日本の新しい調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌

大和富士ブログ|BLOG

2013年4月のアーカイブ

17 Entries

全てが主観の世界

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★全てが主観の世界

自分が見ている現実世界とは、自分の意識を投影した、自分の内面の世界、インナーワールドであり、自分一人の世界なので、全てが主観の世界です。

自分が見ている現実世界とは、客観的な世界などでは全くなく、全てが主観の世界なのです。

私達一人一人の人間は全て、自分の意識を投影した、自分の内面の世界を見ているので、全てが主観の世界を見ているのです。

一人一人が見ている現実世界は、それぞれ違うという事なのです。

客観的世界など何処にも無く、全てが主観の世界であると言えます。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より


自分一人の世界

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★自分一人の世界

自分が見ている現実世界とは、自分の意識を投影した、自分の内面の世界であり、インナーワールドなので、現実世界とは、自分一人の世界であると言えます。

あくまでも、自分の内面の世界が外に映し出されているだけなので、自分の他には本当は誰もいる訳ではなく、自分一人の世界、という事になります。

自分の目に映る全てが自分自身だとも言えます。

自分がいて、自分以外の何か確固とした客観的な世界が外にあり、それが現実世界なのではなく、現実世界とは、自分自身の意識の中にある世界であり、そこには自分しかいない、自分一人の世界なのです。

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拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

現実世界とは

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★現実世界とは

自分が見ている現実世界とは、自分の意識を投影した、自分の内面の世界を見ているのであり、全ては心の内の景色、言わば、幻です。

自分の心の中にある心象風景とでも言うべきものを、空間というスクリーンに映し出して見ているに過ぎません。

自分の脳の中にある内面の世界を、映像として映し出して見ているに過ぎないので、テレビや映画を見ているのと同じような状態だと言えます。
空間という、360度立体のバーチャルなスクリーンに映し出して、自分の内面の世界を見ているという訳なのです。

自分が見ている現実世界とは、自分の意識を映し出す「鏡」の世界であり、自分の脳が創り出した、言わば、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界なのです。

自分の外の世界に、何か確固とした客観的な現実世界がある訳ではなく、現実世界とは、自分自身の意識の中にあるのです。

自分が見ている現実世界とは、自分の意識が投影された、どこまでも自分の内面の世界なのであり、言わば、インナーワールドなのです。

私達は、自分自身の意識の内面の世界を、体験し、味わっているのです。

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拙書『魂の夢、光り輝く魂』より


一人一人が自分の宇宙(世界)の創造主

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★一人一人が自分の宇宙(世界)の創造主

自分が見ている宇宙(世界)とは、自分の意識の中にあるものなので、自分自身が、自分の宇宙(世界)の創造主です。

大宇宙意識の分霊(わけみたま)として、一つの支店として、一つの視点から、この大宇宙を映し出し、自分の宇宙(世界)を創造して体験し、味わっているのです。

ですから、自分が見ている宇宙(世界)とは、自分独自の宇宙(世界)なのです。

私達人間は、一人一人が、大宇宙意識の分霊として、それぞれ独自の「支店=視点(してん)」を受け持っていますので、自分独自の視点から、この大宇宙を映し出して見ています。

一人一人が、自分独自の視点から、自分独自の宇宙(世界)を創り出していますので、一人一人が、自分の宇宙(世界)の創造主なのです。

地球上に70億人の人間がいれば、70億通りの視点があり、70億通りの宇宙(世界)があるという事なのです。

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拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

意識の中に大宇宙がある

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★意識の中に大宇宙がある

相対世界である物理的大宇宙は、絶対世界に唯一実在する大宇宙意識により創られた世界なので、物理的大宇宙とは、大宇宙意識の中にあるものです。

同様に、本源の我であり、真我である我が魂は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、大宇宙に無数に存在する座標軸の中の一点を受け持って、ある一つの角度・視点から、大宇宙を映し出して見ている支店の中の一つなので、自分が見ている大宇宙とは、実は、自分の意識の中にあるものなのです。

物理的大宇宙の中に大宇宙意識がある訳ではなく、大宇宙意識の中に物理的大宇宙があるのであり、同じ事が、大宇宙意識の分霊である、自分自身にも言える事なのです。

物理的大宇宙の中に自分の意識があるのではなく、自分が見ている大宇宙とは、実は、自分自身の意識の中にあるものなのです。

この物理的大宇宙とは、意識によって創られた世界なのです。

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拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

大宇宙意識と本源の我

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★大宇宙意識と本源の我

自分の人生の主体者は、本源の我であり、真我である、我が魂です。

本源の我であり、真我である、我が魂は、大宇宙の根本主体である、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、大宇宙に無数に存在する座標軸の中の一つの点です。

大宇宙意識と本源の我は、本質において同じものであり、自分自身の中には、大宇宙の根本主体である大宇宙意識が持つ、「無限」の属性とでも言うべきものが、宿されているのです。

絶対世界に唯一実在する大宇宙意識が「想像」した事が、そのまま100%「創造」されているのが、物理的大宇宙です。
そして、我が魂は、大宇宙意識の分霊なので、本源の我であり、真我である、我が魂が「想像」した事が、そのまま100%「創造」されているのが、自分が映す現実世界なのです。
自分の現実は全て、真我である我が魂が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

大宇宙意識と我が魂の関係を、コンピューターに例えるとするならば、大宇宙意識が、巨大なホストコンピューターであり、我が魂は、そこから出ている、無数の端末機の中の一つであると言えます。

大宇宙に無数に存在する支店(してん)の中の一つであり、一つの視点(してん)を受け持って、そこから大宇宙を映し出して見ているという訳なのです。
大宇宙に無数に存在する「支店=視点(してん)」の中の一つとして、そこから大宇宙を映し出して見ているモニターの中の一つであり、大宇宙に無数に存在するテレビカメラの中の一つであるとも言えます。

相対世界である物理的大宇宙は、絶対世界にある大宇宙意識のイメージを、映し出し体験する為の「鏡」の世界です。
物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識の顕れなので、大宇宙意識は、ありとあらゆる全ての角度・視点から、自分自身を体験し、味わっているのだと言えます。

大宇宙の根本主体である大宇宙意識の分霊として、ある一つの角度・視点から、この大宇宙を体験し、味わっているのが、本源の我であり、真我である、我が魂なのです。

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拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

ここは、緑美しき懐かしき地球(追想の中)

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★ここは、緑美しき懐かしき地球(追想の中)

「永遠(とわ)の中今」の中に、この大宇宙の全てが存在しており、この大宇宙の過去と未来の全てが、今、同時に存在しているのです。
この大宇宙においては、全ての時空が、何一つ失われる事なく保存されています。

21世紀の地球という、今ここにある座標軸は、今初めて大宇宙に存在している訳ではなく、実は、かつて存在した時空でもあるのです。
私達は、かつて存在した時空で体験した事を、今、「追体験」しているのであり、今、「追想の中」を生きているのです。

地球が新たに生まれ変わる21世紀の地球という、この座標軸は、私達がかつて体験した懐かしき時空なのであり、ここは「追想の中」にある「緑美しき懐かしき地球」なのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

大宇宙そのものが、完璧なスーパーコンピューター

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★大宇宙そのものが、完璧なスーパーコンピューター

この大宇宙そのものが、完全無欠な、完璧なスーパーコンピューターです。

そして、時空を超えた大宇宙の全てのデータが保存されており、永遠に消える事はありません。

時間は幻想であり、本当は、時間は存在していません。
究極的には時間は存在しておらず、「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
時間は流れている訳ではなく、過去も未来も、今、同時に存在しています。
ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)」の時があるだけなのです。

ですから、「永遠(とわ)の中今」の中に、この大宇宙の全てが存在しているのです。
この大宇宙の過去と未来の全てが、今、同時に存在しているのです。

この大宇宙の全ての時空が、全ての座標軸が、何一つ失われる事なく保存されており、それは、今、同時に存在しているのです。

この大宇宙そのものが、完全無欠な、完璧なスーパーコンピューターなのです。

ですから、21世紀の地球という、今ここにある座標軸は、今初めて大宇宙に存在しているという訳でもないのです。
21世紀の地球という、この時空は、実は、かつて存在した時空でもあるのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

大宇宙は、多重多次元構造

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★大宇宙は、多重多次元構造

大宇宙は、多重多次元構造により成り立っています。

様々な次元が重なり合って存在していますので、自分が見ている宇宙が、大宇宙の全てではありません。
自分が見ている宇宙を取り巻く、より大きな次元が存在し、そこから常に影響を受けています。

私達人間には、大宇宙の、ほんの一面だけが見えているにしか過ぎません。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より


未来は、確定的に存在している

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★未来は、確定的に存在している

過去も未来も、今、同時に存在しており、未来は、既に確定的に存在しています。

未来が、既に確定的に存在しているという事は、未来は、今既に100%決まっているという事です。

白紙の未来があるように思えるのは、時間というものが、過去→現在→未来へと流れているという思い込みによるものだと言えます。

実際には、時間というものは流れている訳ではなく、敢えて、時間の流れというものを想定した場合でも、それは、未来→現在→過去という流れになります。

未来は、既に確定的に存在しており、未来は、100%決まっているという事なのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より


未来からやって来る時間

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★未来からやって来る時間

時間というものは、過去からではなく、未来からやって来ます。

時間は流れている訳ではないのですが、敢えて、時間の流れというものを想定するとすれば、それは、多くの人達が考える、過去→現在→未来という流れではなく、それとは逆の、未来→現在→過去という流れになります。

過去も未来も、今、同時に存在していますので、未来は既に確定的に存在しています。
そして、確定した未来から、そこに至る為のプロセスとして、時間が現在に向って流れて来て、過去へと流れ去って行くという事なのです。

過去の積み重ねで現在があるというより、今現在に至る為のプロセスとして、過去があったと考えると分かりやすいかも知れません。

これから白紙の未来が創られていく訳ではなく、未来は既に確定的に存在していますので、そこに至る為のプロセスが、未来から現在に向って、順番にやって来ていると考えると分かりやすいかも知れません。

過去からの積み重ねで現在があり、現在からの積み重ねで未来が創られていくように、一見、思えますが、本当は、順番が逆であり、今現在に至る為のプロセスを、過去において順番に積み重ねて来たのであり、同様に、未来に至る為のプロセスを、今現在から順番に積み重ねていくだけなのです。

全ては、大宇宙の計画の中にあり、未来は、既に確定的に存在していますので、必要なプロセスが、未来からやって来て、起こるべくして、順番に起こっているだけなのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より


全ては必然、一切偶然なし

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★全ては必然、一切偶然なし

森羅万象の全ては、大宇宙の計画の中にあり、全てがドミノ倒しのように一つに連なって、起こるべくして起こっていますので、一切、偶然というものは、ありません。

この大宇宙は、完璧で完全な世界であり、森羅万象には、何一つ無駄というものは無く、全てが、必要・必然であり、偶然はありません。

この大宇宙には、偶然というものは、一切存在していません。

全ては、必然の中で、起こるべき事が、起こるべくして、ただ起こっているだけなのです。

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拙書『魂の夢、光り輝く魂』より


全ては、大宇宙の計画の中

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★全ては、大宇宙の計画の中

大宇宙の森羅万象の全てが、ある一つの力学、あるいは法則により、大宇宙意識によって営まれていますので、全ては、大宇宙の計画の中にあります。

大宇宙の計画の中に無いものは、何一つ無く、全てが大宇宙の調べの中にあり、全ては、大宇宙の計画の中なのです。

大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙の計画の中で、ドミノ倒しのように一つに連なって、起こるべくして、ただ起こっているだけなのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

大宇宙の森羅万象を貫く一つの力学(法則)

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★大宇宙の森羅万象を貫く一つの力学(法則)

大宇宙の森羅万象の全てが、一つの力学、あるいは法則により、動いています。

大宇宙に唯一実在しているのは、根本主体である大宇宙意識のみなので、大宇宙の森羅万象の全ては、ある一つの力学、あるいは法則により、大宇宙意識によって営まれています。

大宇宙意識によって創られた被創造物は、私達人間は元より、動物も植物も鉱物も、地球や太陽・月・星も、さらには、銀河や大銀河団に至るまで、如何なる存在であろうとも、それ自らの力で動いている訳ではなく、大宇宙意識が持つ根源的エネルギーによって、動かされているだけなのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆


拙書『魂の夢、光り輝く魂』より


全ては、大宇宙(神)の弥栄

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★全ては、大宇宙(神)の弥栄

 大宇宙の森羅万象の全ては、絶対世界に唯一実在する大宇宙意識が、自分自身を体験して味わう為に、光によって織り成している、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような幻であり、全ては、大宇宙意識の中で繰り広げられている、壮大なゲームであり、全てが「神の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。

 ですから、この大宇宙の森羅万象の全ては、根本主体である大宇宙意識の自画自賛であり、全ては、大宇宙意識の弥栄を称えるものなのです。
 大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙意識の弥栄、そのものなのです。

 唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である大宇宙意識が、自らが持つ「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を体験し、味わう為に繰り広げている、壮大なゲームであり、全ては「神の戯れ(リーラ)」でしかないので、言わば、全てが自画自賛の世界なのです。

 例え、この世界のある断面(場面)を切り取って見た時、そこに如何なる悲劇・不幸・悪・矛盾・不調和のようなものが感じられたとしても、宇宙的な観点に立てば、全てが最善の目的の為に起きており、全てが、より大きな大調和に向って進化しつつあるプロセスの中にあるものなのです。

 全ては、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を体験し、味わうという壮大なゲームなのであり、全ては、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような幻の中にある紋様であり、そして、大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙のより大きな大調和、即ち、大宇宙の弥栄に向って起きている事なのです。

 大宇宙の森羅万象の全ては、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である大宇宙意識の自画自賛であり、全てが大宇宙(神)の弥栄を称えるものなのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

大宇宙の全ては完

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★大宇宙の全ては完

 この大宇宙の全ては、完璧であり、完成された、完全なる世界です。

 毎瞬毎瞬、大宇宙のどの断面(場面)を切り取って見たとしても、そこは全てが完全な世界であり、不足・不備、矛盾、不調和、間違いなどは存在していません。

 この大宇宙には、間違いなるものは、何一つ存在していない、というのが真相なのです。

 何故なら、この大宇宙には、究極的には、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙意識しか実在していないので、大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙意識が光で織り成す壮大な織物のようなものだからです。

 この大宇宙に存在する全てのものを生み出し、生かしているところの、全知全能の存在である大宇宙意識に、間違いなどあろう筈がありません。
 例えこの世界に、様々な矛盾・不調和・問題・悪・間違いと思えるようなものが感じられたとしても、森羅万象の背後にある大宇宙意識の御心は計り知れないものなので、どんな時でも、大宇宙の全ては完である事を想い出す事が大切になります。

 そして、この大宇宙には何一つ間違いは無く、全てが完である事を知る為には、この現象界(物理的大宇宙)は仮相(仮の姿)の世界であり、言わば幻の世界であり、一切が無の世界である事を知る必要があります。

 この現象界は幻の世界であり、一切が無の世界なので、真実の世界においては、本当は、何も失われる事なく、傷付けられたりするという事もありません。

 この大宇宙の唯一の実在である大宇宙意識が、自分自身を、本当の意味で傷付けたりする訳がありません。
 全ては、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である大宇宙意識が、全知全能の「無限」の力を、体験して味わう為に、光により織り成している、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような幻なのであり、一切が無なので、全てが光の中にあり、完全なる大調和の中に存在しています。

 全ては、根本主体である大宇宙意識の光の中で繰り広げられる、壮大なゲームであり、全ては「神の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。

 この大宇宙の全ては、根本主体である大宇宙意識の光の中にあり、完全なる大調和の中に存在しています。
 この大宇宙の全てが完なのです。

     ☆      ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

一切無、一切幻

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★一切無、一切幻

 現象界である物理的大宇宙は、仮相(仮の姿)の世界であり、言わば、幻の世界です。
 絶対世界に唯一実在する大宇宙意識が「想像」したイメージが、光により物質化されて「創造」された世界であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような、幻の世界なのです。

 物理的大宇宙の全ては、仮相(仮の姿)であり、また、何か確固とした実体がある訳ではないので、一切が無であり、一切が幻の世界なのです。

 例えば、水は、温度や気象条件によって、水、氷、水蒸気、雨、霰(あられ)、雪、雹(ひょう)など、様々な姿となって顕れますが、化学式で表せば、H2Oという、同じものです。
 水も、氷も、水蒸気も、雪も、本当の姿ではなく、言わば、幻の姿です。

 また、自分自身の肉体を始め、様々なあらゆる物体は、中身がぎっしりと詰まった、何か確固とした実体があるもののように、一見感じられますが、原子などのミクロのレベルでは、ほとんど中がスカスカの、空っぽに近い状態であると言えます。
 大宇宙意識の光が、周波数によって、様々な色・形・質量となって顕れているだけなので、本当は、何か確固とした実体がある訳ではありません。

 大宇宙の全ては、光によって創られた世界であり、光が様々な姿・形・紋様となって表現された、言わば、幻の世界なのです。

 相対世界である物理的大宇宙は、絶対世界に唯一実在する大宇宙意識が、自分自身を体験し、味わう為に「創造」した「鏡」の世界であり、言わば、「映(うつ)し世」なのです。
 空間という、360度立体のバーチャルなスクリーン上で、大宇宙意識の光が、様々な紋様となって織り成されているだけなのです。

 全知全能の大宇宙意識の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」が、様々な無数の紋様となって光により織り成されているだけなのです。
 そこに存在しているかに見える様々な紋様には、本当は、何も確かな実体がある訳ではなく、一切が無であり、一切が幻なのです。

 現象界である物理的大宇宙は、絶対世界に唯一実在する大宇宙意識の中で繰り広げられる、壮大なゲームであり、全てが「神の戯れ(リーラ)」であり、全てが光によって織り成されているだけの、「一切無、一切幻」の世界なのです。

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拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

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