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山幸彦こと彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)は恵比寿様

天橋立の近くに、元伊勢・籠神社があります。
籠神社では、境内摂社の蛭子(えびす)神社において、山幸彦である、彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)を恵比寿様として祀っています。
籠神社では、元々の主祭神は彦火火出見命であり、後に、彦火明命(ヒコホアカリノミコト)が主祭神として祀られるようになったようです。

実は、山幸彦である、彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)は、恵比寿様でもあります。

一般的に、恵比寿様として祀られているのは、八重事代主ですが、彦火火出見命も、恵比寿様でもあります。

以前、「神々の名前(御神名)について」というタイトルで書きましたが、御神名の最も本質的な捉え方は、神界の働きについて付けられている名前なので、別々の御神名であっても、同じ働きであり、実は同一神という場合もあります。

「恵比寿の働きについて」というタイトルで書きましたが、恵比寿の働きとは、御魂を釣り上げる事であり、恵比寿様が釣竿を片手にして赤い鯛を抱えているのは、大漁漁業の神様という二義的な意味よりも、赤い鯛に象徴されている、御魂を釣り上げるという、恵比寿の本質的な働きを表しているからなのです。

「古事記」の中で、山幸彦は、失くした釣針を探しに、海神(ワダツミノカミ)の宮である、竜宮城の中へ行き、海神(ワダツミノカミ)の娘である豊玉毘売(トヨタマヒメ)と三年の歳月を過ごします。

三年の歳月が経った時、失くした釣針は、赤い鯛の喉(ノド)に引っ掛かっていた事が分かり、失くした釣針を手に入れて、山幸彦は竜宮城から帰って来ます。
竜宮城から帰る時、山幸彦は、「塩満珠(しおみつたま)・塩干珠(しおひるたま)」を、海神から贈られます。

失くした釣針に象徴されているのは、魂が一番引っ掛かるもの、魂の一番奥深くにあるもの、魂のクセのようなものの事であり、赤い鯛とは、もちろん、御魂の事です。

そして、海原とは、心を表し、心の奥深くにある神界(=深海)の事も表していますので、山幸彦は、自分の魂の一番奥深くにあるものを探し求めて、心の奥深くへ、竜宮城である神界(=深海)の奥深くへと入って行き、三年の歳月を経て、ついに、自分の魂の一番奥深くにあるものを、見付ける事ができたのです。

失くした釣針(自分の魂の一番奥深くにあるもの)を見付けた時、海原を治める海神から贈られた「塩満珠(しおみつたま)・塩干珠(しおひるたま)」とは、海原である心を治め、静める事の出来る力のようなものを象徴しています。

確か、鹿児島神宮には、「塩満珠・塩干珠」が神宝として非公開で保存されていると記憶しており、一つの型として、「塩満珠・塩干珠」が何処かの神社に保存されていても不思議ではないのですが、あくまでも、「古事記」の中で象徴しているものは、形ではない、もっと本質的なものです。

「塩満珠・塩干珠」ばかりでなく、「赤い鯛」、「釣針」、「海原」、「竜宮城」などの言葉も、一つの象徴として描かれているので、形あるものとして捉えようとすると、一番本質的な意味が捉えられなくなってしまいます。

竜宮城へ行ってから三年の歳月を経て、失くした釣針を見つけ、「塩満珠・塩干珠」を受け取ったと書かれているのも、心を治め、静められるような力を得る為には、心の奥深くに入れるようになってからでも、少なくとも三年位の歳月は掛かるという事を表しています。

「古事記」の中でも、最も美しい物語の一つである、山幸彦こと彦火火出見命が、失くした釣針を探し求めて、竜宮城の中へと入って行き、赤い鯛の喉(ノド)に引っ掛かっていた釣針を見つけて、「塩満珠・塩干珠」を手に入れて竜宮城から戻って来るストーリーには、御魂を釣上げるという、恵比寿の働きが、とても見事に表現されていると思います。

山幸彦こと彦火火出見命は、恵比寿様でもあります。


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