竜宮音秘の調べ・神響き、天岩戸開きの祝いの神楽歌

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四月三日、四三(よみ)帰り=黄泉(よみ)帰り=蘇り

  • 2011年4月 3日 22:57
  • Posted by Yamatofuji

本日は、四月三日(日)です。旧暦では、三月一日にあたります。
四月三日とは、「よみがえり」というものの、一つの型示しの日であるとも言えます。
「四三(よみ)返り」=「黄泉(よみ)帰り」=「蘇り」=「よみがえり」という事になります。

この現象界、現実世界を三次元とすると、三次元の全ては、元々、まず四次元で作られたものであり、四(次元)で作られたものが、三(次元)に変わっているという事になります。
四次元で作られしものが明らかになる事が「よみ(四三)返り」という事でもあります。

そして、三次元の現実世界の元になるものを、四次元において作ったのは誰かというと、他ならぬ自分自身であり、神の分霊(わけみたま)であり、本源の我である、我が魂だという事になります。
自分の現実は全て、真我である自分自身が創造したのだという事を想い出す事が、「神の蘇り」であり、「魂の蘇り」という事になります。

「神の蘇り」、「魂の蘇り」、というのは、実は、古事記に隠されたメインテーマであり、古事記には、表向きの歴史書としての一面だけではなく、神界の仕組みが隠されており、人が神として出産するまでの、内的なプロセスが、様々な場面設定を使って描かれています。

伊邪那岐命の「黄泉国からの黄泉(よみ)帰り」、あるいは、須佐之男命の「八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)退治」、天照大神の「天岩戸開き」、大国主誕生、神武誕生、日子穂穂手見命(山幸彦)の「竜宮城からの帰還」など、様々な場面設定を使って、「神の蘇り」、「魂の蘇り」というものを、描いています。
場面設定と登場人物は違いますが、人が神として出産するまでの内的なプロセスを、様々な形で教えてくれています。

「蘇り」とは、「黄泉(よみ)帰り」であり、「四三(よみ)帰り」であり、それは即ち、「神の蘇り」、「魂の蘇り」という事になります。


本日四月三日は、聖徳太子が、「十七条憲法」を制定された日だという事なので、別の機会に、この事についても書いてみたいと思います。

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