 人間の無限の可能性とはー超能力と魂の進化は別問題
 様々な予言・神示・チャネリング情報などについて
 目暗信心(盲信する事)の戒め
 一人一人が目覚める時代
 全ては自分の認識でしかない
 意識を創る事が地球の仕事
 物質文明から精神文明へー日本から始まる新たな精神文明
 宇宙時代の幕開けと、「至福千年王国」

富士・日本・大和
 日本とユダヤー火の働きと水の働き
 世界の聖地にある聖火ー聖なる火の元・日本
 霊(ひ)ノ元・日本の象徴、霊峰富士
 日本三霊山(富士山、立山、白山)
 天之御中主大神=ヤーウェ=天にまします父=アラー
 祓戸大神(瀬織津比売、速開都比売、気吹戸主、速佐須良比売)
 九九=白、白山菊理媛(白山比咩神)
 「一厘の仕組み」「最後の一厘」について
 神々の名前(御神名)について
 恵比寿の働きについて
 金鯱(きんのしゃちほこ)ー尾張(終わり)の仕組み
 正式な結婚=結魂
 諏訪大社、諏訪湖、諏訪マアカタの仕組み
 阿波の国・徳島と、封印された四国(死国)
 富士と飛鳥(明日香)
 大いなる和「大和(やまと)」ー天(神)・地(自然)・人との大調和
 スメラ(日本)の真釣りとイシヤ(ユダヤ)の魔釣り

おわりに

   おわりに

 本書が世に出る、西暦2013年、平成25年は、20年に一度の伊勢神宮の式年遷宮とともに、出雲大社においても、60年ぶりとなる、平成の大遷宮が行われます。
 表の神界の表の働きである伊勢神宮と、表の神界の裏の働きである出雲大社においての式年遷宮が重なる年となり、日本にとって、節目の年を迎えます。

 そして、伊勢神宮の次の式年遷宮が行われる、西暦2033年までの間の20年前後が、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本の蘇りの時であり、私達日本人が、その本来の役割を果たすべき時なのです。

 地球人類総真釣り(まつり)、総決算の時なのであり、新しい地球へと生まれ変わる為の最後の総仕上げの時なのです。

 東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本は、今この時の為に、太古の昔から、用意されてきた民族であり、国家なのです。

 今、私達日本人の中に眠る遺伝子が、目覚め、蘇り、花開く時を迎えています。
 人類数千年の古い歴史が幕を閉じ、私達人類の新しい歴史が幕開けしようとする21世紀の今この時、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本に生まれて来て、想像だにない大変化のプロセスを身を以て体験するというのは、本当に稀有な事なのです。

 西暦2013年(平成25年)1月1日
                                大和富士


書籍「富士は晴れたり日本晴れ」の内容をご紹介致します。

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ソフトカバー 四六版 226ページ

定 価  本体価格1500円+税

発 売  星雲社
 
2012年11月22日(木)正式発売の書籍「富士は晴れたり日本晴れ」の内容をご紹介致します。

書籍「富士は晴れたり日本晴れ」は、日本人の遺伝子を目覚めさせる、新しい時代のメッセージとして世に出されたものなので、一人でも多くの人々に読んでいただきたく、「まえがき(はじめに)」、「目次」、「あとがき(おわりに)」をご紹介させていただきます。
(実際の書籍においては、縦書きで書かれています。)


 はじめに

 21世紀の今、私達の母なる星・地球は、新しい地球へと大きく生まれ変わろうとしています。
 そして、私達人類もまた、意識が飛躍的に進化して、さなぎから蝶へと生まれ変わるような、大きな変革の時を迎えています。
 これは、太古の昔から決められていた天のプログラムであり、今地球上で起きている全ての事は、人類の意識の飛躍的進化と、地球の新たな誕生に向けて起きてきています。
 そして、新しい地球の誕生は、私達の太陽系は元より、銀河系宇宙にまで影響を与えるような出来事なのです。

 有史始まって以来とも言うべき大変革のプロセスを経て、「世の建て替え・建て直し」が行われ、西暦2030年代には、想像だにない新しい世界が誕生していることでしょう。
 それは、花咲く都・黄金文明とでも呼ぶべき、新たな精神文明の時代であり、「至福千年王国」と呼ばれる世界の事でもあるのです。
 私達人類が待ちに待った、平和で自由な、喜びに満ちた世界が花開く時を迎えます。
 宇宙時代が幕を開け、私達人類は、宇宙時代を迎える事になるのです。
 そして、新しい精神文明の中心となるのは、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本であり、私達日本人なのです。

 新しい地球が誕生する時代の中心的役割を果たす日本人一人一人に、ぜひ知っていただきたい事を、まとめてみました。
 本書は、日本人の遺伝子を目覚めさせる、新しい時代のメッセージとして世に出されたものです。
 今の常識では理解しがたいような表現もあるかも知れませんが、自らが持つ固定観念ですぐに否定しようとしたりせず、ピュアな心で、まずは一読される事を強くお奨め致します。
 いずれ私達は、今ある常識の変更を余儀なくされる事になるでしょう。
 本書が、これからの新しい時代を生きる皆様のお役に立つ事を願っています。

                                大和富士
   目  次
  はじめに
  大宇宙
     絶対世界と相対世界
     根本創造主という唯一の実在
     全ては、神の顕れ
     想像=創造
     大宇宙=無限
     永遠(とわ)の中今
     大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無い
     大宇宙の全ては、光の中
     物理的大宇宙は、仮相の世界
     全ては、神の戯れ(リーラ)
     大宇宙の森羅万象の全てが、本来無事象
     大宇宙は、調和された完全な世界
     大宇宙の森羅万象を貫く一つの力学(法則)
     全ては、大宇宙の計画の中
     全ては必然、一切偶然なし
     未来からやって来る時間
     未来は、確定的に存在している
     大宇宙は、多重多次元構造
     今ここにある時空は、かつて存在した時空

   新しい世界観 
     大宇宙意識と本源の我
     意識の中に大宇宙がある
     一人一人が自分の宇宙(世界)の創造主
     現実世界とは
     自分一人の世界
     全てが主観の世界
     自分が変われば世界が変わる
     心が美しくなれば、現実世界は美しく輝く
     魂の進化
     魂の願い
     心を創り、心を失い、思いを創り、思いを失う
     魂の進化の場として与えられた運動場
     魂の夢、光輝く魂
     今を良しとする力、全てを完として捉える力
     どれだけの意識を創れたかが大切
     自分を解放するプログラム
     本当は誰もいないーただ大宇宙がある
     神についての二つの概念
     進化論は誤り
     原因は結果により選ばれている
     「因果律」は一面の真理でしかない
     「想いは実現する」とは
     全ては我が魂の計画の中
     魂の記憶を蘇らせる
     自分の中に全ての答えがある
     人生は全て決まっている
     大宇宙の操り人形
     ここは「追想の中」

   生まれ変わる地球 
     人類はさなぎから蝶へと飛翔する
     高次元空間への移行
     次世代情報へのバージョンアップ
     新しい世界観
     幸・不幸という概念を超える
     大変とは、大きく変わる事
     意識変革の風
     自分の中に神を見る時代
     神性を顕現して生きる時代
     花咲く都・黄金文明
     唯一の救世主など存在しない
     奇跡では人類は救われない
     唯一の教え・道というものは無い
     霊性と知性の進化
     科学技術が果たす役割
     日本から始まる新たな精神文明
     西洋の時代から東洋の時代へ
     次の覇権国は日本
     2030年代に花開く「至福千年王国」

   霊(ひ)ノ元・日本
     「ひのもと」日本
     日本は世界の雛形
     日本の象徴、霊峰富士
     霊峰富士が持つ世界に二つとない(不二)働き
     日本の国旗・日の丸が象徴するもの
     神武三千年の神計り
     大和の国・日本
     大いなる和の心「大和心」
     日本人が持つ柔軟性・寛容さ
     神道(八百万神)と、アニミズム(精霊信仰)
     日本語の果たす役割
     美しき大和の国
     個の花を咲かせて生きる時代
     日本が世界平和を実現させる
     イスラエルの失われた十支族
     二つのユダヤ
     「ノアの箱舟」と大洪水
     日本で花開く「新しきエルサレム」
     富士は晴れたり日本晴れ

   おわりに


  おわりに   
 
 江戸の幕末期に生きていた人々は、それからわずか百数十年後に、今のような世界が誕生しているとは、おそらく誰も想像すら出来なかったと思います。
 良くも悪くも、科学の目覚ましい進歩により、今のような社会が存在している事を、夢想だに出来なかったと思います。
 そして、長く鎖国を続けていた上に、テレビも無い時代の幕末期の人々にとっては、世界中にどんな国々があり、どんな人々がいるのかさえも分からない訳ですから、世界とか、地球という概念すら、あまり持てなかったかも知れません。

 それと同じように、本書が世に出てからわずか20年位で、今ある世界からは想像だにない新しい世界が誕生しているという事を、多くの人々は、想像出来ないかも知れません。
 人類数千年の古い歴史が幕を閉じ、私達人類の新しい歴史が幕開けしている事を、なかなかイメージ出来ないかも知れません。

 しかし、今から20年位後には、今ある世界からは想像だにない、新たな地球が誕生する事になります。
 私達人類は、新たな黄金時代を迎え、宇宙時代を迎える事になるのです。

 実は、真の世界平和、地球の恒久平和は、人類が宇宙時代を迎える事により、実現するのです。
 「井の中の蛙,大海を知らず」という諺がありますが、地球という小さな星の中だけしか知らずに、様々な争いや対立を繰り返してきた人類は、宇宙時代を迎え、大海とも言うべき大宇宙を知る事により、一つにまとまる事になるのです。

 今から20年位の間に、私達人類は、今ある常識、概念、世界観などを、根底から覆される事になるでしょう。
 そして、地球の全生命がどのようにして創造されたのか、聖書に書かれているような人類の歴史とは何だったのかについて、真実を知る事になるでしょう。

 そして、宇宙時代の幕を開き、宇宙時代をリードしていくのは、私達日本人なのです。 
 東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本は、「至福千年王国」の中心地であり、地球・世界の中心となって、世界をリードしていく事になるのです。

 地球が新しい誕生を迎える21世紀の今、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本に生まれて来た私達日本人には、とても大きな使命と役割が与えられているのです。

 本書は、新しい地球をリードしていく日本人一人一人へのメッセージとして、世に出させていただきました。

 西暦2012年(平成24年)8月15日
                               大和富士 

  

銀河系を広くさまよう新種の「浮遊惑星」多数発見

恒星の周りを回る惑星とは別に、銀河系を広くさまよう、新種の「浮遊惑星」が数多く存在する事を、名古屋大学、大阪大学などの研究チームが付きとめました。

5月19日発行の英国科学誌「ネイチャー」に掲載され、惑星の形成過程を解明する手がかりになりそうだとの事です。

銀河系全体の恒星の数の2倍は存在すると考えられ、数千億個はありそうだとの事です。

元々は、恒星の軌道上にあった惑星が、他の惑星の重力の影響で、はじき飛ばされて浮遊するようになったようです。

恒星よりもはるかに多くの惑星が、天の川銀河の暗がりには、どうも潜んでいるようです。

ナショナルジオグラフィック公式日本語サイトの記事も、ご参照下さい。

私達が住む天の川銀河だけでも、約2000億個もの恒星(太陽)があると考えられており、その2倍位の新種の「浮遊惑星」も存在しているようであり、それ以外にも、恒星の周りを公転している、地球のような惑星も多数存在すると考えられるので、相当な数の星があるようです。

無数の星を持つ銀河が、少なくとも100万個以上は存在している訳ですから、この大宇宙の広大無辺さに、しばし想いを馳せてみると良いかも知れません。

実際には、この大宇宙は、極まりの無い「無限」の世界なので、本当に、計り知れない世界だと言えます。

人は常に、自分が最も学び、成長し、進化できる最善の場所にいる

私達人間一人一人、全ての人間は、常に、自分自身が最も学び、成長し、進化できる最善の場所にいます。

これは、宇宙の法則であり、一人の例外もなく、全ての人間が、例え、いつ如何なる時であっても、毎瞬毎瞬、自分自身が最も進化・成長できる、最善の場所にいるのです。

例え、自分が今いる場所が、どんなにつらく苦しく、不幸・不運と感じられるような環境であったとしても、そここそが、自分が今、最も成長できる、最善の場所だという事になります。

宇宙法則として、一人の例外もなく、全ての人間は、毎瞬毎瞬、常に自分にとって最善の場所にしかいる事ができないのです。
この大宇宙は、一切の無駄というものがない、完璧な世界なので、全ての存在が、最短距離で進化を常に続けています。

肉体の自我意識の視点から、自分の今いる場所を、幸・不幸、運・不運という目で捉えてしまうと、自分の今いる場所が、つらく、苦しい事ばかりで、とても最善の場所に今自分がいるとは、思えないかも知れません。

しかし、私達の人生というのは、「魂の進化」というプログラム上にしか存在していないので、「魂の進化」という視点に立てば、自分自身は常に、自分が最も学び、成長し、進化できる最善の場所を歩いて来たのであり、「魂の進化」を最短距離で突き進んで来たのだと言えます。

これは、宇宙の法則であり、天の仕組みなので、一人の例外もなく、全ての人間が、その瞬間瞬間、自分がいるべき最善の場所にいるのです。

この大宇宙は、一枚の壮大な絵のようなものであり、全てのものが一つにつながって、宇宙全体として常に最短距離で毎瞬毎瞬、進化を続けているので、私達人間一人一人もまた、常に自分が最も進化できる最善の場所に生かされているのだという事を信じる力が大切だと思います。

大宇宙の森羅万象の全てが、本来無事象(意味が無い、中立)

この大宇宙の森羅万象の全てが、本来無事象であり、意味が無く、中立です。

森羅万象の全ては、幸・不幸とか、運・不運とかいう意味は本来無く、全てが中立であると言えます。

何故なら、この大宇宙には、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、根本創造主しか実在していないので、大宇宙の森羅万象の全てが、根本創造主の意識の中で繰り広げられる、壮大なゲームであり、森羅万象の全てが、「神の戯れ(リーラ)」であり、森羅万象の全てが、根本創造主の光の中にあるからです。

宇宙的な観点に立てば、一切の事柄には、本来意味は無く、幸福でも不幸でもなく、幸運でも不運でも無く、全ては中立だという事になります。
必要な事が、ただ起こっているだけなのです。

一つ一つの事柄に、幸福・不幸とか、幸運・不運とかいう意味付けをしているのは、あくまでも、私達人間なのだという事を認識しておく必要があるかと思います。

宇宙的な視点においては、森羅万象の全てが、幸福でも不幸でもなく、幸運でも不運でもないのであり、人間サイドの視点から、幸・不幸、運・不運という意味付けをしているだけなのだという事を忘れないようにする必要があるかも知れません。

そして、様々な意味付けというのは、自分の認識の中にしかないので、自らが認識を変えれば、物の見え方も変わるという事になります。

私達人間は、肉体という衣を纏って生きているので、肉体の自我意識は、ともすれば、一つ一つの事柄に対して、自分に都合がいいように、幸・不幸、運・不運という意味を付けて、喜んだり、悲しんだりしていますが、大宇宙の森羅万象の全てが、本来無事象であり、意味が無く、中立なのだという事を、常に忘れない事が大切だと思います。

「ありえない」という事こそ、「ありえない」ーあらゆる事があり得る

よく人々が、「ありえない」という言葉を、冗談のように、よく使っています。
しかし、実際には、この大宇宙においては、「ありえない」という事こそ、「ありえない」のです。

既に何度も書いていますが、この大宇宙には、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である根本創造主しか実在していないので、根本創造主の御心次第では、「あらゆる事が、あり得る」からなのです。

根本創造主の創造力(=想像力)は、文字通り無限であり、根本創造主に不可能はないので、この大宇宙においては、実はあらゆる事が可能であり、「あらゆる事が、あり得る」というのが、真相なのです。

全知全能の根本創造主の無限の力をもってすれば、地球のような小さな星の一つや二つを、一瞬にして消滅させる事くらいは、朝飯前なのだという事が理解出来てさえいれば、例え地球上で、どんな事が起ころうとも、ある意味においては、驚くにあたらないとも言えるかも知れません。

そして、既に何度も書いているとおり、実際には、私達人類の母なる星・地球は、破滅に向っている訳ではなく、一つ高い次元へと新たな誕生を迎えようとしている最中なのです。
私達人類の意識も飛躍的に進化し、人類は、さなぎから蝶へと生まれ変わろうとしています。

全ては、その流れの中にありますので、これからの十数年間、良い意味においても、悪い意味においても、大事件・大ニュースになるような出来事が、どんどん起きて来る事でしょう。
今まで、「ありえない」と思われていたような事が、良い意味においても、悪い意味においても、どんどん起きて来る事でしょう。

そしてそれは、必ずしも、ニュースになるような、大事件のような事柄だけではなく、自分の身の回りにおける個人的な事柄においても、同じ事が言えます。

以前書きましたが、私達の人生には、「魂の進化」という目的があり、私達の人生は、「魂の進化」というプログラム上に存在しています。
そして、今、地球が高次元空間へと移行して新たな誕生を迎えようとしており、それに伴い、私達人類の意識も飛躍的に進化して、さなぎから蝶へと生まれ変わろうとしているので、私達一人一人が、急速に魂を進化させる流れの中にいます。

猛スピードで魂を進化させていく為に、意識変革の大きな風を受け、意識の拡張をどんどん迫られる流れに入っていますので、自分の身の回りで起きる様々な出来事や、地球・世界で起きる様々な出来事などをとおして、自分が持っている古い概念・小さな枠などを、どんどん外される事になります。

心の器を大きくしていく為に、一人一人が、自分が持っている枠をどんどん外される事になり、それによって、意識を拡張させていく事が出来るので、今までの自分が「ありえない」と思っていた概念を、どんどん外していくように、意識すると良いかも知れません。

これからの十数年間、世の立替・立直しと言われるような大変化のプロセスを経て、西暦2030年頃には、今生きているほとんどの人達が、「ありえない」と思うような、想像だにない素晴らしい世界が誕生している事でしょう。

それは、花咲く都・黄金文明とでも呼ぶべき、新たな精神文明であり、キリスト教の世界で言われている至福千年王国の事でもあり、仏教的に言えば、弥勒世という事になります。
そしてそれは、宇宙時代の幕開けでもあり、私達の星・地球は、銀河文明の仲間入りをする事になるでしょう。

地球に似た「惑星」50以上・・・NASA(アメリカ航空宇宙局)

2月2日、NASA(アメリカ航空宇宙局)は、生命に適した環境を持つ可能性がある、地球に似た「惑星」が50以上あると発表しました。
宇宙における生命体の探査につながるとして、注目されているとの事です。

宇宙望遠鏡「ケプラー」を使って調査したところ、生命に適した環境を持つ可能性がある太陽系外の「惑星」54個を発見したとの事です。

「ケプラー」は、宇宙のごく一部をカバーしているに過ぎないので、地球のように生命を宿せる「惑星」は、予想以上に多そうだとの事です。

NASAエイムズ研究所のウイリアム・ボルーキ研究員は、記者会見で、「宇宙には生命は、ありふれたものだろう」と話したとの事です。

実際には、地球に似た環境を持ち、生命に適した環境を持つ「惑星」は、想像を遙かに超える位に数多く存在する事が、次第に明らかになっていく筈です。

先月、最も精密な「宇宙の地図」が公開されましたが、100万以上の銀河の存在が、確認されています。
そして、私達の太陽系が属する天の川銀河だけでも、数千億もの恒星(太陽)が存在すると考えられている訳ですから、この大宇宙の広大無辺さが、感じられる事と思います。

実際には、この大宇宙は、無限の世界なので、今の地球の科学では想像も出来ない程に広大無辺なのだという事が、科学が進歩すればする程、次第に明らかになってくる筈です。

唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である根本創造主の創造力(=想像力)は、文字どおり無限なので、この大宇宙は、極まりのない無限の世界である事を、人類は次第に理解出来るようになっていく筈です。

最も精密「宇宙の地図」公開

昨日の1月11日、100万を超える銀河が記録され、「宇宙の地図」とも言える、これまでで最も精密な宇宙のデジタル画像が、日米欧の研究グループにより、インターネット上で公開されました。

画像の範囲は、地球から見える夜空のおよそ3分の1にあたり、100万以上の銀河が記録されているという事です。

私達の太陽系が属する天の川銀河だけでも、数千億の恒星(太陽)があると考えられています。
数千億もの恒星(太陽)を有する銀河というものが、100万以上観測されているという事実だけでも、この大宇宙の広大無辺さが、少しは想像出来るかも知れません。

実際には、この大宇宙は、現在の科学が捉えているよりも、はるかに広大無辺な世界だと言えます。
何故なら、この大宇宙の、唯一にして絶対、至高の存在である根本創造主は、全知全能の存在なので、その創造力は、文字通り「無限」だからです。
「無限」とは、「限り無し」と書きます。
この大宇宙の根本創造主の力は、文字通り「無限」であり、「限り無し」なので、銀河を何個までしか創れないというような事はないからです。

今後、私達人類の科学が進歩すればする程、この大宇宙の広大無辺さが少しずつ理解出来るようになっていきます。
科学が進歩すればする程、この大宇宙は極まりない世界であるということが、段々分かり始めるようになるでしょう。

唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主の「無限」の力というものは、現在の科学などでは、とうてい想像も出来ないようなものだと思います。
しかし、それと同時に、この大宇宙を海に例えるとしたら、私達人間一人一人は、大海(大宇宙)の一滴の水のようなものなので、例え一滴の水であっても、その成分(本質)は、大海(大宇宙)と同じなのだという事に目覚める事が大切になります。

大宇宙というものが、私達の中にもあるのだという事に、いずれ人類は気付いていく事になります。

本当は誰もいないーただ大宇宙がある

多くの人達は、自分がいて、自分以外の世界があり、それが現実世界だと考えているかも知れません。
現実世界とは、確固とした客観的な世界だと考えているかも知れません。

しかし、自分が見ている現実世界とは、自分の脳が画像処理したものを、空間というスクリーンに映し出して見ているに過ぎないので、あくまでも、自分の意識を投影した、自分の内面の世界、インナーワールドです。
自分の中の心の心象風景を、あたかも映画でも観るように、現実というスクリーンに映し出して見ているに過ぎません。

ですから、自分が見ている世界は、自分の内面の世界なので、自分が見ている世界には、自分しかいない、という事になります。
自分が見ている世界とは、我一人の世界と言えます。

ところが、自分という存在も、大宇宙に無数に存在する座標軸の中の一つの点にしか過ぎません。
言わば、大宇宙に無数に存在する視点の中の一つであり、大宇宙に無数に存在する、テレビカメラの中の一つを受け持っていると言えるかも知れません。

ですから、自分という者も、本当はいる訳ではなく、大宇宙に無数に存在する座標軸の中の一つの点であり、無数の視点の中の一つであり、ある一つの視点から、テレビカメラで映すようにして、この大宇宙を映し出して見ているという訳なのです。

この大宇宙に実在するのは、唯一にして絶対、至高の存在である、根本創造主のみであり、それを大宇宙意識と呼んでもいいかも知れません。
根本創造主である大宇宙意識が想像した事が、創造として物質化されたのが、この物理的大宇宙です。
物理的大宇宙は、根本創造主である大宇宙意識の意識を映し出す鏡の世界であり、ここに存在しているかに見える全てのものは、大宇宙意識の顕れに他なりません。
そして、物理的大宇宙は、仮相(仮の姿)の世界であり、幻の世界です。

自分という存在は、大宇宙に無数に存在する座標軸の中の一つの点であり、一つの視点から、この大宇宙を映し出して見ているという事になります。
自分が映し出して見ているのは、自分の意識が投影された自分の内面の世界、インナーワールドであり、自分が見ている世界は、我一人の世界であり、そこには、自分しかいないのです。
そして、自分という存在も、大宇宙に無数に存在する座標軸の中の一つの点にしか過ぎないので、自分自身すら、本当はいない、という事になります。

自分が見ている現実世界とは、我一人の世界であり、自分しかいない世界なのですが、自分という者すら、本当はいる訳ではないので、自分すらいない世界であり、誰もいない世界だという事になります。

自分が見ている現実世界には、本当は誰もいません。
ただ、根本創造主ともいうべき大宇宙があるだけなのです。

根本創造主の孤独

私達人間は、自と他が分かれた世界の中で、愛する人がいない、恋人がいない、家族がいないと寂しさを感じ、孤独を感じたりします。
また、愛する人や家族がいても、お互いに理解し合えない時や、関係がうまくいっていない時には、孤独を感じたりします。
しかし、人間が抱く、それらの孤独感は、あくまでも、相対的な孤独と言ってもよいかと思います。

ところが、人間が抱く相対的な孤独とは違って、絶対的な孤独というものが、この大宇宙には存在します。
それが、根本創造主の孤独です。

大宇宙の根本創造主が孤独を感じるのかと思われるかも知れませんが、大宇宙の根本創造主だからこそ感じる孤独、根本創造主にしか味わう事が出来ない孤独というものが、あります。
それは、私達人間が感じる相対的な孤独とは違う、究極的な孤独であり、絶対の孤独と呼んでもいいかも知れません。

この大宇宙には、絶対世界と相対世界があります。
絶対世界は実相の世界であり、ここには、唯一にして絶対、至高の存在である、根本創造主のみが実在しています。
これに対して、相対世界とは、根本創造主が想像したものが、物質化されて創造された、この物理的大宇宙の事を表します。

相対世界である、この現象界、物理的大宇宙とは、絶対世界にある根本創造主の意識を映し出す鏡の世界であり、根本創造主の光が物質化されて、様々な色、形、音などで表現された世界であり、言わば、幻の世界です。
大宇宙の全ては、根本創造主の光の中にあり、大宇宙に存在する無数のものは、全て、根本創造主の顕れに他なりません。

そして、絶対世界に実在するのは、唯一にして絶対、至高の存在である、根本創造主のみであり、絶対世界とは、色も形も音も無い、非物質な実相の世界であり、そこにあるのは、敢えて分かりやすく表現するとすれば、意識、心、知性、気付き、気というような言い方になるかと思います。

それを、大宇宙意識とか、全知全能の知性とか、無限定の気付き、というような言葉で表現出来るかも知れません。

この大宇宙には、根本創造主の純粋意識のみが実在しています。
そして、それは、未来永劫変わる事がありません。

根本創造主の目から見ると、この大宇宙には、自分自身しか存在していないという事になります。
その事を、孤独という言葉で表現するとしたら、この孤独は、絶対の孤独という言い方が出来るかも知れません。
私達人間が抱く相対的な孤独では無く、絶対的な孤独であり、それは永遠に変わる事がありません。

根本創造主の目から見ると、この大宇宙には、未来永劫、永遠に、自分自身しか存在していないという事であり、敢えて孤独という表現を使うとすれば、それは、究極的な孤独であり、絶対の孤独であるという事になります。

サンスクリット語に、リーラ(神の戯れ)という言葉があり、全ては神の戯れであるという考え方があるようです。
この大宇宙の森羅万象の全てが神の戯れであり、唯一にして絶対、至高の存在である根本創造主の意識の中で繰り拡げられる、壮大なゲームであると言ってもいいかも知れません。

純粋意識である根本創造主は、未来永劫、永遠に変わる事の無い、究極的な絶対的な孤独の中で、全知全能の力で、ありとあらゆる事を想像し続けており、それが物質化され創造されて大宇宙の森羅万象が営まれています。
そして、大宇宙の営みの全てが大宇宙の光の中にあり、全ては神の戯れ(リーラ)であり、根本創造主が織り成す壮大なゲームであると言えるかも知れません。


絶対の静寂(しじま)ー絶対世界とは

絶対の静寂(しじま)という言葉があります。
この、絶対の静寂というのは、絶対世界にのみ存在します。

この大宇宙は、絶対世界と相対世界から成り立っています。
絶対世界とは、実相の世界であり、非物質な世界です。
絶対世界には、唯一にして絶対、至高の存在である、根本創造主のみが実在しています。

これに対して、相対世界とは、根本創造主の意識を映し出す鏡としての現象界である、物理的大宇宙の事を指します。
相対世界は、仮相の世界であり、根本創造主の意識が、様々な色、形、音を伴って表現された、言わば、幻の世界です。

色、形、音などは、全て、相対世界のものであり、幻です。
絶対世界には、色も形も、音もありません。
音で言うなら、絶対世界にある音は、絶対の静寂(しじま)のみ、という事になります。
音無き音の世界が、絶対世界ということになります。

色、形、音などは、それがどんなに妙なるものであったとしても、色、形、音である限りは、全て、相対世界のものです。
天上界あるいは、神界を想わせるような、妙なる色、形、音だったとしても、それは周波数の違いだけであり、やはり、相対世界に属するものになります。

色で言うと、人間の肉眼で見える光線はある限られた範囲のものであり、可視光線の外にある紫外線などは、目には見えません。
そして、それは、周波数の違いということになります。
音で言うと、人間の耳で聴ける可聴音は、ある限られた範囲のものであり、その範囲を超えた周波数は、耳では聴こえませんが、存在しています。
ですから、天上界の音楽、天界の調べを想わせるような、妙なる音があったとしても、周波数が違うだけであり、それはあくまでも、相対世界のもの、という事になります。

絶対の静寂である絶対世界には、色も形も音も無く、唯一にして、絶対、至高の存在である、根本創造主の純粋意識のみが実在しています。
それを、大宇宙意識と呼んでもいいかも知れませんし、全知全能の知性、あるいは、無限定の気付き、と呼んでもいいかも知れません。

我一人の世界

自分が見ている現実世界とは、自分の意識を投影した世界であり、自分の中にある心の心象風景を、あたかもスクリーンに映し出すが如く投影した世界です。
自分の中にある心の心象風景を、あたかも映画でも観るように、現実というスクリーンに映し出して見ているということになります。

自分の脳が画像処理した結果を映し出して見ている訳で、言わば、幻です。
確かだと思っている現実世界は何処にも無く、心の内の世界、インナーワールドです。
あくまでも自分の内面の世界が外に映し出されているだけなので、自分の他には本当は誰もいる訳ではなく、我一人の世界、ということになります。

自分の目に映る全てが自分自身だとも言えます。
全てが主観の世界であり、太陽も月も星も、宇宙の果てまで心の中の景色であり、客観的世界など何処にも無いとも言えます。

多くの人達は、確固たる確かな世界があり、それが現実世界だと考えているようです。
自分が居て、自分以外の者達が居ると考えているようです。
しかし本当は、確かだと思っている現実世界は何処にもありません。
自分の目に映る世界には、自分しかおらず、我一人の世界だというのが真相なのです。


大宇宙の森羅万象の全ては、一つの力学により動いている

大宇宙の森羅万象の全ては、一つの力学により動いています。
大宇宙を貫く一つの力学があり、それが森羅万象の全てを動かしているということになります。

そして、その力学を司っているのは、もちろん、唯一にして絶対、至高の存在である、大宇宙の根本創造主ということになります。
究極的に言えば、この大宇宙には、根本創造主しか実在していないので、森羅万象の全てを司っているのは、根本創造主であり、根本創造主が司る一つの力学に基づいて、大宇宙の営みが運行されているのであり、大宇宙を貫く一つの普遍的な法則があると言うこともできるかも知れません。

森羅万象の全ては根本創造主が行っているので、私達人間を始め、大宇宙に存在する無数の存在達が行っている事は、本当は何も無い、というのが、真相になります。

私達人間も、心臓の鼓動一つ自分の力で動かしているわけではなく、生かされているのであり、大宇宙に生かされた上で、何かを考えたり行動したりしているわけです。
自分の力では一瞬たりとも存在すら出来ないのが真実なので、自分が考えたり行動したりしている背後には、必ず大宇宙の見えざる意図が働いているのであり、大宇宙の見えざる意図が万物を貫いているということになります。

意図(イト)と糸(イト)は、同じ言霊(ことだま)を持っています。
私達人間を始め万物は、根本創造主の見えざる意図(糸)で操られている存在であり、言わば、大宇宙の操り人形のようなものです。

そして、それは決して悲観的なことではありません。
神道的な表現を借りれば、神(大宇宙)の分霊(わけみたま)である私達の魂は、魂の進化の場として、大宇宙に無数にある中の一つの座標軸を自ら選んで、今この時空に存在しているのであり、無限の大宇宙の中の一つの役割を、自ら望んで演じさせていただいているのです。

このことが理解出来れば、自分という存在も、本当は居るわけではなく、大宇宙の無数の座標軸の中の一つの点であることが解ります。
自分という者も本当は居る訳ではなく、大宇宙の無数の座標軸の中の一つの点に過ぎないことが解れば、自分という存在を、認め、受け入れ、許せるようになると思います。

そして、自分自身が座標軸の一つの点に過ぎないことが理解出来れば、自分の周りの人達も全て、大宇宙の無数の座標軸の中の一つの点を演じて下さっているだけなのだと解り、その人達のことも、認め、受け入れ、許せるようになると思います。

また、自分が座標軸の中の一つの点を演じさせて頂いただけなのだと理解出来れば、過去について、徒に後悔する必要もなくなります。
全てが、根本創造主の意図(糸)による必然の中で動いていますので、自分の過去は、100%なるべくしてなったのであり、寸分の狂い、一点一画の違いもなく、起こるべき事が起こり、なるようにしてなったのであり、他に選択の余地があったなどと考え後悔したりするのは、自分の力で生きているという勘違い、錯覚にしか過ぎないということになります。
全ては、大宇宙の計画の中の一コマだったということになります。

同じことが自分の未来についても言えますので、徒に未来を心配しても意味がないとも言えます。
なるようにしかならない、という言い方も出来ますし、なるようになる、という言い方も出来ると思います。
自分がどんなに一生懸命生きてみたところで、所詮は、神(大宇宙)の手の中ということになります。
全ては、大宇宙の計画の中、ということです。

大宇宙の森羅万象の全てが、一つの力学により動いていることが感じられると、自分の中を吹き抜けていく、大宇宙の風のようなものを感じられるかも知れません。
そして、それが感じられる時、自分という者も、本当は居るわけではなく、大宇宙の中の座標軸の一つの点であることを想い出し、我を解放させることが出来ると思います。

未来からやって来る時間(時間の流れは未来→現在→過去)

時間とは幻想であり、本当は、時間というものは存在していません。
「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき「今この時」しか実在していないのが真相なのです。
そして、「今」という「時」しか実在していないので、時間というものも本当は流れているわけではなく、過去も未来も、今同時に存在しています。

ただ、あえて時間の流れというものを想定するならば、時間の流れとは、多くの人が考えている、過去→現在→未来という流れではなく、その逆の、未来→現在→過去という流れになります。
時間とは、未来から流れて来るもの、と言ってもいいかも知れません。

この事は、多くの人にとってなかなかイメージしにくいのではないかと思いますが、時間は幻想であり、本当は時間は存在していないという事、そして、過去も未来も今同時に存在しているという事が体験的に実感出来れば、自ずと理解出来る事なのです。

ところで、私達の太陽系が属する天の川銀河には、数千億もの恒星(太陽)があると考えられています。
そして、天の川銀河の数百倍の速さで年1000個もの星が誕生する「モンスター銀河」が196個まとめて最近発見されましたが、この無限の大宇宙には、無数の銀河が存在するものと思われます。

そして、以前書きましたが、無限の大宇宙そのものには、始まりも無ければ終わりも無いのですが、個々の銀河には、始まり(誕生)とともに終わり(死・終着点)もある筈です。
そして、ある一つの銀河が誕生した時、その最後(終着点)も同時に創造されて存在しています。
ある銀河が誕生した時には、その最後(終着点)はもう既に決まっており、そこに同時に存在しているのです。

そして、最後の終着点から、最初の発生点に向って、時間が流れて来るとイメージするとよいかも知れません。
ある一つの銀河が白紙の状態で誕生してから偶然の積み重ねで悠久の長い時を経て最後に終わり(死)を迎えるのではなく、ある一つの銀河が誕生したと同時にその最後の死(終着点)も決まっており、その最後の終着点(ゴール)から発生点(スタート)に向って、プロセスとしての時間の流れがやって来ているとイメージすると分かりやすいかも知れません。

もう少し身近な例を使って分かりやすく説明出来るかも知れません。
仮に私達が、土地を所有しており、1年後に必ずそこに家を建てる事に決めたとします。
そうすると、どんな家にしたいかという設計図や、必要な資金、どの業者に委託するか、というような、様々な事が必要になるかと思います。

そして、最終的に、完璧な設計図と細部にわたる部品の詳細、委託する業者、必要な資金などが揃えば、その家は建ったも同然と言えます。
そして、1年後に必ずその家を完成させると決めた時、1年後の完成時点(ゴール)から遡って何をいつまでにしなければいけないというタイムスケジュールが決まってくると思います。

基礎工事をいつまでに終わらせ、柱や屋根などの土台をいつまでに仕上げ、外壁をいつまでに終わらせ、内装をいつまでに仕上げ、配線や電気・ガス・水道をいつまでに仕上げ・・・という具合に、1年後の未来から現在に向って、プロセスがやって来る、流れて来ると思います。

基礎工事をやり、土台を作り、外装や内装をやり、配線などをやった結果、たまたま1軒の家が完成したわけではない筈です。
順番が逆であり、完成した家の詳細な設計図・完成形に合わせて、順番に、基礎工事や土台作りや、外装・内装など、必要な全ての作業を行ったのだと思います。

これと同じ事が私達の人生についても言えます。
多くの人達は、過去から現在に向って時間が流れており、過去の積み重ねにより現在があると考えています。
これも順番が逆であり、私達の人生は、生まれて来る前から既に決まっており、その決まっているとおりに、物事が順番に展開しているだけなのです。

過去の積み重ねで現在があるように見えますが、実は、既に決まっている未来のプロセスとして現在がやって来ているということなのです。

多くの人達は、過去の積み重ねで現在があり、原因があって結果があると考えています。
実は、原因というのは、結果によって選ばれているのです。
原因があって結果があるというより、順番が逆で、ある結果をもたらす為に、その原因が作られているということなのです。

ちょうど、先程の家を建てるという例えで言えば、基礎工事をやり、土台を作り、外装や内装をやった結果として、偶然、家が出来上がった訳ではなく、ある家を完成させるという結果を得る為に、その原因となる基礎工事や土台作り、外装や内装をプロセスとして順番に行った訳です。
原因があって結果があるというより、ある結果を得る為に、その原因を作ったと考えるほうが理解しやすいと思います。

私達の人生も、これと同じようなものなので、白紙の状態で生まれて来て、偶然の積み重ねで過去から現在、そして未来へと人生が形成されて行く訳ではなく、生まれて来た時点で既に人生は決まっており、その最終地点・ゴールである死から流れて来る時間の中で、必要な出来事が順番に展開しているだけなのです。

未来から時間がやって来て、必要な出来事が次々に起こりプロセスが展開しているだけなのだと分かれば、徒に過去ばかりを見てため息をついたりする必要もなく、むしろこれからは、未来に目を向けて、どんな未来がやって来ているのかを感じながら生きられるようになるのではないかと思います。

未来とは、未だ来ずと書きます。
未だ来てはいませんが、未来からの時間は現在に向って確実に流れて来ています。

未来は既に確定的に存在しています。
そして、その未来から時間はやって来るので、未来を感じて今を生きる、明日を感じて今日を生きる、という生き方が大切になると思います。

全ては大宇宙の計画の中

大宇宙の森羅万象の全ては、大宇宙の計画の中にあります。
どんな些細な事であっても、全てが大宇宙の計画の中にあり、全ての事象が寸分の狂いも無く大宇宙の計画どおりに進んでいます。

何人(なんびと)たりとも、いかなる存在であっても、大宇宙の計画の外には一歩たりとも出る事は出来ず、全ては大宇宙の調べの中にあります。

何故なら、究極的には、この大宇宙には、唯一にして絶対、至高の存在である根本創造主しか実在しておらず、大宇宙の森羅万象の全ての営みは、根本創造主が織り成す壮大な織物であり、壮大なゲームのようなものとも言える世界だからです。

そして、私達一人一人は、大宇宙に存在する無数の座標軸の中の、ある一点とも言えます。
大宇宙に存在する無数の視点の中の、ある一つの視点が私達という存在であるとも言えます。

そして、私達の真我とも言うべき魂の計画は、大宇宙の計画とピッタリ一致しています。
私達の真我である魂は、大宇宙の計画の中の座標軸のある一点を演じる事を希望して、今この時空に存在しています。

全ては大宇宙の計画の中にあり、いかなる存在であろうとも、その外には一歩も出られないというのは、ある意味においては、とても厳しい事であり、空恐ろしいような事かも知れません。
何故なら、どんなに強く望もうが、どんな努力をしようが、もしその事が大宇宙の計画の中になければ、決して実現する事はないということになるからです。

私達が肉体の自我意識で、何か夢を実現したいとか、誰それと結婚したいとか、何かを手に入れたいとどんなに強く望んでどんなに努力したとしても、もしそれが私達の真我である魂の計画、すなわち大宇宙の計画の中に無ければ、その夢は決して実現される事は無いからです。
峻厳犯すべからざる真理というものは、厳格なものであり、ある意味においては、情け容赦がないとも言えるかも知れません。

また一方では、全ては大宇宙の計画の中にあり、その一部である我が魂の計画の中に私達の人生もあるというのは、とてもありがたい事であり、心の平安が得られ、我を解放出来る事であるとも言えます。

何故なら、私達が何か夢を実現したいとか、誰かと結婚したいとか、何かを所有したいというような事を、特別強く望んだり努力したりしなくても、もしそれが大宇宙の計画の一部である我が魂の計画の中にあるならば、状況が整えられて物事は自然と成就するようになるからです。
真理というものは、厳格なものであると同時に、とてもありがたく、心の平安を得られるものだとも言えるかも知れません。

私達の人生は全て、大宇宙の計画の一部である我が魂の計画の中にあるのだという事が理解できれば、徒に過去を後悔する必要もなく、未来を心配する必要も無くなります。
そして、私個人という存在も、本当はいる訳ではなく、大宇宙に存在する無数の座標軸の中のある一点である事が理解出来れば、我を解放する事が出来ます。

私達の真我である魂は、魂の進化を求めて、魂のさらなる輝き、すなわち光輝く魂になる事を求めて、大宇宙の計画の中のある一点の座標軸を選択してこの時空に存在しているのであり、全ては我が魂の計画の中、全ては大宇宙の計画の中にある事を知る事が、我の解放へとつながります。

大宇宙の全ては完

この大宇宙の全ては、完璧であり、完成された完全なる世界です。
毎瞬毎瞬、大宇宙のどの断面(場面)を切り取ったとしても、そこは完全なる世界であり、不足・不備、矛盾、間違いなどは存在していません。
この大宇宙には、間違いなるものは何一つ存在していないというのが真相なのです。

なぜなら、この大宇宙には、究極的に言えば、唯一にして絶対、至高の存在である根本創造主しか実在しておらず、大宇宙の森羅万象の全てが、根本創造主が織りなす壮大な織物のようなものだからです。

この物理的大宇宙に存在する全てのものを生み出し、生かしているところの、全知全能の存在である根本創造主に、間違いなどあろう筈はありません。
たとえこの世界に、様々な問題・矛盾・悪・間違いと思えるようなものが感じられたとしても、森羅万象の背後にある根本創造主の御心は計り知れないものなので、どんな時でも、大宇宙の全ては完であることを想い出すことが大切になります。

そして、大宇宙には何一つ間違いは無く、全ては完であることを知る為には、この現象界(物理的大宇宙)は仮相(仮の姿)の世界であり、言わば幻の世界であり、一切が無の世界であることを知る必要があります。

この現象界は幻の世界であり、一切が無の世界なので、本当は、何も失われることなく、傷付けられたりするということもありません。
全ては、唯一者である根本創造主の光の中で繰り広げられる壮大なゲームとも言える世界なのです。
自分の身の周りで起きる事や様々なニュースなどに自分の心が反応して、矛盾・間違いのようなものを感じた時には、大宇宙の全ては完であることを信じる力が試されているのだと言う事を想い出す事が大切だと思います。

物理的大宇宙は幻の世界であり、一切が無の世界であるということについては、別の機会にさらに詳しく書きたいと思います。

                つづく

全ては神の戯れ(リーラ)

サンスクリット語に、神の戯れというような意味を表す「リーラ」という言葉があるそうですが、この大宇宙の森羅万象の全てが、実は、神の戯れとでも呼ぶべきものなのです。

以前書きましたが、この大宇宙には、絶対世界と相対世界があります。
そして、絶対世界に唯一実在しているのは、根本創造主である大宇宙意識のみであり、大宇宙意識が想像した事が、瞬時に創造された世界が、相対世界であるところの、この物理的大宇宙なのです。
ですから、大宇宙の森羅万象の全ては、大宇宙意識の想像の産物であり、大宇宙に存在する全てのものは、大宇宙意識の顕れに他なりません。
大宇宙意識のことを、仮に神と表現するなら、大宇宙に存在する全てのものは神の顕れであり、大宇宙の森羅万象の全ては神の意志によるものだということになります。

では、唯一にして絶対、至高の存在である神は、様々な無数の創造物を生み出し、森羅万象の全てを創造して何をされているのかと言えば、御自身が想像された世界を体験し、味わっているのだとも言えそうです。
言わば、神は神御自身を体験されているのだともいえます。
ですから、大宇宙の全ては神の光の中にあります。

大宇宙の森羅万象の全ては、根本創造主である神の壮大なゲームであり、神の壮大な遊びの世界であり、全ては神の戯れ(リーラ)であるとも言えます。

生物住める可能性ある新惑星を発見

太陽系の外の、地球から20光年のところに、地球のように生物が住める環境を備えている可能性がある新たな惑星を発見したと、カリフォルニア大学などの研究グループが9月29日に発表し、注目を集めているとの事です。

このグループは、ハワイにある世界最大級の望遠鏡、「ケック望遠鏡」を使い、てんびん座にある、地球から20光年離れた「グリーゼ581」という星に注目し、その周りを回る惑星を11年間にわたって観測しました。

その結果、新たに見つかった惑星のうちの1つについて、光や熱を発する「グリーゼ581」との距離が、水が凍ることなく液体のまま存在できるとみられる、丁度よい距離にあるほか、重力が地球とほぼ同じで、大気を保つことができる可能性が高く、生物が住みやすい環境を備えていることがわかりました。

これまでに、ほかの研究グループなどが「グリーゼ581」の別の2つの惑星に生物が住める可能性があると指摘していますが、今回見つかった惑星が、最もよい条件を備えているということです。

この惑星に実際に水や大気が存在するのかどうかは確認できておらず、NASA=アメリカ航空宇宙局も、さらなる裏付けのための研究が必要だとしていますが、アメリカの主要メディアが、こぞって取り上げるなど注目を集めているとの事です。

丁度同じ日の9月29日、「モンスター銀河196個発見=年1000の星誕生」という国立天文台や東京大学による別の研究発表があり、ブログにも取り上げましたが、今回のこのニュースも、無限の大宇宙の広大無辺さを知る旅のプロセスにおいては、ほんの小さな発見にしか過ぎないとも言えるかも知れません。

無限の大宇宙の中で、地球というこの小さな星にしか生物が生存しないと考える事自体、地球を中心にした、とても不自然な考え方のような気がします。

この太陽系が属する天の川銀河だけでも、数千億の恒星(太陽)があると考えられています。
そして、天の川銀河の数百倍の速さで年1000個もの星が誕生する「モンスター銀河」を196個まとめて発見したという発表が、同じ日にされたばかりです。

ブログの中で書きましたが、196個のモンスター銀河でさえ、無限の大宇宙の中では、ほんの一部にしか過ぎないと言えると思います。

今後、科学が進歩すればする程、この大宇宙の広大無辺さが少しずつ分かり始め、知れば知る程、この大宇宙は極まり無い世界だという事を思い知らされる事になります。

この大宇宙とは、別名、無限と呼んでもいいかも知れません。
そして、実際、この大宇宙とは無限の世界なのです。
なぜなら、唯一にして絶対、至高の存在である大宇宙の根本創造主は全知全能の存在なので、その創造力には限りが無いからです。

無限とは、「限り無し」と書きます。
大宇宙の根本創造主である大宇宙意識の「想像力=創造力」には限りが無いので、銀河を何個までしか「想像=創造」出来ないとか、生物が住む星を、地球1個だけしか「想像=創造」出来ない、などという事は無いからです。

私達人類は、ほんの数百年前まで、この地球という星が大宇宙の中心にあり、その周りを太陽が回っているという、天動説を信じていました。
しかし、本当は、地球は太陽の惑星であり、地球が太陽の周りを回っているのだという地動説を受け入れざるを得なくなりました。

今後、科学が進歩すればする程、今回のような、生物が住める可能性のある惑星が次々に発見されるだけではなく、実際に生物が住んでいる惑星も、次々に発見されていく事でしょう。

モンスター銀河196個発見=年1000の星誕生

地球がある天の川銀河の数百倍の速さで年1000個もの星が誕生する「モンスター銀河」を196個まとめて発見したと、国立天文台や東京大学などの研究チームが、昨日・9月29日発表しました。
英王立天文学会誌の電子版に近く掲載されるとの事です。

見つかったのは80億年以上前のモンスター銀河で、宇宙137億年の歴史の中で、初期の巨大銀河の大量発見は世界初だとの事です。
モンスター銀河の形成過程や、宇宙に存在する謎の暗黒物質(ダークマター)の分布を解明する手掛かりになるとの事です。

今回のニュースは、無限の大宇宙の広大無辺さへの理解をさらに一歩深めるものだとは思いますが、今後人類が、無限の大宇宙の広大無辺さをより深く知って行く旅のプロセスにおいては、ほんの序の口にしか過ぎないとも言えます。

人類は、現在の科学が認識できる枠の中でしか、この無限の大宇宙を認識出来ませんが、科学がより進歩して枠が大きくなればなる程、大宇宙の無限さをより深く理解出来るようになる筈です。

そして、無限の大宇宙を知る旅に終わりは無く、知れば知る程、無限の大宇宙は計り知れないものだという事を知る事になります。

そして、科学が進歩すればする程、私達は、「無限」という言葉が持つ本当の奥深さを思い知らされる事になります。
「無限」とは、「限り無し」と書きます。

「無限」から見れば、年1000個の星を誕生させるモンスター銀河の196個などは、ほんのごく一部でしかないとも言えそうです。

そして、137億年前に宇宙が誕生したというのも、今の科学の枠の中で捉えた認識にしか過ぎないという事に、いずれ気付く時が来る筈です。

今回のこの発見も、今までの宇宙研究の歴史においては大きな一歩であるとともに、これから無限に続く宇宙探求の旅のプロセスの中では、ほんの小さな一歩にしか過ぎないとも言えそうです。

それ程、無限の大宇宙の広大無辺さは、計り知れないということなのだと思います。

永遠とは

永遠という言葉は、はるか悠久の時の流れ、気の遠くなる程の永い時間、というような意味でよく使われているかと思います。
確かに、永遠という言葉は、とてもとても永い時間というものをイメージさせる言葉だと思います。

しかしながら、永遠とは、別の言い方をするなら、「今この時」ということになります。
はるか悠久の時間と、「今この時」とは、まるで正反対の対極にあるような感じですが、「今この時」というものこそ、永遠というものの本質なのです。

以前書きましたが、時間とは幻想であり、本当は時間は存在していません。
この大宇宙には、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき「永遠(えいえん)」の「今」しか実在していないのが真相なのです。
永遠とは、別の言い方をするなら、時間は存在していない、ということであり、「今」しか存在していない、ということなのです。

「今」という「この時」しか実在していない、だからこそ、永遠なのです。
これはちょっとイメージするのが難しいかと思いますが、「今」という「この時」しか実在していないからこそ、それを永遠と呼ぶことが出来るのです。

今の地球の科学では、約137億年前に宇宙が誕生したと考えているようです。
137億年という時の流れは、人間の時間の感覚からすると、気の遠くなるような時間かも知れませんが、無限の大宇宙から見れば、ほんの一瞬かも知れません。

それはともかく、137億年というのは、たかだか137に0(ゼロ)が8個ついただけの数字でしかありません。
1000億年であろうと、1000兆年であろうと、あるいは1000京年であろうと、それらは、所詮、有限の時間でしかありません。
仮に137に0(ゼロ)を1億個つけたとしても、所詮は有限な時間でしかないので、本当の意味で、それを永遠と呼ぶことは出来ないということになります。

そして、「今」という「この時」しか存在しないからこそ、それを永遠と呼ぶことが出来るのです。

この事は、時間は幻想であり、本当は時間は存在していない、という事を体験して知らない限りは理解出来ないと思いますが、もし体験出来れば、自ずと理解出来る事だと思います。

「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
究極的には時間は存在しておらず、「今」という名の「永遠(えいえん)」の「時」があるだけなのです。
私達は今、「永遠(とわ)の中今」に生きています。


想像=創造

イメージするという意味の「想像」と、クリエイトするという意味の「創造」は、どちらも「そうぞう」と読み、同じ言霊(ことだま)を持っています。

実は、大宇宙の本質的な世界においては、想像も創造も同じ事なのです。
想像(そうぞう)=創造(そうぞう)ということになります。

以前書いたとおり、この大宇宙は、絶対世界と相対世界という二つの世界から成り立っています。

絶対世界とは、実相(本質)の世界であり、そこには、唯一にして絶対、至高の存在である、根本創造主のみが実在しています。
絶対世界とは非物質な世界であり、そこは、あえて分かり易い表現をするとしたら、意識、心、気というような世界なので、ここでは便宜上、根本創造主のことを、大宇宙意識と呼ぶことにします。

一方、相対世界とは、仮相(仮の姿)の世界であり、現象界としての、この物理的大宇宙の事です。
絶対世界にある大宇宙意識の中の心象風景・イメージを、映し出し体験する為の世界です。
非物質な世界にある大宇宙意識の心象風景・イメージが、あたかも鏡に映し出すが如く物質化されて創造された世界、それがこの物理的大宇宙ということになります。

全知全能の根本創造主である大宇宙意識がイメージした事、想像した事が、そのまま100%、この物理的大宇宙に創造されるという仕組みになっているというわけなのです。
まさに、想像=創造、ということなのです。

想像(絶対世界にある大宇宙意識のイメージ・心象風景)=創造(相対世界の物理的大宇宙に物質化)

この物理的大宇宙とは、絶対世界にある大宇宙意識の想い、すなわち「想像」が100%、光により物質化されて「創造」された世界なのです。

「想像」と「創造」が、ともに「そうぞう」という言霊(ことだま)を持っているのは、本当に、意味が深いと感じます。

この大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無い

この物理的大宇宙には、始まりも無ければ終わりもありません。
この物理的大宇宙は、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも未来永劫に亘って存在し続けます。

現代の科学では、宇宙の誕生というものを、約137億年位前と捉えているようです。
しかし、これはあくまで、現在の地球の科学が捉えている認識にしか過ぎません。
科学者はあくまでも、理論・理屈でしか捉えられないので、この大宇宙の誕生以前、すなわち、大宇宙が存在しない時があったなどという事を、本気で考えているのだと思います。

この物理的大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無い、という事は、頭で考えても決して理解できる事ではなく、この大宇宙の本質というものを、実際に体験して初めて、理解できる事だと思います。

今私が大宇宙と呼んでいるのは、この大宇宙全体の事を指していますので、個々の銀河宇宙の事ではありません。
私達の太陽系が属する銀河は天の川銀河と呼ばれていますが、それは、この大宇宙のほんの一部でしかなく、たくさんの銀河がこの大宇宙には存在するものと考えられています。
そして、個々の銀河には、確かに、誕生と最後(終わり)がある筈ですが、それらは、無限とも呼ぶべきこの大宇宙のほんの一部でしかないので、大宇宙そのものが存在しないという事は、あり得ないことなのです。

この大宇宙は、絶対世界と相対世界という二つの世界から成り立っています。
絶対世界とは大宇宙の実相(本質)の世界であり、ここには、根本創造主のみが実在しています。
そして、絶対世界とは非物質な世界なので、あえて分かり易い表現をするとしたら、そこに存在するのは、意識、心、気というようなものだという事になります。
ここでは便宜上、大宇宙意識と呼ぶことにします。

一方、相対世界とは仮相(仮の姿)の世界であり、現象界としての物理的大宇宙のことです。
絶対世界にある大宇宙意識の中の心象風景とも呼ぶべきものを映し出し体験する為の世界です。

絶対世界にある大宇宙意識が想像(そうぞう)した事が、相対世界である物理的大宇宙にそのまま創造(そうぞう)されているのです。絶対世界と相対世界は、表裏一体、密接不可分の関係として、同時に存在しています。

絶対世界にある大宇宙意識の想像(そうぞう)が瞬時にそのまま、あたかも鏡に映し出すが如く、相対世界であるところの、現象界としての物理的大宇宙に創造(そうぞう)されるのです。
ですから、絶対世界の方が本質の世界だからと言って、絶対世界だけで存在できるわけではなく、必ず相対世界とセットになって同時に存在しています。

また、時間とは幻想であり、本当は時間は存在していません。
この大宇宙には、「永遠(とわ)の中今」とも呼ぶべき、「今この時」しか実在していないのが真相なのです。

「永遠(とわ)の中今」という「今この時」、絶対世界に大宇宙意識が実在し、大宇宙意識の想像(イメージ・心象風景)が創造された(映し出された)物理的大宇宙(相対世界)が存在する、ただそれだけなのです。

絶対世界に実在する、根本創造主であるところの大宇宙意識とは非物質な存在なので、消滅したりするようなものではなく、永遠に存在しています。
そして、それを映し出す鏡としての相対世界(物理的大宇宙)もまた、永遠に存在しているという事になります。

従って、この大宇宙には始まりも無ければ終わりも無い、ということになります。


大宇宙の全ては光の中、調和した完璧な世界

この物理的大宇宙は、根本創造主とも言うべき唯一の実在である、大宇宙意識によって創造された世界なので、この大宇宙の全ては光の中にあります。
そして、それは調和した世界であり、完璧な世界だということになります。

ですから、この大宇宙には、何一つ欠けたところも、矛盾するところもありません。
ただ、私達人間は、自分の認識できる範囲でしか物事を捉えることができないので、大宇宙にある様々な紋様の一面だけを捉えて、矛盾、不調和、不完全さというようなものを感じがちだと思います。

この物理的大宇宙は、偶然の産物などでは決してありません。
森羅万象の全てが、根本創造主とも言うべき大宇宙意識によって営まれています。
そして、私達人間には、大宇宙意識の御心というものが、深く理解できないというだけなので、大宇宙の全てが光の中にあり、調和した完璧な世界なのだということを、常に忘れないことが大切だと思います。

絶対世界と相対世界

この大宇宙は、絶対世界と相対世界という、二つの世界から成り立っています。

絶対世界とは、実相の世界であり、非物質な世界です。
相対世界とは、仮相(仮の姿)の世界であり、現象界としての物理的大宇宙のことです。

そして、絶対世界には、たった一つの実在しかありません。
それは、言ってみれば、この大宇宙の根本創造主ということになるのですが、この大宇宙には、唯一にして絶対、至高の存在である、根本創造主だけが実在しているという事なのです。

そして、絶対世界とは、非物質な世界なので、そこに実在するのは、あえて表現するなら、意識、心、気と呼ばれるような類のものだということになります。
ここでは便宜上、大宇宙意識と呼ぶことにしますが、この大宇宙には、大宇宙意識しか実在していないということになります。

そして、大宇宙意識を映し出す鏡の世界が、現象界である、この物理的大宇宙なのです。
大宇宙意識がまず絶対世界に実在し、それを鏡に映し出し体験する場として、相対世界であるところの、この物理的大宇宙が創造されているということになります。

絶対世界と相対世界は、表裏一体、切っても切れない密接不可分の関係として、同時に存在しています。

相対世界である物理的大宇宙にあるものは全て、絶対世界にある大宇宙意識が表現されたものなので、もし神という言葉を使うとしたら、この物理的大宇宙にある全ては神の顕れであると言うことができます。
そして、この物理的大宇宙は全て神の光の中にある、と言うことができます。

絶対世界にある大宇宙意識を映し出し体験する為の世界が、現象界としての物理的大宇宙、すなわち、相対世界ということになります。

物理的大宇宙(現象界)とは、根本創造主の意識を映し出す鏡

先日、「色即是空 空即是色」というタイトルの中で書きましたが、この物理的大宇宙(現象界)は、仮相(仮の姿)であり、実相(真の姿)ではありません。

そして、この大宇宙の実相とは、非物質なものです。
それは、あえて解りやすく表現するとしたら、意識とか、心とか、気、とか呼ばれる類のものです。

そして、この大宇宙には、たった一つの実在しか存在していません。
それはもちろん、この大宇宙の根本創造主ということになるのですが、実は、この大宇宙には、根本創造主だけが実在しているのです。

そして、根本創造主とは、一つの表現方法として、ある意識と呼ぶことができますので、ここでは、便宜上、大宇宙意識と呼ぶことにします。
この大宇宙には、唯一にして絶対、至高の存在である、大宇宙意識のみが実在しているということになります。

そして、根本創造主である大宇宙意識の中にある心象風景を映し出す鏡の世界が、この物理的大宇宙である現象界なのです。

現象界である物理的大宇宙は、仮相(仮の姿)であり、幻の世界です。
そして、この大宇宙の森羅万象の全てが、唯一の実在である大宇宙意識の中にある心象風景が表現されたものなので、全ては神の顕れであり、全ては光の中、と言うことができます。

宇宙の根本主体である大宇宙意識は、自らの意識の中にある心象風景を映し出し体験する場としての現象界(物理的大宇宙)を必要とします。
現象界(物理的大宇宙)が仮相(仮の姿)であり、幻だからと言って、必要ないわけではなく、大宇宙の実相である大宇宙意識と、それを映し出す鏡の世界としての現象界(物理的大宇宙)とは、表裏一体、密接不可分の関係として同時に存在しています。

この現象界(物理的大宇宙)の森羅万象の全てが、根本創造主である大宇宙意識の中にある心象風景を映し出し体験する為のものなのです。

色即是空 空即是色

般若心経の中に、有名な、「色即是空 空即是色」という言葉があります。
あまりにも有名な言葉なので、多くの人に引用され、よく耳にする言葉だと思います。

しかし、この「色即是空 空即是色」という言葉は、この大宇宙の真相を表していますので、その状態を体験しないことには、本当のところは理解できないと思います。
万巻の書物を読んだり、仏教を学び修行したから理解できる、というようなものではなく、実際にその状態を体験して初めて理解できる境地だと思います。

「色即是空 空即是色」という状態を、体験的に知って引用しているという人はほとんど見受けられないので、様々な人によって、様々な解釈がされているように感じられます。
中には、この言葉の持つ真理の一面を的確に捉えているものもあれば、全くとんでもない勘違いをされているという印象を受けるものもあります。

「色即是空 空即是色」という状態を体験すると、以下に述べるような事を、同時に理解することが出来ます。(それらは、分かれた別々の事ではなく、同じ事なので)

*この物理的宇宙は、どんなに広大無辺であろうと、仮相(仮の姿)であり、実相(本当の姿)ではない事。
宇宙の実相とは、非物質なものである事。
宇宙の実相とも言える大宇宙意識を映し出す鏡が現象界(物理的宇宙)である事。
現象界(物理的宇宙)は幻であり、本当の姿ではないが、宇宙の実相である大宇宙意識は、意識を映し出す鏡としての現象界(物理的宇宙)を必要とする事。
宇宙の実相である大宇宙意識と、それを映し出す鏡としての現象界(物理的宇宙)とは、表裏一体の密接不可分の関係として、同時に存在する事。(色即是空と言った後に、空即是色と言い換えているところに、とても深い意味があると思います)

*この大宇宙には、たった一つの実在しかない事。そして、それは、非物質なものであり、大宇宙意識と呼んでもいいかも知れませんが、とにかく、この大宇宙には、唯一にして絶対・至高の存在である、一つの心(意識)があるだけである事。
(古来、人はその唯一の存在を、神、仏、天、根本創造主、大宇宙、無限、宇宙意識、グレートスピリット、気、プラーナ、先天の一気、エネルギー・・・などと呼んできたのかも知れません。
そしてそれは、全てのエネルギーの源になっている、ある意識とでも呼ぶべきものであり、ここでは便宜上、大宇宙意識と呼んでおきます。)

*この大宇宙には、大宇宙意識しか実在していないので、全ては大宇宙意識が表現されたものであり、全ては神の顕れである事、そして、全ては光の中である事。

*時間とは幻想であり、本当は、時間は存在していない事。
この大宇宙には、「永遠(とわ)の中今」とでも言うべき、「永遠(えいえん)」の「今」しか実在していない事。

*この物理的大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無い、という事。
この物理的大宇宙は、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも存在し続けるという事。

*大宇宙の森羅万象の全てが、本来、無事象(意味が無い、中立)であるという事。

*全ては神の戯れとも言え、大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙意識の中で繰り広げられている、壮大なゲームであるとも言える事。
(サンスクリット語に、「リーラ(神の戯れ)」という言葉がありますが、その事を表現しているのだと思います。)

これらの事は、分かれた別々の事ではなく、本質的に同じことなので、大宇宙の本質とでも言うべき真相を体験した人には、自然に理解できる事だと思います。
逆に言えば、体験しないことには、決して理解できない事なので、「色即是空 空即是色」という言葉は難解とされ、様々な解釈を生んでいるのかも知れません。
その状態を体験できた時には、この大宇宙の本質は、ものすごくシンプルだということが理解できます。

今日は、要点だけを書きましたので、折に触れて、さらに詳しく書いていきたいと思います。

                      続く

時間は幻想

今日は、時間というものについてお伝えしたいと思います。

時間とは幻想であり、本当は、時間というものは存在していません。

いきなりこんな事を言われても、ほとんどの方が、何のことだかさっぱり分からないというふうに、首を傾げると思います。それは無理もないことで、時間は本当はない、ということは、体験しないことには理解できないと思います。
しかし実際には、時間というのは、人間が考え出した発明品、概念にしか過ぎません。

アインシュタインは、「過去・現在・未来という考え方は幻想に過ぎない」「時間が流れているというのは、有史以来人間にこびり付いた固定観念に過ぎない」と言っているようですが、アインシュタインの言葉を持ち出すまでもなく、過去から現在そして未来へと流れていく時間という考え方は、幻想にしか過ぎません。

本当は、時間は流れておらず、「今」という「時」しかありません。
古来、その事を体験的に知った宗教家などは、「永遠(とわ)の中今」という表現などで、その真実を伝えています。

本当は時間は流れておらず、「今」という「この時」しか実在していないというのは、アニメを例に取るとイメージしやすいかも知れません。

アニメは動画とも呼ばれ、様々な動きを表現することが出来ますが、実際には、一枚一枚の静止画から作られていることは、ほとんどの方がご存知だと思います。
一枚一枚の静止画を「今」という「この時」、アニメとして動画になったものを時間の流れ、というふうに考えてみると、イメージしやすいかも知れません。

そして、過去があって現在があり、これから未来が来るのではなく、過去・現在・未来は今同時に存在しています。

そして、あえて時間の流れという表現を使うならば、時間の流れとは、ほとんどの人が考えている、過去→現在→未来という流れではなく、その反対に、未来から現在に向って流れて来ています。

この点についても、ほとんどの人にはピンとこない感じで、なかなかイメージ出来ないのではないかと思います。
これもやはり体験しないことには知りようがないので、ある意味仕方がないことではありますが、この事を体験的に知っているチベットやネパールの高僧などの中には、時間は未来から流れて来ると語っている方もおられるようです。

時間の流れは過去からではなく、未来からやって来るという点については、別の機会にまた詳しく述べさせていただきたいと思います。

とりあえず今日のところは、時間とは幻想であり、本当は、時間は存在していない、という事を、どこか頭の片隅に入れておいていただけたら幸いです。

                         続く

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