日本の新しい調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌

大和富士ブログ|BLOG

2013年3月のアーカイブ

18 Entries

大宇宙の森羅万象の全てが、本来無事象

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★大宇宙の森羅万象の全てが、本来無事象

 大宇宙の森羅万象の全てが、本来無事象であり、意味が無く、中立です。

 大宇宙の森羅万象の全てには、何か特別な意味がある訳ではなく、幸福でも不幸でもなく、幸運でも不運でもなく、善でも悪でもなく、全てが中立です。

 何故なら、大宇宙の森羅万象の全てが、「神の戯れ(リーラ)」と呼べるものなので、大宇宙の唯一の実在である大宇宙意識の目から見れば、全ては、自らの意識の中で繰り広げられる壮大なゲームの中の一コマにしか過ぎないからです。

 大宇宙の森羅万象の全ては、唯一の実在である大宇宙意識が、自らを体験して味わう為に「創造」された、仮相(仮の姿)の世界であり、言わば、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような、幻の世界なので、全てが光の中にあります。

 唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である大宇宙意識の「無限」の光が、ただ、様々な紋様となって顕れているだけなのです。

 一つ一つの紋様に、何か特別な意味がある訳ではなく、全ては、全知全能の大宇宙意識の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」が、無数の様々な紋様となって、光により織り成されているだけなのです。

 森羅万象の様々な紋様に対して、幸福・不幸、幸運・不運、善・悪などという意味を付けているのは、あくまでも、私達人間です。
 人間サイドの視点から、自分に都合がいいように、幸・不幸、運・不運、善・悪というような意味付けをしているにしか過ぎません。

 大宇宙意識の目から見れば、全ては、自らが持つ、全知全能の「無限」の力が、光により「無限」の表現となって顕れているにしか過ぎません。

 大宇宙の森羅万象の全てが、本来無事象であり、意味が無く、中立なのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より


絶対の静寂(しじま)ー絶対世界とは

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★絶対の静寂(しじま)ー絶対世界とは

「絶対の静寂(しじま)」という言葉があります。
 この、「絶対の静寂(しじま)」というのは、絶対世界にのみ存在します。

 この大宇宙は、絶対世界と相対世界から成り立っています。
 絶対世界とは、実相(本質)の世界であり、そこは、非物質な世界です。
 絶対世界には、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主の純粋意識のみが実在しています。

 これに対して、相対世界とは、根本創造主の意識を映し出して体験する為の、「鏡」の世界であり、現象界としての物理的大宇宙は、相対世界に属しています。
 相対世界は、仮相(仮の姿)の世界であり、根本創造主の光が、様々な色、形、音となって表現された、言わば、幻の世界です。

 色、形、音などは、全て、相対世界のものであり、幻です。
 絶対世界には、色も形も音もありません。

 音で言うなら、絶対世界にある音は、「絶対の静寂(しじま)」のみ、という事になります。
 音無き音の世界が、絶対世界という事になります。

 色、形、音などは、例えそれがどんなに妙なるものであったとしても、色、形、音である限りは、全て、相対世界のものであり、幻です。
 天上界、あるいは、神界を想わせるような、妙なる色、形、音であったとしても、それは周波数の違いだけであり、やはり、相対世界に属するものになります。

 色で言うと、人間の肉眼で見える光線は、ある限られた範囲のものであり、可視光線の外にある赤外線や紫外線などは、目には見えませんが、存在しています。
 そして、それは、周波数の違いという事になります。
 音で言うと、人間の耳で聴ける可聴音は、ある限られた範囲のものであり、その範囲を超えた周波数は、耳では聴こえませんが、存在しています。

 天上界の音楽、天界の調べを想わせるような、妙なる音があったとしても、周波数が違うだけであり、それはあくまでも、相対世界のもの、という事になります。

「絶対の静寂(しじま)」である絶対世界には、色も形も音も無く、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主の純粋意識のみが実在しています。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

根本創造主の孤独

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★根本創造主の孤独

私達人間は、自と他を分けた思考形態の中で、家族がいない、愛する人がいない、恋人がいない、友人がいないと、寂しさを感じたり、孤独を感じたりします。
また、家族や愛する人がいても、お互いに理解し合えない時や、関係がうまくいっていない時には、孤独を感じたりします。
しかし、人間が抱く、それらの孤独感は、あくまでも、相対的な孤独と言ってもよいかと思います。

ところが、人間が抱く相対的な孤独とは違って、絶対的な孤独というものが、この大宇宙には存在します。
それが、根本創造主の孤独です。

大宇宙の根本創造主が孤独を感じるのかと思われるかも知れませんが、大宇宙の根本創造主だからこそ感じる孤独、根本創造主にしか味わえない孤独というものが、あります。
それは、私達人間が感じる相対的な孤独とは訳が違う、究極的な孤独であり、絶対の孤独と呼んでもよいかも知れません。

この大宇宙は、絶対世界と相対世界から成り立っています。
絶対世界は、実相(本質)の世界であり、そこに唯一実在しているのは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主の純粋意識のみです。
本書では、便宜上、大宇宙意識と呼んでいます。

そして、相対世界とは、根本主体である大宇宙意識が、自分自身を体験し、味わう為に「創造」された、「鏡」の世界であり、仮相(仮の姿)の世界であり、現象界としての物理的大宇宙は、相対世界に属しています。
大宇宙意識が「想像」したイメージが、光により物質化されて「創造」された、言わば、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような幻の世界なのです。
現象界である物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識の顕れに他なりません。

この大宇宙には、根本創造主の純粋意識のみが実在しています。
そして、それは、未来永劫変わることがありません。

根本創造主の目から見ると、この大宇宙には、自分自身しか存在していないという事になります。
その事を、敢えて孤独という言葉で表現するとしたら、それは、絶対の孤独という言い方が出来るかも知れません。
私達人間が抱く相対的な孤独感とは訳が違う、究極的な孤独であり、絶対の孤独であり、それは、永遠に変わる事がありません。

根本創造主の目から見ると、この大宇宙には、未来永劫、永遠に、自分自身しか存在していないという事であり、敢えて孤独という表現を使うとすれば、それは、究極的な孤独であり、永遠の孤独であり、絶対の孤独であるという事になります。

純粋意識である根本創造主が唯一行っているのは、「想像=創造(そうぞう)」という仕事であり、それによって生み出された大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙意識の中で繰り広げられる壮大なゲームであり、全てが「神の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。

純粋意識である根本創造主は、未来永劫、永遠に変わる事の無い、究極的な絶対的な孤独の中で、全知全能の力で、ありとあらゆる事を「想像」し続けており、それが光により物質化され「創造」されて、大宇宙の森羅万象の全てが営まれています。

そして、大宇宙の森羅万象の全ての営みが、根本創造主の光の中にあり、根本創造主が光で織り成す壮大なゲームであり、全てが「神の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

全ては、神の戯れ(リーラ)

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★全ては、神の戯れ(リーラ)

サンスクリット語に、「神の戯れ」というような意味の、「リーラ」という言葉があるようです。

実は、大宇宙の森羅万象の全てが、「神の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。

大宇宙に唯一実在しているのは、大宇宙意識のみであり、大宇宙の森羅万象の全ては、絶対世界にある大宇宙意識が「想像」したイメージが、大宇宙意識の光により物質化されて「創造」されたものなので、この大宇宙の全てが、大宇宙意識の「想像」の産物だという事になります。

絶対世界に唯一実在している大宇宙意識が行っている事は、ありとあらゆる事を「想像」し続ける事であり、自らの「想像」を光によって物質化させ、ありとあらゆる事を、現象界に「創造」し続ける事なのです。

現象界である物理的大宇宙は、大宇宙意識が「想像」したイメージを、映し出して体験する為の場であり、言わば、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような世界なので、大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙意識の中で繰り広げられる、壮大なゲームであるとも言えます。

純粋意識である大宇宙意識は、現象界である物理的大宇宙を通して、自分自身を体験し、味わっているのだとも言えます。

大宇宙意識が唯一行っているのは、「想像=創造(そうぞう)」という仕事であり、それによって生み出された大宇宙の森羅万象の全てが、大宇宙意識の壮大なゲーム・遊びであり、全てが、「神の戯れ(リーラ)」と呼べるものなのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

物理的大宇宙は、仮相(仮の姿)の世界

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★物理的大宇宙は、仮相(仮の姿)の世界

相対世界である物理的大宇宙は、仮相(仮の姿)の世界であり、言わば、幻の世界です。

例えば、水は、温度や気象条件によって、水、氷、水蒸気、雨、霰(あられ)、雪、雹(ひょう)など、様々な姿となって顕れますが、化学式で表せば、H2Oという、同じものです。
水も氷も、水蒸気も、雪も、本当の姿ではなく、言わば、幻の姿です。

また、自分自身の肉体を始め、様々なあらゆる物体は、中身がぎっしりと詰まった、何か確固たる実体があるもののように、一見感じられますが、原子などのミクロのレベルでは、ほとんど中がスカスカの、空っぽに近い状態であると言えます。
大宇宙意識の光が、周波数によって、様々な色・形・質量となって顕れているだけなので、本当は、何か確固とした実体がある訳ではありません。

大宇宙の全ては、光によって創られた世界であり、光が様々な姿・形・紋様となって表現された、言わば、幻の世界なのです。

相対世界である物理的大宇宙は、絶対世界に唯一実在する大宇宙意識が「想像」したイメージを、映し出して体験する為の、言わば、バーチャルリアリティー(仮想現実)のような世界なのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より


大宇宙の全ては、光の中

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★大宇宙の全ては、光の中

この大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像」したイメージが、大宇宙意識の光により物質化されて「創造」されたものです。

大宇宙意識の光によって創られていないものなど何一つ無く、この大宇宙の全てが、大宇宙意識の光の中なのです。

この大宇宙は、光の世界であり、全てが、光の中なのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より


「あり得ない」という事こそ、「あり得ない」ーあらゆる事があり得る

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★「あり得ない」という事こそ、「あり得ない」ーあらゆる事があり得る

「あり得ない」という言葉を、人々が、冗談のように、よく使っているのを耳にします。
しかし、実際には、この大宇宙においては、「あり得ない」という事こそ、「あり得ない」のです。

この大宇宙には、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、根本創造主しか実在していないので、根本創造主の御心次第では、「あらゆる事があり得る」からなのです。

根本創造主である大宇宙意識の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」は「無限」であり、大宇宙意識に不可能は無いので、大宇宙意識の御心次第では、実は、この大宇宙においては、あらゆる事が可能であり、「あらゆる事があり得る」というのが、真相なのです。

この大宇宙において、唯一「あり得ない」のは、大宇宙そのものが存在しない、という事のみなのです。

この大宇宙に唯一実在しているのは、絶対世界にある大宇宙意識のみであり、それは非物質なものなので、消滅したりするようなものではなく、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けます。

そもそも、究極的には時間は存在していないので、「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「永遠(えいえん)」の「今」があるだけなのです。
絶対世界に唯一実在する大宇宙意識は、誕生するという事もなく、消滅するという事もなく、「永遠(えいえん)」の「今」に実在しています。

そして、絶対世界と相対世界は、表裏一体、密接不可分の関係として同時に存在していますので、大宇宙意識を映し出して体験する為の「鏡」の世界である、物理的大宇宙もまた、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けます。

この大宇宙においては、「あり得ない」という事こそ、「あり得ない」のであり、根本主体である大宇宙意識の御心次第では、「あらゆる事があり得る」のです。
そして、この大宇宙において、唯一「あり得ない」のは、この大宇宙そのものが存在しない、という事のみなのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無い

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無い

大宇宙には、始まりも無ければ終わりもありません。

大宇宙は、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けます。

大宇宙そのものが存在しないなどという事は、あり得ない事なのです。

現在の科学では、宇宙は約137億年前に誕生したと考えているようです。
しかしそれは、あくまでも、今現在の科学で捉えられる範囲での認識にしか過ぎません。

ここで大宇宙と呼んでいるのは、大宇宙そのものの事なので、個々の銀河宇宙の事ではありません。

個々の銀河宇宙には、確かに、始まり(誕生)があり、終わり(死・終結)もあると考えられますが、大宇宙そのものが存在しないなどという事は、あり得ない事なのです。

何故なら、大宇宙に唯一実在しているのは、絶対世界にある大宇宙意識のみであり、それは、非物質なものなので、消滅したりするようなものではなく、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けます。

そもそも、究極的には時間は存在していないので、「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「永遠(えいえん)」の「今」があるだけなのです。

絶対世界に唯一実在する大宇宙意識は、誕生するという事もなく、消滅するという事もなく、「永遠(えいえん)」の「今」に実在しています。

そして、絶対世界と相対世界は、表裏一体、密接不可分の関係として同時に存在していますので、大宇宙意識を映し出して体験する為の「鏡」の世界である、物理的大宇宙もまた、かつて存在していたし、今も存在しているし、これからも、未来永劫に亘って存在し続けます。

大宇宙には、始まりも無ければ終わりもありません。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

永遠とは

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★永遠とは

永遠という言葉は、遙か悠久の時の流れ、気の遠くなる程の永い時間、というような意味でよく使われているかと思います。
確かに、永遠という言葉は、とてもとても永い時間というものをイメージさせる言葉だと思います。

しかしながら、永遠とは、別の言い方をするなら、「今この時」という事になります。

遙か悠久の時間と、「今この時」とは、まるで正反対の対極にあるような感じですが、「今この時」というものこそ、永遠というものの本質なのです。

時間は幻想であり、本当は、時間は存在していません。
究極的には時間は存在しておらず、「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
時間は流れている訳ではなく、過去も未来も、今、同時に存在しています。
ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

永遠とは、別の言い方をするなら、時間は存在していない、という事であり、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」しか存在していない、という事なのです。

「今」という「この時」しか実在していない、だからこそ、永遠なのです。
「今」という「この時」しか実在していないからこそ、本当の意味で、それを、永遠と呼ぶ事が出来るのです。

今の地球の科学では、約137億年前に宇宙が誕生したと考えているようです。
しかしそれは、あくまでも、今現在の科学で捉えられる範囲での認識にしか過ぎず、実際には、この宇宙には、始まりも無ければ終わりもありません。
137億年というのは、人間の時間の感覚からすると、気の遠くなるような時間かも知れませんが、無限の大宇宙から見れば、ほんの一瞬かも知れません。

それはともかく、137億年というのは、たかだか137に0(ゼロ)が8個付いただけの数字でしかありません。
例え、一千億年であろうと、一千兆年であろうと、あるいは、一千京年であろうとも、それらは、所詮、有限の時間でしかありません。
仮に、137に0(ゼロ)を一億個付けたとしても、所詮は有限な時間でしかないので、本当の意味で、それを永遠と呼ぶ事は出来ないという事になります。

そして、「今」という「この時」しか実在していないからこそ、本当の意味で、それを、永遠と呼ぶ事が出来るのです。

この事は、時間は幻想であり、本当は時間は存在していない、という事を体験として知らない限りは理解出来ないと思いますが、もし体験出来れば、自ずと理解出来る事だと思います。

「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
究極的には時間は存在しておらず、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

私達は、今、「永遠(とわ)の中今」に生かされ、生きているのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より


3月22日、新著「永遠(とわ)の中今」発売日!

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「永遠(とわ)の中今」カバー.jpg

四六版 314ページ

価 格 本体価格1800円+税

発 売 星雲社

PDF版ダウンロード購読 1260円(税込)

3月22日、新著「永遠(とわ)の中今」が発売日を迎えました!
既に当ホームページにて先行販売しておりますが、3月22日の発売日を迎え、全国の書店や、アマゾン等の各オンライン書店でも発売が開始されております。

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ぜひ、ご都合の良い入手方法で、ご一読される事を、強くお奨め致します!

書籍の内容につきましては、「書籍」のページをご参照下さい。

永遠(とわ)の中今

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★永遠(とわ)の中今

時間は幻想であり、本当は、時間は存在していません。

時間というものは、究極的には存在しておらず、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「永遠(えいえん)」の「今」があるだけなのです。

時間というものは流れている訳ではなく、過去も未来も、今、同時に存在しています。

「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。
ただ、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

大宇宙は、空間においてのみならず、時間においても「無限」なのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

大宇宙=無限

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★大宇宙=無限

唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙意識の「想像力(そうぞうりょく)」には、限りがありません。
従って、大宇宙意識の「創造力(そうぞうりょく)」にもまた、限りが無いという事になります。

大宇宙意識に不可能はありません。

大宇宙意識は、ありとあらゆる事を「想像」する事が出来、それをそのまま100%、光により物質化させて「創造」する事が出来ます。

大宇宙意識の「想像力」は「無限」なので、大宇宙意識の「創造力」もまた、「無限」なのだという事になります。

この物理的大宇宙は、大宇宙意識の「無限」の「想像力」により「創造」された世界なので、実際には、極まりの無い、「無限」の世界なのです。

現在の科学が把握出来ているだけでも、この宇宙には、少なくとも百万個以上の銀河が記録されているようです。
さらには、ウィキペディアによると、観測可能な宇宙には、少なくとも1700億個もの銀河が存在すると考えられているようです。
また、140億光年以内で見える宇宙には、なんと、数兆もの小型の銀河と、数十〜数百億もの銀河団が存在すると推定する天文学者たちもいるようです。

そして、私達の太陽系が属する天の川銀河一つだけでも、数千億個もの恒星(太陽)が存在すると考えられている訳ですから、この大宇宙の広大無辺さが、少しは感じられる事と思います。

実際には、この大宇宙は、極まりの無い「無限」の世界なので、今後、科学が進歩すればする程、この大宇宙の広大無辺さ、空間の無限性というものが、少しずつ理解出来るようになっていく筈です。

この大宇宙は、空間において、「無限」なのです。

大宇宙の事を、別名、「無限」と呼んでも良いかも知れません。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

想像(そうぞう)=創造(そうぞう)

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★想像(そうぞう)=創造(そうぞう)

イメージするという意味の「想像」と、クリエイトするという意味の「創造」は、どちらも「そうぞう」という同じ言霊(ことだま)を持っています。

実は、大宇宙の本質の世界においては、「想像」も、「創造」も、同じ事なのです。
「想像(そうぞう)」=「創造(そうぞう)」という事になります。

絶対世界に唯一実在する、大宇宙意識が「想像」したイメージが、そのまま100%、相対世界に「創造」されているのです。

大宇宙の唯一の実在である大宇宙意識とは、全知全能の純粋意識として存在していますので、自らが「想像」したイメージを、そのまま100%、光により物質化させて「創造」する事が出来ます。

全知全能の純粋意識である大宇宙意識にとっては、「想像」も「創造」も同じ事なのです。

 絶対世界における大宇宙意識の「想像」(イマジネーション)
=相対世界である物理的大宇宙に「創造」(クリエーション)

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

全ては、神の顕れ

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★全ては、神の顕れ

この大宇宙の全ての存在、森羅万象の全ては、大宇宙意識により創られたものです。

大宇宙意識の中にある、心象風景とでも言うべきイメージが、光により物質化されて顕れている世界が、この物理的大宇宙なのです。

従って、もし、大宇宙意識のことを神と呼ぶならば、この大宇宙の全ては、「神の顕れ」だという事になります。

この大宇宙には、「神の顕れ」でないものは何一つ無く、全てが、「神の顕れ」なのです。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

根本創造主という唯一の実在

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★根本創造主という唯一の実在

実相(本質)の世界である、絶対世界に唯一実在しているのは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主の純粋意識のみです。

この物理的大宇宙にある全ての存在、そして、大宇宙の森羅万象の全ては、絶対世界にある根本創造主の純粋意識により創られたものです。

大宇宙の唯一の実在である根本主体のことを、本書ではこれ以降、便宜上、大宇宙意識と呼ぶ事にします。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

絶対世界と相対世界

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より
★絶対世界と相対世界

大宇宙は、絶対世界と相対世界から成り立っています。

絶対世界とは、実相の世界であり、本質の世界です。
大宇宙の全てのエネルギーの源となる根源の世界であり、そこは、非物質な世界です。
この大宇宙の本質は、どこまでも非物質なものです。

これに対して、相対世界とは、仮相(仮の姿)の世界であり、絶対世界を映し出して体験するための「映し(うつ)し世」として存在する世界であり、現象界としての物理的大宇宙は、相対世界に属します。
相対世界は、言わば、幻の世界です。

絶対世界には、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の存在である、大宇宙の根本創造主の純粋意識のみが実在しています。

そして、絶対世界に唯一実在する、根本創造主の純粋意識を映し出して体験する為の「鏡」の世界、言わば、「映し(うつ)し世」が、相対世界なのです。
純粋意識である根本創造主は、自らの意識の中を映し出して体験する場としての相対世界(現象界)を必要とします。

絶対世界と相対世界は、表裏一体、密接不可分の関係として、同時に存在しています。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

拙書『魂の夢、光り輝く魂』より

生きるとは何か・・・

生きるとは何か・・・。
古今東西を問わず、全ての人々にとっての根源的な問いである、生きるとは何を意味するのでしょうか。

生きるとは何かについて知る為には、まず、この大宇宙の本質について知る必要があります。
そして、大宇宙と自分自身との関係を知る必要があります。
そして、自分が映す現実世界とは何なのかについて知る必要があります。

この三つの要点をきちんと把握しない限りは、生きるという事の本質は捉えられないと思います。

この21世紀において、私達人類の意識は飛躍的進化を遂げ、さなぎから蝶へと生まれ変わり、新たな地球が誕生する事になります。
有史以来数千年の人類の古い世界観そのものが、新たな世界観へと入れ替わる時を迎えています。

生きるとは何かについて、新たな世界観に基づき、回を重ねながら少しずつ考察してみたいと思います。

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四六版 314ページ

価 格 本体価格1800円+税

発 売 星雲社

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