日本の新しい調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌

大和富士ブログ|BLOG

2013年1月のアーカイブ

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諏訪湖の御神渡り(おみわたり)、諏訪大社と古代イスラエル

昨日の1月22日、諏訪湖で、御神渡り(おみわたり)が発生したとの事です。

これは、冬季、前面氷結した諏訪湖に氷の山脈が出来る珍しい現象で、諏訪七不思議の一つとされています。

御神渡りを通って、諏訪大社上社の男性神・建御名方(タケミナカタ)大神が、下社の女性神・八坂刀売(ヤサカトメ)大神の元へ通った恋の道とも言われています。

御神渡りが本格的に発生するのは、本州では、諏訪湖だけとの事です。

諏訪湖というのは、日本のへそと呼ばれる事もありますが、日本列島の、一つの要の場所ともなっています。
これは、諏訪湖が位置する、特異な地場エネルギーとも密接なつながりがあります。
諏訪湖は、中央構造線と、フォッサマグナの西辺である糸魚川静岡構造線という、二つの大断層線が交差する場所に位置しており、とても強力なエネルギーが秘められている場所だとも言えます。

そして、諏訪湖を囲むようにして、上社前宮・本宮、下社春宮・秋宮と、四社から成っているのが、諏訪大社です。

そして、諏訪大社は、古代ユダヤと密接な関係があります。

諏訪大社の御神体山は、「モリヤ(守屋)山」であり、旧約聖書「創世記」に出てくる「モリヤ山」と同じ名前であり、諏訪大社の「御頭祭」は、「創世記」のイサク伝承と瓜二つです。
そして、「御頭祭」は、代々「モリヤ(守矢)家」が祭主として行ってきたとの事です。

また、天下の奇祭として有名な、諏訪大社の御柱祭も、古代イスラエルがルーツのようです。

相撲のルーツは、古代イスラエルにあるとも言われていますが、上社・本宮には相撲の土俵があり、感慨深いものがあります。

相撲のルーツは、旧約聖書「創世記」の中で、イスラエルの祖であるヤコブが、天使と相撲を取った事に由来するようです。
相撲という言葉も、ヘブライ語の「SheMo(シュモー)」から来ているようで、イスラエルの祖であるヤコブを指す言葉でもあるようです。

「ハッケヨイ!」という言葉も、「投げつけよ、やっつけよ」という意味のヘブライ語のようです。

諏訪大社は、古代ユダヤと密接な関係があります。

「神武三千年の神計り」が開く時、諏訪大社に秘められていた封印が開かれる事になります。


人生の悩み・苦しみの根底にあるもの その2

先日、「人生の悩み・苦しみの根底にあるもの」というタイトルで書きましたが、その事を、もう一つの面から書いてみたいと思います。

自分が見ている現実世界とは、自分の意識を投影した世界を見ているのであり、全ては心の内の景色、言わば、幻です。

自分の心の中にある心象風景とでも言うべきものを、空間というスクリーンに映し出して見ているに過ぎません。

自分の脳の中にある内面の世界を、映像として映し出して見ているに過ぎないので、言わば、テレビや映画を見ているのと同じような状態だと言えます。
空間という、360度立体のバーチャルなスクリーンに映し出して、自分の内面の世界を見ているという訳なのです。

自分が見ている現実世界とは、自分の意識を映し出す「鏡」の世界であり、自分の脳が創り出した、言わば、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界なのです。

自分の外の世界に、何か確固とした客観的な世界がある訳ではなく、現実世界とは、自分自身の意識の中にあるのです。

自分が見ている現実世界とは、自分の意識が投影された、自分の内面の世界であり、言わば、インナーワールドなのです。

私達は、自分自身の意識の内面の世界を体験し、味わっているのです。

ですから、例え、どのような悩みがあろうが、どのような苦しみがあろうが、自分が映す現実世界とは、本当の自分自身が見たい世界であり、体験し、味わいたい世界なのです。

本当の自分自身とは、本源の我であり、真我である、我が魂です。
自分の人生の主体者・創造者は、自分の魂であり、我が魂こそが、自分の人生の創造主なのです。

自分が映す現実世界とは、自分の人生の主体者・創造者である、我が魂が見たい世界、体験し味わいたい世界なので、例え、いつ如何なる時であったとしても、何も問題がある訳でもなく、安心して大丈夫なのです。

この物理的大宇宙そのものが、意識によって創られた世界であり、言わば、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような、幻の世界なのです。

この大宇宙は、絶対世界と相対世界から成り立っています。
絶対世界に唯一実在しているのは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主の純粋意識のみです。
私は、便宜上、大宇宙意識と呼んでいます。

そして、絶対世界にある大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したものを、映し出し体験する為の「鏡」の世界が、相対世界である、物理的大宇宙なのです。
絶対世界にある大宇宙意識の「想像(そうぞう)」が、光により物質化されて「創造(そうぞう)」された世界が、現象界としての、物理的大宇宙なのです。
相対世界である物理的大宇宙は、大宇宙意識の光が様々な紋様となって表現された、言わば、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような幻なのです。

本源の我であり、真我である、我が魂というのは、根本創造主である大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、大宇宙に無数に存在する「支店=視点(してん)」の中の一つを受け持って、ある一つの角度・視点から、この大宇宙を体験し、味わっている存在なのです。

この物理的大宇宙そのものが、幻の世界なのであり、自分というものは、大宇宙に無数に存在する座標軸の中の一つを受け持って、この幻の世界を体験し、味わっているのです。

この物理的大宇宙そのものが、意識によって創られた世界である事は、最先端の物理学でも捉えられるようになってきたようです。
物理的大宇宙の中に意識があるのではなく、意識の中に物理的大宇宙がある、というのが、最先端の物理学が行き着いた結論でもあるようです。
人間の意識が大宇宙を創り出している、という結論に至ったようです。

そして、物質というものにも、何も確かな実態がある訳ではないという事も、理解出来るようになってきているようです。

この物理的大宇宙の全ては、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙意識によって繰り広げられている、壮大なゲームであり、遊びであり、全ては「神の戯れ(リーラ)」とも呼べる、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような幻なのです。

そして、本源の我であり、真我である、我が魂は、大宇宙意識の分霊として、この壮大な幻の世界を、ある一つの角度・視点(=支店 してん)から映し出し、体験し、味わっている存在なのです。

ですから、自分が映す現実世界に、例え、如何なる世界が映し出されていようとも、自分の人生の主体者・創造者である、我が魂が、見たい世界であり、体験したい世界なのであり、全ては幻の中にある紋様なので、実は、何も問題がある訳ではなく、常に安心していて大丈夫なのです。

自分が映す現実世界を、つらい、苦しい、イヤだと感じているのは、あくまでも、肉体の自我意識(表面意識)なのです。

肉体の自我意識(表面意識)では、本源の我である魂の意図がなかなか分からないだけなので、実は、自分が映す現実世界には、常に、新たな発見、楽しみがあり、生きる喜び、面白さがあるのです。

肉体の自我意識(表面意識)を外し、人生の主体者・創造者である魂の意図を感じられるようになってくると、自分が映す現実世界にある面白さ、楽しさ、新たな発見、生きる喜び、人生の輝きというものを、だんだん味わえるようになってきます。

そして、幻の世である、この世界のかけがえの無い美しさ、輝き、面白さというものを、だんだん楽しめるようになってきます。

大寒の日と雪の美しさ、聖なるものが天(神界)から降り注ぐ型示し

本日1月20日は、二十四節気の一つ、大寒の日であり、一年で最も寒さが厳しい時とも言われています。

冬本番を迎え、私が住む地方でも、辺り一面が、美しく雪化粧しています。
雪化粧した銀世界もとても清らかで美しいものですが、雪そのものの結晶も、とても美しい形をしています。

白い雪は、とても清らかで美しいものですが、雪の結晶も、六角形のとても調和がとれた美しい形をしています。

雪というものは、聖なるものが天(神界)から降り注ぐ型示しとなっています。
聖なるものは、神の祝福を表しています。

冬本番を迎え、寒さが厳しい時期ですが、雪が空から降って来たら、聖なるものが天(神界)から降り注いで来たイメージを持つと良いかも知れません。

天から舞い降りてくる白い雪は、聖なるものが天(神界)から降り注ぐ型示しであり、神の祝福を表しています。


皇室行事・歌会始のお題「立」と、日本三霊山・立山、国常立大神

皇室行事である歌会始の、今年のお題は、「立」でした。
「立」というお題は、まさに今年にピッタリな感じがします。

例え人間がやっているように見えても、私達人間は、自分の力では一呼吸すら出来ない存在であり、天に生かされている存在なので、全ての森羅万象の背後には、全て、天の意図・図りが入っています。

今年の歌会始のお題「立」は、まさに天が決めたお題と言っても良いかも知れません。

今年は、20年毎に行われる、伊勢神宮の式年遷宮に加えて、出雲大社においても、60年ぶりとなる平成の大遷宮が行われる年であり、日本にとって、節目の年を迎えます。

伊勢神宮は、表の神界の表の働きであり、出雲大社は、表の神界の裏の働きになります。
表の神界の表と裏において、ともに、最も重要な神事が行われる今年2013年(平成25年)は、神界における新たな開きの年でもあります。

そして、神界の新たな開きに関わってくるのが、日本三霊山・立山になります。

秋篠宮様が、歌会始において、立山の事をお詠みになられています。

「立山にて姿を見たる雷鳥の穏やかな様に心和めり」

これも偶然ではなく、その背後には、天の意図・図りが入っています。

日本の象徴・霊峰富士と、立山、白山は、日本三霊山と呼ばれます。
霊峰富士は、太平洋側にあり、立山と白山は、日本海側にあり、富山県と石川県で、隣合っています。

以前、「日本三霊山(富士山・立山・白山)」というタイトルで書いた事がありますが、立山は男性性を表し、白山は女性性を現し、霊峰富士は、男性性と女性性が統合された姿、二元性が統合された姿「大和(やまと)」を象徴しています。

立山は、姿も男性的な山容であり、立山を守る越中一ノ宮の雄山神社にも、男性を表す「雄」という文字が入っています。
そして、立山山頂の雄山神社・峰本社の御祭神も、伊邪那岐命(イザナギノミコト)と天手力雄命(アメノタジカラオノミコト)という、男性神です。

これに対して、お隣の加賀・白山は、なだらかで女性的な山容をしており、白山を守る加賀一宮の白山比咩(しらやまひめ)神社にも、女性を表す「比咩(ひめ)」という言葉が入っています。
そして、白山比咩神社の御祭神は、白山菊理媛(ハクサンククリヒメ)という女性神です。

今年から、裏日本と呼ばれている、日本海側の開きが本格化する時期に入っています。
それは即ち、日本三霊山の立山・白山の働きの本格化という事でもあります。

東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本の象徴である霊峰富士と並んで、日本三霊山とされる立山と白山が、ともに中部地方の日本海側にあり、富山県(越中)と石川県(加賀)で隣合っているというのも、偶然ではありません。

富士山・立山・白山を結ぶレイラインによって、日本列島は中心からしっかりと支えられています。

これから、立山・白山の働きが本格化し、裏日本と呼ばれている日本海側の働きが本格化する時期を迎えます。
日本海側にある出雲大社において、60年ぶりとなる平成の大遷宮が今年行われる事とも関係しています。

イワト(平=一八十)成るフジ(二二)年、平成22年(2010年)、富士山開きの日の7月1日、第一回目の天岩戸開きにより、日本の象徴・霊峰富士の開きが行われました。

昨年、2012年(平成24年)、白山神界の開きが行われ、白山菊理媛の働きが本格化しました。

おそらく、今年2013年(平成25年)は、立山の開きが行われる事になるものと思います。

そして、「立」という言葉は、地球主宰神・国常立大神(クニトコタチノオオカミ)を連想させる言葉でもあります。
今年から、地球主宰神とされる国常立大神の働きが本格化する時期に入ります。

今年から、有史以来人類数千年の歴史のクライマックスに向けてのラストスパートの時期に入っています。
伊勢神宮の式年遷宮が今年の次に行われる2033年前後には、地球の新たな精神文明、花咲く都・黄金文明が日本から花開き、人類の黄金時代が幕開けする時を迎えます。

今年からの20年前後が、神国・日本の蘇りの時であり、私達日本人が、本来の役割を果たす時なのです。
私達日本人の遺伝子が目覚め、蘇り、花開く時なのです。

地球が新たに生まれ変わろうとする21世紀の今この時、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本に生まれて来た本当の目的を想い出し、自らの「立」ち位置を再確認するとともに、日本三霊山・立山と、地球主宰神とされる国常立大神にも想いを馳せてみると良いかも知れません。

今年2013年、平成25年の皇室行事・歌会始のお題「立」は、色々な意味で奥が深い、天からの「お題」であるような感じがします。


 

人生の悩み・苦しみの根底にあるもの

人生の悩み・苦しみの根底にあるものは、実は、自分の現実は全て、本当の自分自身が創造したのだという事を信じきれないところから来ています。

自分の人生の主体者・創造者は、本源の我であり、真我である、我が魂です。
そして、我が魂とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主の分霊(わけみたま)です。
大宇宙の根本主体の事を、私は、便宜上、大宇宙意識と呼んでいます。

我が魂というのは、大宇宙の根本主体である大宇宙意識の分霊であり、自分の現実というものは全て、我が魂が創造したものなのです。
本源の我、真我であり、大宇宙意識の分霊である我が魂こそが、自分の人生の主体者・創造者なのです。
我が魂こそが、自分の人生の創造主でもあるのです。

そして、人生を生きる上での悩みや苦しみの根底にあるものは、突き詰めていくと、実は、自分の周りにある現実の全ては、他ならぬ自分自身が創造しているのだという事を信じきれないところから来ています。

例え、自分の目の前にある現実が、どんなにつらく苦しく感じられようとも、自分の身に起きた出来事が、どんなに不幸・不運としか思えないような出来事であったとしても、どんなにあり得ないと思われるような現実が目の前にあったとしても、自分の現実は全て、本源の我であり、真我である、我が魂が創造したものなのです。

私達の人生には、基本となるプログラムが存在しています。
コンピューターに、基本となるプログラム・OSがあるように、実は、私達の人生にも、基本となるプログラムが存在しています。

そのプログラムとは、「魂の進化」というプログラムなのです。
私達の人生は、「魂の進化」というプログラム上にしか存在していませんので、人生で起きる全ての事は、我が「魂の進化」の為に起きているという事になります。

「魂の進化」とは、心の純化、意識の福化という事であり、心を無地透明にして、ピュアな心、生きているうれしさをやさしく感じられる心、豊かな心、全てをよろこびと感じられる心、いずこにもとらわれない全天候型の心、言わば、タイタン(巨人)のような心になる事なのです。

如何なる人生を歩もうとも、如何なる事を成そうとも、人生の基本となるテーマは唯一点、「魂の進化」という事なのです。

そして、魂の関心事と、肉体の自我意識(表面意識)の関心事とは違います。

魂にとっては、心の器を大きくして、心を純化、意識を福化させる事だけが関心事なので、その為に必要と思われる最適な状況を創造します。
その中には、病気や怪我、お金を失う事、失恋・離婚、失業、社会的地位や名誉を失う事、人間関係を失う事など、一般的に不幸・不運と呼ばれるような状況も多く含まれます。

一方、肉体の自我意識(表面意識)の関心事は、多くの人にとっては、健康・長寿、お金・富、素晴らしい異性との恋愛・結婚、理想の仕事、社会的成功、地位・名誉、素晴らしい人間関係など、一般的に幸福・幸運と呼ばれるような状況かも知れません。

このように、本源の我である魂の関心事と、肉体の自我意識(表面意識)の関心事とが違い、差(ギャップ)がある為に、本当は、自分の魂が望んで創造した人生なのに、ともすれば、人生がつらく苦しく、あたかも、自分が人生の被害者であるかのように感じたりしてしまいます。

しかし、創造の主体者である魂にとっては、苦というものは無く、体験する全てはよろこびでしかありません。
大宇宙意識の分霊であり、「魂の進化」と呼ばれる永遠の旅をしている我が魂が、魂の更なる輝きを求めて、光輝く魂になる事を求めて、全ての現実を創造しているのです。

自分の現実の全ては、我が魂が、「魂の進化」の為に創造した最善の現実なのであり、私達の人生とは、最善の出来事の連続でしかありません。
ただ、その事が、肉体の自我意識(表面意識)では、分からないだけなのです。

今、自分の目の前にある現実というものは、大宇宙意識の分霊であり、本源の我、真我である、我が魂が、「魂の進化」の為に創造した最善の現実なので、そこには必ず、今自分が最も学ぶべきものがあり、新たな面白さ、新たな発見、新たなよろこびが、必ずあるのです。

自分の身に起きる様々な出来事などの事柄には、本来、幸福・不幸、幸運・不運というものがある訳ではありません。
ただ、肉体の自我意識(表面意識)が、ある事柄を幸福・幸運と呼び、ある事柄は不幸・不運と呼んで、大騒ぎしているだけの事なのです。
魂の更なる輝きを求めて、光輝く魂になる事を求めて、永遠に続く意識の旅をしている我が魂にとっては、全ての体験がよろこびであり、「魂の進化」の為に創造した、最善の出来事でしかありません。

人生の悩み・苦しみの根底にあるのは、その事を信じきれていない事が原因なのです。

よく、天(神)は、その人が乗り越えられない試練は与えない、と言われますが、それは本当の事です。
何故なら、大宇宙の根本主体である大宇宙意識の分霊であり、我が人生の創造主である我が魂が、全ての現実を創造しているので、自分自身が乗り越えられないような現実は創造する筈が無いからです。

例えどんなに、困難・大変と思えるような出来事が起きたとしても、その事は別に、不幸・不運という訳ではなく、自分を成長させる為の「挑戦カード」が出ているだけなので、心を大きく飛翔させるチャンスでもあるのです。
「大変」とは、「大きく変わる」と書きますが、大変だから大きく変われるのであり、逆に言えば、大変でなければ、大きくは変われないとも言えるかも知れません。

もし、大変な事、困難な事と思える事が自分の身に起きたとしたら、それは、自分が不運だったからではなく、自分が成長したので、その課題、言わば「挑戦カード」を受け取る事に成功しただけなのです。

もし、人生の悩み・苦しみから解放されて、真の幸福を得たいと望むならば、心を無地透明にして、ピュアな心、生きているうれしさをやさしく感じられる心、豊かな心、全てをよろこびと感じられる心、いずこにもとらわれない全天候型の心、言わば、タイタン(巨人)のような心を創る以外に、永遠の幸福へと至る道は用意されていないのです。

自分の人生に起きる全ての現実は、永遠の幸福へと至る、意識の旅のプロセスの中にあるものなのです。

自分の現実の全ては、大宇宙意識の分霊であり、本源の我、真我であり、我が人生の主体者・創造者である我が魂が、「魂の進化」の為に創造した「よろこびの体験」なのであり、全ては最善の事の連続でしかありません。

その事を受け入れ、認めていく事が、心の純化であり、意識の福化と呼べるものなのです。
そして、創造の主体者である、我が魂の意図が分からなければ分からない程、それが、人生の悩み・苦しみの原因となっていきます。

自分の人生の全ては、誰のせいでもありません。
親のせいでもなければ、人のせいでもなく、会社のせいや、社会のせいでもなく、天の神仏や大宇宙のせいでもありません。
もちろん、悪魔(サタン)や悪神、邪霊や霊的存在、カルマのせいでもありません。

全ては、本源の我であり、真我である、我が魂が、「魂の進化」の為に創造した、「よろこびの体験」でしかなく、我が人生の創造主は、本当の自分自身なのです。

この大宇宙に唯一実在しているのは、絶対世界の唯一の実在である、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識のみです。
我が魂というのは、大宇宙意識の分霊であり、永遠不滅の存在なので、肉体という乗物を使って遊びながら、魂の更なる輝きを求めて、光り輝く魂になる事を求めて、「魂の進化」と呼ばれる、意識の旅をしているのです。

創造の主体者である、我が魂の意図が感じられれば感じられる程、人生の悩み・苦しみから解放されていきます。
魂の記憶とでも言うべきものが蘇ると、自分の現実の全ては、本源の我であり、真我である、我が魂が創造したのだという事を、想い出せるようになります。
そして、自分の目の前にある現実は、例え、いつ如何なる時であったとしても、決して悪くはないのだという事が分かるようになります。

今、自分の目の前にある現実というものが、今の自分が魂を進化させる為に最善の環境なのであり、今の自分が、最も学び、成長し、進化出来る場所なのであり、そこには必ず、生きるよろこびがあり、新たな発見・新たな面白さがあり、新たな意識を創れる場所なのです。


伊勢神宮と出雲大社、式年遷宮と平成の大遷宮

今年2013年、平成25年は、20年に一度の伊勢神宮の式年遷宮が行われる年ですが、出雲大社においても、60年ぶりとなる平成の大遷宮が行われます。

伊勢神宮は、表の神界の表の働きであり、出雲大社は、表の神界の裏の働きになります。
表の神界の表の働きである伊勢神宮の式年遷宮と、表の神界の裏の働きである出雲大社の平成の大遷宮(60年ぶり)が重なる年となり、日本にとって、節目の年を迎えます。

今年、出雲大社において、60年ぶりとなる平成の大遷宮が行われる事には、大きな意味があると思います。

国の治めの基本は、出雲から始まります。
旧暦の十月は神無月と言いますが、出雲の国においては、神在月と言います。
全国の八百万神々が、出雲大社の大国主(オオクニヌシ)大神の元に集い、会議をするとも言われているように、大国主大神は、大いなる力に支えられて国々を治め、これで国が治まります。

出雲大社の意味は、神々を治める事であり、神々を統率するという意味があります。
国の治めの基本は、出雲から始まります。

伊勢神宮の式年遷宮と、出雲大社の平成の大遷宮(60年ぶり)が重なる今年は、日本にとって節目の年となります。
今年、今までは無かった、新しい時代の風が、日本に吹くことでしょう。

そして、伊勢神宮の次の式年遷宮が行われる2033年までの20年前後が、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本の蘇りの時であり、私達日本人が、本来の役割を果たす時なのです。
これから、私達日本人の遺伝子が、目覚め、蘇り、花開く時を迎えます。

日本から始まる新たな精神文明、花咲く都・黄金文明は、早ければ西暦2030年頃、遅くとも2040年までの間の、2030年代の何れかの時期に花開く事になります。
キリスト教の世界で言われる、「至福千年王国」の事でもあります。

2012年が終わって、本日でちょうど1週間になりますが、2012年は、単に一つの節目であり、通過点にしか過ぎないので、2013年が幕開けした今、私達人類は、別に、黄金時代を迎えた訳ではないのです。
私達人類が、真の黄金時代を迎えるのは、西暦2030年代であり、伊勢神宮の次の式年遷宮が行われる2033年前後になります。

これからの20年前後で、人類数千年の古い歴史が幕を閉じ、私達人類の新しい歴史が幕を開ける時を迎えます。
今、私達は、想像だにない新しい世界へと向っているのであり、全ては、その流れの中にあります。

2012年が終わって2013年が幕開けした今この時は、トラック競技で言えば、第4コーナーを回って、最後の直線に入ったところなのです。
ゴールに向って、ラストスパートするところなのです。
地球人類総真釣り(まつり)の時であり、有史以来の人類数千年の歴史の総決算の時なのです。
ゴールに向って、ラストスパートあるのみです。

そして、2030年代に待っている、人類数千年のゴールである、新たな精神文明、花咲く都・黄金文明、「至福千年王国」は、想像だにない素晴らしい世界なのです。
私達は今、稀有の時代を生きているのだという事が、次第に実感されてくる事でしょう。


西暦2013年(平成25年)の幕開け

西暦2013年、平成25年が幕開けしました。
新年、明けましておめでとうございます。

昨年2012年(平成24年)正月元旦のブログ「2012年(平成24年)の幕開け」でも書いたとおり、昨年2012年(平成24年)は、単に一つの節目であり、通過点にしか過ぎないので、別に、人類史に残るような年という訳でもないのです。

そして、新しい地球へと生まれ変わる為の大変化のプロセスが加速するのは、これからが本番であり、新しい地球へと生まれ変わる為の、最後の総仕上げの時期に当たります。

今年2013年(平成25年)は、伊勢神宮の式年遷宮と、出雲大社の平成の大遷宮(60年ぶり)が重なる年となり、日本にとって節目の年となります。
表の神界の表の働きである伊勢神宮と、表の神界の裏の働きである出雲大社での式年遷宮が、久しぶりに重なる年であり、日本にとって、節目の年を迎えます。
今年2013年(平成25年)、今までは無かった、新しい時代の風が、日本に吹く事でしょう。

そして、伊勢神宮の次の式年遷宮が行われる2033年までの間の20年前後が、神国・日本の蘇りの時であり、私達日本人が、本来の役割を果たすべき時なのです。
私達日本人の中に眠る遺伝子が目覚め、蘇り、花開く時を迎えます。
地球人類総真釣り(まつり)、総決算の時でもあります。

東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本が、その本来の役割を果たした時、伊勢神宮の次の式年遷宮である2033年前後には、物質文明の次に来る地球の新たな精神文明、花咲く都・黄金文明が日本から花開き、
地球・世界を包み込む事になります。

今年3月、新著を出版致します。
昨年11月に出版した「富士は晴れたり日本晴れ」に続き、日本人の遺伝子を目覚めさせる、新しい時代の
メッセージ第二弾を出版致します。
前作以上に盛りだくさんの内容となっていますので、どうぞお楽しみに!


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