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能登の聖地(宝達山、気多大社、珠洲神社)と能登半島を旅して来ました!

  • 2021年10月 2日 16:04
  • Posted by Yamatofuji

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氷見市の温泉宿をベース基地にして、能登の聖地(宝達山、気多大社、珠洲神社)と能登半島を旅して来ました。

元々、のんびりと温泉でゆったりとした時間を過ごす目的で、4泊5日の予定で氷見市の温泉宿に予約を入れていました。

ところが、このところ、白山菊理媛(ハクサンククリヒメ)と白山神界の動きが活発化してきた感じがしたので、氷見市の温泉宿をベース基地にして、能登の聖地(宝達山、気多大社、珠洲神社)と能登半島を旅することにしました。

温泉宿でののんびりとした時間ではなく、長距離のドライブと、能登半島が持つ力強いエネルギーに触れることが出来た、かなり濃密な時間を過ごすことが出来ました。

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来年の令和4年(2022年)7月1日、日本三霊山(富士山・立山・白山)山開きの日の目出度き日に、神国日本の新しい時代を開く、新しい時代のエネルギーの風が吹くことになります。

その流れに合わせて、白山神界と白山菊理媛(ハクサンククリヒメ)の動きも活発化してきているようです。

先月9月16日の夕方、能登半島最北端の珠洲市で震度5の地震がありましたが、今年に入ってから、奥能登を震源地とした地震が多発しているようです。

また、その数日後の9月21日には、白山で小さな地震が頻発し、1日で163回確認されています。

日本三霊山に数えられる白山は活火山なので、白山には大きなエネルギーが眠っているとも言えます。

奥能登での地震の多発や、白山での小さな地震の頻発なども、霊峰白山に眠るエネルギーが目覚め蘇りつつある、一つの型示しでもあると感じています。

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日本三霊山(富士山・立山・白山)の内、富士山は太平洋側(表日本)に位置しており、立山(富山県)と白山(石川県)は日本海側(裏日本)に位置しています。

21世紀の現代から見れば、太平洋側(表日本)が中心であり、北陸地方などの日本海側(裏日本)は、辺鄙でマイナーなイメージがあるかと思います。

しかし、それはあくまでも現代だからであり、古代においては、日本海側が大陸からの表玄関であり、重要な位置を占めていた時代がありました。

古代において、文明が発達してきて小さな船で航海が出来るようになると、最初は朝鮮半島と北九州の間にある対馬列島などを点々と中継地としながら、何とか大陸との交流が始まった訳であり、その当時においては、北九州を始めとした日本海側が大陸からの表玄関であり、言わば表日本である時代があった筈です。

そのような時代には、大陸との玄関口である北九州から能登半島までが、大陸からの表玄関として、一つの領海を形成していたものと思われます。

能登半島というのは、北に大きく突き出た形をしていますので、北九州から出雲地方、若狭湾、能登半島までが、ちょうど一つの大きな湾のような感じで、大陸からの表玄関の役割を果たしていた時代があったと考えられます。

日本三霊山の中でも、特に白山は、古代における大陸との関係において、霊的に重要な役割を担っていると考えています。

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白山は、717年(養老元年)、泰澄大師によって開山されたと伝えられています。
泰澄大師は、福井市出身の僧侶ですが、「泰澄」という名前そのものが、謎の渡来人である「秦氏」を連想させます。

また、白山から日本海を越えた大陸の朝鮮半島には、白山と似た名前で白頭山(長白山)という山があり、朝鮮民族の聖地ともされています。

白山は、日本海を越えた朝鮮半島の聖地である白頭山(長白山)とも霊的なネットワークでつながっていると考えられます。

白頭山(長白山)は、標高も2800メートル弱と白山と同じ位の活火山ですが、昔から朝鮮民族の聖地であり、高句麗の聖地でもあったようです。

高句麗の最後の王である若光王は、高句麗が滅ぶ時に日本に亡命して来て、日本で亡くなり、日本にお墓がありますが、白山と朝鮮半島の聖地である白頭山(長白山)には、何らかの霊的なつながりがあるものと思います。

また、白山菊理媛の本地仏は十一面観音菩薩とされていますが、そこにも、古代において白山が持っていた働きが表現されているのかも知れません。

世界最古の宗教の一つとされるゾロアスター教など、古代における世界の主な宗教11くらいの流れが白山の元にやって来ており、そのことが十一面観音菩薩に表現されているという説もあるようです。

それが本当かどうかは知る由もありませんが、白山は、古代において、海外からも聖地として崇められていた時代があったようです。

日本三霊山に数えられる白山は、現代の私たちが考えている以上に、聖なる山として、大陸とのつながりの上でも重要な霊的な役割を担ってきたものと考えられます。

その白山が今、長い眠りから覚め、蘇る時を迎えているのかも知れません。

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能登へのご神業で、まず最初に向かった聖地が、能登半島最高峰である宝達山です。

宝達山は、標高637メートルの能登半島最高峰であり、「宝に(が)達する山」という名前そのものが、何やら意味深な響きが感じられます。

私は、十数年前、白山で御来光を見てから下山し、午後に羽咋市の気多大社に向かう途中で、車で行ける辺りまでは寄ったことがありますが、山頂には行ったことが無かったので、一度山頂までは行ってみたいと思っていました。

山頂に向かう途中で、登山道入り口辺りに、手速媛(テハヤヒメ)神社下社がありますので、まずは下社に参拝しました。
御祭神は、手速媛(テハヤヒメ)になります。
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宝達山山頂には手速媛(テハヤヒメ)神社上社があり、御祭神は、同じ手速媛(テハヤヒメ)になります。

その後、山頂近くの駐車場まで向かい、車を降りてから徒歩10分程度で宝達山山頂に到着することが出来ました。
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以前から、一度は宝達山山頂まで行ってみたいと思っていたので、念願が叶いました。
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能登半島最高峰であり、「宝に(が)達する山」という名前を持っている宝達山には、何かがあるのだろうと思います。

ちなみに、御存知の方もあるかも知れませんが、宝達山の麓には、「伝説の森公園 モーゼパーク」があり、モーゼの墓があるとされています。

しかし、モーゼの墓であるという伝承や証拠はなく、山根キクの著書『光りは東方より』が唯一の根拠であり、山根キクの主張を押水町が町おこしに利用して、三ツ子塚古墳群を整備して、1993年にオープンしたものになります。

私は、十数年前に宝達山頂上付近への道を地元の人に聞いた時、その方がちょうど「モーゼパーク」の管理人の方だったので、そのことを知り、少し足を伸ばして行ってみたことがあります。

しかし、今回は、行く気にもなりませんでした。

何故なら、「モーゼパーク」はモーゼの墓ではないからです。

似たような伝説に、東北の青森県新郷村に「キリストの墓」と呼ばれる場所があります。
しかし、そこもイエス・キリストの墓ではありませんので、注意が必要です。
青森県新郷村の「キリストの墓」と呼ばれる場所も、元々は『竹内文書』を公開した竹内巨磨が言ったことであり、それが独り歩きして現在に至っています。

山根キクは『竹内文書』の影響を受けていたとのことですが、『竹内文書』を著した竹内巨磨は富山県の出身であり、皇祖皇大神宮も茨城県に移る前は、元々は富山県呉羽山にありました。

『竹内文書』などを真実の書として信じている人もあるかも知れませんが、あれは亜流の書であり偽書なので、盲信したりしないように注意する必要があります。

イエス・キリストの墓やモーゼの墓が日本にあると信じたり、『竹内文書』などを盲信している人は、きちんと本質的な基本的な真実をまず知っておく必要があるかと思います。

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モーゼと並んで『旧約聖書』を代表する預言者とされるエリヤがいますが、モーゼとエリヤがイエス・キリストと語り合っている様子が、『新約聖書』の「ルカによる福音書」の中に書かれています。

「イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。・・・が現れて彼らを覆った。彼らがの中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。すると、『これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け』という声がの中から聞こえた。その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。」(「ルカによる福音書」第9章・第28〜36節)

『旧約聖書』と『新約聖書』では時代が大きく離れていますので、モーゼなども、紀元前16世紀から13世紀頃の人物と推定されています。

イエス・キリストはご存知のように、約2000年頃前の人物になります。

何故、2000年頃前の時代に生きたイエス・キリストが、それより数百年あるいは1000年以上前の時代に生きたモーゼやエリヤとイエスの最期(十字架上の磔)について語り合い、それを弟子であるルカが目撃して、福音書に書き記しているのでしょうか?

この意味が分からなければ、本質的な基本的な真実については、何も知らないに等しいということを理解する必要があるかと思います。

もし、この意味が分からなければ、ぜひ、下記の拙書をお読みいただき、真実についてきちんと理解されることを、強くお勧め致します!
拙書『大宇宙意識(無限)と異星人エロヒム』
拙書『花咲く都・黄金文明』

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宝達山から下山してから、羽咋市にある能登国一宮気多大社に参拝しました。

気多大社への参拝は、十数年ぶり、三度目になります。
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気多大社は、白山を開山した泰澄大師によって建立されたと言われています。

気多大社の御祭神は、大国主命であり、七福神の大黒様としても知られています。
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気多大社の裏手には「入らずの森」と呼ばれる広大な原生林があり、奥宮もその中にありますが、「入らずの森」は立ち入り禁止になって守られています。

現在は、気多大社は能登半島の付け根部分にあって交通も不便なことから、大社と呼ばれる神社の中では、比較的知名度が低い印象がありますが、古代においては、もっと重要な位置を占めていたものと思われます。

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ちなみに、気多大社のある羽咋市は、「UFOの町」としても知られています。
住民にUFO(宇宙船)の目撃者も多く、住民の20%以上がUFO(宇宙船)の目撃者とも言われています。

羽咋市には「そうはちぼん」という伝説があり、その特徴などから、江戸時代に現れたUFO(宇宙船)のことではないかと言われています。

羽咋市は、地域おこしとして「UFOの町」をアピールしているようです。

ちなみに、『旧約聖書』の「出エジプト記」の中で、昼となく夜となくモーゼ達を導いていった創造者のUFO(宇宙船)は、「光りの柱、雲の柱」として表現されています。

また、イエス・キリストがヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けた時に、天から降りて来た創造者のUFO(宇宙船)は、「神の霊」と表現されています。
「イエスは洗礼(パプテスマ)を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、『これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた。」(「マタイによる福音書」第3章・第16・17節)

先程の『新約聖書』「ルカ伝」の中では、創造者のUFO(宇宙船)は、「栄光」「雲」と表現されています。

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気多大社の参拝を終えた後は、能登半島の景勝地である能登金剛にも足を運んでみました。
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翌日は、朝から能登半島最北端の珠洲市へ向かいました。
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珠洲市の代表的な神社である珠洲神社参拝が第一の目的です。

珠洲神社は、高座宮と、すぐ近くに徒歩数分の位置にある金分宮に分かれています。

また、山伏山の山頂に奥宮がありますが、片道1時間程掛かるようなので、今回は参拝は出来ませんでした。
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高座宮では、天津日高彦穂瓊瓊杵尊(アマツヒダカヒコホニニギノミコト)と美穂須須美命(ミホスズミノミコト)が祀られています。

そして、金分宮には、天津日高彦穂瓊瓊杵尊(アマツヒダカヒコホニニギノミコト)の后である木花咲耶姫命 (コノハナノサクヤヒメノミコト)が祀られています。
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珠洲神社の参拝を終えた後は、能登半島最北端の海辺にも行って来ました。
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「聖域の岬」とも呼ばれる珠洲岬は、日本三大パワースポットとも呼ばれているようです。
有名な、「ランプの宿」もあり、確かに風光明媚な所でした。
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青森県のランプの宿「青荷温泉」にはずいぶん昔行ったことがあるのですが、機会があれば、珠洲岬の「ランプの宿」に泊まって、山伏山山頂の珠洲神社奥宮にも行ってみたいと感じています。
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氷見市の温泉宿に滞在中、2回、近くにある大境洞窟の白山社に参拝しました。

今回の旅は、かなり有意義で濃密な旅となったので、チェックアウト後、最後はやはり大境洞窟の白山社に参拝して、白山菊理媛(ハクサンククリヒメ)へのご挨拶で締め括りとさせていただきました。

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