竜宮音秘の調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌

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熱海梅園「梅まつり」2、菅原道真公と天神様

  • 2011年2月 1日 19:43
  • Posted by Yamatofuji

先週の1月27日に続いて、本日2月1日にも、熱海梅園「梅まつり」に行って来ました。

数日前に湧いてきたメロディーに、歌詞を付けてみたところ、私達人類の未来の子供達に明るい未来が約束されているような、明るく幸福感に満ちた曲になりました。
ちょうど、お昼頃完成したので、昼食を食べてから、小春日和を想わせるような、暖かな日差しに誘われて、また、熱海梅園に行って来ました。

日本海側を中心に、大雪となっている地域が多い中、熱海梅園は、春めいた陽気の中、賑わいを見せていました。

前回は、梅に因んで、『熱海梅園「うめまつり」、梅とは埋めていたものを開く九十(こと)』というタイトルの記事を書きましたが、今回は、梅に因んで、別の事も書いてみたいと思います。

梅という言葉で想い出すのは、菅原道真公の有名な和歌です。
東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな

菅原道真公は、天神様として祀られるようになりましたが、太宰府天満宮北野天満宮の御神紋は、梅の花です。
道真公生誕の地とも言われ、菅家発祥の地とも言われている、菅原天満宮が、奈良市菅原町にありますが、こちらも梅の花が御神紋となっています。

天神様は、学問の神様とされている事もあり、北野天満宮や太宰府天満宮は、毎日多くの参拝者で賑わいを見せています。
歴代の天皇を始め、歴史上の大人物達の中においても、後世の人々に厚く信仰されるようになったという点においては、道真公は、かなり出色の存在と言えるかも知れません。

実は、菅原道真公は、スサノオ(須佐之男命)の霊統を汲む者と言うか、スサノオの化身のような存在だったようです。

位人臣を極めたとも言える、時の右大臣から、太宰府権師に左遷された道真公ですが、その後、最終的には、天神様として、そして、学問の神様として、後世の人々に、厚く信仰されるようになりました。

スサノオも、イザナギ(伊邪那岐命)が、黄泉の国から蘇り(黄泉帰り)をした後、禊祓えをされて、一番最後に生まれた三貴子の一人であり、元々、とても貴い生まれでありながら、高天原から追放されたりして、自らの本当の光を閉ざした状態でしたが、その後、八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)を退治して、中から出て来た草薙の剣(三種の神器の一つ)をアマテラスオオミカミ(天照大御神)に献上し、晴れて目出度く、クシイナダヒメ(櫛稲田姫命)と正式な結婚をされました。

この時に、スサノオが詠んだ和歌が、我が国最初の和歌と言われています。
八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を

本来の輝きを一度失った後、再び本来の輝きを取り戻すという点において、スサノオと、天神様となった道真公とは、オーバーラップする面があります。

実は、スサノオとは、私達一人一人の事でもあります。
元々、とても貴い存在でありながら、本来の輝きを一旦失って、自らを低き所に落とし込み、その後、自らが持つ本来の価値を再び蘇らせ、輝く、という仕組みになっています。

何度か書いた事がありますが、私達の人生は、魂の進化というプログラム上に存在しています。
そして、魂の蘇り(黄泉帰り)という事がテーマになっていますので、自らの魂が持つ本来の輝きを一旦失って忘れ、それを再び取り戻し、蘇らせ(黄泉帰らせ)、さらに一段と輝きを増す、という仕組みになっています。

前回のブログに書きましたが、梅には、埋めていたものを開く九十(こと)、という意味があり、梅を食べるのは、隠していた神を開く九十(こと)から来ているそうです。
私達一人一人は、本体(御魂)を内面奥深くに埋めて隠し、自らの本当の価値を一旦忘れていますが、それを掘り起こし、蘇らせ、花開かせて、神性を顕現して生きる時代を迎えようとしています。

自らが封印していたものを解くのは、自分自身にしか出来ないので、心の岩戸開きは、一人一人が自らの内面で行う作業になります。
一人一人が心の岩戸を開き、魂の春を迎える時代に入ろうとしています。

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