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自分が映す現実世界(大宇宙)の全てが、心の内の景色であることが実感出来るようになると、寂しいという感情が薄れていく

  • 2015年5月31日 17:34
  • Posted by Yamatofuji

 自分が映す現実世界(大宇宙)とは、自分の意識を投影した、自分の内面の世界であり、全ては心の内の景色であり、言わば、幻です。

 自分自身の中にある、心の心象風景とでも言うべきものを、空間という、360度立体のバーチャルなスクリーンに映し出して見ているだけなので、言わば、インナーワールドなのです。

 このことが実感出来るようになってくると、人との関係が、だんだん淡く感じられるようになり、友達と友達でない人とを分けて考える思考形態も消えていき、寂しいという感情も、だんだん薄れていきます。

 肉体を持った自分がいて、自分の外に、何か確固とした客観的な現実世界があると思っているうちは、友達が多いとか少ないとか、この人は友達で、あの人は友達でない人というふうに、友達と友達でない人とを分けて考える思考形態が強く、寂しいという感情を強く持つこともあります。

 しかし、自分が映す現実世界(大宇宙)の全てが、自分の内面の世界であり、全てが心の内の景色であることが分かると、空間(自分が映す現実世界)の全てが自分自身であり、空間(自分が映す現実世界)の全てが友達であるとも言えますので、友達が多いとか少ないとか、この人は友達で、あの人は友達でない人というふうに、友達と友達でない人とを分けて考える思考形態も消えていき、寂しいという感情も薄れていきます。

 自分が映す現実世界には、その瞬間瞬間に自分が体験すべき、自分の心の内の心象風景が映し出されているだけなので、自分の人生に現れる全ての人たちは、その瞬間瞬間に自分にとって必要な役割を演じてくれているだけなのです。

 電話やメールをやり取りしたり、お茶や食事を一緒にしたりする人たちばかりが友達なのではなく、瞬間瞬間に出会う全ての人たちが友達であるとも言えます。

 旅先で出会って一言だけ言葉を交わし、もう二度と再び会うこともないであろう人たちも、ある意味においては、友達のようなものですし、プライベートでは決して会うことの無い、自分の苦手な人や嫌いな人たちさえも、ある意味においては、友達であるとも言えます。

 プライベートでは決して付き合いたくない、会社の苦手な上司や同僚たちでさえも、瞬間瞬間に自分が体験すべき役割を職場の中では演じてくれている訳なので、ある意味においては、友達のようなものだと言えるかも知れません。

 全ては心の内の景色であり、全てが、主観の世界なのです。
 自分が映す現実世界(大宇宙)の全てが、自分の内面の世界なので、空間の全てが自分自身であるとも言え、空間に映る全てが友達であるとも言えます。

 そのことが実感出来るようになると、人とのことが淡く感じられるようになり、友達と友達でない人とを分けて考える思考形態も消えていき、寂しいという感情も、だんだん薄れていくのです。

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