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大和富士ブログ|BLOG

根本創造主の孤独

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★根本創造主の孤独

私達人間は、自と他を分けた思考形態の中で、家族がいない、愛する人がいない、恋人がいない、友人がいないと、寂しさを感じたり、孤独を感じたりします。
また、家族や愛する人がいても、お互いに理解し合えない時や、関係がうまくいっていない時には、孤独を感じたりします。
しかし、人間が抱く、それらの孤独感は、あくまでも、相対的な孤独と言ってもよいかと思います。

ところが、人間が抱く相対的な孤独とは違って、絶対的な孤独というものが、この大宇宙には存在します。
それが、根本創造主の孤独です。

大宇宙の根本創造主が孤独を感じるのかと思われるかも知れませんが、大宇宙の根本創造主だからこそ感じる孤独、根本創造主にしか味わえない孤独というものが、あります。
それは、私達人間が感じる相対的な孤独とは訳が違う、究極的な孤独であり、絶対の孤独と呼んでもよいかも知れません。

この大宇宙は、絶対世界と相対世界から成り立っています。
絶対世界は、実相(本質)の世界であり、そこに唯一実在しているのは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主の純粋意識のみです。
本書では、便宜上、大宇宙意識と呼んでいます。

そして、相対世界とは、根本主体である大宇宙意識が、自分自身を体験し、味わう為に「創造」された、「鏡」の世界であり、仮相(仮の姿)の世界であり、現象界としての物理的大宇宙は、相対世界に属しています。
大宇宙意識が「想像」したイメージが、光により物質化されて「創造」された、言わば、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような幻の世界なのです。
現象界である物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識の顕れに他なりません。

この大宇宙には、根本創造主の純粋意識のみが実在しています。
そして、それは、未来永劫変わることがありません。

根本創造主の目から見ると、この大宇宙には、自分自身しか存在していないという事になります。
その事を、敢えて孤独という言葉で表現するとしたら、それは、絶対の孤独という言い方が出来るかも知れません。
私達人間が抱く相対的な孤独感とは訳が違う、究極的な孤独であり、絶対の孤独であり、それは、永遠に変わる事がありません。

根本創造主の目から見ると、この大宇宙には、未来永劫、永遠に、自分自身しか存在していないという事であり、敢えて孤独という表現を使うとすれば、それは、究極的な孤独であり、永遠の孤独であり、絶対の孤独であるという事になります。

純粋意識である根本創造主が唯一行っているのは、「想像=創造(そうぞう)」という仕事であり、それによって生み出された大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙意識の中で繰り広げられる壮大なゲームであり、全てが「神の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。

純粋意識である根本創造主は、未来永劫、永遠に変わる事の無い、究極的な絶対的な孤独の中で、全知全能の力で、ありとあらゆる事を「想像」し続けており、それが光により物質化され「創造」されて、大宇宙の森羅万象の全てが営まれています。

そして、大宇宙の森羅万象の全ての営みが、根本創造主の光の中にあり、根本創造主が光で織り成す壮大なゲームであり、全てが「神の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。

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拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

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