竜宮音秘の調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌

竜宮音秘(大和富士)ブログ|BLOG

時間の「無限」性について――無始の過去、無終の未来

  • 2015年4月19日 08:15
  • Posted by Yamatofuji

 今回は、時間の「無限」性というものについて、書いてみたいと思います。

「時」には、始まりも無ければ終わりもありません。

 過去には始まりが無く、未来には終わりも無いのです。
「無始の過去、無終の未来」なのです。

 最初に、簡単な数字の遊びをしてみたいと思います。

 1に、ゼロ(0)を一つずつ付けていってみましょう。
 一・・・・1
 十・・・・10
 百・・・・100
 千・・・・1、000
一万・・・・10、000
十万・・・・100、000
百万・・・・1、000,000
千万・・・・10,000,000
一億・・・・100,000,000
十億・・・・1、000、000,000
百億・・・・10,000,000,000
千億・・・・100,000,000,000
一兆・・・・1,000,000,000,000

 さらに、ゼロ(0)を一つずつプラスしていけば、十兆、百兆、千兆、一京、十京、百京、千京・・・・・と、「無限」に増やしていくことが出来ます。

 そして、これが、未来における時間というものなのです。
 未来には終わりが無いので、時間というものを未来へと進んでいくと、「無限」に進んで行くことが出来ます。
 一万年後、一億年後、一兆年後、一京年後・・・・・。

 今度は、先程とは反対に、マイナス1(ー1)に、ゼロ(0)を一つずつ付けていってみましょう。
 マイナス一・・・・ー1
 マイナス十・・・・ー10
 マイナス百・・・・ー100
 マイナス千・・・・ー1、000
マイナス一万・・・・ー10、000
マイナス十万・・・・ー100、000
マイナス百万・・・・ー1、000,000
マイナス千万・・・・ー10,000,000
マイナス一億・・・・ー100,000,000
マイナス十億・・・・ー1、000、000,000
マイナス百億・・・・ー10,000,000,000
マイナス千億・・・・ー100,000,000,000
マイナス一兆・・・・ー1,000,000,000,000

 さらに、ゼロ(0)を一つずつプラスしていけば、マイナス十兆、マイナス百兆、マイナス千兆、マイナス一京、マイナス十京、マイナス百京、マイナス千京・・・・・と、「無限」に増やしていくことが出来ます。

 そして、これが、過去における時間というものなのです。
 過去には始まりが無いので、時間というものを過去へと遡って行くと、「無限」に遡って行くことが出来ます。
 一万年前、一億年前、一兆年前、一京年前・・・・・。

 過去は「無限」であり、未来もまた「無限」なのです。
「無始の過去、無終の未来」なのです。

 ここで、多くの人たちは、過去の時間というのは、ビッグバンが起こったとされる138億年前までしか無いのではないか、と考えられるかも知れません。

 ビッグバン理論などによって、この大宇宙の本質の何が説明出来る訳でもないのですが、それはまた別の機会に譲るとして、138億年前にビッグバンによって今ある宇宙が誕生したとかしないとかに関係無く、時間を過去へと遡って行くと、「無限」に遡って行くことが出来るのです。

 仮に、138億年前、ビッグバンによって今ある宇宙が誕生したと仮定します。
 そうすると、ビッグバンがこれからまさに起ころうとする、直前の瞬間というものがあった筈です。
 仮に、それを、ビッグバンが起こる一万分の一秒前とします。

 ビッグバンが起こる一万分の一秒前という時間が存在したのであれば、それよりももう少し前の、千分の一秒前という時間も存在した筈です。
 同様に、ビッグバンが起こる百分の一秒前という時間も存在し、十分の一秒前という時間も存在し、一秒前という時間も存在していた筈です。

 ビッグバンが起こる一秒前という時間が存在していたのであれば、同様に、一分前、一時間前、一日(24時間)前、一か月前、一年前という時間も存在していた筈です。

 ビッグバンが起こる一年前という時間が存在していたのであれば、同様に、十年前、百年前、千年前、一万年前という時間も存在しており、以下同様に、一億年前、一兆年前、一京年前・・・・・と、「無限」に遡って行くことが出来ます。

 今度は反対に、未来について考えてみましょう。
 科学者の中には、ビッグバンの時間逆転であるビッグクランチによって、膨張した宇宙はいずれ収縮して、目に見えない程の小さな点になって最後を迎えるという考え方もあるようです。
 仮に、今ある宇宙が、ビッグバンの時間逆転であるビッグクランチによって、目に見えない程の小さな点になって最後を迎える時が来ると仮定します。

 そうすると、ビッグクランチによって宇宙が小さな点になった直後の時間というものが存在する筈です。
 仮に、それを、宇宙が小さな点になった一万分の一秒後と仮定します。

 宇宙が小さな点になった一万分の一秒後という時間が存在するのであれば、千分の一秒後という時間も存在する筈であり、百分の一秒後、十分の一秒後、一秒後という時間も存在する筈です。

 同様に、一分後、一時間後、一日(24時間)後、一ヶ月後、一年後という時間も存在する筈です。

 宇宙が小さな点になった一年後という時間が存在するのであれば、十年後、百年後、千年後、一万年後という時間も存在する筈であり、同様に、一億年後、一兆年後、一京年後・・・・・という具合に、「無限」に進んで行くことが出来るのです。

 今ある宇宙が何時始まったとか始まらないとか、あるいは、今ある宇宙が何時終わるとか終わらないとか、宇宙がどのような状態にあるのかに関係無く、時間を過去へと遡って行けば、「無限」に遡って行くことが出来、時間を未来へと進んで行けば、「無限」に進んで行くことが出来るのです。

 もし、仮に、一部の科学者たちが考えているように、ビッグバンによって今ある宇宙が始まり、ビッグクランチによって今ある宇宙が終わりを迎えたとしても、この「無限」の大宇宙は、そのようなサイクルを、何回でも何十回でも、何百回でも、それこそ「無限」に繰り返すことが出来ます。

 宇宙がどのような状態にあるのかに関わらず、過去は「無限」であり、未来もまた「無限」なのです。
「無始の過去、無終の未来」なのであり、過去には始まりが無く、未来には終わりも無いのです。

 そして、過去には始まりが無く、未来には終わりも無いということと、この物理的大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無いということとは、同じことなのです。

 詳しい説明は、また別の機会にしたいと思いますが、この物理的大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無く、大宇宙は、永遠に存在しているものなのです。

 大宇宙は、時間において「無限」なのです。

 時間の「無限」性というものを、頭で理解することは出来ません。
 時間が「無限」に存在するということは、時間そのものが幻想であり、本当は、時間は存在していないということと、本質的に同じことなのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界とは、時間も無ければ空間も無い、時空を超越した根源の世界であり、そこにはただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

 大宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界には、時間というものは存在しておらず、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけであるということと、「時」には始まりも無ければ終わりも無い、ということとは、同じことなのです。

「時」には、始まりも無ければ終わりも無いので、ただ、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。

 それが、「時」というものの本質なのです。
「時」と時間とは、違います。
「時」は真実・実在であり、時間は幻想です。

 絶対世界における、「永遠(とわ)の中今」とでも呼ぶべき、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」だけが真実・実在であり、「時の間」と書く時間というのは、私たち人間が創り出した概念であり、幻想にしか過ぎません。

「時」と時間について、時間は幻想であることについては、書籍「何故、未来は100パーセント確定しているのか」の中の「時間は幻想」編の中で詳しく説明してありますので、是非、ご参照いただければ幸いです。


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