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大和富士ブログ|BLOG

2014年7月のアーカイブ

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新著「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」が、近く出版されます!

新著「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」が、近く出版されます!

新著「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」は、この大宇宙についての、最も本質的な、根源的な内容の書となっています。

詳細につきましては、改めてお知らせ致しますので、どうぞお楽しみに!


 「根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在」
     この大宇宙に本当に実在しているのは
     根本創造主である大宇宙意識だけ

 目 次

はじめに
 
 根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在
  根本創造主(大宇宙意識)という唯一の実在
  絶対世界と相対世界
  絶対世界とは
  根本創造主(大宇宙意識)とは、全知全能の「純粋意識」
  想像(そうぞう)=創造(そうぞう)
  根本創造主が唯一行っているのは、「想像=創造(そうぞう)」という仕事
  相対世界とは、絶対世界を映し出して体験する為の「映(うつ)し世」
  全ては、根本創造主(大宇宙意識)の顕れ
  物理的大宇宙(相対世界)は、仮相(仮の姿)の世界
  物理的大宇宙は、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界
  物理的大宇宙の全ては、根本創造主(大宇宙意識)の光の中
  全ては、「大宇宙意識の戯れ(リーラ)」
  根本創造主(大宇宙意識)の孤独
  全ては、根本創造主(大宇宙意識)の弥栄
  一切無、一切幻
  大宇宙の全ては完
  大宇宙の森羅万象の全てが、本来無事象
  宇宙的な観点の中では、善悪は存在していない
  多様性こそが大宇宙の豊かさ
  大宇宙=無限
  「あり得ない」ということこそ「あり得ない」―あらゆる事があり得る
  神についての二つの概念
  「意識」の一番奥深くに内在している根本創造主(大宇宙意識)

永遠(とわ)の中今
  永遠(とわ)の中今
  永遠とは
  大宇宙には、始まりも無ければ終わりも無い
  大宇宙の森羅万象を貫く一つの力学(法則)
  大宇宙意識の見えざる糸(意図)
  全ては大宇宙の計画の中
  全ては必然、一切偶然なし
  過去も未来も、今、同時に存在している
  未来からやって来る時間
  未来は一〇〇パーセント確定している
  大宇宙の過去と未来の全てが、元々存在している
  大宇宙の全ての時空が、元々存在している
  ありとあらゆる全てのものが、元々存在している
  「想像=創造(そうぞう)」し得る限りの全てのものが元々存在している
  大宇宙の全ては、元々完成している
  大宇宙そのものが、完璧なスーパーコンピューター
  ここは、緑美しき懐かしき地球(追想の中)

大宇宙意識と本源の我
  大宇宙意識と本源の我
  「意識」の中に大宇宙がある
  大宇宙の中に「意識」があるのではなく、「意識」の中に大宇宙がある
  物質世界を「想像=創造(そうぞう)」している源は、「意識」
  「意識」というものは、それを映し出す「鏡」が必要
  ここは「意識」の海の中
  一人ひとりが自分の宇宙(世界)の創造主
  現実世界とは
  自分一人の世界
  全てが主観の世界
  自分が変われば世界が変わる
  心が美しくなれば、現実世界は美しく輝く
  生きる目的
  今ここに自分が存在している理由
  今ここに存在している自分は、アバターにしか過ぎない
  魂を自分の肉体の外に想像
  多次元に生きる、本源の我
  永遠の旅をしている我が魂の夢
  魂にとっては、体験こそが喜びであり財産
  魂の進化
  魂の願い
  心を創り、心を失い、思いを創り、思いを失う
  魂の進化の場として与えられた運動場
  魂の進化としての道の最短距離
  魂の夢
  今を良しとする力、全てを完として捉える力
  どれだけの「意識」を創れたかが大切
  自分を解放するプログラム
  自分の唯一のプログラム
  本当は誰もいない――ただ大宇宙がある
  全ては我が魂の計画の中
  魂の記憶を蘇らせる
  魂の記憶が蘇ると、人生の全てが、予定通りだったことを想い出す
  人生は一〇〇パーセント決まっている
  大宇宙意識の操り人形
  「想いは実現する」とは
  ここは「追想の中」
  自分の中に全ての答えがある
  明日を感じて今日を生きる
  心と感じるままに、生きてみる
  生きるとは、創造すること
  今、目の前にある道が、黄金の道
  現実という空間全てに、常に、遊びという学びが用意されている
  空間を最高の友として遊ぶ
  豊かなる心の位置で、豊かなる世界が現れてくる
  魂の夢、光り輝く魂
  幻の世と知って生きることに、生命の輝きを見る
  自分の中に内在している、大宇宙意識の想いを感じて生きる

 おわりに


心の源は、静かな心であり、常に豊かな心

 自分の人生の主体者・創造者は、本源の我であり、真我である、我が魂です。

 本源の我であり、真我である魂は、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、永遠不滅の存在です。

 自分の人生の全ては、真我である魂が、魂の更なる輝きを求めて、光り輝く魂になることを夢見て、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 自分の現実の全ては、真我である魂が、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」した、最善の出来事なのです。

 魂の進化を求めて、永遠の旅をしている我が魂にとっては、全ての体験が喜びであり、財産であると言えます。

 ただ、肉体の自我意識(表面意識)では、そのことが分からないので、自分の思い通りでないことを、不幸・不運と決めつけ、不足・不満を感じて、もがき苦しみ、大騒ぎしているだけなのです。

 心の源である魂は、少しも騒いではおらず、静かな心なのです。
 心の源は、常に静かな心であり、常に豊かな心なのです。

 例え、肉体の自我意識(表面意識)では、死にたくなる程、悩み、もがき苦しんでいたとしても、心の源は、少しも騒いではいません。

 心を静め、落ち着いて、静かに感じてみれば、心の奥深くに、もう一人の自分、本当の自分自身がいることを、感じられます。

 本源の我であり、真我である魂は、何時如何なる時も、静かな心であり、少しも苦しんではいないのです。
 心の源は、少しも騒いではいません。

 心の源は、常に静かな心であり、常に豊かな心なのです。

 自分の人生の主体者・創造者であり、本源の我、真我である魂にとっては、全ての体験が、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」した喜びの体験なのであり、魂の進化にとって最善の出来事なのです。

 本源の我の本当の輝きを、魂の輝きを、常に忘れないことが大切になります。
 我が魂が豊かであることを、想い出すことが大切になります。
 我が魂が豊かであることを、信じることが大切になります。

 何時如何なる時も、本源の我である魂は、常に豊かな心であり、輝いているのです。

 魂の更なる輝きを求めて、光り輝く魂になることを夢見て、魂の進化にとって最善の出来事を「想像=創造(そうぞう)」し続け、永遠の旅をしている、我が魂の夢を想い出すことが大切になります。

不幸・不運、思い通りでないと感じるところの全ては、ただ、真我である魂との折り合いが付いていないだけ

 自分の人生の主体者・創造者は、本源の我であり、真我である、我が魂です。
 我が魂は、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、永遠不滅の存在です。

 自分の人生の全ては、本源の我であり、真我である、我が魂が、魂の更なる輝きを求めて、光り輝く魂になることを夢見て、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。
 自分の人生の真の創造主は、他ならぬ自分自身なのです。

 本源の我である魂の関心事と、肉体の自我意識(表面意識)の関心事とは違います。

 魂の関心事は、魂の進化ということであり、光り輝く魂になることなのです。

 魂の進化とは、心の純化、意識の福化ということであり、心を無地透明にして、ピュアな心、生きているうれしさをやさしく感じられる心、豊かな心、全てを喜びと感じられる心、いずこにもとらわれない全天候型の心、言わば、タイタン(巨人)のような心へと、心を飛翔させていくことなのです。

 一方、肉体の自我意識(表面意識)の関心事は、多くの人にとっては、健康・長寿、お金・富、素晴らしい異性との恋愛・結婚、理想の家庭、理想の仕事、社会的成功、地位・名誉、豊かな人間関係、というようなことになるのかも知れません。

 このように、本源の我であり、自分の人生の主体者・創造者である魂の関心事と、肉体の自我意識の関心事には、差(ギャップ)があります。

 自分の現実の全ては、自分の人生の主体者・創造者である魂が、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」したものなので、魂の進化にとって、最善の出来事なのです。

 ただ、肉体の自我意識(表面意識)では、そのことが分からないだけなのです。
 本源の我であり、自分の人生の主体者・創造者である、我が魂の意図が分からないだけなのです。

 肉体の自我意識(表面意識)が、不幸・不運、思い通りでないと感じるところの全ては、ただ、本源の我・真我であり、自分の人生の主体者・創造者である、我が魂との折り合いが付いていないだけのことなのです。

 心が純化し、意識が福化し、拡張した意識になれば、自分の現実の全ては、決して悪くはないのだと分かるようになります。

 拡張した意識になり、自分の人生の主体者・創造者である魂の意図が感じられるようになると、本源の我である魂との折り合いが付いて、自分の現実の全ては、決して悪くはないのだと感じられるようになります。

 本源の我である魂の関心事と、肉体の自我意識の関心事には、差(ギャップ)がありますので、この差(ギャップ)が、悩み・苦しみの原因にもなっているのです。

 本源の我である魂の関心事と、肉体の自我意識の関心事との差(ギャップ)を取ることが、「差取り=悟り(さとり)」ということでもあります。

 本源の我である魂の関心事と、肉体の自我意識の関心事との差(ギャップ)が大きければ大きい程、それだけ折り合いが付いていないということなので、悩み・苦しみは大きくなります。

 私たちの人生は、魂の進化というプログラム上にしか存在していませんので、自分の人生に起きる全ての現実は、魂の進化にとって、最善の出来事の連続なのです。

 真我である魂が、魂の更なる輝きを求めて、光り輝く魂になることを夢見て、魂の進化の為に「想像=創造(そうぞう)」した、最善の出来事なのです。

 ただ、そのことが、肉体の自我意識(表面意識)では、分からず、折り合いが付いていないだけなので、不幸・不運、思い通りでないと感じて、悩み、苦しんでいるだけなのです。

 本源の我であり、真我であり、自分の人生の主体者・創造者である、我が魂との折り合いを付けていくことが、心の成長であり、意識の福化と呼べるものなのです。

 真我である魂との折り合いが付けば付く程、自分の現実の全ては、決して悪くはないのだと感じられるようになります。
 そして、人生はさらに面白く感じられ、生きているうれしさをやさしく感じられるようになるのです。

 魂の更なる輝きを求めて、光り輝く魂になることを夢見て、全ての現実を「想像=創造(そうぞう)」した、我が魂の夢を想い出すことが大切になります。

現実は、幻の箱

 自分が映す現実世界とは、自分の意識を投影した、自分の内面の世界であり、全ては心の内の景色、言わば、幻です。

 自分の心の中にある心象風景とでも言うべきものを、空間というスクリーンに映し出して見ているだけなので、全ては自分の内面の世界であり、言わば、インナーワールドなのです。

 自分の脳が情報処理・画像処理した結果を、空間という、360度立体のバーチャルなスクリーンに映し出して見ているだけなので、言わば、テレビや映画を見ているのと同じような状態であると言えます。

 自分の脳が情報処理・画像処理した結果を、モニターで見ているようなものなのです。

 自分が見ている現実世界とは、言わば、自分の脳が創り出した、バーチャルリアリティー(仮想現実)の世界なのです。

 自分の外に、何か確固とした客観的な現実世界というものがある訳ではなく、現実世界とは、自分の脳が創り出した、バーチャルリアリティー(仮想現実)の幻の世界なのです。

 自分が映す現実世界とは、自分の意識を投影した、自分の内面の世界であり、自分の脳が創り出した、バーチャルリアリティー(仮想現実)の幻の世界なので、現実とは幻の箱なのです。

 自分の外に、何か確固とした客観的な現実世界というものがある訳ではありません。
 現実世界とは、自分の内面の世界であり、自分の脳が創り出した、バーチャルリアリティー(仮想現実)の幻の箱なのです。

 自分が映す現実世界とは、自分の意識を投影した、バーチャルな幻の箱なので、自分自身の意識が変われば、現実という幻の箱も変わります。

 意識が変わる時は、一瞬なのです。
 自分自身の意識が変われば変わった分だけ、現実世界は、違ったふうに見えてきます。
 自分自身の意識が変われば変わった分だけ、現実世界に対する捉え方・認識が変わるのです。

 自分の外に、何か確固とした客観的な現実世界というものがある訳ではないということなのです。

 自分の外に、何か確固とした客観的な現実世界というものがあると考えているうちは、まだ、本来の創造の出発点に立っているとは言えません。

 自分が映す現実世界とは、自分の意識を投影した内面の世界、インナーワールドであり、自分の脳が創り出した、バーチャルリアリティー(仮想現実)の幻の箱だと認識出来たところから、本来の創造が始まります。

「幻の世と知って生きることに、生命の輝きを見る」という、本来の創造、新たな創造の旅が、そこからようやく始まるのです。

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