竜宮音秘の調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌

竜宮音秘(大和富士)ブログ|BLOG

本当は誰もいないーただ大宇宙がある

  • 2010年11月29日 20:13
  • Posted by Yamatofuji

多くの人達は、自分がいて、自分以外の世界があり、それが現実世界だと考えているかも知れません。
現実世界とは、確固とした客観的な世界だと考えているかも知れません。

しかし、自分が見ている現実世界とは、自分の脳が画像処理したものを、空間というスクリーンに映し出して見ているに過ぎないので、あくまでも、自分の意識を投影した、自分の内面の世界、インナーワールドです。
自分の中の心の心象風景を、あたかも映画でも観るように、現実というスクリーンに映し出して見ているに過ぎません。

ですから、自分が見ている世界は、自分の内面の世界なので、自分が見ている世界には、自分しかいない、という事になります。
自分が見ている世界とは、我一人の世界と言えます。

ところが、自分という存在も、大宇宙に無数に存在する座標軸の中の一つの点にしか過ぎません。
言わば、大宇宙に無数に存在する視点の中の一つであり、大宇宙に無数に存在する、テレビカメラの中の一つを受け持っていると言えるかも知れません。

ですから、自分という者も、本当はいる訳ではなく、大宇宙に無数に存在する座標軸の中の一つの点であり、無数の視点の中の一つであり、ある一つの視点から、テレビカメラで映すようにして、この大宇宙を映し出して見ているという訳なのです。

この大宇宙に実在するのは、唯一にして絶対、至高の存在である、根本創造主のみであり、それを大宇宙意識と呼んでもいいかも知れません。
根本創造主である大宇宙意識が想像した事が、創造として物質化されたのが、この物理的大宇宙です。
物理的大宇宙は、根本創造主である大宇宙意識の意識を映し出す鏡の世界であり、ここに存在しているかに見える全てのものは、大宇宙意識の顕れに他なりません。
そして、物理的大宇宙は、仮相(仮の姿)の世界であり、幻の世界です。

自分という存在は、大宇宙に無数に存在する座標軸の中の一つの点であり、一つの視点から、この大宇宙を映し出して見ているという事になります。
自分が映し出して見ているのは、自分の意識が投影された自分の内面の世界、インナーワールドであり、自分が見ている世界は、我一人の世界であり、そこには、自分しかいないのです。
そして、自分という存在も、大宇宙に無数に存在する座標軸の中の一つの点にしか過ぎないので、自分自身すら、本当はいない、という事になります。

自分が見ている現実世界とは、我一人の世界であり、自分しかいない世界なのですが、自分という者すら、本当はいる訳ではないので、自分すらいない世界であり、誰もいない世界だという事になります。

自分が見ている現実世界には、本当は誰もいません。
ただ、根本創造主ともいうべき大宇宙があるだけなのです。

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