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大和富士ブログ|BLOG

徐福伝説と、七福神の宝船

徐福伝説というものがあります。ご存知の方も多いかも知れません。
今から2200年程前、中国の徐福という人物が、秦の始皇帝の命を受け、東方の三神山(蓬莱など)にある不老不死の霊薬を求めて旅に出たとされており、徐福は最終的に日本に辿り着き、日本で天寿を全うしたとも言われています。

日本の各地に、徐福伝説ゆかりの地があり、佐賀県の金立山なども、その一つです。
金立山にある金立神社には、徐福が御祭神として祀られているとの事です。
金立山で採れる、フロフキ(カンアオイ)という植物の名前は、不老不死から来ているとも言われています。

徐福は、若い男女や、百工とも呼ばれる、多くの技術者達からなる、3000人もの大集団で、稲など五穀の種や、農耕や医療、金属加工などの様々な技術を船に積んで、日本にやって来たとも言われています。

間もなくお正月を迎えますが、お正月には、七福神や、七福神の宝船をあしらった縁起物が、神社を始め、色々な形で登場して目を楽しませてくれます。
七福神や、七福神の宝船というイメージは、私達日本人の心の中に、深く根付いている感じがします。

普段はあまり意識されていなくても、お正月という、日本人にとって最も大切で晴れがましい年中行事の舞台で登場して来るのは、それだけ、日本人の中にある幸福のイメージと、七福神、そして、七福神の宝船についてのイメージが重なる部分が大きいからだとも考えられます。

そして、七福神や、七福神の宝船には、そのモデルとなった人物達や、出来事があるとも考えられます。
それまでの日本には無かった、稲などの五穀の種、様々な技術などを船に積んで、颯爽と日本にやって来た渡来人達の姿から、七福神や、七福神の宝船のイメージが出来上がったのかも知れません。
七福神の中で、純粋に日本の神様とされているのは恵比寿様だけであり、中国やインドの神様が多くを占めているのも、大陸からの影響を感じさせます。

そして、徐福伝説が、七福神の宝船のモデルになったのかも知れません。
稲などの五穀の種(とその栽培法)、土木建築や鍛冶、医療などの様々な技術、言わば、当時としては世界最高の先進文化を携えて日本に渡来して来た徐福達一行の船が、金銀財宝を山のように積んだ七福神の宝船のイメージの原型になったのかも知れません。

徐福は、蓬莱山の辺りに来て住み着き、その子孫は、秦王国出身という事で、みんな秦氏を名乗るようになったとも言われています。
蓬莱山が何処だったのかについても、富士山を始め、諸説あるようですが、それはともかく、この徐福伝説というものは、私達日本人にとって、とても深い関係があるように思われます。

日本人を日本人たらしめているとも言える、お米というもの、稲の種を始めとした五穀の種を積んで日本に渡って来た渡来人達の船が、五穀豊穣をもたらし人々に幸福と繁栄をもたらす七福神の宝船のイメージとなり、私達日本人の心の中に、大切に保存されて来たのかも知れません。

お正月を彩る七福神、そして、七福神の宝船の晴れがましく目出度い美しさには、私達日本人が古来大切にしてきた、とても深い祈りや願いが込められている感じがします。


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