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2015年1月のアーカイブ

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文藝春秋社の雑誌「オール読物」2月号に、「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」の広告が、掲載されました!

「オール読物」広告(2015年2月号).jpg「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」表紙カバー.jpg


文藝春秋社の雑誌「オール読物」2月号に、書籍「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」の広告が、掲載されました!

書籍「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」は、大宇宙についての、最も本質的な、根源的な考察により、大宇宙の真相に迫った書となっています。

是非、書籍「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」をお読みいただくことを、強くお勧め致します!


私たち一人ひとりが魔法使い――自らが自らに掛けた本質の魔法、豊かな魔法を想い出すことが大切

 私たち一人ひとりが魔法使いです。
 人は皆、本質において魔法使いなのです。

 ただし、ここで言う魔法使いとは、一般的に使われているような、自分のなりたい自分に自由自在に成ることが出来、自分の望みを何でも叶えることが出来るというような意味での魔法使いではありません。

 そのような意味での魔法使いというのは、あくまでも、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)が考えている魔法使いなのです。

 肉体を持った自分というのは、あくまでも、映画に出て来るようなスーパーマンではありませんし、魔法の杖を持っていて、自分の望みを何でも実現できるという訳でもありません。

 しかし、自分の人生の主体者・創造者であり、本源の我、真我である我が魂こそが、魔法使いなのです。

 本源の我であり、真我である我が魂は、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識の分霊(わけみたま)です。
 大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識と、大宇宙意識の分霊(わけみたま)である我が魂とは、本質において同じものであり、真我である魂には、大宇宙意識が持つ「無限」の属性とでも言うべきものが宿されているのです。

 自分の人生の全ては、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である我が魂が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 真我である我が魂は、魂のさらなる輝きを求めて、光り輝く魂になることを夢見て、魂の進化の為に、この人生の全てを「想像=創造(そうぞう)」したのです。

 自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である我が魂であり、真我である我が魂こそが、真の意味において魔法使いなのです。

 肉体を持った自分というのは、あくまでも、真我である魂の分身・化身として存在しているアバター(Avatar)にしか過ぎません。

 真我である魂のアバター(分身・化身)として存在している自分というのは、自分の容姿・性格・健康状態・才能なども含めた全てが、真我である魂が、魂を進化させる為に一番ピッタリな、好む形で姿を現しているだけなのです。
 肉体を持った自分というのは、真我である魂が、魂を進化させる為に最高のアバター(分身・化身)なのです。

 真我である魂の関心事と、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)の関心事とは、違います。

 魂の関心事とは、魂の進化ということであり、光り輝く魂になるということなのです。
 心を純化させ、意識を福化させることが望みなのです。

 心を無地透明にして、ピュアな心、生きているうれしさをやさしく感じられる心、豊かな心、全てを喜びと感じられる心、いずこにもとらわれない全天候型の心、言わば、タイタン(巨人)のような心へと、心を飛翔させていくことなのです。

 一方、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)の関心事とは、一般的に、多くの人たちにとっては、健康・長寿、お金・富、素晴らしい異性との恋愛・結婚、理想の家庭、理想の仕事、社会的成功、地位・名誉、豊かな人間関係、というようなことになるのかも知れません。

 このように、真我である魂の関心事と、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)の関心事とが違い、差(ギャップ)がある為に、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)から見れば、ともすれば、人生がつらく苦しく感じられてしまうのですが、真我である魂から見れば、魂を進化させる為に「想像=創造(そうぞう)」した最善の出来事なのです。

 私たちの人生とは、魂の進化というプログラム上にしか存在していませんので、自分の人生に起きる全ての現実は、魂の進化にとって最善の出来事の連続でしかありません。

 ただ、そのことが、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)では、分からないだけなのです。
 肉体の自我意識が囚われている、自分という「我」を外し、心を無地透明にしてピュアな心になっていくと、真我である魂の想いというものが感じられ、自分が体験する全ての現実は、決して悪くはないのだと感じられるようになってきます。

 自分の人生の全ては、上手くいっています。
 心の広がりとして、上手くいっています。
 意識の福化として、上手くいっているのです。

 自分が体験する全ての現実は、その為に、真我である魂が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 不幸・不運としか思えないような現実が自分の身に起きた時は、その謎を解いてご覧、ということが、真我である魂から問われているとも言えます。

 自分に掛けられた魔法というのは、自らが自らに掛けた本質の魔法のみなので、豊かな魔法のみなのです。
 本当の自分自身である魂が掛けた魔法のみなので、豊かな魔法のみなのです。

 心の広がりとして上手くいく、意識の福化として上手くいく魔法、豊かな魔法しか、自分には掛けられていないことを知ることが大切になります。

 一切の苦しみが無い、一切が喜びに満ちた世界へと導いて行く方向でしか、自分に魔法は掛けられていないのです。

 私たち一人ひとりが、真の意味において、魔法使いであることを、想い出すことが大切になります。
 自らが自らに掛けた本質の魔法、豊かな魔法を想い出すことが大切になります。

 自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である我が魂です。
 真我である我が魂こそが、真の意味において、魔法使いなのであり、魂のさらなる輝きを求めて、光り輝く魂になることを夢見て、魂の進化の為に、自分の人生の全てを「想像=創造(そうぞう)」したのです。

 自らが自らに掛けた本質の魔法、豊かな魔法を想い出していく為に、書籍「魂の夢、光り輝く魂」をお読みいただくことを、強くお勧め致します。
 書籍「魂の夢、光り輝く魂」は、21世紀の新しい世界観「開眼世界観」に基づき、生きるとは何かについて考察した書であり、自らが自らに掛けた本質の魔法、豊かな魔法を想い出していく為の最良の書とも言える内容になっています。

 書籍「魂の夢、光り輝く魂」には、「豊かなる心の位置で豊かなる世界が現れてくる」というサブタイトルが付いています。

 豊かなる世界とは、形の中にあるのではなく、自分自身の心の中にあるものなので、自分自身の心が豊かになればなる程、自分の心を映した「鏡」の世界である現実世界もまた、豊かなる世界として輝きを増してくるのです。

 豊かなる心の位置でしか、豊かなる世界は現れてきませんので、豊かなる世界とは、自分自身の心の位置取りでしか感じることは出来ないのです。
 言わば、自分自身の心の位置取りの豊かさに応じて、豊かなる世界を感じられるということなのです。

 自分が体験する全ての現実は、その為に、真我である魂が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。
 本源の我であり、真我である我が魂は、豊かなる心の位置で現れてくる、豊かなる世界を体験して味わいたいのです。

 私たち一人ひとりが、魔法使いであることを想い出すことが大切になります。
 本源の我であり、真我である我が魂こそが、真の意味において魔法使いなので、自らが自らに掛けた本質の魔法、豊かな魔法を想い出すことが大切になります。

 自分に掛けられた魔法というのは、自分自らが掛けた魔法のみなので、豊かな魔法のみなのです。
「豊かなる心の位置で豊かなる世界が現れてくる」という魔法、豊かな魔法のみであることを、想い出すことが大切になります。

私たち一人ひとりがアバター(Avatar)であり、神の化身であることを自覚することが大切

 前回、「肉体を持った自分というのは、真我である魂のアバター(分身・化身)として存在しており、真我である魂が、分身であるアバターをコントロールしている」の中にも書きましたが、肉体を持った自分というのは、本当の自分ではなく、真我である魂の分身・化身として存在しているアバターなのです。

 アバター(Avatar)という言葉は、元々は、サンスクリット語で「地上に降りた神の化身」を意味する言葉だったようですが、その後、インターネット上で、自分の分身となるキャラクターを意味する言葉として使われるようになったようです。

 肉体を持った自分というのは、あくまでも、本当の自分ではなく、本源の我であり、真我である魂が、現実世界と呼ばれる、魂の進化の場として与えられた運動場で、魂を進化させる為に「想像=創造(そうぞう)」した、アバター(分身・化身)なのです。

 自分の人生の主体者・創造者は、本源の我であり、真我である我が魂です。

 本源の我であり、真我である我が魂は、魂のさらなる輝きを求めて、光り輝く魂になることを夢見て、魂の進化の為に、この人生の全てを「想像=創造(そうぞう)」したのです。

 真我である魂というのは「意識」なので、現実世界と呼ばれる、魂の進化の場として与えられた運動場で魂を進化させる為には、肉体を持ったアバター(分身・化身)が必要なのです。

 アバター(分身・化身)である自分というのは、顔・形・姿や、健康状態、性格なども含めて、真我である魂から見れば、最高のアバター(分身・化身)なのです。
 真我である魂が、魂を進化させる為に最高のアバター(分身・化身)なのです。

 真我である魂の関心事と、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)の関心事とは、違います。

 真我である魂の関心事とは、魂の進化ということであり、光り輝く魂になることが望みなのです。
 心を純化させ、意識を福化させることが望みなのです。

 心を無地透明にして、ピュアな心、生きているうれしさをやさしく感じられる心、豊かな心、全てを喜びと感じられる心、いずこにもとらわれない全天候型の心、言わば、タイタン(巨人)のような心へと、心を飛翔させていくことが望みなのです。

 自分の容姿・性格・健康状態などの全ては、真我である魂から見れば、一番ピッタリなものであり、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」した、最高のアバター(分身・化身)なのです。

 容姿端麗、元気ハツラツ、学業優秀、スポーツ万能、異性にモテモテ、仕事バリバリ、社会的に大成功、みんなに好かれる素晴らしい性格、たくさんの友人・知人に囲まれている自分・・・・・というような、多くの人たちが憧れている自分というのは、あくまでも、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)から見た、最高の自分なのです。

 真我である魂の関心事と、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)の関心事とは違いますので、差(ギャップ)があることを知っておく必要があります。

 肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)から見た最高の自分というのは、必ずしも、真我である魂から見た最高のアバター(分身・化身)ではありません。

 真我である魂が、魂を進化させるために一番ピッタリな、最高のアバター(分身・化身)が、肉体の衣を纏(まと)った自分なのです。

 私たちの人生は、魂の進化というプログラム上にしか存在していませんので、肉体の衣を纏(まと)った自分というのは、真我である魂が、魂を進化させる為に最高のアバター(分身・化身)なのです。

 このことが理解出来て初めて、私たち一人ひとりが、サンスクリット語のアバター(Avatar)という言葉が元々意味する「地上に降りた神の化身」であることを、理解出来るようになります。

 自分の容姿や性格、健康状態、社会的地位・立場、自分が周囲からどのように評価されている人間かなど、他の人々との比較・優劣、他人からの評価などによって、自分自身の価値を決めようとすると、ともすれば、自分という存在が、とても小さな、取るに足りない、価値の無い人間のようにも思えてくるかも知れません。

 自分という存在が、サンスクリット語のアバター(Avatar)という言葉が元々意味する「地上に降りた神の化身」であるなどとは、とても思えないかも知れません。

 しかし、アバター(Avatar)とは、インドの聖者で「地上に降りた神の化身」と呼ばれるような、ごく一部の聖者・賢者だけのことではありません。

 霊性の大国・インドには、古来、「地上に降りた神の化身」を意味するアバター(Avatar)と呼ばれる聖者が輩出しました。

 しかし、そのような、ごく一部の聖者だけがアバター(Avatar)なのではなく、私たち一人ひとりがアバター(Avatar)であり、「地上に降りた神の化身」であることを自覚することが大切になります。

 肉体を持った自分が本当の自分自身だと勘違いして、自分の容姿や性格、健康状態、自分の社会的地位・立場、自分が周囲の人々からどういう評価を受けている人間かなど、自分の肉体ばかりを見て自分を判断しているから、自分自身の本当の価値が分からなくなっているだけなのです。

 肉体を持った自分というのは、あくまでも、真我である魂が、魂を進化させる為に、一番ピッタリな、好む形で姿を現しているだけなのです。

 自分の人生の主体者・創造者は、本源の我であり、真我である我が魂です。
 本源の我であり、真我である我が魂は、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識の分霊(わけみたま)です。

 もし、仮に、神という表現を使うならば、真我である魂は、神の分霊(わけみたま)なのです。

 神の分霊(わけみたま)である魂の分身・化身として、地上に降り立っているのが、肉体の衣を纏(まと)ったアバターである自分なのです。

 神の本質と同じ、聖なる光の存在が、自分自身の本当の光を一旦忘れ、それを想い出し、蘇らせ、さらに光り輝く為に、肉体の衣を纏(まと)って、今地上に降り立っているのであり、それが、真我である魂のアバター(分身・化身)として存在している、自分なのです。

 肉体の衣を纏(まと)った自分というのは、あくまでも、真我である魂の分身・化身として存在しているアバターにしか過ぎないことが理解出来て初めて、自分が映す現実世界というものを、真実の光の中で見ることが出来るようになります。

 真我である魂のアバター(分身・化身)として、肉体の衣を纏(まと)った自分が今存在しているということについては、書籍「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」の中に詳しく書いてありますので、まだお読みでない方は、是非、書籍「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」をご購読いただくことを、お勧め致します。

肉体を持った自分というのは、真我である魂のアバター(分身・化身)として存在しており、真我である魂が、分身であるアバターをコントロールしている

 以前、「今ここに存在している自分は、アバターにしか過ぎない」の中でも書きましたが、肉体を持った自分というのは、本当の自分自身ではなく、真我である魂の分身・化身として存在している、アバターにしか過ぎないのです。

 肉体を持った自分というのは、真我である魂のアバター(分身・化身)として存在していますので、真我である魂が、分身であるアバターをコントロールしています。

 リモコンの飛行機に例えるならば、リモコンで操作しているのが、真我である魂であり、リモコンで操作されて飛んでいる飛行機が、アバター(分身・化身)である、肉体を持った自分なのです。

 私たちは、自分の意志で、右を向いたり左を向いたり、歩いたり走ったり、体を動かしたり、頭で何かを考えたりしていると思っていますが、それらを全て操作してコントロールしているのが、本源の我であり、真我である魂なのです。

 アバター(分身・化身)である、肉体を持った自分を操作してコントロールしている、もう一人の自分、本当の自分が存在しており、それが、真我である魂なのです。

 肉体を持った自分というのは、真我である魂が、現実世界と呼ばれる、魂の進化の場として与えられた運動場で、魂を進化させる為に「想像=創造(そうぞう)」した、アバター(分身・化身)なのです。

 アバターという言葉は、元々は、サンスクリット語で「地上に降りた神の化身」を意味する言葉だったようですが、その後、インターネット上で、自分の分身となるキャラクターを意味する言葉として使われるようになったようです。

 ジェームズ・キャメロン監督の映画「アバター」(Avatar)が世界的に大ヒットし、歴代1位となる世界興行収入を記録したことなどにより、インターネットをしない人にも、アバターという言葉は、一般的に知られる言葉になってきたのではないかと思います。

 アバター(分身・化身)という言葉自体は、割と一般的になってきましたが、肉体を持った自分というのは、真我である魂のアバター(分身・化身)として存在しているということについては、今はまだ、ほとんどの人は、理解出来ないかも知れません。

 しかし、今、私たち人類の意識は飛躍的に進化して、さなぎから蝶へと生まれ変わり、新たな地球が誕生する時を迎えていますので、いずれそう遠くない将来、多くの人たちが、このことを理解出来るようになっていく筈です。
 
 そして、それは、科学技術・テクノロジーの進化と、深く密接に関わっています。
 私たち人類の意識の進化と、科学技術・テクノロジーの進化とは、深く密接に関わっていますので、私たち人類の意識の進化を促すような科学技術・テクノロジーが、必ず現れてくることになります。

 今年の正月三日に放送された、NHKのスペシャル番組「ネクストワールド」(5回シリーズ)の第1回「未来予測」をご覧になられた方も多いかも知れません。

 その中で、今から30年後、西暦2045年には、音楽コンサートにわざわざ自分自身が参加するのではなく、アバターと呼ばれる分身を参加させて、コンサートを楽しむ時代が来る、というようなことが、予測されていました。

 科学技術・テクノロジーの進化とともに、そのような時代も、いずれ到来することになると思いますが、そのような時代が到来した時には、肉体を持った自分というのは、あくまでも、真我である魂の分身・化身として存在しているアバターにしか過ぎないということは、ごく自然に受け入れられているかも知れません。

 自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である我が魂です。
 自分の人生の全ては、真我である魂が、「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 本源の我であり、真我である魂というのは、「意識」なので、現実世界を体験する為には、肉体を持ったアバター(分身・化身)が必要なのです。

 真我である魂という「意識」は、魂のさらなる輝きを求めて、光り輝く魂になることを夢見て、現実世界と呼ばれる、魂の進化の場として与えられた運動場で、肉体を持ったアバター(分身・化身)での体験を通して、魂の進化の旅をしているのです。

 自分の肉体の顔・姿・形や、健康状態、性格などの全ては、真我である魂から見れば、魂を進化させる為に一番ピッタリな、最善のものなのです。
 肉体を持った自分というのは、真我である魂が、魂を進化させる為に「想像=創造(そうぞう)」した、最高のアバター(分身・化身)なのです。

 真我である魂が、現実世界と呼ばれる、魂の進化の場として与えられた運動場で、魂を進化させる為に一番ピッタリな、最高のアバター(分身・化身)なのです。

 肉体を持った自分というのは、本当の自分自身ではなく、あくまでも、真我である魂の分身・化身として存在しているアバターにしか過ぎないということが分かるようになると、現実世界に対する捉え方・認識も、大きく変わります。

 真我である魂のアバター(分身・化身)として、肉体の衣を纏(まと)った自分が、今、ここに存在しているということについては、書籍「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」の中に詳しく書いてありますので、まだお読みでない方は、是非、書籍「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」をご購読いただくことを、お勧めいたします。

西暦2015年(平成27年)の幕開け

 西暦2015年(平成27年)が幕開けしました。
 新年、明けましておめでとうございます。
 本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 日本三霊山と言えば、ご存知、富士山・立山・白山です。
 富士山は、表日本とも呼ばれる太平洋側に面していますが、立山と白山は、裏日本とも呼ばれる日本海側に面しており、北陸地方に位置しています。

 立山(富山県)と白山(石川県)は、富山・石川の両隣に位置しています。

 今年から、日本三霊山に数えられる、立山と白山の持つ働きが、本格化していくことになると思います。
 そしてそれは、現象界にも現れて来ることになると思います。

 今年の3月14日に、北陸新幹線が開通しますが、それも、一つの型示しです。
 裏日本とも呼ばれ、今まであまり脚光を浴びることの無かった北陸地方に光が当たり、次第に表舞台に現れて来ることになると思います。

 以前、「日本三霊山」の中に書きましたが、立山は、男性性を象徴し、白山は女性性を象徴しています。
 そして、霊(ひ)ノ元・日本の象徴である霊峰富士は、男性性と女性性が統合された、二元性が統合された姿を象徴しています。

 東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本の象徴である霊峰富士は、人類の意識が二元性の対立から統合へと向かうカギを握る空間であり、世界に二つと無い(不二)働きを持った神体山なのです。

 二元性の統合とは、善と悪、正と邪、陰と陽、男性性と女性性、東洋と西洋、プラスとマイナス、光と闇、神と悪魔というように、二極に対立している働きを統合して、大いなる和「大和(やまと)」へと導く働きのことです。

 霊峰富士の美しく雄大な姿は、二元性が統合された姿を象徴しています。
 日本一高く雄大な姿は男性性を表し、裾野がなだらかに美しく広がる姿は女性性を表し、男性性と女性性が統合された美しい雄姿で、二元性が統合された「大和(やまと)」を象徴しています。

 今年から、立山と白山の持つ働きが本格化することは、神界の裏の働きが、本格的に表に現れて来る動きとも対応しています。

 立山と白山の持つ働きが本格化していく流れは、やがて、東洋の日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本の象徴である霊峰富士の持つ働きが本格化していく流れにつながっています。

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