日本の新しい調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌

大和富士ブログ|BLOG

日本人の持つ柔軟性・寛容さ

私達日本人は、世界でも稀に見る、柔軟性と寛容さを持った民族であると言えます。
大いなる和の心である大和心を持つ大和民族ならではの、柔軟性と寛容さを身に着けていると言ってもいいかも知れません。

私達日本人は、初詣は神社に行き、人が亡くなるとお葬式はお寺で行い、年末には、クリスチャンでもないのに、クリスマスを祝い、イエス・キリストの誕生を祝っています。
何の抵抗もなく、神道、仏教、キリスト教という、それぞれ違う宗教を生活の中に取り入れながら生きており、多くの人達は、その事を意識すらしていないかも知れません。
これは、外国人の目から見ると、理解しがたいような、不思議な感じがする行動様式かも知れません。

宗教というものに対してまるで無節操と言ってもいいような、この日本人の特性こそが、私達日本人の遺伝子の中にある大和心の顕れでもあり、これからの地球・世界を導くと共に、世界に必要とされていく特性でもあるのです。
日本人が持つ大和心こそが、世界平和を実現させる仕組みになっています。

宗教に関して言えば、特に私が感嘆するのは、明治時代の神仏分離令が出るまで行われていた、神仏習合(神仏混淆)の事です。

神の宗教である神道と、無神論の宗教である仏教が、長年一つ屋根の下で、仲良く精進に励んでいたというのは、本当に、驚嘆すべき事なのかも知れません。
中東に限らず、宗教同士の争いが後を絶たない諸外国から見れば、考えられないような事なのかも知れません。

日本人が持つ、この懐の深さというのは、本当にすごいと思います。
しかし、この懐の深さも、一朝一夕に出来たものではなく、長い年月に亘って、天の計画として培われて来た、養われて来たものなのです。

神道と仏教という事で言えば、最初に仏教が入って来た時、仏教導入を進めようとする蘇我氏と、神道を守ろうとする物部氏という、二大豪族の間で戦いが行われました。争いはその後も続きました。
仏教導入について言えば、最初からいきなり国全体が受け入れた訳ではなく、仏教導入をめぐって国が二分するような戦い・争いなどを経た後に、やがて、神仏習合(神仏混淆)の時代を迎えている訳です。

仏教導入や宗教の事だけではなく、現代に生きる日本人が持つ柔軟性・寛容さという特性は、人間の歴史で言えば、約3000年位の長い年月をかけて、熟成されて来たものなのです。
それは、神武三千年の神計りという事にもつながるのですが、21世紀の地球の新たな黄金文明を開いていく役割を担っている私達日本人の中にある大和心は、数千年の歳月を掛けて、神界計画として、熟成されて来たという事なのです。

その事については、別の機会にまた改めて詳しく書きたいと思いますが、私達日本人は、遺伝子の中に眠る大和心を想い出し、蘇らせ、花開かせる時を迎えている事を、自覚する必要があると思います。
宗教が違うというだけで、日常茶飯事のように争いが絶えない、この混迷する世界にあって、大和心を持つ私達日本人こそが、世界平和を実現させる中心的役割を担っているのだという事を想い出す事が大切になります。

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