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自分の人生の創造主は自分自身であり、自分の人生の主体者・創造者は真我である魂

  • 2016年4月13日 18:54
  • Posted by Yamatofuji

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 自分の人生の創造主は自分自身であり、自分の人生の主体者・創造者は、真我である我が魂です。

 あなたは、自分が創造主であり、自分の人生の本当の創造主は、他ならぬ自分自身であることに気付いていますか?

 あなた自身が、あなたの人生の本当の創造主なのです。

 なぜだか分かりますか?

 本当のあなた自身が、あなたの人生の全てを体験したかったので、あなたの人生の全てを「想像=創造(そうぞう)」したからなのです。

 本当のあなた自身とは、本源の我であり、真我である魂のことです。

 自分の人生の主体者・創造者は、本源の我であり、真我である我が魂なのです。

 真我である魂があなたの人生の全てを「想像=創造(そうぞう)」したのは、あなたの人生の全てを体験したかったからなのです。

 全ては、体験するためなのです。

 あなたが人生で感じる喜びや悲しみの全て、あなたの人生の全てを体験して味わいたかったからなのです。

 なぜ、真我である魂は、自分の人生の全てを体験して味わいたかったのでしょうか?

 それは、真我である魂というのは「純粋意識」なので、肉体という衣をまとわないと、体験することができないからなのです。

 ここで少し、真我である魂という「純粋意識」について触れておきます。

 この大宇宙に本当に実在しているのは、大宇宙の根本主体であり、大宇宙の根本創造主である、大宇宙意識という一つの「純粋意識」だけなのです。

 大宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の「無限」の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った「純粋意識」なのです。

 物理的大宇宙の全ては、大宇宙意識が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である我が魂なのです。

 自分の人生の全ては、大宇宙意識の分霊(わけみたま)である我が魂が「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 真我である魂は、魂のさらなる輝きを求めて、光り輝く魂になることを夢見て、魂の進化のために、自分の人生の全てを「想像=創造(そうぞう)」したのです。

 魂の進化とは、心の純化、意識の福化ということであり、心を無地透明にして、ピュアな心、生きているうれしさをやさしく感じられる心、豊かな心、全てを喜びと感じられる心、いずこにもとらわれない全天候型の心、言わば、タイタン(巨人)のような心へと、心を飛翔させていくことなのです。

 真我である魂という「純粋意識」は、魂の進化のために、「豊かなる心の位置で豊かなる世界が現れてくる」のを体験するために、肉体という衣を「想像=創造(そうぞう)」したのです。

 多くの人たちは、病気やケガをすると、それを不幸・不運と呼び、その一方で、温泉に入って快適にくつろいだり、スポーツで心地よい汗を流したり、ハワイやタヒチのような常夏の海で泳いだり、愛する異性と精神的にも肉体的にも結ばれる喜びを幸福と呼んでいます。

 でも、それらの全てを感じること、味わうことができるのは、肉体という精妙な衣をまとっているからなのです。

 もしも、私たちの肉体が、超合金のロボットのような体だったらどうなるか想像してみてください。

 病気やケガをすることはありません。

 しかし、温泉に入って快適にくつろいだり、スポーツで心地よい汗を流したり、ハワイやタヒチのような常夏の海で泳いだり、愛する異性と精神的にも肉体的にも結ばれる喜びを味わうこともできないのです。

 私たち一人ひとりは、自分の肉体という精妙な衣をまとっているからこそ、喜びも悲しみも含めた、自分の人生の全てを体験して味わうことができます。

 そして、真我である魂が望んでいるのは、そこなのです。

 真我である魂という「純粋意識」は、肉体という衣をまとって、自分の人生の全てを体験して味わいたいのです。

 真我である魂という「純粋意識」にとっては、体験こそが喜びであり、財産であるとも言えます。

 真我である魂という「純粋意識」の夢はただ一点、魂の進化ということであり、光り輝く魂になることなのです。

 自分の人生の全ては、真我である魂が、魂の進化にとって最善の出来事として「想像=創造(そうぞう)」したものなのです。

 真我である魂という「純粋意識」が望んでいるのは、「豊かなる心の位置で豊かなる世界が現れてくる」ことを夢見ているのです。

 豊かなる世界とは、自分の外の何かの形の中にある訳ではなく、自分自身の心の中にしか存在していませんので、真我である魂という「純粋意識」は、「豊かなる心の位置で豊かなる世界が現れてくる」ことを体験して味わいたいのです。

 自分が人生で体験する全ての現実は、そのために真我である魂が「想像=創造(そうぞう)」した最善のできごとなのです。

 自分の人生の真の創造主は、他ならぬ自分自身なのです。

 そしてもちろん、自分の肉体という衣も、真我である魂が、魂の進化にとって一番ピッタリな「遊び着」として「想像=創造(そうぞう)」したものになります。

『肉体という衣について』、こちらの記事の中でも書きましたが、自分の肉体というのは、真我である魂という「純粋意識」が、魂を進化させるために一番最適な「遊び着」として「想像=創造(そうぞう)」されているものなのです。

 そして、自分の肉体というのは、真我である魂という「純粋意識」が、物理的大宇宙を体験するために使っている「アバター(分身・化身)」なのです。

『今ここに存在している自分は、アバターにしか過ぎない』、こちらの記事の中でも書きましたが、自分の肉体というのは、真我である魂という「純粋意識」が、現実世界を体験するために使っている「アバター(分身・化身)」にしか過ぎません。

 真我である魂という「純粋意識」は、肉体を持った「アバター(分身・化身)」での体験を通して、「豊かなる心の位置で豊かなる世界が現れてくる」のを体験して味わい、魂の夢を想い出すことを望んでいるのです。

 しかし、肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)では、なかなか真我である魂の意図が分からないので、様々な出来事を幸・不幸、運・不運と決めつけて、大騒ぎしています。

 肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)というのは、意識の一番浅い部分であり、意識の奥深くにある真我である魂との間には大きな「差(ギャップ)」があります。

 真我である魂と肉体の自我意識(表面意識・顕在意識)との「差(ギャップ)」を取って生きることが、本当の意味での「差取り=悟り(さとり)」ということでもあるのです。

 そして、自分が映す現実世界(宇宙)の全ては、自分自身の意識の中にあるものなのです。

 自分の外に、何か確固とした客観的な現実世界というものがある訳ではなく、自分が映す現実世界(宇宙)の全ては、自分の意識を投影した自分の内面の世界であり、全ては心の内の景色なのです。

 自分自身の心の中にある心象風景とでも言うべきものを、空間という360度立体のバーチャルなスクリーンに映し出して見ているだけなのです。

 ですから、『自分が変われば世界が変わる』、こちらの記事の中でも書きましたが、自分の心が変われば、自分の心が映し出された現実世界(宇宙)もまた変わります。

 自分自身の心が変われば変わった分だけ、自分の心が映し出された現実世界(宇宙)もまた、違ったふうに見えてくるのです。

 そして、『心が美しくなれば、現実世界は美しく輝く』、こちらの記事の中でも書きましたが、自分の内面が輝けば輝くほど、自分の目に映る現実世界は、本当に、輝きを増してきます。

 生きていることそれ自体がありがたい、うれしい、面白い、美しい、存在が感謝、という状態になればなるほど、自分の目に映る現実世界(宇宙)もまた、ありがたい、うれしい、面白い、美しいと感じられるようになるのです。

 自分が輝けば、世界(宇宙)もまた輝きます。
 自分が元気であれば、世界(宇宙)もまた元気です。
 とても単純なことなのです。

 もしも今、自分の目に映る現実世界(宇宙)が美しく感じられないとしたら、それは、世界(宇宙)が美しくないのではなく、自分自身の心が美しさを感じられないだけなのです。

 自分の心が美しくなれば、自分の目に映る現実世界(宇宙)は美しく輝きます。

 自分が映す現実世界(宇宙)とは、自分の外にある何か確固とした客観的な世界などではなく、全ては自分の意識が投影された内面の世界であり、全ては主観の世界なのです。

 私たち一人ひとりが創造主なので、現実世界(宇宙)と呼ばれるものも、自分自身の意識の中にしか存在していないのです。

 自分の人生の主体者・創造者は、大宇宙意識の分霊(わけみたま)であり、本源の我、真我である我が魂です。

 あなたの真我である魂という「純粋意識」の夢を想い出すことが大切になります。

 あなたの人生の本当の創造主は、他ならぬ自分自身なのです。

 あなたの真我である魂の夢を想い出し、「豊かなる心の位置で豊かなる世界が現れてくる」のを体験して味わうことが大切になります。


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