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書籍『魂の夢、光り輝く魂』 カテゴリのアーカイブ

37 Entries

今ここに生きる事が、常なるテーマであり、真のリアリストとして現実を生きることが大切

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★今ここに生きる事が、常なるテーマ

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 今ここに生きる事が、常なるテーマです。

 過去でも未来でもなく、あるいは、過去世や未来世でもなく、あの世や霊的世界でもなく、今ここに生きるという事が、常なるテーマなのです。

 もう過ぎ去ってしまった過去を悔んでみたり、まだ来ていない未来を心配したり、現実世界とは違う世界に意識を向けてばかりいても、仕方がありません。

 私達には、今日という日一日をいかに生きるべきか、さらに言うならば、今この瞬間をいかに生きるべきか、という事しか与えられていないのです。
 今ここに生きる事しか、与えられていないのです。

 どんな人間も、遅かれ早かれ、必ず肉体の死というものを、迎えます。
 どんな人であっても、いつかは必ず、目が覚めない朝を迎えるのです。
 私達は、大宇宙に生かされている存在であり、自分の力だけでは、一呼吸すら出来ない存在なので、明日の朝必ず自分が目を覚まし、生きていると断言出来る人は、地上に一人もいないのです。

 ですから、明日の朝、自分が目を覚まし、生きていられるのかどうかは、本当のところは、よく分からないとも言えます。
 明日の事を心配してみたところで、明日という日は、今、私達には与えられていないのです。

 私達に今与えられているのは、今日という日一日だけなのです。
 今日という日一日を、いかに精一杯生きるかが大切な事であり、さらに言うならば、今この時、今この瞬間をいかに生きるべきか、今この瞬間をどのように創造して生きるのか、という事が常に問われているのです。

 真のリアリストとして、現実を生きる事が大切になります。
 真のリアリストとして、今ここに生きる事が、常に大切な事なのです。

 本源の我であり、真我である我が魂は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、永遠不滅の存在です。
 しかし、大宇宙意識の分霊として、自らが「想像=創造(そうぞう)」した世界を、体験する為に、肉体の衣を纏(まと)って、今ここに存在していますので、体験する事が全てです。

 本源の我である我が魂は、自らの「想像=創造(そうぞう)」を体験し、味わう為に、肉体の衣を纏(まと)って、今ここに存在しています。
 永遠不滅の存在である魂にとっては、体験こそが喜びであり、肉体が死を迎えた後に、永遠に続く旅へと持って帰れる「おみやげ」なのです。

 私達が、肉体の衣を纏(まと)って、今ここに存在しているのは、本源の我である魂が「想像=創造(そうぞう)」した世界を、体験し、味わう為なので、自分自身の現実というものを、きちんと体験し、味わう事が大切になります。

 真のリアリストとして、現実をしっかりと生きる事が大切なのです。
 今日という日一日を、精一杯生きる事、さらに言うならば、今この瞬間を、精一杯生きる事が大切になります。
 今目の前にある現実というものを、きちんと生きる事が求められています。

 過ぎ去った過去を悔んだり、まだ来ていない未来を心配して、思い煩うのではなく、今この瞬間を、どのように創造していくのかが、常に求められている事なのです。
 生きるとは創造する事であり、今ここから、いかなる創造をしていくのか、という事の連続であるとも言えます。

 もう過ぎ去った過去やまだ来ていない未来に意識を向け過ぎないだけではなく、過去世や未来世と呼ばれるもの、あの世や霊的世界と呼ばれる世界の事にも、意識を向け過ぎない事が大切になります。

 あの世や霊的世界と呼ばれている世界も、所詮は相対世界の中のある領域のものであり、別に本質の世界でも、絶対の世界でもありません。

 大宇宙の本質の世界である絶対世界に唯一実在しているのは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、根本創造主の純粋意識のみです。
 本書においては、それを大宇宙意識と呼んでいます。

 それ以外のものは、全て相対世界に属しており、周波数が違うだけなので、所詮は、幻の世界の中なのです。

 自分でも本当のところはよく分かっていない、過去世や未来世、あの世や霊的世界と呼ばれる世界の事などに意識を向け過ぎる事は、目の前の現実をしっかりと生きるという力を削いでしまいます。
 そのような事に意識を向け過ぎる事は、囚われとなり、迷いとなります。

 今ここに生きる事が、常なるテーマです。
 過去でも未来でもなく、過去世や未来世でもなく、あの世や霊的世界でもなく、真のリアリストとして、今ここに生きる事が大切なのです。
 
 今目の前にある現実というものを、しっかりと生きる事が大切であり、今ここに生きる事こそが、黄金の道なのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より


豊かなる心の位置で、豊かなる世界が現れてくる

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★豊かなる心の位置で、豊かなる世界が現れてくる

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 自分が映す現実世界とは、自分の意識を投影した、自分の内面の世界であり、全ては心の内の景色であり、インナーワールドです。

 自分が映す現実世界は、全てが主観の世界なので、自分の心が美しくなれば、現実世界もまた、美しく輝きます。

 自分の内面が輝けば輝く程、自分の目に映る現実世界は、本当に、輝きを増してきます。
 生きている事それ自体がありがたい、うれしい、面白い、美しい、存在が感謝、という状態になればなる程、自分の目に映る現実世界もまた、本当に、ありがたい、うれしい、面白い、美しいと感じられるようになるのです。

 言わば、豊かなる心の位置で、豊かなる世界が現れてくるのです。
 豊かなる世界とは、形の中にあるのではなく、自分自身の心の中にあるものなので、自分自身の心が豊かになればなる程、自分の心を映した「鏡」の世界である現実世界もまた、豊かなる世界として、輝きを増してくるのです。

 豊かなる心の位置でしか、豊かなる世界は現れてきませんので、豊かなる世界とは、自分自身の心の位置取りでしか感じる事は出来ないのです。
 言わば、心の位置取りの豊かさに応じて、豊かなる世界を感じられるという事なのです。

 そして、本源の我であり、真我である我が魂が望んでいるのは、そこなのです。
 豊かなる心の位置で、豊かなる世界が現れてくるのを、見たいのです。
 本源の我であり、真我である我が魂は、豊かなる心の位置で現れてくる、豊かなる世界を体験して味わいたいのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より


空間(自分が映す現実世界)を最高の友として遊ぶ

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★空間を最高の友として遊ぶ
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 自分が見ている現実世界とは、自分の意識を投影した、自分の内面の世界であり、言わば、インナーワールドです。
 全ては心の内の景色であり、全てが主観の世界なのです。
 自分が映す現実世界全てが、私自身であるとも言えます。

 ですから、自分と空間は一つであり、自分と世界は分かれてはいません。
 自分の外に、何か確固とした客観的な現実世界がある訳ではなく、現実世界とは、自分自身の心の中にあるものなのです。

 自分の目に映る全てが自分自身であるとも言えるので、現実世界という、この空間は、敵ではなく、味方であり、言わば、最高の友であるとも言えます。
 ですから、現実世界という、この空間を、最高の友として遊んでいけば良いという事になります。

 今の自分の心がそのまま、あたかも「鏡」に映し出すが如く如実に映し出されていますので、空間という「鏡」に映った自己の内面を見ながら、瞬間瞬間の創造を楽しんでいけば良いという事になります。

 自分が映す現実世界に、例え、如何なる紋様が映し出されていようとも、全ては、本源の我であり、真我である我が魂が見たい世界であり、体験したい世界なので、今の自分自身にとって、ピッタリな世界が映し出されているのであり、決して悪くはないのです。
 今の自分に丁度良い、ピッタリな世界が映し出されていますので、全ては心の内の景色だと捉えて、空間というスクリーンに映し出された自己の内面の世界を見ながら、生きるという創造を楽しんでいけば良いという事になります。

 自分が映す現実世界(大宇宙)の全てが、自分の心の内の景色であり、全てが私自身であるとも言えるので、現実世界という、この空間を最高の友として遊んでいけば良いという事になります。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より


映る世に心を傾けないことが大切で、全てはただ自分を解放するプログラムとして存在しているだけ

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★映る世に心を傾けない

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 自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である我が魂です。
 我が魂が、光り輝く魂になる事を求めて、魂の更なる輝きを求めて、魂の進化の為に、全ての現実を「想像=創造(そうぞう)」しています。

 ですから、自分が映す現実世界に、例えどんな紋様が映っていたとしても、それは、本源の我であり、真我である我が魂が見たい世界であり、体験したい世界なのです。
 全ては心の内の景色であり、言わば、幻です。

 そこに存在しているかに見える全ての人や、事、ものは、ただ、自分を解放するプログラムとして存在しているだけです。
 肉体の自我意識(表面意識)がとらわれている、自分という「我」を外し、自分を解放して、宇宙へと帰るプログラムとして、存在してくれているだけなのです。

 ですから、自分が映す現実世界にとらわれ過ぎず、心を傾け過ぎない事が大切になります。
 何かに強くとらわれたり、執着したりするところに答えがある訳ではなく、心を無地透明にして、いずこにもとらわれない心になるところに答えがあるからなのです。

 映る世に心を傾ける事なく、映る姿にとらわれる事なく、魂の進化と呼ばれる、自分を解放して宇宙へと帰る旅のプロセスを楽しんで行く事が大切になります。

     ☆     ☆     ☆    ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

後悔するという思考を消滅へと向かわせることは、心の進化につながる

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★後悔するという思考を消滅へと向かわせる

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 人生の基本となるテーマは、魂の進化という事であり、魂の進化というプログラム上にしか私達の人生は存在していませんので、自分の人生で起きる全ての事は、魂の進化の為に起きているという事になります。
 我が魂が、光り輝く魂になる事を求めて、魂の更なる輝きを求めて、魂の進化の為に、全ての出来事を「想像=創造(そうぞう)」しているのです。

 そして、全ての出来事は、魂の進化という視点に立てば、最善の出来事なのであり、私達の人生とは、最善の出来事の連続でしかありません。

 ただ、その事が、肉体の自我意識(表面意識)では、分からないだけなのです。
 例え、肉体の自我意識(表面意識)では分からなくても、自分の今までの人生の全ては、魂の進化にとって最善の出来事の連続だったのであり、何一つ後悔する事もありません。

 後悔するとは、悪い結果に対して後で悔いるという事ですが、悪い結果と捉えたのは、あくまでも、肉体の自我意識(表面意識)なので、本源の我、真我である我が魂から見れば、魂の進化にとって最善の出来事でしかありません。

 天の仕組みとして、魂は進化するしかないので、魂が進化する場合と進化しない場合がある訳ではなく、常に進化を続けており、我が魂は、全ての出来事、全ての体験を使って、魂の進化としての道を最短距離で突き進んでいるのです。

 自分にとって如何なるものであったとしても、後悔する必要はなく、「もしあの時、こうしていれば、今は違った状況なのに・・・」という仮定も存在していません。
 自分の今までの人生の全ては、魂の進化にとって最善の出来事の連続だったのであり、これからの人生も、魂の進化にとって最善の出来事が連続していくだけなのです。

 後悔するという思考を消滅へと向かわせる事は、心の進化につながります。
 自分の人生にとって、如何なるものであったとしても、後悔する必要はなく、全ての出来事、全ての体験を使って、魂の進化としての道を最短距離で突き進んでいる、本当の自分自身というものを、信じる力が大切になります。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

自分の人生の真の創造主は自分自身なので、人のせい、社会のせいなど存在しない

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★人のせい、社会のせいなど存在しない

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 自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である我が魂です。
 我が魂が、光り輝く魂になる事を求めて、魂の更なる輝きを求めて、魂の進化の為に、全ての出来事を「想像=創造(そうぞう)」しています。
 そして、全ての出来事は、魂の進化にとって最善の出来事の連続でしかありません。

 ただ、その事が、肉体の自我意識(表面意識)では、分からないだけなのです。
 例え、肉体の自我意識(表面意識)では分からなくても、自分の現実の全ては、本当の自分自身が創造したものなので、誰のせいでもなく、人のせい、社会のせいなど存在しません。

 自分の人生の全ては、親のせいでもなければ人のせいでもなく、会社のせいでもなければ社会のせいでもなく、ましてや、天の神仏や、霊、カルマのせいでもありません。

 自分に起きた出来事を、霊やカルマのせいにするのは、制限された創造の一つです。
 自分の現実の全ては、本当の自分自身が創造しているのだという事が分からずに、霊やカルマのせいにして理解しようとする段階の意識なのです。
 そのような意識から抜ける事が大切です。

 自分の人生の主体者・創造者は、本源の我、真我である我が魂であり、我が魂というのは、大宇宙意識の分霊(わけみたま)です。
 唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である大宇宙意識の分霊として、大宇宙に無数に存在する「支店=視点(してん)」の中の一つを受け持って、ある一つの角度・視点から大宇宙を映し出し、大宇宙を体験して味わっている存在なので、自分の現実の全ては、我が魂が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 自分の人生の真の創造主は、他ならぬ自分自身なのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より


困る出来事が本来ある訳ではなく、困る考え方をしているのでそのことに困っているだけ

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★困る出来事あらず

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 我が人生の主体者・創造者は、我が魂です。
 我が魂が、光り輝く魂になる事を求めて、魂の更なる輝きを求めて、魂の進化の為に最善の事として、全ての出来事を「想像=創造(そうぞう)」しています。

 ですから、困る出来事と感じられるような事が起きたとしても、本源の我であり、真我である我が魂の目から見れば、最善の出来事が起きているにしか過ぎません。

 困る出来事と捉えているのは、あくまでも、肉体の自我意識(表面意識)であり、困る考え方をしているので、その事に困っているだけなのです。

 困る出来事を、困らない状況へと持って行ったところに答えがある訳ではなく、困る出来事も、実は、困らないのだと認識出来るところに答えがあるのであり、それを創造力として使っていけば良いという事になります。

 肉体の自我意識(表面意識)がとらわれている、困難となる感情を外し、困る出来事というものが本来ある訳ではないと気付いていく事が、心の成長であり、それが創造力につながります。

     ☆     ☆     ☆    ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

思い通りでないところが、真我である魂にとっては全て思い通りだと気付くことが大切

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★思い通りでないところが、全て思い通りだと気付く

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 自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である、我が魂です。
 我が魂が、光り輝く魂になる事を求めて、魂の更なる輝きを求めて、魂の進化の為に最善の事として、全ての出来事を「想像=創造(そうぞう)」しています。

 本源の我であり、真我である我が魂の目から見れば、人生の全ては思い通りであり、我が魂の夢は100%叶っているのだと言えます。

 例え、肉体の自我意識(表面意識)から見れば、思い通りでないように感じられたとしても、我が魂の目から見れば、全ては思い通りなのです。

 魂は、自らの更なる輝きを求めて、自分自身が最も進化・成長出来る、最適な状況を「想像=創造(そうぞう)」します。
 そして、魂の関心事と、肉体の自我意識(表面意識)の関心事とは違います。

 魂にとっては、心の器を大きくして、心を純化、意識を福化させる事だけが関心事なので、その為に必要と思われる最適な状況を創造します。
 その中には、病気や怪我、お金を失う事、失恋・離婚、失業、失敗、社会的地位や名誉を失う事、人間関係を失う事など、一般的に、不幸・不運と呼ばれるような状況も多く含まれます。

 一方、肉体の自我意識(表面意識)の関心事は、多くの人にとっては、健康・長寿、お金や富を得る事、素晴らしい異性との恋愛・結婚、理想の家庭、理想の仕事、社会的成功、地位・名誉、素晴らしい人間関係など、一般的に、幸福・幸運と呼ばれるような状況かも知れません。

 このように、肉体の自我意識(表面意識)の関心事と、魂の関心事には、差(ギャップ)がありますので、我が人生の主体者・創造者である魂の想いを感じ、魂の願いに意識を合わせていく事が大切になります。

 肉体の自我意識(表面意識)から見れば、思い通りでないところが、実は、本源の我であり、真我である我が魂の目から見れば、全て思い通りなのだと気付く事が大切になります。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

自分の現実は真我である魂が「想像=創造」した心の内の景色であり、全て幻、全て問題なし

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★全て幻、全て問題なし

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 自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である、我が魂です。
 我が魂が、光り輝く魂になる事を求めて、魂の更なる輝きを求めて魂の進化の為に最善の出来事を「想像=創造(そうぞう)」しています。

 例え、肉体の自我意識(表面意識)ではその事が分からず、不幸・不運・困難と思えるような状況が感じられたとしても、全ては、本源の我であり、真我である我が魂が見たい世界、体験したい世界なのであり、全ては心の内の景色、言わば、幻なので、何も問題がある訳ではないのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

魂の進化としての道の最短距離を突き進んでいる自分自身と人生の流れを信頼する

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★魂の進化としての道の最短距離

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 私達の人生の基本テーマは魂の進化という事であり、魂の進化というプログラム上にしか私達の人生は存在していませんので、人生で起きる全ての事は、我が魂の進化の為に起きているという事になります。

 そして、我が魂は、魂の進化としての道の最短距離を突き進んでいます。

 天の仕組みとして、魂は進化するしかないので、魂が進化する場合と進化しない場合がある訳ではなく、常に進化を続けており、魂の進化としての道の最短距離を突き進んでいるのです。

 自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である、我が魂です。
 我が魂が、光り輝く魂になる事を求めて、魂の更なる輝きを求めて、魂の進化の為に、全ての現実を「想像=創造(そうぞう)」しています。

 自分の人生に起きる全ての事は、魂の進化の為に最善の事が起きているのであり、最善の事の連続でしかありません。
 ただ、その事が、肉体の自我意識(表面意識)では、分からないだけなのです。

 例え、肉体の自我意識(表面意識)では分からなくても、自分の人生に起きる全ての事は、魂の進化の為に最善の事が起きているのであり、我が魂は、全ての出来事、全ての体験を使って、魂の進化としての道の最短距離を突き進んでいます。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

本当の夢を想い出す為の書――書籍「魂の夢、光り輝く魂」

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 書籍「魂の夢、光り輝く魂」は、本当の夢を想い出す為に、とても役に立つ書となっています。

 本当の夢とは、心の夢ではなく、魂の夢であり、魂の夢を想い出す為の最良の書ともなっています。

 自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である魂です。

 自分の人生の全ては、真我である魂が、魂の更なる輝きを求めて、光り輝く魂になることを夢見て、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 魂の進化とは、心の純化、意識の福化ということであり、心を無地透明にして、ピュアな心、生きているうれしさをやさしく感じられる心、豊かな心、全てを喜びと感じられる心、いずこにもとらわれない全天候型の心、言わば、タイタン(巨人)のような心へと、心を飛翔させていくことなのです。

 心が思い描く夢というのは、真我である魂の夢を想い出す為のツールのようなものです。

 多くの人たちが、心に思い描く夢というものを、一般的な言葉で表現するとしたら、健康・長寿、お金や富を得ること、素晴らしい異性との恋愛・結婚、理想の家庭、理想の仕事、社会的成功、地位・名誉、素晴らしい人間関係、というようなことになるのかも知れません。

 それらの夢を心に思い描くこと自体は、意識を創る旅のプロセスには必要なことであり、心の夢を持つからこそ、魂を進化させていくことが出来るのですが、心の夢というのは、あくまでも、本当の夢ではなく、真我である魂の夢、本当の夢を想い出す為に、魂が使っているアプリケーションのようなものなのです。

 心が思い描く様々な夢の方に答えがあるのではなく、真我である魂の夢、本当の夢の方に、答えがあるのです。

 真我である魂が望んでいるは、「豊かなる心の位置で、豊かなる世界が現れてくる」ことを夢見ているのです。

 自分が体験する全ての現実は、「豊かなる心の位置で、豊かなる世界が現れてくる」のを体験する為に、真我である魂が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 自分が映す現実世界は全て心の内だと分かり、「豊かなる心の位置で、豊かなる世界が現れてくる」のを体験する時、光り輝く魂になることを夢見て、この人生の全てを「想像=創造(そうぞう)」した、我が魂の夢を想い出すことになるのです。


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書籍「魂の夢、光り輝く魂」――豊かなる心の位置で豊かなる世界が現れてくる

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 書籍「魂の夢、光り輝く魂」は、21世紀の新しい世界観「開眼世界観」に基づき、生きるということの本質について、考察した書です。

 書籍「魂の夢、光り輝く魂」には、「豊かなる心の位置で豊かなる世界が現れてくる」というサブタイトルが付いています。
 自分が映す現実世界(大宇宙)とは、自分の意識が投影された自分の内面の世界であり、全ては心の内の景色であり、言わば、インナーワールドなのです。
 ですから、自分の心の位置の豊かさでしか、豊かなる世界を感じることは出来ないのです。

 自分の外に、何か確固とした客観的な現実世界というものがある訳ではなく、自分が映す現実世界の全ては、自分の心の内の景色なのです。

 書籍「魂の夢、光り輝く魂」は、何方にとってもお勧めなのですが、特に、幸・不幸、運・不運という概念に囚われている方、自分が映す現実世界の全てが、自分の意識を投影した自分の内面の世界であり、自分の外に何か確固とした客観的な現実世界がある訳ではないということが理解出来ていない方にお勧めです!

 書籍の詳細につきましては、こちらからどうぞ!

書籍「魂の夢、光り輝く魂」が、本日5月15日、発売日を迎えました!

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四六版  245ページ

価 格  本体価格1700円+税

発 売  星 雲 社

書籍「魂の夢、光り輝く魂」が、本日5月15日、発売日を迎えました!
既に、全国の書店並びにアマゾン等のオンライン書店でも、販売が開始されています。

書籍「魂の夢、光り輝く魂」は、21世紀の新しい世界観「開眼世界観」に基づき、自分の人生の主体者・創造者であり、本源の我、真我である、我が魂の視点から、生きるということの本質について光を当てた書であり、生きるとは何かについて知る為の必読の書とも言える内容になっています。

ぜひ、本書をお読みいただき、魂の蘇り、魂の出産、魂の春を迎える為の一助にしていただければ、これに勝る喜びはございません。

書籍の内容につきましては、「書籍のページ」をご参照下さい。

書籍「魂の夢、光り輝く魂」は、電子書籍でもご購読いただけます!
電子書籍には、EPUB方式(Amazon Kindle、楽天KOBO、紀伊国屋書店Kinoppyなど)とXMDF方式(GALAPAGOS STORE、ドコモ dマーケット BOOKストアなど)の2種類がありますが、両方に対応しておりますので、ほとんどの主な電子書店にてご購読が可能となります!

電子書籍での配信開始は、5月下旬頃になる予定です。

書籍「魂の夢、光り輝く魂」の先行販売を開始致します!

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四六版  245ページ

価 格  本体価格1700円+税

発 売  星 雲 社

書籍「魂の夢、光り輝く魂」が完成致しました!
全国の書店並びにアマゾン等のオンライン書店での発売日5月15日に先駆けて、先行販売を開始致します!

書籍の内容につきましては、「書籍のページ」をご参照下さい。
ご注文は、「ご注文・ご予約ページ」からお願い致します。

書籍「魂の夢、光り輝く魂」は、電子書籍でもご購読いただけます!
電子書籍には、EPUB方式(Amazon Kindle、楽天KOBO、紀伊国屋書店Kinoppyなど)とXMDF方式(GALAPAGOS STORE、ドコモ dマーケット BOOKストアなど)の2種類がありますが、両方に対応しておりますので、ほとんどの主な電子書店にてご購読が可能となります!

電子書籍での配信開始は、5月下旬頃になる予定です。

書籍「魂の夢、光り輝く魂」の内容をご紹介致します!

2014年(平成26年)5月15日発売、書籍「魂の夢、光り輝く魂」の内容をご紹介致します!

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四六版  245ページ
価 格  1700円+税
発 売  星 雲 社
  書籍「魂の夢、光り輝く魂」は、電子書籍でもご購読頂けます!

電子書籍には、EPUB方式(Amazon Kindle、楽天KOBO、紀伊国屋書店Kinoppyなど)とXMDF方式(GALAPAGOS STORE、ドコモ dマーケット BOOKストアなど)の2種類がありますが、両方に対応しておりますので、主な電子書店にてご購読が可能となります!

はじめに

 生きるとは何か・・・。
 古今東西を問わず、全ての人々にとっての根源的な問いである、生きるとは何を意味するのでしょうか。

 生きるとは何かについて知る為には、まず、この大宇宙の本質について知る必要があります。
 そして、大宇宙と自分自身との関係を知る必要があります。
 そして、自分が映す現実世界とは何なのかについて知る必要があります。

 この三つの要点をきちんと把握しない限りは、生きるという事の本質は捉えられないと思います。

 この二一世紀において、私達人類の意識は飛躍的進化を遂げ、さなぎから蝶へと生まれ変わり、新たな地球が誕生する事になります。
 有史以来数千年の人類の古い世界観そのものが、新たな世界観へと入れ替わる時を迎えています。

 本書において、新たな世界観に基づき、生きるとは何かについて、考察してみたいと思います。

                             大和富士 


目  次
 はじめに

大 宇 宙
 絶対世界と相対世界
 根本創造主という唯一の実在
 全ては、神の顕れ
 想像(そうぞう)=創造(そうぞう)
 大宇宙=無限
 永遠(とわ)の中今
 永遠とは
 大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無い
 「あり得ない」という事こそ「あり得ない」―あらゆる事があり得る
 大宇宙の全ては、光の中
 物理的大宇宙は、仮相(仮の姿)の世界
 全ては、神の戯れ(リーラ)
 根本創造主の孤独
 絶対の静寂(しじま)ー絶対世界とは
 大宇宙の森羅万象の全てが、本来無事象
 一切無、一切幻
 大宇宙の全ては完
 全ては、大宇宙(神)の弥栄
 大宇宙の森羅万象を貫く一つの力学(法則)
 全ては、大宇宙の計画の中
 全ては必然、一切偶然なし
 未来からやって来る時間
 未来は、確定的に存在している
 大宇宙は、多重多次元構造
 大宇宙そのものが、完璧なスーパーコンピューター
 ここは、緑美しき懐かしき地球(追想の中)

新しい世界観
  大宇宙意識と本源の我
  意識の中に大宇宙がある
  一人一人が自分の宇宙(世界)の創造主
  現実世界とは
  自分一人の世界
  全てが主観の世界
  自分が変われば世界が変わる
  心が美しくなれば、現実世界は美しく輝く
  魂の進化
  魂の願い
  心を創り、心を失い、思いを創り、思いを失う
  魂の進化の場として与えられた運動場
  魂の夢
  今を良しとする力、全てを完として捉える力
  どれだけの意識を創れたかが大切
  自分を解放するプログラム
  自分の唯一のプログラム
  本当は誰もいないーただ大宇宙がある
  魂の進化としての道の最短距離
  全て幻、全て問題なし
  思い通りでないところが、全て思い通りだと気付く
  困る出来事あらず
  人のせい、社会のせいなど存在しない
  後悔するという思考を消滅へと向かわせる
  映る世に心を傾けない
  幸福なるもの形にあらず
  幸・不幸という概念を超える
  プラス思考を超える
  受ける難、全て福
  人生の悩み・苦しみの根底にあるもの その1
  人生の悩み・苦しみの根底にあるもの その2
  幻の世と知って生きる事に、生命の輝きを見る
  人は常に、自分が最も学び、成長し、進化出来る最善の場所にいる
  現実という空間全てに、常に、遊びという学びが用意されている
  宇宙はメッセージだらけ
  真のワンネスとは
  真(まこと)のみを映す鏡
  全ては愛のメッセージ
  生きるとは、創造する事
  全てを喜びに変える創造
  この世界は自分次第
  空間を最高の友として遊ぶ
  豊かなる心の位置で、豊かなる世界が現れてくる
  あらゆる否定を無くする
  この世にあるもの全てが御魂の肥やし
  肉体という衣について
  自分の両親を自ら選んで生まれて来ている
  多次元に生きる、本源の我
  魂を自分の肉体の外に想像
  今ここに生きる事が、常なるテーマ
  ここは「追想の中」
  明日を感じて今日を生きる
  自分の中に全ての答えがあるー内的な知り方と外的な知り方
  魂の記憶を蘇らせる
  魂の記憶が蘇ると、人生の全てが、予定通りだった事を想い出す
  全ては我が魂の計画
  生きているうれしさをやさしく感じる
  自分の肉体を超えた、自分の本質の光を想い出す
  人生の全ては輝きの中のものー内なる光は消える事なく私を照らす
  魂の夢、光り輝く魂

 おわりに

おわりに

 この二一世紀において、私達人類の意識は飛躍的進化を遂げ、さなぎから蝶へと生まれ変わり、新たな地球が誕生する事になります。
 
 それに伴い、私達人類の世界観そのものが、大きく変わろうとしています。
 有史以来数千年の古い世界観そのものが、新しい世界観に入れ替わる時を迎えようとしているのです。
 現実世界に対する捉え方そのものが、根本的に変わろうとしています。

 自分と自分以外を分け、自と他を分けた思考形態の中で、自分の外に何か確固とした客観的な現実世界があるのだと捉えた認識そのものが、消えていこうとしています。

 自分が映す現実世界は、全て心の内だと分かり、自分と世界は分かれてはいないのだと知る事になるのです。
 自分と空間は一つであり、全ては、自分の意識を投影した、自分の内面の世界であり、言わば、インナーワールドである事を知る事になるのです。

 自分の現実は全て、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である、我が魂が、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」したものであり、全ては最善の目的の為に起きている事を知る事になります。

 これにより、幸福・不幸という概念そのものが、消えていこうとしています。
 肉体の自我意識(表面意識)の視点から、様々な出来事を幸・不幸、運・不運と捉えてきた認識そのものが、消えていこうとしているのです。

 言わば、幸・不幸という概念すら超えた高みへと、私達人類の意識は、これから飛翔しようとしているのです。

 自分の人生の主体者・創造者であり、本源の我、真我である、我が魂の想いを感じ、魂の願いに意識を合わせられるようになると、幸福・不幸という概念そのものが消えていく事になるのです。

 永遠不滅の存在であり、天上界へと無限に続く意識の旅をしている我が魂の願いは唯一点、光り輝く魂になる事なのです。
 魂の更なる輝きを求めて、魂の進化の為に、我が魂は、全ての現実を「想像=創造(そうぞう)」しているのです。

 自分が映す現実世界は全て心の内だと分かり、豊かなる心の位置で、豊かなる世界が現れてくるのを体験する時、光り輝く魂になる事を求めて、この人生の全てを「想像=創造(そうぞう)」した、我が魂の夢を想い出す事になるのです。

 西暦二〇一四年(平成二六年)三月吉日
                            大和富士 


2014年5月、「魂の夢、光り輝く魂」が出版されます!(電子書籍でも!)

 既に電子書籍としてダウンロード購読を開始しております「魂の夢、光り輝く魂」が、2014年5月出版され、全国発売されます!
 合わせて、電子書籍としても、配信されます!

 電子書籍には、EPUB方式(Amazon Kindle、楽天KOBO、紀伊国屋書店Kinoppyなど)とXMDF方式(GALAPAGOS STORE、ドコモ dマーケット BOOKストアなど)の2種類がありますが、両方に対応しておりますので、ほとんどの主な電子書店にて購読が可能となります!
 電子書籍での配信開始は、一般書籍での発売開始から1〜2ヶ月後となります。

 「魂の夢、光り輝く魂」は、21世紀の新たな世界観「開眼世界観」に基づき、自分の人生の主体者・創造者であり、本源の我、真我である魂の視点から、生きるという事の本質について考察した書となっております。

 未来から来た情報・叡智により、生きるという事の本質について光を当てた書であり、生きるとは何かについて知る為の必読の書とも言える内容になっています。

 書籍が完成し次第、全国の書店での発売に先駆けて、4月下旬から先行販売を開始する予定です。
 どうぞお楽しみに!

7月17日、新著「魂の夢、光り輝く魂」発売開始!

7月17日、新著「魂の夢、光り輝く魂」の発売を開始致しました!

電子書籍「魂の夢、光り輝く魂」
     豊かなる心の位置で
     豊かなる世界が現れてくる

四六版 244ページ
価  格  1200円+税
当ホームページよりPDFファイルにてダウンロード購読

詳細につきましては、「書籍」のページをご参照下さい!


7月17日発売、「魂の夢、光り輝く魂」の内容をご紹介致します!

7月17日発売、新著「魂の夢、光り輝く魂」の内容をご紹介致します!

  電子書籍「魂の夢、光り輝く魂」
       豊かなる心の位置で
       豊かなる世界が現れてくる

   四六判  244ページ
   価  格  1200円+税
   当ホームページよりPDFファイルにてダウンロード購読


はじめに

 生きるとは何か・・・。
 古今東西を問わず、全ての人々にとっての根源的な問いである、生きるとは何を意味するのでしょうか。

 生きるとは何かについて知る為には、まず、この大宇宙の本質について知る必要があります。
 そして、大宇宙と自分自身との関係を知る必要があります。
 そして、自分が映す現実世界とは何なのかについて知る必要があります。

 この三つの要点をきちんと把握しない限りは、生きるという事の本質は捉えられないと思います。

 この二一世紀において、私達人類の意識は飛躍的進化を遂げ、さなぎから蝶へと生まれ変わり、新たな地球が誕生する事になります。
 有史以来数千年の人類の古い世界観そのものが、新たな世界観へと入れ替わる時を迎えています。

 本書において、新たな世界観に基づき、生きるとは何かについて、考察してみたいと思います。

                                        大和富士 


目  次

 はじめに

大 宇 宙
 絶対世界と相対世界
 根本創造主という唯一の実在
 全ては、神の顕れ
 想像(そうぞう)=創造(そうぞう)
 大宇宙=無限
 永遠(とわ)の中今
 永遠とは
 大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無い
 「あり得ない」という事こそ「あり得ない」―あらゆる事があり得る
 大宇宙の全ては、光の中
 物理的大宇宙は、仮相(仮の姿)の世界
 全ては、神の戯れ(リーラ)
 根本創造主の孤独
 絶対の静寂(しじま)ー絶対世界とは
 大宇宙の森羅万象の全てが、本来無事象
 一切無、一切幻
 大宇宙の全ては完
 全ては、大宇宙(神)の弥栄
 大宇宙の森羅万象を貫く一つの力学(法則)
 全ては、大宇宙の計画の中
 全ては必然、一切偶然なし
 未来からやって来る時間
 未来は、確定的に存在している
 大宇宙は、多重多次元構造
 大宇宙そのものが、完璧なスーパーコンピューター
 ここは、緑美しき懐かしき地球(追想の中)

新しい世界観
 大宇宙意識と本源の我
  意識の中に大宇宙がある
  一人一人が自分の宇宙(世界)の創造主
  現実世界とは
  自分一人の世界
  全てが主観の世界
  自分が変われば世界が変わる
  心が美しくなれば、現実世界は美しく輝く
  魂の進化
  魂の願い
  心を創り、心を失い、思いを創り、思いを失う
  魂の進化の場として与えられた運動場
  魂の夢
  今を良しとする力、全てを完として捉える力
  どれだけの意識を創れたかが大切
  自分を解放するプログラム
  自分の唯一のプログラム
  本当は誰もいないーただ大宇宙がある
  魂の進化としての道の最短距離
  全て幻、全て問題なし
  思い通りでないところが、全て思い通りだと気付く
  困る出来事あらず
  人のせい、社会のせいなど存在しない
  後悔するという思考を消滅へと向かわせる
  映る世に心を傾けない
  幸福なるもの形にあらず
  幸・不幸という概念を超える
  プラス思考を超える
  受ける難、全て福
  人生の悩み・苦しみの根底にあるもの 1
  人生の悩み・苦しみの根底にあるもの 2
  幻の世と知って生きる事に、生命の輝きを見る
  人は常に、自分が最も学び、成長し、進化出来る最善の場所にいる
  現実という空間全てに、常に、遊びという学びが用意されている
  宇宙はメッセージだらけ
  真のワンネスとは
  真(まこと)のみを映す鏡
  全ては愛のメッセージ
  生きるとは、創造する事
  全てを喜びに変える創造
  この世界は自分次第
  空間を最高の友として遊ぶ
  豊かなる心の位置で、豊かなる世界が現れてくる
  あらゆる否定を無くする
  この世にあるもの全てが御魂の肥やし
  肉体という衣について
  自分の両親を自ら選んで生まれて来ている
  多次元に生きる、本源の我
  魂を自分の肉体の外に想像
  今ここに生きる事が、常なるテーマ
  ここは「追想の中」
  明日を感じて今日を生きる
  自分の中に全ての答えがあるー内的な知り方と外的な知り方
  魂の記憶を蘇らせる
  魂の記憶が蘇ると、人生の全てが、予定通りだった事を想い出す
  全ては我が魂の計画
  生きているうれしさをやさしく感じる
  自分の肉体を超えた、自分の本質の光を想い出す
  人生の全ては輝きの中のものー内なる光は消える事なく私を照らす
  魂の夢、光り輝く魂

 おわりに

おわりに

 この二一世紀において、私達人類の意識は飛躍的進化を遂げ、さなぎから蝶へと生まれ変わり、新たな地球が誕生する事になります。
 
それに伴い、私達人類の世界観そのものが、大きく変わろうとしています。
 有史以来数千年の古い世界観そのものが、新しい世界観に入れ替わる時を迎えようとしているのです。
 現実世界に対する捉え方そのものが、根本的に変わろうとしています。

 自分と自分以外を分け、自と他を分けた思考形態の中で、自分の外に何か確固とした客観的な現実世界があるのだと捉えた認識そのものが、消えていこうとしています。

 自分が映す現実世界は、全て心の内だと分かり、自分と世界は分かれてはいないのだと知る事になるのです。
 自分と空間は一つであり、全ては、自分の意識を投影した、自分の内面の世界であり、言わば、インナーワールドである事を知る事になるのです。

 自分の現実は全て、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である、我が魂が、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」したものであり、全ては最善の目的の為に起きている事を知る事になります。

 これにより、幸福・不幸という概念そのものが、消えていこうとしています。
 肉体の自我意識(表面意識)の視点から、様々な出来事を幸・不幸、運・不運と捉えてきた認識そのものが、消えていこうとしているのです。

 言わば、幸・不幸という概念すら超えた高みへと、私達人類の意識は、これから飛翔しようとしているのです。

 自分の人生の主体者・創造者であり、本源の我、真我である、我が魂の想いを感じ、魂の願いに意識を合わせられるようになると、幸福・不幸という概念そのものが消えていく事になるのです。

 永遠不滅の存在であり、天上界へと無限に続く意識の旅をしている我が魂の願いは唯一点、光り輝く魂になる事なのです。
 魂の更なる輝きを求めて、魂の進化の為に、我が魂は、全ての現実を「想像=創造(そうぞう)」しているのです。

 自分が映す現実世界は全て心の内だと分かり、豊かなる心の位置で、豊かなる世界が現れてくるのを体験する時、光り輝く魂になる事を求めて、この人生の全てを「想像=創造(そうぞう)」した、我が魂の夢を想い出す事になるのです。

 西暦二〇一三年(平成二五年)六月一日
                                                    大和富士 

7月、新著「魂の夢、光り輝く魂」、電子書籍にて発売!

新著「魂の夢、光り輝く魂」を、来月7月、電子書籍として発売致します!

   「魂の夢、光り輝く魂」
    豊かなる心の位置で
    豊かなる世界が現れてくる

詳細につきましては、近日中にお知らせ致しますので、どうぞお楽しみに!

全ては、大宇宙(神)の弥栄

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★全ては、大宇宙(神)の弥栄

 大宇宙の森羅万象の全ては、絶対世界に唯一実在する大宇宙意識が、自分自身を体験して味わう為に、光によって織り成している、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような幻であり、全ては、大宇宙意識の中で繰り広げられている、壮大なゲームであり、全てが「神の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。

 ですから、この大宇宙の森羅万象の全ては、根本主体である大宇宙意識の自画自賛であり、全ては、大宇宙意識の弥栄を称えるものなのです。
 大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙意識の弥栄、そのものなのです。

 唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である大宇宙意識が、自らが持つ「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を体験し、味わう為に繰り広げている、壮大なゲームであり、全ては「神の戯れ(リーラ)」でしかないので、言わば、全てが自画自賛の世界なのです。

 例え、この世界のある断面(場面)を切り取って見た時、そこに如何なる悲劇・不幸・悪・矛盾・不調和のようなものが感じられたとしても、宇宙的な観点に立てば、全てが最善の目的の為に起きており、全てが、より大きな大調和に向って進化しつつあるプロセスの中にあるものなのです。

 全ては、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を体験し、味わうという壮大なゲームなのであり、全ては、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような幻の中にある紋様であり、そして、大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙のより大きな大調和、即ち、大宇宙の弥栄に向って起きている事なのです。

 大宇宙の森羅万象の全ては、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である大宇宙意識の自画自賛であり、全てが大宇宙(神)の弥栄を称えるものなのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

大宇宙の全ては完

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★大宇宙の全ては完

 この大宇宙の全ては、完璧であり、完成された、完全なる世界です。

 毎瞬毎瞬、大宇宙のどの断面(場面)を切り取って見たとしても、そこは全てが完全な世界であり、不足・不備、矛盾、不調和、間違いなどは存在していません。

 この大宇宙には、間違いなるものは、何一つ存在していない、というのが真相なのです。

 何故なら、この大宇宙には、究極的には、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙意識しか実在していないので、大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙意識が光で織り成す壮大な織物のようなものだからです。

 この大宇宙に存在する全てのものを生み出し、生かしているところの、全知全能の存在である大宇宙意識に、間違いなどあろう筈がありません。
 例えこの世界に、様々な矛盾・不調和・問題・悪・間違いと思えるようなものが感じられたとしても、森羅万象の背後にある大宇宙意識の御心は計り知れないものなので、どんな時でも、大宇宙の全ては完である事を想い出す事が大切になります。

 そして、この大宇宙には何一つ間違いは無く、全てが完である事を知る為には、この現象界(物理的大宇宙)は仮相(仮の姿)の世界であり、言わば幻の世界であり、一切が無の世界である事を知る必要があります。

 この現象界は幻の世界であり、一切が無の世界なので、真実の世界においては、本当は、何も失われる事なく、傷付けられたりするという事もありません。

 この大宇宙の唯一の実在である大宇宙意識が、自分自身を、本当の意味で傷付けたりする訳がありません。
 全ては、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である大宇宙意識が、全知全能の「無限」の力を、体験して味わう為に、光により織り成している、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような幻なのであり、一切が無なので、全てが光の中にあり、完全なる大調和の中に存在しています。

 全ては、根本主体である大宇宙意識の光の中で繰り広げられる、壮大なゲームであり、全ては「神の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。

 この大宇宙の全ては、根本主体である大宇宙意識の光の中にあり、完全なる大調和の中に存在しています。
 この大宇宙の全てが完なのです。

     ☆      ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

一切無、一切幻

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★一切無、一切幻

 現象界である物理的大宇宙は、仮相(仮の姿)の世界であり、言わば、幻の世界です。
 絶対世界に唯一実在する大宇宙意識が「想像」したイメージが、光により物質化されて「創造」された世界であり、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような、幻の世界なのです。

 物理的大宇宙の全ては、仮相(仮の姿)であり、また、何か確固とした実体がある訳ではないので、一切が無であり、一切が幻の世界なのです。

 例えば、水は、温度や気象条件によって、水、氷、水蒸気、雨、霰(あられ)、雪、雹(ひょう)など、様々な姿となって顕れますが、化学式で表せば、H2Oという、同じものです。
 水も、氷も、水蒸気も、雪も、本当の姿ではなく、言わば、幻の姿です。

 また、自分自身の肉体を始め、様々なあらゆる物体は、中身がぎっしりと詰まった、何か確固とした実体があるもののように、一見感じられますが、原子などのミクロのレベルでは、ほとんど中がスカスカの、空っぽに近い状態であると言えます。
 大宇宙意識の光が、周波数によって、様々な色・形・質量となって顕れているだけなので、本当は、何か確固とした実体がある訳ではありません。

 大宇宙の全ては、光によって創られた世界であり、光が様々な姿・形・紋様となって表現された、言わば、幻の世界なのです。

 相対世界である物理的大宇宙は、絶対世界に唯一実在する大宇宙意識が、自分自身を体験し、味わう為に「創造」した「鏡」の世界であり、言わば、「映(うつ)し世」なのです。
 空間という、360度立体のバーチャルなスクリーン上で、大宇宙意識の光が、様々な紋様となって織り成されているだけなのです。

 全知全能の大宇宙意識の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」が、様々な無数の紋様となって光により織り成されているだけなのです。
 そこに存在しているかに見える様々な紋様には、本当は、何も確かな実体がある訳ではなく、一切が無であり、一切が幻なのです。

 現象界である物理的大宇宙は、絶対世界に唯一実在する大宇宙意識の中で繰り広げられる、壮大なゲームであり、全てが「神の戯れ(リーラ)」であり、全てが光によって織り成されているだけの、「一切無、一切幻」の世界なのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

大宇宙の森羅万象の全てが、本来無事象

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★大宇宙の森羅万象の全てが、本来無事象

 大宇宙の森羅万象の全てが、本来無事象であり、意味が無く、中立です。

 大宇宙の森羅万象の全てには、何か特別な意味がある訳ではなく、幸福でも不幸でもなく、幸運でも不運でもなく、善でも悪でもなく、全てが中立です。

 何故なら、大宇宙の森羅万象の全てが、「神の戯れ(リーラ)」と呼べるものなので、大宇宙の唯一の実在である大宇宙意識の目から見れば、全ては、自らの意識の中で繰り広げられる壮大なゲームの中の一コマにしか過ぎないからです。

 大宇宙の森羅万象の全ては、唯一の実在である大宇宙意識が、自らを体験して味わう為に「創造」された、仮相(仮の姿)の世界であり、言わば、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような、幻の世界なので、全てが光の中にあります。

 唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である大宇宙意識の「無限」の光が、ただ、様々な紋様となって顕れているだけなのです。

 一つ一つの紋様に、何か特別な意味がある訳ではなく、全ては、全知全能の大宇宙意識の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」が、無数の様々な紋様となって、光により織り成されているだけなのです。

 森羅万象の様々な紋様に対して、幸福・不幸、幸運・不運、善・悪などという意味を付けているのは、あくまでも、私達人間です。
 人間サイドの視点から、自分に都合がいいように、幸・不幸、運・不運、善・悪というような意味付けをしているにしか過ぎません。

 大宇宙意識の目から見れば、全ては、自らが持つ、全知全能の「無限」の力が、光により「無限」の表現となって顕れているにしか過ぎません。

 大宇宙の森羅万象の全てが、本来無事象であり、意味が無く、中立なのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より


絶対の静寂(しじま)ー絶対世界とは

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★絶対の静寂(しじま)ー絶対世界とは

「絶対の静寂(しじま)」という言葉があります。
 この、「絶対の静寂(しじま)」というのは、絶対世界にのみ存在します。

 この大宇宙は、絶対世界と相対世界から成り立っています。
 絶対世界とは、実相(本質)の世界であり、そこは、非物質な世界です。
 絶対世界には、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主の純粋意識のみが実在しています。

 これに対して、相対世界とは、根本創造主の意識を映し出して体験する為の、「鏡」の世界であり、現象界としての物理的大宇宙は、相対世界に属しています。
 相対世界は、仮相(仮の姿)の世界であり、根本創造主の光が、様々な色、形、音となって表現された、言わば、幻の世界です。

 色、形、音などは、全て、相対世界のものであり、幻です。
 絶対世界には、色も形も音もありません。

 音で言うなら、絶対世界にある音は、「絶対の静寂(しじま)」のみ、という事になります。
 音無き音の世界が、絶対世界という事になります。

 色、形、音などは、例えそれがどんなに妙なるものであったとしても、色、形、音である限りは、全て、相対世界のものであり、幻です。
 天上界、あるいは、神界を想わせるような、妙なる色、形、音であったとしても、それは周波数の違いだけであり、やはり、相対世界に属するものになります。

 色で言うと、人間の肉眼で見える光線は、ある限られた範囲のものであり、可視光線の外にある赤外線や紫外線などは、目には見えませんが、存在しています。
 そして、それは、周波数の違いという事になります。
 音で言うと、人間の耳で聴ける可聴音は、ある限られた範囲のものであり、その範囲を超えた周波数は、耳では聴こえませんが、存在しています。

 天上界の音楽、天界の調べを想わせるような、妙なる音があったとしても、周波数が違うだけであり、それはあくまでも、相対世界のもの、という事になります。

「絶対の静寂(しじま)」である絶対世界には、色も形も音も無く、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主の純粋意識のみが実在しています。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

根本創造主の孤独

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★根本創造主の孤独

私達人間は、自と他を分けた思考形態の中で、家族がいない、愛する人がいない、恋人がいない、友人がいないと、寂しさを感じたり、孤独を感じたりします。
また、家族や愛する人がいても、お互いに理解し合えない時や、関係がうまくいっていない時には、孤独を感じたりします。
しかし、人間が抱く、それらの孤独感は、あくまでも、相対的な孤独と言ってもよいかと思います。

ところが、人間が抱く相対的な孤独とは違って、絶対的な孤独というものが、この大宇宙には存在します。
それが、根本創造主の孤独です。

大宇宙の根本創造主が孤独を感じるのかと思われるかも知れませんが、大宇宙の根本創造主だからこそ感じる孤独、根本創造主にしか味わえない孤独というものが、あります。
それは、私達人間が感じる相対的な孤独とは訳が違う、究極的な孤独であり、絶対の孤独と呼んでもよいかも知れません。

この大宇宙は、絶対世界と相対世界から成り立っています。
絶対世界は、実相(本質)の世界であり、そこに唯一実在しているのは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主の純粋意識のみです。
本書では、便宜上、大宇宙意識と呼んでいます。

そして、相対世界とは、根本主体である大宇宙意識が、自分自身を体験し、味わう為に「創造」された、「鏡」の世界であり、仮相(仮の姿)の世界であり、現象界としての物理的大宇宙は、相対世界に属しています。
大宇宙意識が「想像」したイメージが、光により物質化されて「創造」された、言わば、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような幻の世界なのです。
現象界である物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識の顕れに他なりません。

この大宇宙には、根本創造主の純粋意識のみが実在しています。
そして、それは、未来永劫変わることがありません。

根本創造主の目から見ると、この大宇宙には、自分自身しか存在していないという事になります。
その事を、敢えて孤独という言葉で表現するとしたら、それは、絶対の孤独という言い方が出来るかも知れません。
私達人間が抱く相対的な孤独感とは訳が違う、究極的な孤独であり、絶対の孤独であり、それは、永遠に変わる事がありません。

根本創造主の目から見ると、この大宇宙には、未来永劫、永遠に、自分自身しか存在していないという事であり、敢えて孤独という表現を使うとすれば、それは、究極的な孤独であり、永遠の孤独であり、絶対の孤独であるという事になります。

純粋意識である根本創造主が唯一行っているのは、「想像=創造(そうぞう)」という仕事であり、それによって生み出された大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙意識の中で繰り広げられる壮大なゲームであり、全てが「神の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。

純粋意識である根本創造主は、未来永劫、永遠に変わる事の無い、究極的な絶対的な孤独の中で、全知全能の力で、ありとあらゆる事を「想像」し続けており、それが光により物質化され「創造」されて、大宇宙の森羅万象の全てが営まれています。

そして、大宇宙の森羅万象の全ての営みが、根本創造主の光の中にあり、根本創造主が光で織り成す壮大なゲームであり、全てが「神の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

全ては、神の戯れ(リーラ)

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★全ては、神の戯れ(リーラ)

サンスクリット語に、「神の戯れ」というような意味の、「リーラ」という言葉があるようです。

実は、大宇宙の森羅万象の全てが、「神の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。

大宇宙に唯一実在しているのは、大宇宙意識のみであり、大宇宙の森羅万象の全ては、絶対世界にある大宇宙意識が「想像」したイメージが、大宇宙意識の光により物質化されて「創造」されたものなので、この大宇宙の全てが、大宇宙意識の「想像」の産物だという事になります。

絶対世界に唯一実在している大宇宙意識が行っている事は、ありとあらゆる事を「想像」し続ける事であり、自らの「想像」を光によって物質化させ、ありとあらゆる事を、現象界に「創造」し続ける事なのです。

現象界である物理的大宇宙は、大宇宙意識が「想像」したイメージを、映し出して体験する為の場であり、言わば、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような世界なので、大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙意識の中で繰り広げられる、壮大なゲームであるとも言えます。

純粋意識である大宇宙意識は、現象界である物理的大宇宙を通して、自分自身を体験し、味わっているのだとも言えます。

大宇宙意識が唯一行っているのは、「想像=創造(そうぞう)」という仕事であり、それによって生み出された大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙意識の壮大なゲーム・遊びであり、全てが、「神の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

物理的大宇宙は、仮相(仮の姿)の世界

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★物理的大宇宙は、仮相(仮の姿)の世界

相対世界である物理的大宇宙は、仮相(仮の姿)の世界であり、言わば、幻の世界です。

例えば、水は、温度や気象条件によって、水、氷、水蒸気、雨、霰(あられ)、雪、雹(ひょう)など、様々な姿となって顕れますが、化学式で表せば、H2Oという、同じものです。
水も氷も、水蒸気も、雪も、本当の姿ではなく、言わば、幻の姿です。

また、自分自身の肉体を始め、様々なあらゆる物体は、中身がぎっしりと詰まった、何か確固たる実体があるもののように、一見感じられますが、原子などのミクロのレベルでは、ほとんど中がスカスカの、空っぽに近い状態であると言えます。
大宇宙意識の光が、周波数によって、様々な色・形・質量となって顕れているだけなので、本当は、何か確固とした実体がある訳ではありません。

大宇宙の全ては、光によって創られた世界であり、光が様々な姿・形・紋様となって表現された、言わば、幻の世界なのです。

相対世界である物理的大宇宙は、絶対世界に唯一実在する大宇宙意識が「想像」したイメージを、映し出して体験する為の、言わば、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような世界なのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より


大宇宙の全ては、光の中

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★大宇宙の全ては、光の中

この大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像」したイメージが、大宇宙意識の光により物質化されて「創造」されたものです。

大宇宙意識の光によって創られていないものなど何一つ無く、この大宇宙の全てが、大宇宙意識の光の中なのです。

この大宇宙は、光の世界であり、全てが、光の中なのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より


「あり得ない」という事こそ、「あり得ない」ーあらゆる事があり得る

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★「あり得ない」という事こそ、「あり得ない」ーあらゆる事があり得る

「あり得ない」という言葉を、人々が、冗談のように、よく使っているのを耳にします。
しかし、実際には、この大宇宙においては、「あり得ない」という事こそ、「あり得ない」のです。

この大宇宙には、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、根本創造主しか実在していないので、根本創造主の御心次第では、「あらゆる事があり得る」からなのです。

根本創造主である大宇宙意識の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」は「無限」であり、大宇宙意識に不可能は無いので、大宇宙意識の御心次第では、実は、この大宇宙においては、あらゆる事が可能であり、「あらゆる事があり得る」というのが、真相なのです。

この大宇宙において、唯一「あり得ない」のは、大宇宙そのものが存在しない、という事のみなのです。

この大宇宙に唯一実在しているのは、絶対世界にある大宇宙意識のみであり、それは非物質なものなので、消滅したりするようなものではなく、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けます。

そもそも、究極的には時間は存在していないので、「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「永遠(えいえん)」の「今」があるだけなのです。
絶対世界に唯一実在する大宇宙意識は、誕生するという事もなく、消滅するという事もなく、「永遠(えいえん)」の「今」に実在しています。

そして、絶対世界と相対世界は、表裏一体、密接不可分の関係として同時に存在していますので、大宇宙意識を映し出して体験する為の「鏡」の世界である、物理的大宇宙もまた、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けます。

この大宇宙においては、「あり得ない」という事こそ、「あり得ない」のであり、根本主体である大宇宙意識の御心次第では、「あらゆる事があり得る」のです。
そして、この大宇宙において、唯一「あり得ない」のは、この大宇宙そのものが存在しない、という事のみなのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無い

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無い

大宇宙には、始まりも無ければ終わりもありません。

大宇宙は、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けます。

大宇宙そのものが存在しないなどという事は、あり得ない事なのです。

現在の科学では、宇宙は約137億年前に誕生したと考えているようです。
しかしそれは、あくまでも、今現在の科学で捉えられる範囲での認識にしか過ぎません。

ここで大宇宙と呼んでいるのは、大宇宙そのものの事なので、個々の銀河宇宙の事ではありません。

個々の銀河宇宙には、確かに、始まり(誕生)があり、終わり(死・終結)もあると考えられますが、大宇宙そのものが存在しないなどという事は、あり得ない事なのです。

何故なら、大宇宙に唯一実在しているのは、絶対世界にある大宇宙意識のみであり、それは、非物質なものなので、消滅したりするようなものではなく、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けます。

そもそも、究極的には時間は存在していないので、「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「永遠(えいえん)」の「今」があるだけなのです。

絶対世界に唯一実在する大宇宙意識は、誕生するという事もなく、消滅するという事もなく、「永遠(えいえん)」の「今」に実在しています。

そして、絶対世界と相対世界は、表裏一体、密接不可分の関係として同時に存在していますので、大宇宙意識を映し出して体験する為の「鏡」の世界である、物理的大宇宙もまた、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けます。

大宇宙には、始まりも無ければ終わりもありません。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

永遠とは

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★永遠とは

永遠という言葉は、遙か悠久の時の流れ、気の遠くなる程の永い時間、というような意味でよく使われているかと思います。
確かに、永遠という言葉は、とてもとても永い時間というものをイメージさせる言葉だと思います。

しかしながら、永遠とは、別の言い方をするなら、「今この時」という事になります。

遙か悠久の時間と、「今この時」とは、まるで正反対の対極にあるような感じですが、「今この時」というものこそ、永遠というものの本質なのです。

時間は幻想であり、本当は、時間は存在していません。
究極的には時間は存在しておらず、「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
時間は流れている訳ではなく、過去も未来も、今、同時に存在しています。
ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

永遠とは、別の言い方をするなら、時間は存在していない、という事であり、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」しか存在していない、という事なのです。

「今」という「この時」しか実在していない、だからこそ、永遠なのです。
「今」という「この時」しか実在していないからこそ、本当の意味で、それを、永遠と呼ぶ事が出来るのです。

今の地球の科学では、約137億年前に宇宙が誕生したと考えているようです。
しかしそれは、あくまでも、今現在の科学で捉えられる範囲での認識にしか過ぎず、実際には、この宇宙には、始まりも無ければ終わりもありません。
137億年というのは、人間の時間の感覚からすると、気の遠くなるような時間かも知れませんが、無限の大宇宙から見れば、ほんの一瞬かも知れません。

それはともかく、137億年というのは、たかだか137に0(ゼロ)が8個付いただけの数字でしかありません。
例え、一千億年であろうと、一千兆年であろうと、あるいは、一千京年であろうとも、それらは、所詮、有限の時間でしかありません。
仮に、137に0(ゼロ)を一億個付けたとしても、所詮は有限な時間でしかないので、本当の意味で、それを永遠と呼ぶ事は出来ないという事になります。

そして、「今」という「この時」しか実在していないからこそ、本当の意味で、それを、永遠と呼ぶ事が出来るのです。

この事は、時間は幻想であり、本当は時間は存在していない、という事を体験として知らない限りは理解出来ないと思いますが、もし体験出来れば、自ずと理解出来る事だと思います。

「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
究極的には時間は存在しておらず、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

私達は、今、「永遠(とわ)の中今」に生かされ、生きているのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より


永遠(とわ)の中今

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★永遠(とわ)の中今

時間は幻想であり、本当は、時間は存在していません。

時間というものは、究極的には存在しておらず、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「永遠(えいえん)」の「今」があるだけなのです。

時間というものは流れている訳ではなく、過去も未来も、今、同時に存在しています。

「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
ただ、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

大宇宙は、空間においてのみならず、時間においても「無限」なのです。

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拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

大宇宙=無限

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★大宇宙=無限

唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙意識の「想像力(そうぞうりょく)」には、限りがありません。
従って、大宇宙意識の「創造力(そうぞうりょく)」にもまた、限りが無いという事になります。

大宇宙意識に不可能はありません。

大宇宙意識は、ありとあらゆる事を「想像」する事が出来、それをそのまま100%、光により物質化させて「創造」する事が出来ます。

大宇宙意識の「想像力」は「無限」なので、大宇宙意識の「創造力」もまた、「無限」なのだという事になります。

この物理的大宇宙は、大宇宙意識の「無限」の「想像力」により「創造」された世界なので、実際には、極まりの無い、「無限」の世界なのです。

現在の科学が把握出来ているだけでも、この宇宙には、少なくとも百万個以上の銀河が記録されているようです。
さらには、ウィキペディアによると、観測可能な宇宙には、少なくとも1700億個もの銀河が存在すると考えられているようです。
また、140億光年以内で見える宇宙には、なんと、数兆もの小型の銀河と、数十〜数百億もの銀河団が存在すると推定する天文学者たちもいるようです。

そして、私達の太陽系が属する天の川銀河一つだけでも、数千億個もの恒星(太陽)が存在すると考えられている訳ですから、この大宇宙の広大無辺さが、少しは感じられる事と思います。

実際には、この大宇宙は、極まりの無い「無限」の世界なので、今後、科学が進歩すればする程、この大宇宙の広大無辺さ、空間の無限性というものが、少しずつ理解出来るようになっていく筈です。

この大宇宙は、空間において、「無限」なのです。

大宇宙の事を、別名、「無限」と呼んでも良いかも知れません。

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拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

想像(そうぞう)=創造(そうぞう)

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★想像(そうぞう)=創造(そうぞう)

イメージするという意味の「想像」と、クリエイトするという意味の「創造」は、どちらも「そうぞう」という同じ言霊(ことだま)を持っています。

実は、大宇宙の本質の世界においては、「想像」も、「創造」も、同じ事なのです。
「想像(そうぞう)」=「創造(そうぞう)」という事になります。

絶対世界に唯一実在する、大宇宙意識が「想像」したイメージが、そのまま100%、相対世界に「創造」されているのです。

大宇宙の唯一の実在である大宇宙意識とは、全知全能の純粋意識として存在していますので、自らが「想像」したイメージを、そのまま100%、光により物質化させて「創造」する事が出来ます。

全知全能の純粋意識である大宇宙意識にとっては、「想像」も「創造」も同じ事なのです。

 絶対世界における大宇宙意識の「想像」(イマジネーション)
=相対世界である物理的大宇宙に「創造」(クリエーション)

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拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

全ては、神の顕れ

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★全ては、神の顕れ

この大宇宙の全ての存在、森羅万象の全ては、大宇宙意識により創られたものです。

大宇宙意識の中にある、心象風景とでも言うべきイメージが、光により物質化されて顕れている世界が、この物理的大宇宙なのです。

従って、もし、大宇宙意識のことを神と呼ぶならば、この大宇宙の全ては、「神の顕れ」だという事になります。

この大宇宙には、「神の顕れ」でないものは何一つ無く、全てが、「神の顕れ」なのです。

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拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

根本創造主という唯一の実在

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★根本創造主という唯一の実在

実相(本質)の世界である、絶対世界に唯一実在しているのは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主の純粋意識のみです。

この物理的大宇宙にある全ての存在、そして、大宇宙の森羅万象の全ては、絶対世界にある根本創造主の純粋意識により創られたものです。

大宇宙の唯一の実在である根本主体のことを、本書ではこれ以降、便宜上、大宇宙意識と呼ぶ事にします。

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拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

絶対世界と相対世界

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★絶対世界と相対世界

大宇宙は、絶対世界と相対世界から成り立っています。

絶対世界とは、実相の世界であり、本質の世界です。
大宇宙の全てのエネルギーの源となる根源の世界であり、そこは、非物質な世界です。
この大宇宙の本質は、どこまでも非物質なものです。

これに対して、相対世界とは、仮相(仮の姿)の世界であり、絶対世界を映し出して体験するための「映し(うつ)し世」として存在する世界であり、現象界としての物理的大宇宙は、相対世界に属します。
相対世界は、言わば、幻の世界です。

絶対世界には、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主の純粋意識のみが実在しています。

そして、絶対世界に唯一実在する、根本創造主の純粋意識を映し出して体験する為の「鏡」の世界、言わば、「映し(うつ)し世」が、相対世界なのです。
純粋意識である根本創造主は、自らの意識の中を映し出して体験する場としての相対世界(現象界)を必要とします。

絶対世界と相対世界は、表裏一体、密接不可分の関係として、同時に存在しています。

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拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

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