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私たち一人ひとりが魔法使い――自らが自らに掛けた本質の魔法、豊かな魔法を想い出すことが大切

  • 2015年1月25日 14:32
  • Posted by Yamatofuji

 私たち一人ひとりが魔法使いです。
 人は皆、本質において魔法使いなのです。

 ただし、ここで言う魔法使いとは、一般的に使われているような、自分のなりたい自分に自由自在に成ることが出来、自分の望みを何でも叶えることが出来るというような意味での魔法使いではありません。

 そのような意味での魔法使いというのは、あくまでも、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)が考えている魔法使いなのです。

 肉体を持った自分というのは、あくまでも、映画に出て来るようなスーパーマンではありませんし、魔法の杖を持っていて、自分の望みを何でも実現できるという訳でもありません。

 しかし、自分の人生の主体者・創造者であり、本源の我、真我である我が魂こそが、魔法使いなのです。

 本源の我であり、真我である我が魂は、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識の分霊(わけみたま)です。
 大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である大宇宙意識と、大宇宙意識の分霊(わけみたま)である我が魂とは、本質において同じものであり、真我である魂には、大宇宙意識が持つ「無限」の属性とでも言うべきものが宿されているのです。

 自分の人生の全ては、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である我が魂が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 真我である我が魂は、魂のさらなる輝きを求めて、光り輝く魂になることを夢見て、魂の進化の為に、この人生の全てを「想像=創造(そうぞう)」したのです。

 自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である我が魂であり、真我である我が魂こそが、真の意味において魔法使いなのです。

 肉体を持った自分というのは、あくまでも、真我である魂の分身・化身として存在しているアバター(Avatar)にしか過ぎません。

 真我である魂のアバター(分身・化身)として存在している自分というのは、自分の容姿・性格・健康状態・才能なども含めた全てが、真我である魂が、魂を進化させる為に一番ピッタリな、好む形で姿を現しているだけなのです。
 肉体を持った自分というのは、真我である魂が、魂を進化させる為に最高のアバター(分身・化身)なのです。

 真我である魂の関心事と、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)の関心事とは、違います。

 魂の関心事とは、魂の進化ということであり、光り輝く魂になるということなのです。
 心を純化させ、意識を福化させることが望みなのです。

 心を無地透明にして、ピュアな心、生きているうれしさをやさしく感じられる心、豊かな心、全てを喜びと感じられる心、いずこにもとらわれない全天候型の心、言わば、タイタン(巨人)のような心へと、心を飛翔させていくことなのです。

 一方、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)の関心事とは、一般的に、多くの人たちにとっては、健康・長寿、お金・富、素晴らしい異性との恋愛・結婚、理想の家庭、理想の仕事、社会的成功、地位・名誉、豊かな人間関係、というようなことになるのかも知れません。

 このように、真我である魂の関心事と、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)の関心事とが違い、差(ギャップ)がある為に、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)から見れば、ともすれば、人生がつらく苦しく感じられてしまうのですが、真我である魂から見れば、魂を進化させる為に「想像=創造(そうぞう)」した最善の出来事なのです。

 私たちの人生とは、魂の進化というプログラム上にしか存在していませんので、自分の人生に起きる全ての現実は、魂の進化にとって最善の出来事の連続でしかありません。

 ただ、そのことが、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)では、分からないだけなのです。
 肉体の自我意識が囚われている、自分という「我」を外し、心を無地透明にしてピュアな心になっていくと、真我である魂の想いというものが感じられ、自分が体験する全ての現実は、決して悪くはないのだと感じられるようになってきます。

 自分の人生の全ては、上手くいっています。
 心の広がりとして、上手くいっています。
 意識の福化として、上手くいっているのです。

 自分が体験する全ての現実は、その為に、真我である魂が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 不幸・不運としか思えないような現実が自分の身に起きた時は、その謎を解いてご覧、ということが、真我である魂から問われているとも言えます。

 自分に掛けられた魔法というのは、自らが自らに掛けた本質の魔法のみなので、豊かな魔法のみなのです。
 本当の自分自身である魂が掛けた魔法のみなので、豊かな魔法のみなのです。

 心の広がりとして上手くいく、意識の福化として上手くいく魔法、豊かな魔法しか、自分には掛けられていないことを知ることが大切になります。

 一切の苦しみが無い、一切が喜びに満ちた世界へと導いて行く方向でしか、自分に魔法は掛けられていないのです。

 私たち一人ひとりが、真の意味において、魔法使いであることを、想い出すことが大切になります。
 自らが自らに掛けた本質の魔法、豊かな魔法を想い出すことが大切になります。

 自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である我が魂です。
 真我である我が魂こそが、真の意味において、魔法使いなのであり、魂のさらなる輝きを求めて、光り輝く魂になることを夢見て、魂の進化の為に、自分の人生の全てを「想像=創造(そうぞう)」したのです。

 自らが自らに掛けた本質の魔法、豊かな魔法を想い出していく為に、書籍「魂の夢、光り輝く魂」をお読みいただくことを、強くお勧め致します。
 書籍「魂の夢、光り輝く魂」は、21世紀の新しい世界観「開眼世界観」に基づき、生きるとは何かについて考察した書であり、自らが自らに掛けた本質の魔法、豊かな魔法を想い出していく為の最良の書とも言える内容になっています。

 書籍「魂の夢、光り輝く魂」には、「豊かなる心の位置で豊かなる世界が現れてくる」というサブタイトルが付いています。

 豊かなる世界とは、形の中にあるのではなく、自分自身の心の中にあるものなので、自分自身の心が豊かになればなる程、自分の心を映した「鏡」の世界である現実世界もまた、豊かなる世界として輝きを増してくるのです。

 豊かなる心の位置でしか、豊かなる世界は現れてきませんので、豊かなる世界とは、自分自身の心の位置取りでしか感じることは出来ないのです。
 言わば、自分自身の心の位置取りの豊かさに応じて、豊かなる世界を感じられるということなのです。

 自分が体験する全ての現実は、その為に、真我である魂が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。
 本源の我であり、真我である我が魂は、豊かなる心の位置で現れてくる、豊かなる世界を体験して味わいたいのです。

 私たち一人ひとりが、魔法使いであることを想い出すことが大切になります。
 本源の我であり、真我である我が魂こそが、真の意味において魔法使いなので、自らが自らに掛けた本質の魔法、豊かな魔法を想い出すことが大切になります。

 自分に掛けられた魔法というのは、自分自らが掛けた魔法のみなので、豊かな魔法のみなのです。
「豊かなる心の位置で豊かなる世界が現れてくる」という魔法、豊かな魔法のみであることを、想い出すことが大切になります。

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