竜宮音秘の調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌

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人に対する最大の批判は、「よく分からない」が精一杯

  • 2015年9月 3日 17:29
  • Posted by Yamatofuji

 私たちは、つい、人を価値判断し、人を非難・批判したくなりがちです。

 しかし、人に対して出来る最大の批判は、「よく分からない」が精一杯のところです。

 何故なら、自分が批判している人というのも、自分の認識の中にしか存在していないからです。

 この人はこういう人、この人はこんなひどい人、この人はこんな情けない人と捉えている人というのは、あくまでも、自分の認識にしか過ぎず、自分の認識の中にしか存在していないからです。

 その人がどういう人なのか、本当のところは、自分には分からないのです。
 本当のところは自分には分からないので、人に対して出来る最大の批判は、「よく分からない」が精一杯のところです。

 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識だけです。

 大宇宙の森羅万象の全ては、大宇宙意識が全知全能の光で織り成すバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界であり、「全ては大宇宙意識の戯れ(リーラ)」にしか過ぎず、言わば、一切が無、一切が幻の世界なのです。

 大宇宙の森羅万象の全てについて、その本当の意味が分かるのは、大宇宙の根本主体・根本創造主である大宇宙意識だけなのです。

 自分という存在は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)として、この大宇宙に二つとして同じものが無い、ある一つの「支店=視点(してん)」を受け持って、ある一つの角度・視点(してん)から、この大宇宙を映し出して体験している一つの支店(してん)なのです。

 自分が映す現実世界(宇宙)の全ては、自分の意識が投影された、自分の内面の世界であり、全ては心の内の景色、言わば、幻です。

 自分が映す現実世界(宇宙)の全ては、自分の心の中にある心象風景にしか過ぎず、言わば、インナーワールドなのです。

 そこに存在しているかに見える、全ての人、事、ものは、ただ、自分を解放するプログラムとして存在しているだけです。

 肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)が囚われている、自分という「我」を解放して、宇宙へと帰って行くプログラム上に存在してくれているだけなのです。

 誰かを批判したくなる時というのは、自分という「我」が強くなっている時です。

 自分が持っている「正しさ」によって、人を批判したくなるのです。

 しかし、自分が持っている「正しさ」というのも、自分の認識にしか過ぎません。

 もし、誰かを批判したくなったら、そここそが、今、自分が解放すべきところになります。
 自分の心が強く囚われているところこそ、今、自分が解除すべきところなのです。

 自分が映す現実世界(宇宙)の全ては、あくまでも、自分の心の中の心象風景にしか過ぎないので、もし、自分が映す現実世界(宇宙)に、何か引っかかるところがあるとすれば、そここそが、今、自分が解放するところになります。

 今、誰かを批判したくなっているとすれば、そここそが、今、自分が解放すべきところなのです。
 自分の心の中にある凝り固まった部分を、解きほぐしなさい、ということになります。

 自分が批判したいひどい人というのは、あくまでも、自分の認識の中にしか存在していません。

 その人がどういう人なのか、本当のところは自分には、分からないのです。

 ですから、人に対して出来る最大の批判は、「よく分からない」が精一杯のところなのです。


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