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大和富士ブログ|BLOG

全てを喜びに変える創造

以前のブログにおいて、「生きるとは創造する事」というタイトルで、生きる事の全ては創造する事である、という内容の事を書いた事があります。

私達が、何かを思ったり、何か体を動かしたりする事の全ては、何かを創造しているとも言えるので、私達は、毎瞬毎瞬、何かを創造し続けているとも言えます。
ですから、瞬間瞬間、何かを創造しながら、自らの創造を楽しんでいく事が大事だと言えます。
生きるとは創造する事であり、生きる喜びとは、創造する事の喜びだと言えるかも知れません。

そして、ここで大切なのは、全てを喜びに変える創造をしていくという事です。
出会う全ての場面の中に面白さを発見し、喜びの中で次なる場面を創造していくという事が大切になります。

人や自分自身に腹を立ててみたり、誰かに八つ当たりしたりするような、空間が荒ぶれる創造ではなく、空間が喜びに変わるような創造を意識的に行っていく事が大切になります。
既に何度も書いているとおり、自分と空間は一つであり、別々のものではないので、空間に対して行った事は、必ず自分自身に返って来ます。

空間が荒ぶれるような創造をすれば、必ず自分自身の心が荒ぶれる事になります。
そして、空間を喜びに変えるような創造をすれば、自分自身の心も喜ぶ事になります。

本来、私達人間は、全ての事を喜びと感じられるように創られています。
しかし、否定的想念が、中毒のように染み付いてしまっている為、あまり喜びを感じられない状態で生きている人が多いかと思われます。

本源の我、真我とも言うべき我が魂、我が人生の創造主である魂にとっては、全ての体験が喜びであり、魂を進化させる為に創造した事なので、魂の目から見れば、苦というものはなく、全ては喜びでしかありません。
しかし、私達の肉体の自我意識は、あまりにも肉体というものに囚われすぎている為、本源の我である魂の意図が分からず、様々な出来事をつらく苦しく捉えがちになってしまいます。

地べたを這う芋虫のような、近視眼的な目でしか、私達の肉体の自我意識は物事を捉えられないので、様々な出来事をつらく苦しいと言って大騒ぎしていますが、本源の我である魂は、鳥瞰図という言葉があるように、大空を舞う鳥のような、高所・大局的観点から、魂の進化にとって最適な体験を創造しているので、全ては最善の為に起きており、全ては喜びの体験だというのが真相だと言えます。

自分の人生の主体者・創造主は、本源の我、真我である我が魂なのだという事をしっかりと頭に入れておかないと、ともすれば、自分という者が、人生の被害者であるかのような錯覚に陥ってしまいます。

偶々自分がこの世に生まれて来て、人生とは苦の娑婆であり、生きるという事が、あたかも、何か重い罰を払ったり、長い刑に服したりするような、牢獄のような世界であるかのように感じられてしまうかも知れません。

現実世界とは、自分の意識を投影した、自分の内面の世界であり、自分と空間とは一つなので、自分が人生とは苦の娑婆だと思えば、世界はそのように見せてくれますし、人生とは楽園のような世界だと思えば、世界はそのように見せてくれます。

自分が出会う場面の中で、それを喜びとは中々感じられず、つらく苦しいとしか感じられないとしても、少なくとも、次なる場面は、それを喜びに変える創造をしていく事が大切であり、苦しいからといって、空間が荒ぶれる創造に陥らないように、意識していく事が大切だと思います。

その事を意識的に習慣化していけば、出会う様々な場面の中にも面白さを発見し、喜びの中で、次なる場面を創造していく事が、だんだん出来るようになっていくと思います。
面白がる力、遊ぶ力、楽しむ力こそが、心の実力であり、心の余裕であり、創造力であるとも言えるので、様々な場面に一喜一憂したり、あまり囚われたりする事なく、全ての場面を面白いと感じながら、全てを喜びに変える創造を行っていく事が大切だと思います。

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