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大和富士ブログ|BLOG

2015年12月のアーカイブ

11 Entries

今年歩いた道のりは、寸分の狂いも無く元々歩くことが決まっていた道であり全ては予定通り

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 今年2015年(平成27年)もまもなく終わろうとしています。

 今年一年を振り返って、様々な想いを抱いておられる方も多いかも知れません。

 そして、自分が過去に行なった出来事を後悔してみたり、「もしあの時・・・」という仮定に囚われたりしている方もあるかも知れません。

 しかし、今年一年自分が歩いた道のりは、寸分の狂いもなく、自分が元々歩くことになっていた道のりであり、それ以外の道のりはありませんでした。

 全ては、予定通りなのです。

 現れた現実、起きた出来事が全てであり、それ以外の現実は存在していません。

「もしあの時・・・」という仮定は存在していないのです。

 行った道が行く道であり、歩いた道が歩く道です。

 今年自分が歩いた道が、今年自分が歩く道だったのです。

 それ以外の道は存在していません。

 誰もが抱く「もしあの時・・・」という仮定は、果たして存在していたのでしょうか?

 実際には、そのような仮定は元々存在していなかったのです。

 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識だけなので、大宇宙の森羅万象の全ては、大宇宙意識が持つ根源的エネルギーにより大宇宙意識の見えざる糸(意図(いと))で動いています。

 全ては大宇宙の計画の中にあり、未来は100パーセント確定していますので、今年一年自分が歩いた道のりは、元々大宇宙の計画の中にあった道であり、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり真我である魂が決めてきた道でもあるので、それ以外の道は存在していなかったのです。

 例え肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)から見れば、思い通りでないように感じられ、不幸・不運と感じられることが多かったとしても、真我である魂から見れば、全ては思い通りであり、魂の進化にとっての道の最短距離を突き進んできています。

 今年歩いた道のりは、魂の進化にとって最善の出来事の連続だったのであり、それはそれで、決して悪くはなかったのです。

 全ては予定通りです。

 今年歩いた道が、今年歩く道だったのです。


 今年一年ご愛顧いただき、ありがとうございます。

 来年2016年(平成28年)もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 どうぞ良い年をお迎えください。

大宇宙の全ては完であり、今を良しとし、人生の流れを信頼する

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 今年2015年(平成27年)も、残すところあと数日となりました。

 時が経つのは早いもので、あと数日で2015年が終わり、2016年の新年を迎えることになります。

 今年一年を振り返って、様々な想いを感じておられる方も多いことと思います。

 お正月の年賀状では、「今年こそ良い年にしましょう」という言葉を書く方がおられますが、そういう方は、次の年にもまた同じように、「今年こそ良い年にしましょう」と書かれています。

 そして、毎年毎年同じことが繰り返されることになりますが、そのような思考形態から抜けることが大切だと思います。

 去年一年はつらくて苦しいことが多い不幸・不運な年だったから、今年こそは幸福・幸運が多い年にしたい・・・・。

 毎年毎年が、この繰り返しです。

 そして、これは一年単位ではなく、一日単位でも同じことであり、今日一日はつらくて苦しいことばかりが多い日だったから、明日こそは何か幸福や幸運なことが起きる良い日であってほしい・・・・。

 毎日毎日が、これの繰り返しになります。

 結局のところ、今を良しとする心、今を楽しむ心、今に感謝する心、今を完とする心を作らない限りは、いつまでたっても、毎日が不足・不備・不満の連続になります。

 一年単位で言えば、毎年毎年が、今年は良くない年だった、だから来年こそは良い年になりますように・・・という連続になります。

 このような思考形態から抜けることが大切だと思います。

 今を良しとする心、全てを完として捉える心を作ることが大切になります。
 そして、人生の流れを信頼する心を持つことも大切になります。

 実は、毎瞬毎瞬、大宇宙の全ては完なので、瞬間瞬間における大宇宙の森羅万象の全ては完全であり、完璧なのです。

 何故なら、この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識だけだからなのです。

 大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。

 物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものであり、大宇宙の森羅万象の全ては、大宇宙意識が持つ根源的エネルギーにより、大宇宙意識の見えざる糸(意図(いと))で動いています。

 瞬間瞬間、マクロにおける大宇宙の森羅万象の全てが完全であり、完璧なので、ミクロにおいても、森羅万象の一つひとつが完全であり、完璧なのです。

 ですから、大宇宙に生かされている自分自身においても、毎瞬毎瞬、全ては完璧であり、完全なのです。

 今を良しとし、全てを完として捉える力が大切になります。

 自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である、我が魂です。

 自分という存在は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)として、大宇宙に無数に存在するある一つの「支店=視点(してん)」を受け持って、ある一つの角度・視点(してん)から、この大宇宙を映し出して体験している一つの支店(してん)になります。

 自分の人生の全ては、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、真我である魂が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 自分の人生の全ては、真我である魂が、魂のさらなる輝きを求めて、光り輝く魂になることを夢見て、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 魂の進化とは、心の純化、意識の福化ということであり、心を無地透明にして、ピュアな心、生きているうれしさをやさしく感じられる心、豊かな心、全てを喜びと感じられる心、いずこにもとらわれない全天候型の心、言わば、タイタン(巨人)のような心へと、心を飛翔させていくことなのです。

 タイタン(巨人)のような心を創る以外に、永遠の幸福へと至る道は用意されていないからなのです。

 ある特定の何かが手に入れば真の幸福が得られると思っていても、その思いは必ず、天の仕組みとして外されることになります。

 何かが手に入ろうと入るまいと、例え自分がどんな状態にあろうとも、その状態を遊んで幸福を感じていられるところに答えがある訳なのです。

 そして、真我である魂が望んでいるのは、「豊かなる心の位置で豊かなる世界が現れてくる」ということを夢見ているのです。

 豊かなる世界とは、自分の外の何かの形の中にある訳ではなく、自分自身の心の中にしか存在していませんので、自分自身の心が豊かになればなるほど、自分が映す現実世界もまたさらに豊かなる世界として輝きを増してくることを体験したいのです。

 自分が体験する全ての現実は、その為に真我である魂が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 私たちの人生は、魂の進化というプログラム上にしか存在していませんので、人生で起きる全ての現実は、魂の進化にとって最善のことが起きており、最善のことの連続でしかありません。

 しかし、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)では、そのことがなかなか分からないので、自分に起きる出来事を、近視眼的なものの見方で、幸・不幸、運・不運と捉えて大騒ぎしています。

 しかし、例え肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)ではつらく苦しく感じられたとしても、魂の進化にとっての道の最短距離を突き進んでいる本当の自分自身というものを信じる力が大切になります。

 今を良しとし、全てを完として捉える力が大切になります。
 そして、人生の流れを信頼する力が大切になります。

 私たちが見ている物理的大宇宙(相対世界)とは、絶対世界(大宇宙の本質の世界)において大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージを、映し出して体験する為に「創造(そうぞう)」されている「映し世」であり、言わば、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界です。

 私たちが見ているこの物理的大宇宙そのものが、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界なのです。

 そして、肉体を持った自分という存在は、本当の自分ではなく、真我である魂が物理的大宇宙というバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界を体験する為に使っているアバター(分身・化身)なのです。

 本当の自分というのは、本源の我、真我である魂であり、魂というのは、大宇宙意識という「純粋意識」の分霊(わけみたま)なのです。

 大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識という「純粋意識」の分霊(わけみたま)である魂が、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」したバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界を体験する為に今存在しているのが、肉体を持った自分というアバター(分身・化身)なのです。

 肉体を持っていると、色々と辛く苦しいことも大変なこともありますが、肉体があるからこそ、喜びも悲しみも体験することができます。

 真我である魂というのは、大宇宙意識という「純粋意識」の分霊(わけみたま)なので、肉体を持ったアバター(分身・化身)での体験を通してしか、喜びも悲しみも味わうことができないのです。

 自分が体験する全ての現実は、喜びも悲しみも、真我である魂という「純粋意識」が体験して味わいたかったことなので、きちんと体験して味わうということが大切になります。

 例え肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)では不幸・不運としか感じられず、人生の流れが何か間違っているように感じられたとしても、それはそれで完であり、人生の流れを信頼することが大切になります。

 大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識に間違いはありませんし、その分霊(わけみたま)である我が魂にも間違いはなかったのです。

 全てはただ、魂のさらなる輝きを求めて、光り輝く魂になることを夢見て魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」した、自分を解放するプログラムがあっただけなのです。

「豊かなる心の位置で豊かなる世界が現れてくる」のを体験する為のプログラムがあっただけなのです。

 大宇宙意識の全知全能の光が織り成す、物理的大宇宙というバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界で、「豊かなる心の位置で豊かなる世界が現れてくる」のを体験する為のプログラムがあっただけなのです。

 今年一年がどのような道のりであったとしても、それはそれで完であり、それ以外の現実は存在していませんでした。

「もしあの時・・・」という仮定は存在していないのです。

 今年一年、自分が歩んできた道のりは、真我である魂から見れば全て予定通りであり、それ以外の道のりは無かったのです。

 そして、何があったとしても、それはそれで完であり、高い視点から見れば、それはそれで良かったのです。

 今を良しとする力、全てを完として捉える力が大切になります。
 そして、人生の流れを信頼することが大切になります。

 今年一年は、何があったとしても、やっぱり、それはそれで良い一年だったのです。

 そして、来年ももちろん、良い年であり、全ては予定通りなのです。


イエス・キリストや仏陀など古代の預言者たちが果たした役割を正しく理解することが大切

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 本日は12月24日なので、世界中で多くの人びとがクリスマス・イブを祝っていることと思います。

 それはそれで結構なことだとは思いますが、イエス・キリストが果たした使命や役割をきちんと正しく理解している人がどれだけいるのかは、大きな疑問だと思います。

 これは、イエス・キリストだけではなく、私たち日本人にとってイエス・キリストよりも馴染み深いとも言える仏陀についても言えることだと思います。

 イエス・キリストや仏陀を始め、モーゼマホメットなどの古代の預言者たちが果たした役割というものを正しく理解することが大切だと思います。

 モーゼや仏陀、イエス・キリストやマホメットなどの古代の預言者たちというのは、人類の創造者であるエロヒムから遣わされた偉大なメッセンジャーたちです。

 彼らはあくまでも、人類を導くためのメッセンジャーとして、創造者であるエロヒムから派遣されましたので、人類の救世主として派遣された訳ではありません。

 真実が啓示される時代、アポカリプス(黙示録)の時代を迎えて、私たち人類が、科学の力で全てを理解できる時代を迎えるまで、人類を導くためのメッセンジャーとして派遣されたのが、イエスや仏陀など古代の預言者たちだったのです。

 真実が啓示される時代、アポカリプス(黙示録)の時代を迎えて、私たち人類が、科学の力で全てを理解できる時代を迎えるまで、私たち人類には、宗教という言わば「松葉杖」が必要でした。

  創造者であるエロヒムは、時代時代に応じて、モーゼや仏陀、イエス・キリストやマホメットなど古代の預言者たちをメッセンジャーとして地球に遣わし、私たち人類を導いてきました。

 全ては、真実が啓示される時代、アポカリプス(黙示録)の時代である現代を迎えて、私たちが全てを科学的に理解できるようになり、宗教という「松葉杖」を必要とすることなく、人類の黄金時代の扉を開けるようになるためなのです。

 イエスや仏陀などは、そのことを一番良く分かっていました。

 イエスも仏陀も、創造者であるエロヒムの不死の惑星に宇宙船(UFO)で連れて行かれ、様々な奥義を伝授されて、サタンの試みを受けてから、人類を導くための偉大なメッセンジャーとしての使命の遂行を開始しています。

 イエスも仏陀も、この21世紀に私たち人類が黄金時代を迎えることを知っており、自分の役割はその時までであることを良く分かっていました。

 この21世紀において、地球の新しい精神文明、花咲く都・黄金文明、キリスト教の世界で言われる至福千年王国が花開き、私たち人類は黄金時代の扉を開くことになります。

 イエスも仏陀も、そのことをよく分かっており、自分の使命・役割はその時までであることをよく分かっていました。

 イエス・キリストも仏陀も、地球での使命を終えて肉体が滅んだ後、死後に細胞を再生されて、高度のクローン技術により不死の生命、永遠の生命を与えられて、創造者であるエロヒムの不死の惑星で今も生き続けています。

 そして、私たち人類が黄金時代の扉を開いた時には、創造者であるエロヒムの宇宙船(UFO)に乗って、地球にやって来ることになります。

 イエス・キリストが生前、「神の国」「天国」「天の王国」と呼んだのは、創造者であるエロヒムの不死の惑星のことであり、イエスは人類を導くためのメッセンジャーとしての使命を遂行するにあたって、そこに連れて行かれて奥義を伝授されており、実際にその世界のことを知っていました。

 地球での使命を終えて肉体が滅んだ後、イエスは高度のクローニングによって不死の生命、永遠の生命を与えられて創造者であるエロヒムの不死の惑星で今も生き続けていますが、あくまでも一人の人間として、「天国」のような楽園の世界を満喫しています。

 地球上に今20億人以上いるとも言われているキリスト教徒一人ひとりの祈りや願いを一つひとつ聞き入れて、助けや救いを与えたりしている訳では全くありません。

 仏陀においても同じことです。

 仏陀が「極楽浄土」と呼んだのは、創造者であるエロヒムの不死の惑星のことであり、仏陀は人類を導くためのメッセンジャーとしての使命を遂行するにあたって、そこに連れて行かれて奥義を伝授されており、実際にその世界のことを知っていました。

 地球での使命を終えて肉体が滅んだ後、仏陀は高度のクローニングによって不死の生命、永遠の生命を与えられて創造者であるエロヒムの不死の惑星で今も生き続けていますが、あくまでも一人の人間として、「極楽浄土」のような楽園の世界を満喫しています。

 地球上に今数億人以上いるとも言われている仏教徒一人ひとりの祈りや願いを一つひとつ聞き入れて、助けや救いを与えたりしている訳では全くありません。

 真実が啓示される時代、アポカリプス(黙示録)の時代を迎えて、全てを科学的に理解できる時代を迎えていますので、無知蒙昧な神秘主義に陥ることなく、イエス・キリストや仏陀のことを正しく理解することが大切だと思います。

 聖書における神(GOD)という言葉は誤訳であり、元々の原語はヘブライ語のエロヒムという言葉であり、「天空から飛来した人々」を意味するれっきとした複数形なのです。
 
 地球の全生命は、「天空から飛来した人々」である異星人エロヒムの科学者たちによって、科学的に創造されたものであることを正しく理解することが大切になります。

 地球の全生命が他の惑星からやって来た異星人たちによって科学的に創造されたということは、科学が発達する現代までは、理解できませんでした。

 しかし、今や、真実が啓示される時代、アポカリプス(黙示録)の時代を迎えて、全てを科学的に理解できる時代を迎えていますので、今、私たち人類は、そのことを理解できます。

 今の私たち人類の科学的水準でも、宇宙ロケットを飛ばしており、オランダの「マーズワン」プロジェクトでは10年以内に火星移住計画まで進められており、また、まだまだ先になりますが、「火星テラフォーミング」といって、火星そのものを人類が住める惑星に作り替えてしまおうという「地球化」「惑星化」のプロジェクトまで取り沙汰されるような科学的水準に到達しています。

 また、生命科学においても、ヒト遺伝子(ヒトゲノム)の全解読も行われており、遺伝子操作によって生命を創り替えたり、クローン技術まで獲得していますので、生命を科学的に創造できるということを理解できるようになっています。

 今後、人類の科学がもっと高度に発達すれば、いずれ他の惑星に出かけて行って、生命創造の実験を行うようになることは、容易に想像できるのではないでしょうか。

 ただ、何千年も前の科学がまだ発達していない時代の人々には、そのことを理解することはできませんでした。

 地球の全生命が、他の惑星からやって来たエロヒムという異星人の科学者たちの手で科学的に創造されたということは理解不能でした。

 真実が啓示される時代、アポカリプス(黙示録)の時代を迎えて、全てを科学的に理解できる現代を迎えるまでは、人類には崇め奉る神が必要であり、宗教という言わば「松葉杖」が必要でした。

 世界3大宗教と言われるキリスト教・イスラム教・仏教の開祖である、イエス・キリスト、マホメット、仏陀などの古代の預言者たちは、宗教という「松葉杖」が必要な時代に人類を導くためのメッセンジャーとしてエロヒムから派遣されました。

 全ては、真実が啓示される時代、アポカリプス(黙示録)の時代を迎えて、全てを科学的に理解できる現代を迎えて、私たち人類が自らの手で黄金時代の扉を開くことができるようにするためなのです。

 そのことを正しく理解することが、イエス・キリストや仏陀など古代の預言者たちに対する最大の恩返しだと思います。

 私たち人類が、いつまでもイエス・キリストや仏陀たちにすがり、助けや救いを求めるのは、彼らの意図するところではありません。

 地球の全生命の創造者であるエロヒムから、人類を導くための偉大なメッセンジャーとして派遣された、イエス・キリストや仏陀たちの使命・役割を正しく理解することが大切だと思います。

 そのことが、イエス・キリストや仏陀に対する最大の恩返しにもなると言えます。

 このことは、ブログにおいても、折に触れて書いてありますし、新著『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』『花咲く都・黄金文明』の中ではっきりと書いていますので、ぜひご参照いただければ幸いです。


参考文献
ラエル『真実を告げる書』 無限堂
ラエル『地球人は科学的に創造された』 無限堂

新著『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』『花咲く都・黄金文明』のページをリニューアルしました!

新著『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』『花咲く都・黄金文明』のページをリニューアル致しました!

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『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』    『花咲く都・黄金文明』
     B6版 283ページ          B6版 297ページ
      発 行     大和富士ブックス
      製本版     本体価格1800円(送料込)+税
      ダウンロード版 本体価格1000円+税


新著『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』発売に伴い、『花咲く都・黄金文明』のページと併せて、書籍のサイトをリニューアル致しました!

新著『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』『花咲く都・黄金文明』は姉妹書となっています。
この21世紀に私たち日本人が、地球の新しい精神文明、花咲く都・黄金文明を花開かせる為に知っておくべき、最も本質的な内容のことが書かれています。

今回の新著2冊は、POD(プリント・オン・デマンド)方式にて発売致しますが、POD(プリント・オン・デマンド)方式は、電子時代の全く新しい出版方法です。

テクノロジーの進化により、出版の形態も多様化してきており、POD(プリント・オン・デマンド)方式を使えば、これからは、作家やマンガ家などが、出版社を通さずに、自ら出版社になれる時代が到来しています。

既に著名な人気マンガ家の中にも、POD(プリント・オン・デマンド)方式を使って、出版社を通さずに自らが出版社としてマンガを発行している方もあるように、これからの出版の新しい形態の一つになります。

具体的には、注文ボタンからの注文が確定し、決済が終わると同時に、今行われた注文の製本が1冊単位で即座に行われ、注文されたお客様の元に直接郵送される仕組みになっています。

今回発売する新著2冊のPOD(プリント・オン・デマンド)方式の決済は、クレジットカード決済もしくはPayPal決済となっておりますので、銀行振込での決済をご希望の方は、銀行振込決済用の注文ボタンからご注文をお願い致します。

POD(プリント・オン・デマンド)方式の決済手段は、今後、コンビニ決済、楽天ID決済など、順次増えていく予定です。

ある意味においては、情報というものほど大切なものは無いと言っても過言ではありません。

正しい情報を元にして行動すれば、多くの時間やお金・エネルギーなどを節約することが出来ます。
その一方、間違った情報を元にして行動すると、多くの時間やお金・エネルギーなどを無駄に使うことにもなりかねません。

今、私たち人類は、有史以来数千年続いた、人類の古い歴史の最終局面を迎えています。
あと十数年から二十年前後で人類の古い歴史が幕を閉じ、人類の新しい歴史が幕開けする時を迎えようとしています。

私たち人類を待っているのは、想像だにない新しい世界なので、このような時代には、地球の新しい時代を指し示す役割を持った、本質的な正しい情報が、何よりも大切になります。


書籍『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』のページはこちらからどうぞ

書籍『花咲く都・黄金文明』のページはこちらからどうぞ


意識変革の風は、上昇気流となって私たちの意識をより高い地点へと導いていく

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 今年3月28日のブログ『意識変革の大きな風が吹いてきている』、こちらの記事の中でも書きましたが、今年2015年の春頃から、私たち人類の意識を飛躍的に進化させるためのエネルギーが大量に降り注がれてきており、意識変革の大きな風が加速度的に吹いてきています。

 私たち人類の意識を飛躍的に進化させるための、意識変革の大きな風は、上昇気流となって私たちを乗せ、さらなる意識の高みへと導いていくことでしょう。

 その過程においては、自らが持つ常識・思い込み・概念などは、どんどん手放さざるを得なくなる筈です。

 自らがしがみついている小さな認識などは、どんどん外される流れにありますので、自らが持つ自信のようなものも、どんどん外されていきます。

 世間一般的に使われているような自信という概念なども、あくまでも、人との比較や優劣の中にあるものなので、そのようなものも、どんどん外されていきます。

 例え自分が、一大事業を成し遂げたり、オリンピックで金メダルを取ったり、あるいは何かの偉大な賞を受賞したとしても、究極的には、それは自分自身の力ではありません。

 どんな人間であったとしても、全ての人間一人ひとりは、大宇宙に生かされている存在であり、自分の力だけでは一呼吸すら出来ない存在なので、何かを成し遂げたとしても、それは自分自身の力ではないのです。

 大宇宙に生かされている自分に与えられた役割の中で、何かを成就させていただいたというだけのことなので、他者との比較や優劣の中で生まれる自信のようなものは、どんどん外されていきます。

 自分が社会的にどのような評価を受けているかとか、他者との比較や優劣の中で生まれる自信などは、本当は、単なる過信であり慢心にしか過ぎないので、そのような自信などは、どんどん外されていきます。

 自分は大宇宙に生かされている存在であり、ある役割の中で生かされているだけなので、人との比較や優劣の中で、自分に自信を持ったり、自分を偉く感じたりしたところで、意味が無いということを思い知らされることになります。

 自信だけではなく、自らが持つ常識・認識・思い込みなども、どんどん外されていきます。

 自分が体験する全ての現実によって、自分が持っている認識というのは、あくまでも自分の認識にしか過ぎないことを思い知らされ、意識の拡張を迫られることになります。

 私たち人類の意識を飛躍的に進化させるための、意識変革の大きな風は、上昇気流となって私たちを包み込み、意識のさらなる高みへと導いていくことでしょう。

 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識だけなので、宇宙的な観点に立てば、全ては最善の目的のために起きており、全てのものは平安へと導かれています。

 自分自身に起きる全ての現実も、心の平安へと導いてくれているものなので、その過程においては、自らが持つ常識・認識・思い込みなども、どんどん外されていきます。

 肉体の自我意識が囚われている「自信」などは、その最たるものです。

 結局のところ、大宇宙はすごいな、生命は素晴らしいな、ということしかないので、全ては、その想いをますます深く感じられるようにと導かれていきます。

 自分自身が様々な常識や認識・概念などを持っていると、その分だけ、大宇宙や生命の素晴らしさを感じにくくなるので、意識変革の大きな風が吹いてきて、自分の中にあるややこしい認識をどんどん外してくれて、全てはただありがたいなという想い、心の平安へと導いてくれることになるのです。

自分の身に起きる全ての現実は、心の純化、意識の福化の為に最善の出来事が起きている

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 自分の身に起きる全ての現実は、心の純化、意識の福化の為に最善の出来事が起きており、全ては、心の広がりとしてうまくいっています。

 私たちの人生には、基本となるプログラムがあります。

 自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である、我が魂なのです。

 自分の人生の全ては、真我である魂が、魂のさらなる輝きを求めて、光り輝く魂になることを夢見て、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 ですから、私たちの人生には、真我である魂が「想像=創造(そうぞう)」した基本プログラムが存在しています。

 それは、魂の進化ということであり、私たちの人生は、魂の進化というプログラム上にしか存在していませんので、自分の身に起きる全ての現実は、魂の進化の為に起きているということになります。

 魂の進化とは、心の純化、意識の福化ということであり、心を無地透明にして、ピュアな心、生きているうれしさをやさしく感じられる心、豊かな心、全てを喜びと感じられる心、いずこにもとらわれない全天候型の心、言わば、タイタン(巨人)のような心へと、心を飛翔させていくことなのです。

 心を純化させ、意識を福化させて、いずこにもとらわれない全天候型の心、言わば、タイタン(巨人)のような心を創る以外に、永遠の幸福へと至る道は用意されていないからなのです。

 ある特定の何かが手に入れば真の幸福が得られると思っていても、その思いは必ず、天の仕組みとして、外されることになります。

 何かが手に入ろうと入るまいと、例え自分がどんな状態にあろうとも、その状態を遊んで幸福を感じていられるところに、答えがある訳なのです。

 苦しみの原因となっているのは、肉体の自我意識が囚われている、自分という「我」になります。

 肉体の自我意識が囚われている、自分という「我」を開放して、宇宙へと帰っていくプログラム上に、自分を解放するプログラムとして、全ての現実が用意されているのです。

 真我である魂が体験したいのは、「豊かなる心の位置で豊かなる世界が現れてくる」ということを体験したいのです。

 豊かなる世界とは、自分の外の何かの形の中にあるのではなく、自分自身の心の中にしか存在しませんので、自分の心が豊かになればなる程、自分が映す現実世界もまたさらに豊かなる世界として輝きを増してくるのを体験したいのです。

 自分が体験する全ての現実は、その為に、真我である魂が「想像=創造(そうぞう)」したものになります。

 肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)は、幸・不幸、運・不運という概念に囚われて、うまくいくとか、うまくいかないとか、大騒ぎしていますが、真我である魂の関心事はただ一点、心の純化、意識の福化としてうまくいくかどうかだけなので、自分の身に起きる全ての現実は、心の広がりとして、全てはうまくいっています。


ここは「意識」の海の中であり、意識が「想像=創造」したバーチャルリアリティーの世界

拙書『根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在』より
★ここは「意識」の海の中

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 自分が見ている物理的大宇宙(現実世界)とは、自分の「意識」が創り出した世界です。
 大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である、我が魂という「意識」が「想像=創造(そうぞう)」した、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界なのです。

 ですから、自分の目に映る現実世界(物理的大宇宙)の全ては、自分の「意識」が投影された、自分の内面の世界であり、言わば、インナーワールドなのです。
 自分の目に映る現実世界(物理的大宇宙)の全ては、太陽も、月も、星も、銀河の果てまでが、自分の「意識」の中にある世界であり、自分自身の「意識」が「想像=創造(そうぞう)」した、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界なのです。

 ここは、「意識」の海の中です。
 自分の目に映る現実世界(物理的大宇宙)の全ては、銀河の果てまでが、自分の「意識」の海の中なのです。
 私たちは、自分の「意識」の海の中を、泳いでいる(遊んでいる?)とも言えるかも知れません。

     ☆      ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在』より

「意識」というものは、それを映し出す「鏡」が必要であり、それが物質世界という「映し世」

拙書『根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在』より
★「意識」というものは、それを映し出す「鏡」が必要

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「意識」が唯一行っているのは、「想像=創造(そうぞう)」という仕事です。
 そして、「意識」には、それを映し出して体験する為の「鏡」が必要であり、それが、物質世界という、言わば、「映(うつ)し世」なのです。

 自分の顔や姿・形を知る為には、「鏡」が必要になります。
 映し出す「鏡」が無いと、自分がどんな顔立ちや表情、姿・形をしているのかが分かりません。
 それと同じように、「意識」というものは、それを映し出す「鏡」が必要なのです。
 映し出す「鏡」が無いと、「意識」というものは、自分自身がどんな状態なのかが分からないのです。

「意識」が「想像(そうぞう)」したイメージを、映し出して体験する為に「創造(そうぞう)」されている「鏡」の世界、言わば、「映(うつ)し世」が、物質世界というバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界なのです。

 物質世界というバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界での体験を通して、「意識」というものは、自らが「想像(そうぞう)」したイメージを、確認することが出来るのです。
 言わば、「意識」というものが、自分自身を知ることが出来る訳なのです。

「意識」が行っている「想像(そうぞう)」という仕事は、同時に、物質世界に「創造(そうぞう)」されています。
「意識」が行う「想像(そうぞう)」と、物質世界における「創造(そうぞう)」とは、セットであり、表裏一体、密接不可分の関係として、同時に存在しているのです。

 大宇宙の根本主体である大宇宙意識が「想像(そうぞう)」したことは、同時に、物理的大宇宙(相対世界)に「創造(そうぞう)」されています。
 同様に、大宇宙意識の分霊(わけみたま)である、我が魂という「意識」が「想像(そうぞう)」した事は、同時に、自分が見ている物理的大宇宙(現実世界)に「創造(そうぞう)」されているのです。

「意識」が行っているのは、「想像(そうぞう)」することであり、自らが「想像(そうぞう)」したイメージを、物質世界に「創造(そうぞう)」して、バーチャルリアリティー(仮想現実)の中で、体験して確認することなのです。

 大宇宙意識の分霊であり、本源の我、真我である、我が魂という「意識」が「想像=創造(そうぞう)」した、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界を、体験して、味わっているのが、自分という存在なのです。

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拙書『根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在』より

阿波の国・徳島は日本の原型であり、空海が四国(死国)として剣山と共に封印

拙書『永遠(とわ)の中今』より
★阿波の国・徳島と、封印された四国(死国)

SS000068-2.jpg古代ユダヤの秘宝「契約の箱」が眠っていると言われている四国・徳島の剣山

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 阿波の国・徳島には、日本の原型のようなものがあり、それが封印されたようです。
 阿波(あわ)という国名は、五穀の一つであり、古代の重要な食糧であった、粟(あわ)に由来するもののようですが、日本語の「ア〜ワ行」にも通じるものがあり、日本という国の、原型のような役割を持った所だと言えそうです。

 新しい天皇が誕生した時に行われる重要な儀式「大嘗祭」で使われる麻を作っているのが、木屋平村にある、三木家であり、忌部氏の末裔とされています。
 「大嘗祭」で使われる麻が、忌部氏の子孫である三木家によって、作られてきたという事からも、天皇家と阿波の国・徳島との関係性を窺い知る事が出来ます。

 そして、阿波の国・徳島の鍵となるのが、剣山の存在です。
 剣山には、失われた「契約の聖櫃(アーク)」が隠されているという、根強い言い伝えがあります。
 「契約の聖櫃(アーク)」とは、モーゼがシナイ山でヤーウェから授かった、「十戒の石板」など三種の神器が収められた、古代ユダヤの秘宝なのです。

 「旧約聖書」の中で、大洪水の後に、「ノアの箱船」がアララト山の山頂に止まったとされる、7月17日という日は、地球上に再び生命が蘇った日であり、全人類にとっての記念すべき日だと言えます。

 古代ユダヤの聖なる日である7月17日、イスラエルにおいては、「シオン祭り」で「巡行の祭り」が行われ、京都の祇園祭りにおいては、「山鉾巡行」が行われます。
 そして、四国・剣山においても、剣山神社本宮大祭が行われ、お神輿が山頂まで運ばれますが、お神輿は、「契約の聖櫃(アーク)」がモデルだとも言われています。

弘法大師・空海が、四国八十八箇所霊場を開いたのは、剣山に人が近付かないように結界を張り巡らせたのだとも言われており、札所からは剣山が見えないように配慮されているようです。
四国は、「死国(しこく)」として、封印される運命にあったようです。

ヘブライの秘宝「失われた聖櫃(アーク)」が隠されているとの言い伝えがある剣山があり、日本の原型とも言える阿波の国・徳島は、歴史の表舞台からは姿を消す事になりますが、その代わりを務める事になったのが、奈良の大和地方のようです。
 大和民族、大和の国、大和心、大和魂というように、日本の異名である「大和(やまと)」という言葉は、大和政権が奈良の大和地方にあった事に由来するようです。
そして、奈良の大和政権の原型となるものが、阿波・徳島にあったようです。

 今、阿波の国・徳島と、四国(死国)は、長い年月に亘る封印を解かれて、蘇りの時を迎えているのかも知れません。
 そして、それは同時に、奈良の大和地方の蘇りの時でもあると言えるかも知れません。

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拙書『永遠(とわ)の中今』より

大宇宙の過去・現在・未来の全てが、今、同時に存在している

拙書『何故、未来は100パーセント確定しているのか』より
★大宇宙の過去・現在・未来の全てが、今、同時に存在している

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 時空を超越した絶対世界と、「時間と空間」から成り立っている相対世界(物理的大宇宙)との関係について、多少なりともイメージ出来たでしょうか?

 多少なりともイメージしやすいようにと、ユーチューブを使って、敢えて説明を試みてみましたが、元々説明に無理があったことは、ご了承下さい。

 実際には、絶対世界には、時間も無ければ空間も無く、色も形も音も無いのです。
 大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識という「純粋意識」の中に、大宇宙の全てが存在しているのです。

 唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った大宇宙意識という「純粋意識」の中に、大宇宙の全てが存在しているのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、大宇宙意識という「純粋意識」だけが実在しており、大宇宙意識という「純粋意識」の中に、大宇宙の全てが存在しているのです。

 そして、絶対世界の「映(うつ)し世」、言わば、「鏡」の世界として存在しているのが、相対世界である物理的大宇宙なのです。
 絶対世界と相対世界は、表裏一体、密接不可分の関係として、同時に存在しています。

 絶対世界には、大宇宙の全てが存在していますので、相対世界(物理的大宇宙)にもまた、大宇宙の全てが存在しているのです。

 絶対世界には、大宇宙の全てが元々存在していますので、相対世界(物理的大宇宙)にもまた、大宇宙の全てが元々存在しているのです。

 絶対世界には、始まりも無ければ終わりも無いので、相対世界(物理的大宇宙)にもまた、始まりも無ければ終わりも無いのです。

 絶対世界は、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けますので、相対世界(物理的大宇宙)もまた、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けるのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、大宇宙の全てが元々存在していますので、絶対世界の「映(うつ)し世」であり、「鏡」の世界である相対世界(物理的大宇宙)にもまた、大宇宙の全てが、元々存在しているのです。

 絶対世界の「映(うつ)し世」である物理的大宇宙(相対世界)においても、大宇宙の全て、大宇宙の過去・現在・未来の全てが元々存在しており、それは、今、同時に存在しているのです。

 大宇宙の過去・現在・未来の全てが、今、同時に存在しているのです。

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拙書『何故、未来は100パーセント確定しているのか』より

時空を超越した絶対世界(大宇宙の本質の世界)と、「時間と空間」から成る物理的大宇宙

拙書『何故、未来は100パーセント確定しているのか』より
★時空を超越した絶対世界と、「時間と空間」から成る物理的大宇宙

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 絶対世界における「時」と、相対世界(物理的大宇宙)における時間との関係について、何となくイメージ出来たでしょうか?

 ここで、絶対世界と相対世界(物理的大宇宙)との関係について、時間だけではなく空間も含めた「時間と空間」という観点からイメージしていただく為に、ユーチューブを使って、さらに説明を試みてみたいと思います。
 あくまでも、分かりやすくイメージしていただく為なので、説明に、多少の無理があることは、予めご了承下さい。

 ユーチューブというのは、インターネット上で、世界中で誰でも見ることが出来る動画サイトです。
 ある一つの動画を、世界中の人々が、インターネットを通して、自分のパソコンなどで見ることが出来ます。

 そして、動画の再生ボタンをクリックした時から動画がスタートしますので、ある一つの同じ動画であっても、それを見ている人の場面・再生時間は、様々です。
 仮に、十分間の動画であれば、今、三一秒目の場面を見ている人もあれば、五分八秒目の場面を見ている人もあり、九分五五秒目の場面を見ている人も考えられます。

 そして、千分の一秒、万分の一秒というような単位で厳密に考えれば、誰一人として、同じ再生時間・場面を見ている人はいないので、見ている人の数だけ、無数の時間・場面が、世界中に存在していることになります。

 世界中で話題になったある動画を、もし仮に、今、世界中で一〇〇万人の人々が、それぞれ再生して見ていると仮定すれば、万分の一秒というような単位で厳密に考えた場合、一〇〇万通りの時間が存在していることになります。

 ユーチューブのある一つの同じ動画を、今、世界中で再生して見ている人々の数が多ければ多い程、万分の一秒というような単位で厳密に考えた場合、無数の時間というものが、世界中に存在していることになります。

 そして、無数の時間というものが世界中に存在しているだけではなく、無数の空間というものも、同時に、世界中に存在しているのです。
 無数の空間とは、ユーチューブを再生しているパソコンなどの端末画面のことです。

 世界中で話題になったある動画を、もし仮に、今、世界中で一〇〇万人の人々が、それぞれ自分一人で見ていると仮定すれば、一〇〇万通りの空間(パソコンなどの端末画面)が、今、全世界に同時に存在していることになります。

 ユーチューブのある一つの同じ動画を、今、世界中で再生して見ている人々の数が多ければ多い程、無数の空間(パソコンなどの端末画面)というものが、世界中に存在していることになります。

 世界中で話題になったユーチューブの同じ動画を、もし仮に、今、世界中で一〇〇万人の人々が、それぞれ再生して見ていると仮定すれば、一〇〇万通りの「時間と空間」、一〇〇万通りの時空というものが、今、地球上に存在していることになるのです。

 絶対世界の「時」と、相対世界(物理的大宇宙)の時間との関係をイメージしやすいように、先程は、配信元のユーチューブ本体を絶対世界と仮定しました。
 時間だけではなく空間まで含めた「時間と空間」という観点から、絶対世界と相対世界との関係について、ユーチューブを使ってイメージするとすれば、ユーチューブという動画サイトが存在しているインターネットの世界そのものが、絶対世界だとイメージすると、分かりやすくなるかも知れません。

 ユーチューブが存在しているインターネットの世界そのものが、絶対世界であり、ユーチューブの動画が再生されているパソコンなどの端末画面が、相対世界(物理的大宇宙)であるとイメージすると良いかも知れません。

 ユーチューブが存在しているインターネットの大元の世界においては、動画は停止した状態で存在しているかと思います。
 ユーチューブの動画を見ようとしてサイトを開けば、動画は必ず停止した状態で現れる筈です。
 ユーチューブが存在しているインターネットの大元の世界においては、動画は停止した状態で存在しており、時間が流れている(動画が再生されている)訳ではない筈です。

 そして、パソコンなどの個々の端末で、誰かが再生ボタンをクリックした時だけ、そこに時間が流れている(動画が再生されている)ことになるのです。

 ユーチューブが存在しているインターネットの大元の世界においては、時間は流れている(動画が再生されている)訳ではなく、時間というものは、存在していません。
 動画は停止した状態で存在していますので、始まるということも無ければ、終わるということも無いのです。
「時」には、始まりも無ければ終わりも無く、ただ、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。
「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、動画の全てが存在しているのです。
「今」という名の「永遠(えいえん)の時」の中に、動画の全ての場面、動画の全ての時間(過去・現在・未来)が、同時に存在しているのです。

 そして、ユーチューブが存在しているインターネットの大元の世界においては、空間というものも、存在していません。
 現実レベルにおいても、インターネットの大元の世界というものは、地球上の何処か特定の場所に存在しているという訳ではない筈です。

 インターネットの世界そのものが、地球上の何処か特定の場所・空間に存在している訳ではなく、パソコンなどでアクセスした時だけ、パソコンなどの画面上に現れるだけだと言えるかも知れません。

 絶対世界と相対世界(物理的大宇宙)との関係を、もし仮に、ユーチューブを使ってイメージするとすれば、ユーチューブが存在しているインターネットという世界そのものが絶対世界であり、ユーチューブが再生中のパソコンなどの端末画面が、相対世界であると考えると、分かりやすいかも知れません。

 ユーチューブが存在しているインターネットという大元の世界そのものには、時間も空間も存在していません。
 一方、ユーチューブの動画が再生されているパソコンなどの端末画面というものは、地球上のある空間に存在しており、そこにおいては、時間が流れている(動画が再生されている)ので、「時間と空間」という時空の中に存在しているとイメージすると良いかも知れません。

 ユーチューブが存在しているインターネットという大元の世界そのものは一つですが、ユーチューブのある一つの動画が再生されている無数の「時間と空間」が、全世界・地球上に同時に存在しているのです。

 もし仮に、大宇宙の全てが凝縮された、「大宇宙」というタイトルのユーチューブの動画があり、世界中の人々が今、この動画を見ていると仮定します。

「大宇宙」というタイトルの動画が再生されている数だけ、無数の空間(パソコンなどの端末)というものが、全世界・地球上に、同時に存在していることになります。

 そして、万分の一秒というような単位で厳密に考えた場合、どの空間(パソコンなどの端末)においても、全く同じ再生時間・場面というものは存在しませんので、動画が再生されている数だけ、無数の時間というものが、全世界・地球上に同時に存在していることになります。

「大宇宙」というタイトルの動画が再生されている数だけ、無数の「時間と空間」、無数の時空というものが、全世界・地球上に、今、同時に存在していることになるのです。

 そして、このことは、大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界と、絶対世界の「映(うつ)し世」である相対世界(物理的大宇宙)との関係をイメージする上でも、役に立ちます。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界は一つですが、相対世界である物理的大宇宙においては、無数の「時間と空間」、無数の時空というものが、今、同時に存在しているのです。

 大宇宙の過去・現在・未来の全てが、今、同時に存在しているのです。
 大宇宙の全ての時空、全ての座標軸が、今、同時に存在しているのです。

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拙書『何故、未来は100パーセント確定しているのか』より

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