竜宮音秘の調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌

竜宮音秘(大和富士)ブログ|BLOG

奇跡では人類は救われない

  • 2013年8月28日 21:28
  • Posted by Yamatofuji

 人類を救う唯一の救世主は存在しませんので、例えどんな奇跡を為す者がいたとしても、その者が唯一の救世主などでは、決してありません。

 インドなどには、昔から多くの聖者と呼ばれる人達が輩出し、その中には、驚くべき奇跡を行う聖者も存在します。
 
 そして、その聖者を信奉する人達は、その奇跡の力があまりにもすごいので、この聖者こそが、地球人類を救える唯一の救世主であるかのように思い込んだりしてしまいがちです。

 しかし、奇跡の力がどんなにすごくても、だから救世主という訳ではないだけでなく、むしろ逆に、奇跡の力が強ければ強い程、その聖者は救世主にはなり得ないのです。

 何故なら、奇跡の力が強ければ強い程、人々は、その奇跡の前にひれ伏してしまい、その聖者を崇め祀る一方、自分自身を価値無き小さな存在のようにみなしてしまいがちだからです。

 聖者と呼ばれる人達も、自分と同じ人間であり、自分自身の中には、聖者と同じ潜在能力が秘められている事を、つい忘れてしまいがちになるのです。
 ただ徒に、聖者を崇め、聖者にすがり、聖者に依存し、聖者に救ってもらおうとするばかりで、自分自身の中にも内在している、神性、仏性、キリスト意識とでも呼ぶべき、神聖な光を想い出し、蘇らせ、それを顕現して生きようとする事を忘れがちになる傾向があります。

 奇跡を行う力が聖者に授けられているのは、役割として必要な事なので、別に聖者の側に問題がある訳ではないのですが、聖者を頼って集まって来る人々の側に、ついつい依存心が芽生えてしまい、結果的に、自分自身を救うという意識が薄れてしまいがちになるからです。

 ですから、インドの聖者に限らず、世界中のどんな聖者と呼ばれる人達が、どのような驚くべき奇跡を行ったところで、世界人類が救われるという訳ではありません。
 
例え今、現代にイエス・キリストが再臨して、二千年前と同じ様々な奇跡を行ったとしても、それで全人類が救われるという訳でもないのです。
 何故なら、二千年前と同じ事が繰り返されるだけだからです。

 多くの人々は、キリストの奇跡を目の当たりにして、キリストに救いを求め、キリストにすがり、キリストに助けを求める事でしょう。

 イエス様、私の病気を治して下さい、私の家に来て家族の病気を治して下さい、パンをお与え下さい、仕事を下さい、私の心を救って下さい・・・という具合に、どこまでもキリストに依存しようとして、ぞろぞろと群れを成してキリストの後を追いかける事でしょう。

 そして、自分自身の内なるキリスト意識、あるいは、神道的に言えば神性である「愛と力」を想い出し、蘇らせ、それを顕現させて、自分自身が神人のように自立した生き方をしようという意識を、どこか、ないがしろにしてしまう筈です。

 これでは、人類が救われるという事にはなりません。
 人類は、唯一の救世主か誰かによって救われるのではなく、自分自らを救う事により、救われるのです。

 私達人類の救世主とは、敢えて言うならば、どこかの世界にいる訳ではなく、私達一人一人が、人類の救世主なのです。

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