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大和富士ブログ|BLOG

魂の記憶が蘇ると、人生の全てが、予定どおりだった事を想い出す

魂の記憶が蘇ってくると、今までの人生の全てが、生まれる前に魂が決めた計画どおりに、寸分の狂いもなく、進んできた事を想い出す事が出来ます。

自分の人生を振り返ってみると、過去には様々な選択肢があったようにも感じられ、もしあの時、別の選択をしていれば、今の自分は違う状況にいる筈なのに、と感じる事も、色々あるかも知れません。

しかし、様々な選択肢があったように、後になってから感じられたとしても、その瞬間の自分自身にとっては、やっぱり、その選択肢しか無かったのであり、生まれる前に自分自身が決めて来た道程(みちのり)を、ちゃんと予定どおりに歩いて来たのだという事を想い出す事が出来ます。

瞬間瞬間の様々な選択をしている主体者は、本源の我であり、真我である、我が魂なので、表面意識であれこれ考えて選択しているように思えたとしても、最終的な選択は、意識のより深い部分にある、本源の我、真我である、我が魂が全ての選択をしています。

ですから、今までの自分の人生の、瞬間瞬間の様々な選択の全ては、我が魂がしたのであり、神の分霊(わけみたま)であり、我が人生の創造主である、我が魂は、生まれる前に計画して来たとおりに、寸分の狂いもなく、瞬間瞬間の選択をしたのであり、全ては予定どおりであった事が、魂の記憶として、蘇ってきます。

そして、今までの自分の人生は、全て予定どおりであり、最善の道程であった事が実感出来ます。

例え思い通りでないように感じられたとしても、そう感じているのは、あくまでも肉体の自我意識であって、本源の我であり、真我であり、自分の人生の創造主である、我が魂から見れば、全て思い通りであり、願いは叶っていると言え、魂の夢はちゃんと叶っているのだと言えます。

私達の人生は、「魂の進化」というプログラム上にしか存在していないので、魂の願いはただ一点、心を純化、意識を福化させ、光輝く魂になる事だけなので、「魂の進化」という永遠の旅を続ける魂の願いは、ちゃんと叶っているのだという事を想い出す事が大切になります。

自分の今までの人生において、瞬間瞬間の選択の全ては、本源の我、真我であり、神の分霊である、我が魂が、生まれる前に計画したとおりに、寸分の狂いもなく、選択したのであり、やっぱり、今まで自分が歩いて来た道程しか無かったのです。

そして、その道程は、「魂の進化」という視点から見れば、決して悪くはなかったのだと言えます。
例え、肉体の自我意識から見れば、失敗続きに思えたとしても、それによって、ある意識を創る事には成功している筈です。

肉体が死を迎えた時、魂が永遠の旅に持って帰れる「おみやげ」は、体験によって創られた意識だけなので、我が魂は、最短距離で「魂の進化」を、ちゃんと進めてくれています。

魂の記憶が蘇って来て初めて、自分の今までの人生を、本当の意味で、受け入れ、認め、感謝出来るようになるとともに、本源の我であり、真我であり、我が人生の創造主である、我が魂にも感謝出来るようになると言えるかも知れません。

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